ずっと欲しかったもの 2
茶髪ボブの女子なんて、オレの知り合いにいない。
こんなに美人な女の子、そもそも見たことない。SNSのフィード流し見てるときみたく目の保養にはなるけどね。
「……」
鏡をジッと見つめながら、心の中で独り言をつぶやくオレ。
い、いや。
そんなこと今どうでもいいから。
自分の姿を目の保養にしてる場合じゃない。状況を考えろっての。
誰もいない室内で一人コントを繰り広げるオレ。だいぶ寂し過ぎる絵面。イタい子だと思われちゃいそう。
今一度、オレは鏡を見た。
いくら凝視しようとも、やっぱり見覚えはない。どれだけ脳内の記憶を掘り返しても、鏡に映る女の子に見覚えはなかった。
オレは顔から上半身に視線を移した。
ライトブルーのポロシャツ。オレが普段から寝巻きとして使っている水色の薄布。
一枚のシャツを着ているだけなのに、まるでモデルのように美しい立ち姿。鏡越しに見てもハッキリ美人だと分かる。
かと思えば、年相応の可愛らしさもある。あどけなさが残る顔立ち。
美しさと可愛らしさを併せ持った女の子。肌はツヤツヤとしていて、どこか雪解け水を思わせる。『透きとおるような肌』という表現がピッタリ。
茶髪ボブのヘアスタイル。
中腹から毛先にかけて軽くウェーブがかった、少し暗めのダークブラウンのミディアムボブ。
ほんのちょっとだけ肩にかかるくらいの長さの髪の毛が、顔を左右に振るたびに風になびくカーテンのように揺れる。おでこの大部分が隠れるよう、前髪は眉毛と同じくらいの長さに揃えられている。
見た目から察するに、年齢は十代半ばくらい。
少なくとも成人には見えない。『大人』と言うには少々あどけなさが残る。大人っぽくはあるんだけどね。日本語って難しいね?
目はパッチリ。
くりくりとした、まあるい円な瞳。
二重まぶたに、きめ細かな肌。ぷっくりとした薄桃色の唇に、くるっと上向いた長いまつ毛。
どの顔のパーツも「美しさを引き立たせるために備わった」といった感じ。見た目ガチャで大当たりを引いたような容姿。
顔立ちがいいうえ、さらに胸も大きい。
学校にいたら間違いなく注目の的になるタイプ。学年を問わず羨望の眼差しを向けられそうなカースト上位の人種。あれれ、上級国民かな?
す、すごいな。
いくらなんでも、完ペキすぎるだろ。欠点はいずこー?
や、べつに欠点探ししたいわけじゃないけどさ。あまりにも顔の造形が整い過ぎてて逆に引いちゃうっていうか、美術室にある彫像を眺めるときみたいな気持ちになるっていうか——
「あっ」
鏡を眺めている途中、オレはふと気づいた。
指で前髪をよけた拍子に、ほくろが隠れてるのを発見。隠れミッキーを見つけたかのように錯覚する。ハハッ⤴︎⤴︎
あえて一つだけ気になる点を挙げるとすれば、わりと目立つ大きめのホクロがあることかな。おでこの真ん中にポツンと位置してるせいか、捉えようによっては第三の目に見えなくもない。
アレを彷彿とさせる。
アレだよアレ。ほらぁ、アレだってばぁ。わかるっしょ?
なんだっけ、あの妖怪……えぇーっとぉ、ほら、おでこに目が付いてるヤツ。見た目がホラーすぎて、子どもウケ悪そうな妖か——
あ、思い出した。
そうそう、三つ目入道だ。またの名を三つ目小僧。
わりと大きめのホクロが額の真ん中にあるせいで、どことなく三つ目小僧もとい三つ目入道を思わせる。この娘のパーツで気になる点と言えば、せいぜい黒い母斑が目立つくらいかなぁ。
そのほかのパーツが完ペキ過ぎるだけに、額にホクロという特徴が大きな欠点のよう。
たとえるなら、キレイな街並みなのにゴミが散乱してるみたいな。美しい景観を台無しにしちゃう、足元のゴミみたいなニュアンス。伝わるかな?
そう考えると、顔がイイのも大変だな。周りからは羨望の目で見られがちだけど、あんがい『顔がいい』ってのも考えもの。そもそも最初から期待値が高いせいで、なにをするにしてもハードルが上がる。「イケメンor美人だから、きっと歌も上手いんでしょ?」みたいな。そんなわけないっつの。
んで、期待値を下回るような振る舞いをしたらガッカリされる。『残念イケメン』とか『残念美人』みたいなレッテルを貼られる。「顔はいいけど……」みたいな感じでさ。「けど」って何だよ。
ほんと理不尽だよな。
生まれてくるときの顔なんて、自分で選ぶわけじゃないのに。
アンパンマン方式で自分の顔チェンジできるわけじゃないんだぞ。「新しい顔よぉ〜っ!」なんてこと出来たら苦労しないっての。まったくもう。
そんな気軽に顔の取り替えできてたまるか。バタ子さん頼りのフェイシャル・エステはお止めなさいな。もはや『エステ』のレベルじゃないし。
世の整形外科医が泣くぞ。他人の顔を原型とどめてないくらいグチャグチャのしっちゃかめっちゃかにして金ボロ儲けする、顔面をいじくり回すのが仕事で生きがいで無上の喜びと化してる整形外科医の商売あがったりだっての。え、言い方に悪意があるって?
この娘にとってのホクロは、まさしくそんな感じの印象。
イケメン・美女をあげつらう道具の一つとして、おでこにある黒ずみが使われちゃいそうな感じ。
顔がいい人に向けられる嫉妬・やっかみ混じりで、このホクロのことイジってくるヤツとかいそうだな。「顔めっちゃカワイイけど、ほくろが若干アレだよね〜」みたいな。「アレ」って何だよ。
ほんとマジ小学生みたいな発想だけど。なまじ顔が良いだけに、生活上の苦労も多そう。シャワーのごとく嫉妬と羨望の水を浴びせられてそう。なぁんて有り難みのない水浴びなのでしょう〜?
つっても、おでこは前髪で隠れるしな。
見ようによってはマイナスポイントかもだけど、ヘアスタイルでカバーできるから問題なさそう。髪が長くて救われたね。
いや、なに目線だよ。
われながら、どの立場からモノ言ってんだ。「問題なさそう」じゃないっての。渋谷とか青山みたいなオシャレ街を拠点に活動する敏腕スタイリストか。
まぁ、それはともかく。
ほんと誰だ?
だれなんだ、この女の子?
ひとまず、オレは胸を揉んだ。もにゅもにゅ。
正面にある鏡に映るのは、自分の胸を揉む美少女の姿。だいぶレアな映像。
鏡の中にいる彼女が上に着ているのは、肌触りのいいライトブルーのポロシャツ。下に穿いているのは、男性用のハーフパンツ。
締め付けられる感じが苦手なオレが好んで着る、身体に窮屈さを感じさせない普段どおりの服装。パジャマ代わりのスポーティなファッション。もうすっかり見慣れた寝巻き。
「……」
もむもむと自分の胸を揉みながら、視界の端に映る植物に目を向けた。
パキラとポトス。
鏡の端に映り込む二つの緑。お気に入りの観葉植物。
スーッと茎を伸ばす植物たちもまた、いつもどおりの見慣れた風景の一部。ここはオレの部屋。まちがいなく、自分の部屋のはずだ。
いつも通りの朝。
いつも通りの起床。
いつも通りのオレの部屋。
いつも通りの服装とインテリア。
いつも通りじゃないのは、鏡に映る自分の見た目だけ。オレの姿だけが唯一この場で異彩を放っている。
とたん不安に駆られた。
およそ言葉にできない不安感が、モヤのようにオレの心を包み込む。
心を巣食う不安を落ち着けようと、オレは引き続き胸を揉みしだいた。なにか形あるものに触れていないと、脳が機能不全に陥りそうだったから。スループットを容易に超えた状況に出くわした脳が、情報を処理できずに機能停止してしまいそうだった。
だから、胸を揉む。
何度も繰り返し胸を揉みしだく。
とてもリアルな感触。ふにふにとした柔らかな手ざわりだけが、この場にそぐわないないほどリアルだった。
のんきにも「じっさいに揉むと、こんな感じなんだぁ」なんて感想を抱くオレ。スライムみたいに柔らかくて、手のひらに吸い付いてくる感じ。服の上からでも分かる、やわやわとした手ざわり。やわっこい感触。
「あ……」
ふと気づく。思わず声がもれた。
つい先ほど、ベッドのうえで胸の違和感に気づいたときのことを思い出す。
声、高かった。さっきの声のトーン、ずいぶん高かったよな。いまの「あ……」って呟きもだけど、オレの声にしてはハイトーン過ぎないか?
なにかに誘われるように、オレはそっとノドに触れた。
肌の表面を上から下に撫でるようにして、男性に付いているはずの突起を手で探る。オレの予想に反して、ノドは真っ平だった。
ない。
のどぼとけが無い。
ほとんどの男性にあるはずの喉仏。男性の二次性徴を示す身体的な特徴のひとつ。のどぼとけ。
ひとつ山があるはずのオレのノドは、遮蔽物のない平野のようになだらか。つるつるとした滑らかな肌ざわりだった。
「まじか……」
ふいに口からこぼれ出た高い音は、だれに届くでもなく宙をただよった。
ついぞ聞いたことのない自分の声。
聞き慣れないハイトーンが鼓膜を震わせる。澄みきった川の水のように透明なソプラノの声が、有毛細胞を刺激して聴覚野に電気信号を伝達する。
オレは目線を下に落とした。
自分が穿いているハーフパンツに手を伸ばす。パンツの外縁部を指で引っ張って、オレは恐る恐る内側を覗き込んだ。
ない。
シンボルがない。跡形もなく消え去っている。
とうに見慣れたはずの景色は、すっきりと姿形をなくしていた。沸点に達して大気中に霧散する水蒸気さながらに、オスとしてのシンボルが跡形もなく消え失せている。
「んだよ、コレ……」
高い声とは不釣り合いな男っぽい口調。
音韻と語調のミスマッチ。この少女の口から発せられる音の響きとして、普段のオレの口調は余りにも不釣り合いだった。
「オレ、女に……?」
突如、違和感が顔を覗かせた。まるで、自分の出番を待ちわびていたかのように。
鏡の中にいる女の子が『オレ』と呼んでいることに違和感を覚える。ぜんぜん『オレ感』がない。ミスマッチにも程がある。
ごくり、と生つばを飲む "わたし" 。
唾を飲み込むときの音。自分の嚥下音がやけに鮮明に聞こえた。
姿見の中にいる自分は、引きつった顔をしている。面接試験を控えた受験者さながらに、緊張したような表情を浮かべていた。
ゆっくりと口をひらく。
とたんに葛藤が押し寄せる。岩場に打ちつける波のように、ためらいが心に押し寄せてくる。
やや戸惑いを覚えながらも、いよいよ "わたし" は決心した。この女の子が言いそうな一人称を、意を決して "わたし" は声に出した。
「わ、わた、し……女の子になって、る……」
いつものように目を覚ました今朝は、いつもと違って戸惑いに満ちていた。




