『かわいい』を、わたしは愛してる 4
わたしは、かわいいものが好き。
わたしは、うつくしいものが好き。
わたしは、女の子らしいものが好き。
わたしを構成するカラーは桜色。その次にクリーム色。
ブルーやブラックは好みじゃない。わたしには男っぽすぎるような気がするから。
深海のように深い青も、墨汁を浸したような黒も。どちらも好きじゃない。キライじゃないけど、かといって好きでもない。
真夜中のような濃藍も、烏の羽みたいな漆黒も。どちらも色味が強すぎる気がするから。わたしには似合わないような気がするから。
でも、空色は好き。
さわやかで、知的な感じで。だけど、やわらかな印象もある色。
とくに、アクアマリンのように透き通った色が好き。どこまでも澄みわたる夏の空みたいに澄んだ色。
透明感のある色をジッと眺めていると、やさしい気持ちになれるような気がする。だから、好き。すごく好き。
幼い頃から、ずっとそうだった。
小さい男の子が興味を示すようなものに、たった一人わたしだけが関心を持てなかった。男の子みんなが憧れるものに、わたしだけが羨望を持てなかった。『かっこいい』を好きになれなかった。
新幹線に興奮することもないし、飛行機を見てギャーギャーさわぐこともない。戦隊モノのアニメを見るよりも、少女マンガの世界に浸るほうが好きだった。『かわいい』のほうが好きだった。
わたしは、かわいいものが好き。大好き。
麻衣は、かわいい。すごく可愛い。
すごく『女の子』してて、かわいさを全身に纏ってる。かわいい服で着飾るみたいに、かわいらしさを身に纏ってる。
麻衣は、かわいい。すごく可愛い。
わたしは、かわいいものが好き。大好き。
わたしは、麻衣のこと——
麻衣のこと、どう思ってるんだろ?
ふいに、麻衣が提案してきた。
「そろそろ向こう行こっかぁ?」
こちらの様子をうかがうように、麻衣は「もう平気?」と言葉を付け足した。
こくり、とわたしは一つ頷いて答えた。
「うん、だいじょぶだよ。戻ろっか」
「いい汗かいたね〜。次の授業、寝ちゃうかもだなぁ」
あは。
麻衣、寝る気まんまんじゃん。
「うつ伏せで寝てると、枕が恋しくなるよね」
「わっかるぅ〜。まくら抱えて寝れたらさいこーなのにぃ」
麻衣は不満げに唇を尖らせた。
不機嫌を隠そうともしない小学生くらいの女の子を思わせる仕草。年齢と不相応なスネるような態度が、見た目とギャップがあって可愛らしい。もう、高校生なんだもんね。
グラウンドの端っこでは、女子が集団を作っている。
群集した花々に誘われるように、レーンを離れて校庭の端に向かう。フェンスの近くで集まっている女子たちに紛れるように、オレと麻衣も腰をおろしてマラソンで疲れた身体を休める。
とたん、どっと疲れが押し寄せてきた。
走っていたときには感じなかった足の疲れ。フェンス近くの段差に腰かけて姿勢を崩すやいなや、立っていたときには感じなかった疲労感に襲われる。
けっこう走ったもんね。
なんだかんだ、三十分くらい走ってたかも。途中ペースを落としたりもしたけど、ずっと走りっぱなしだった気がする。座ってても少し暑いし。身体が火照ってるみたい。
ふぅ、けっこう汗かいた。
「あっつ……」
呟きのような声をもらしつつ、ファスナーを下までおろすオレ。
ジッパー特有の鈍い音。
ジーッというチャックをおろす音が、女子の笑い声に混じって溶けていく。
あ、涼しい。
前あけるだけでも、けっこう涼しいかも。
きもちいい。汗かいたせいか、風が気持ちいい。『天然の扇風機』って感じ。
風が熱をさらう。わたしの熱を奪う微風。ほんのり汗で濡れたインナーが風を受けて、ぽかぽかと火照った身体を冷やしてくれる。
「おっつかれー」
さきに休んでいた唯香が、労いの言葉をかけてくれる。
「お疲れさま」
「おつかれぇ〜」
唯香の声に釣られるように、わたしと麻衣も言葉を返した。
さきに休んでいた唯香も加わり、三人で雑談を交わすわたしたち。いつものメンバー。いつメン。
「——でさぁ。こないだ、コーチにグラウンド十周させられてさぁ」
不満げに顔を歪めつつ、部活のことを話す唯香。
不貞腐れるような表情。さきほどの麻衣と同じく、ツンと唇を尖らせている。お願いを聞いてもらえなくてスネる少女のような顔つき。
うんうんと相槌を打ちながら、唯香のグチに耳を傾ける麻衣。
不満げな表情を浮かべる唯香とは対照的に、麻衣は母親さながらの愛おしげな目をしている。
娘とお母さん。どことなく、愚痴をこぼす娘と聞き上手なお母さんを彷彿とさせる二人のやり取り。だんだん親子に見えてくるからフシギ。ふたり同い年なのに。
「いまどき校庭十周とか、マジありえないでしょ」と唯香が言った。「あたしが文科省のお偉いさんだったら、あの時代錯誤なコーチ首にしてやるね。体罰、ダメ、ゼッタイ」
薬物乱用防止キャンペーンのようなことを口にする唯香。ウケる。
麻衣は同情めいたトーンで「そっかぁ〜」と相槌を打った。
「バスケ部の先生、あいかわらず厳しいねぇ」
「いや、ホントだよね」と返す唯香。「たまーに、いやら視線でコッチ見てくることある気がするしさぁ。早いとこ懲戒免職されてほしいよね」
「うわぁ、それヤだねぇ……」
唯香の不満そうな声を受けて、引きつった笑みを浮かべる麻衣。
スクハラ。
わたしの脳裏を『スクール・ハラスメント』という不穏な言葉が過ぎった。
電車のチカンとかもだけど、向こう見ずな欲望って怖い。今朝の舐めるような視線もだし、唯香の言う『いやら視線』もそう。だんだん、舌なめずりするみたいな顔に見えてくるもんね。
一部の女性が他人の視線に敏感になるのも分かる気がする。
見知らぬ人に性的な目で見られるの、あんなに気持ちわるいものなんだね。そのうちメンタル病んじゃいそう。
「あのセクハラ教師、マジそのうち教育委員会に訴えてやるからな」
不穏なことを口にする唯香。
やだぁ。
唯香、こわぁい。
味方パーティには入って欲しいけど、ぜったい敵に回したくないタイプぅ。
きゃっきゃと戯れ合う二人を横目に、両手を組んでググーッと腕を伸ばすオレ。腕のストレッチ。
「んん〜……っ」
おもわず声がもれた。
きもちいい。
腕ぐーっと伸ばすの、すっごく気持ちいい。
運動したあとの爽快感も相まって、ついつい唸るような声がもれちゃう。
身体を動かした後だからかな。なんか、いつもより気持ちいい気がする。気持ちよさ倍増しでお送りしてる感じがします。
運動して身体ポカポカすると、ストレッチもやりやすいよね。さっき麻衣が言ってたとおり、お風呂に入った後とかもだけど。身体あったまった後にストレッチするの、全身に血液がめぐる感じあって気持ちいい。筋肉が喜んでる気がする。多分ね、たぶん。
ぐーっと伸ばした腕を横に倒し、わきの下あたりの筋肉を伸ばす。
柔軟体操。
凝りをほぐすストレッチ。
不快感をもたらす肩こりの解消には、肩まわりの筋肉を伸ばすのがGood。
解剖学的に言えば、背中の上のほうを走る『僧帽筋』とか『肩甲拳筋』を伸ばすのが効果的らしい。
肩甲骨の真横にある『菱形筋』をほぐして血流を改善させるのも良いらしくて、肩こりに悩む人の多くが肩〜首〜背中にかけての筋肉がガッチガチに固まってるんだって。
って、インターネット大先生が言ってた。
文明の利器に感謝。現代テクノロジー万歳。
両手を組んで腕をグーっと横に倒すと、凝り固まった筋肉がほぐれる感じがした。きもちいい。
肩こりを解消させるストレッチ。カチカチに固まった筋肉が息を吹き返しているような気がする。肩関節の伸展・内転・内旋に関わる大円筋や広背筋が歓喜の声をあげているような気がする。たぶん気のせい。
肩こりを解消すべくストレッチをしていると、ふいに麻衣が「あ、葵っ」と声をかけてきた。焦ったような声のトーンだった。
名前を呼ばれて、麻衣のほうを振り向く。
オレの視界に映り込んできたのは、驚きに目を丸くする幼なじみの姿。あっけに取られたような表情を浮かべている。どしたんだろ?
「ふ、服っ。下着っ」
オレの胸元を指差しながら、焦ったような声で麻衣が言う。助詞が徹底的に省かれてるあたりに幼なじみのアセりを感じる。
不思議に思いながらも、オレは顔を下に向けた。
「……?」
麻衣の指先を目でたどり、自分の胸元に視線を落とす。
くっきりと浮かんだブラ紐。
インナー越しに薄く透けて見える水色。今朝、自分で選んだ下着の色が浮かび上がっている。
ふっくらとした丸み。ブラストラップの先には、輪郭を残す二つの膨らみ。くっきりと肩紐が透けて見えるのと同じように、うっすらとカップのラインも浮かび上がっている。
「やばっ……」
すぐにストレッチをやめて、わたしは思わず背中を丸めた。
前開きになっている上着の両端を引き寄せて、うっすらと汗で透けて見えるインナーを覆う。ふっくらとした丸みを隠すように、ジャージのファスナーを引くわたし。閉じろジッパ————ッ‼︎
心配そうに麻衣が言う。
「もぉ。葵、ウカツだよぉ」
「ご、ごめん……」
おろおろする麻衣の後ろから、ひょっこりと唯香が顔を出す。ひょこっと草陰から顔を出すウサギを思わせるような動き。
「気をつけなきゃだぞー」と唯香が言った。「胸おっきいと、ただでさえ注目されがちなんだからね。エロ男子どものイヤら視線には注意しないと。これからの時期は特にっ」
追撃するかのように、唯香の後に続く麻衣。
「そうだよぉ。向こうの男子、こっち見てたよ?」
麻衣がサッカーコートのほうに顔を向ける。
誘われるように視線を目でたどると、男子が何人かコチラをジッと見ていた。わたしと目が合った拍子に、男子たちは集団訓練でも受けたかのように一様に目を逸らした。
あ、今朝も見たヤツ。
サッと目を逸らす動き。道を行く男性サラリーマンとか、年配のオジサンたちと同じムーブ。
いま、完全に見てたね。完全にコッチ見てたね。
完ぺきに隅から隅まで余すところなく舐めるようにジロジロ見た後で「い、いや、べつに見てませんけどどっど、どど?」みたいな感じで気まずそうにサッと目を逸らしたよね。動揺と目の動きが分かりやす過ぎる。
「男なんて、みんなケモノなんだからね!」
諌めるように唯香が言う。
「う、うん。気をつける……」
迂闊。
麻衣の言うとおり、完全にウカツでした。
くっそぉ。いまは女子なんだってこと、すっかり忘れちゃってたよぉ。肩こり解消ストレッチに気を取られて、完全に頭からすっぽ抜けちゃってたよぉ。ちっくしょおー。
知らなかった。
水色の下着って透けやすいんだ。汗かいたせいもあるのかな?
もぉ、だれか言っといてよぉ。いまのオレ、すっごい自己アピールしてるみたいだったじゃんかぁ。そんなつもりないのにぃ。次から何か下に着てこなきゃ。
あぁ、恥ずかしい。
下着チラ見されんの、思ったより恥ずかしい。穴があったらズボッと入りたい。
天敵に見つかったとたんに穴に逃げ込むモグラさながらに、地球のコアに届かんばかりの勢いで穴ボコにもぐり込みたいよぉ。
もう一度、唯香が不注意を戒めるように言った。
「男なんて、みんなニホンオオカミ♂なんだからね!」
「わ、わかった……」
ひとまず、形だけの賛同を示すオレ。絶対わかってない。
生地の厚みの問題もあるね。
体操着の色に『白』を採用するなら、もうちょっと厚くして透けにくくしてほしい。
ってか、こっち見ないでよ男子。
おとなしく球蹴りやっててよ。よそ見しないでボール蹴っててよ。思春期か。
や、じっさい思春期なんだけど。
「男はケダモノでニホンオオカミ♂!」と唯香が言った。「ウチのおばあちゃんが言ってたから間違いないよ。年長者の言葉は神の言葉!」
「そ、そうなんだ……?」
若干、たじろぎつつ返すオレ。
唯香、おばあちゃんっ子だもんね。
よく教室でもおばあちゃんの話してるし、信頼してるっていうか大好きなんだろうね。
唯香の世話焼きなところも、おばあちゃんゆずりなのかも。七十代前後くらいのご高齢の方々って、おせっかい焼くの好きな人が多い印象ある。老婆心っていうか、余計なお世……人情に厚くて面倒見がいいイメージあるよね。あ、個人の感想です。
「まったく、最近の子は危機管理がなってなくてイカンよ」と唯香が言った。「アタシの若い頃なんてのはねぇ、若い女が下着を見せた日にゃあ『はしたない!』って注意されたもんで——」
グチグチと戒めの言葉を口にする唯香。「アタシの若い頃は」って、唯香とわたし同い年なんですけど?
ってか、古いな。
言い方が古いよ。いまどき「イカンよ」なんて口にする女子高生いなくない?
時代さかのぼり過ぎな感じあるね。大正〜昭和くらいの時代にタイムスリップしたかのような言い回し。時をかける唯香。
子どもに言い聞かせるように、唯香が「いいかい?」と言った。
「オンナってヤツぁねぇ、昔っからテーソーカンネンってのを大切にしなきゃあいけなくってねぇ——」
ま、まだ言ってる……。
おばあちゃんゆずりなのか、ぐちぐちと説教をかます唯香。わずかに口元が緩んでいるあたり、どことなく悦に浸っているようす。正直、もう解放されたい。
助けを求めるかのように、チラッと横目で隣を見た。
目が合う。お互いの視線が交わる。
わたしの視界に入り込んできたのは、複雑そうな顔でコチラを見る麻衣の姿。
なにか言いたげな二つのガラス玉。説教したがりな高齢者ムーブをかます唯香の隣で、どうしてか麻衣は複雑そうな表情を浮かべている。揺れる二つの小豆色が、こちらを見つめている。
不安げな、悲しげな。
不服そうな、不満そうな。
だけど、なにかを期待するような。
それでいて、どこか孤独感をチラつかせる顔。チラッと寂しさを覗かせる瞳。目の奥に寂寞が垣間見える。
ど、どうしたんだろ。
そんな、お母さんに置いて行かれた子どもみたいな。ほったらかしにされたみたいな、置いてきぼりを食らったみたいな。
麻衣、すごく——
さびしそう。
唯香のガミガミお説教が終わるまで、麻衣は寂しそうな目をしたままだった。




