かわいい幼なじみ 7
あぁ、でも良い香り。
まあるくて、やわらかくて。男の汗くささとはまるで違って、ふわっふわした感じの甘い香り。
ソフトウェアのインストールさながら。スマホに新しくアプリを落とすときみたいに、頭ン中にお花畑が自動的にインストールされる感じ。
脳みそに直接、北海道のラベンダー畑が咲き広がる感じ。山梨県のひまわり畑が脳内で咲き広がる感じ。沖縄のデイゴとハイビスカスの絨毯が一面に咲き広がる感じだよぉ。すごいよぉ、香りの宝石箱やぁ〜。
え、意味わかんない?
いンだよぉ、細かいことは。『いい香り』ってことを言いたかったんですぅ。お分かりになりまして?
更衣室に広がる何種類もの香り。
室内にはシャボン系の香りも混じってて、ちょっとだけ頭がクラっとしそうになる。匂いに酔いそうになる。うぇっぷ。
甘ったるい香り。
男子からは薫ってこない甘やかな香り。
香りというアクセサリー。麻衣も身につける甘い装飾品。目に見えないけど、心では感じられる。不可視の装身具。
「……」
手近なところに荷物を下ろして、自分が着ている服に手をかける。いそいそと服を脱ぎながら、ひとり思いをめぐらせるオレ。
かわいい。
女の子の香りは可愛い。やわらかい感じがする。
ボールみたいに丸っこくて、毛布みたいに柔らかい感じ。肌ざわりのいいブランケットみたいに、そっと身体を包み込んでくれる感じある。
好きな香り。
男のオレが好きな、女の人の甘い香り。
べつにイヤラシイ意味じゃなくて、たんに女性の香りに心惹かれるって話。花の香りを嗅ぐときと似てるかも。
香りは幸せ。いい香りは幸せを運んできてくれる。オレが『調香師』っていう仕事に興味を引かれたのも、いい香りを嗅ぐことが幸せに直結するって感じたから。幸せ≒香り。
シャボンの香りはクリア。
フローラルの香りはキレイ。
麝香の香りはラグジュアリー。
ビャクダンの香りはゴージャス。
そして、ピーチの香りはカワイイ。
プラリネも、ラズベリーも。マグノリアも、アプリコットも。アップルウッドも、フランキンセンスも。みんな可愛い。ぜんぶ全部かわいい。
みんな好き。
全部、ぜんぶ大好き。
オ……わ、わた、しは……かわいい香りが好き。
いそいそと服を脱ぐわた……オレ。
上に羽織っているブレザーを脱いで、プチプチとYシャツのボタンを外す。ブラウスを脱いで下着姿になると、一瞬だけブルッと身ぶるいをした。ちょっと肌寒い。はやく着替えよ。
ふと、視線を感じる。
え、見られてる。なんか、すっごい見られてる?
ぐさぐさ刺さる視線が痛い。痛たたたたたな視線がオレの心を突き刺す。な、なんだろ?
人の視線を感じて、ふいっと顔を横に向ける。
オレの視界に入り込んできたのは、こちらをジーッと見つめる麻衣の姿。糸で縫いつけられたかのように、二つのガラス玉が一点を見ている。
「ど、どしたの、麻衣……?」
オレは短く訊ねながら、麻衣の視線を目でたどった。
麻衣の視線の先にあるのは、オレの胸に付いた二つの山。ゆるやかな二つの稜線に視線が注がれている。
「あ、ごめんね。ジロジロ見て」
申し訳なさそうに笑う麻衣。
「う、うぅん。だいじょぶ、だけど……」
「葵、胸おっきいなぁーと思って」
「そ、そうかな……」
胸に注がれる視線を辿るように、もう一度オレは顔を下に向ける。
まぁ、確かにおっきいけど。
今朝も思ったけど、高校生にしては大きいよね。まぁ、平均を知らないけど。
「えぇー、そうだよぉ」
なぜか、不満げな声をもらす麻衣。ど、どうして不満げなのです?
直後、麻衣はオレの胸を鷲づかみにした。
これほど『わしづかみ』って言葉がマッチすることも然う然うないくらいガシッと胸を揉まれる。がしっと。むぎゅっと。もぎゅっと。
なんの前触れもなく胸を揉まれたオレは、思わず「にょっ⁉︎」とマヌケな声をもらす。なんて色気のない声なのでしょう。色気ゼロえもん。
もにゅもにゅ、もにゅもにゅ。
「もぉ〜っ、なに食べたらこんな大っきくなるのぉ?」
不満げな声をもらしながら、他人の胸を揉みつづける麻衣。されるがままに揉まれ続けるワテクシ。
もむもむ。
もむもむ、もむもむ。
じょ、女子の戯れぇ……っ!
マンガとかで見る「きゃっきゃうふふ♡」で「うふふのあはは♡」なヤツぅ……!
幼なじみだから許されるかもだけど、人によっては引かれる可能性あるぞ。「女同士だからオッケー♪」なんて考えしてると、思わぬところで足をすくわれるかもだぞ麻衣ぃーっ?
「ちょ、ちょっ……麻衣、ん……っ」
制止を求めるオレにも構わず、機嫌よさそうに明るく笑う麻衣。
「あは。声かわい〜」
あいかわらず、もむもむと胸を揉む麻衣。いっこうに、手を止める気配はない。なぜなのです。
「お客さぁん、お加減はいかがですかぁ〜?」
ご機嫌なようすで、麻衣が訊ねてくる。
いいわけないっての。
こちとら、頭のなかで「いかに逃れるか?」の算段をつけてるとこだっての。幼なじみからの唐突なセクハラにオロオロ戸惑ってるとこだっての。
あと、お客さんでもない。
お胸もぎゅっとされるお店に通う客じゃないですから。どんな店だっつの。
「ま、麻衣っ……やめ、ん……っ」
思いがけず、嬌声のような高い声がもれる。
自分の口から艶かしい音が出ることに、オレは複雑な気持ちに駆られてしまう。自分の声なのに、自分の声じゃない。とってもフクザツな心境なのです。
し、仕返しか?
さっきの仕返しなのか?
さっき、麻衣に胸を押し付けられたときに腕に伝う柔らかさに身を委ねながら心のなかで悦に浸る思春期まっただなかの男子高校生よろしくな感じで恍惚としてた罰として、他の女子もいるところで「みんなの前で公開処刑にしーちゃおっ♡」なんていう悪女さながらの思惑でオレに仕返ししようっていうか魂胆なのですっ?
い、いや。
いや、いやいや。
オレ、被害者。完全に被害者だから。完ぺきに隅から隅まで余すところなく被害者ですからっ。
そりゃ、ちょっとは悦に浸ってたかもだけど。ほんのちょっとだけ悦ってはいたかもだけどっ。
や、やっていいことと悪いことがありましてよっ。
いくら幼なじみだからといっても、分別はつけないとダメですわぁっ。
しれっと女子更衣室に入っちゃってるし、さきに捕まるのはオレのほうだろうけどっ。国家権力に手錠がちゃんこ☆されて牢屋がしゃんこ♡されるのオレのほうだろうけどっ。すでに今から懲役刑に怯えてますけれどもっ。
やがて満足したのか、麻衣がパッと手を離した。
「あ、ごめんね。つい、夢中になっちゃって」
夢中になるな。金とるぞ。
「やー、いい思いしましたぁ」
いい思いするな。金とるぞ。
満足げな笑みを浮かべる麻衣の後ろから、ひょっこりと顔を出すクラスメイトの唯香。興味ありげに目を輝かせている。い、イヤな予感っ。
「えー、アタシも見たーい」
新たな刺客の登場に、オレの心がビクつく。ヘビに睨まれたわけでもないのに、足がすくんで動けなくなってしまう。やだ怖い。
「あたしもあたしもー」
「なになに、どしたのー?」
唯香の後に続くかのように、わらわらと群がる数人の女子。あっという間に、オレの前に人だかりが出来あがる。ヤジウマ。
え、えっ?
なに、これ、やだ、こわい。
な、なにこれ。怖いんですけど、恐怖なんですけど。
磁石に引き寄せられる砂鉄さながらに、ぞくぞくとオレの前に集まる女子たち。「わ、おっきー!」とか「すごぉ〜い」なんて口にしながら、群をなす♀のハイエナたちが大挙して押し寄せてくる。さらし者になった心地なんですけど?
「葵、カップいくつー?」
だれかが訊ねてきた。
だれだ、いまの声。ゆ、唯香か?
「え、と……」
若干ためらいながらも、そっと口をひらくオレ。顔も見えない匿名女子からの問いかけに、ご丁寧にも答えようとしている自分がいる。
カップ。
カップ数。胸の大きさ。
い、いくつだっけ。どんくらいの大きさだったっけ。今朝、部屋で見たのは……えぇっと、たしか——
過去の記憶を掘り起こしながら、オレは思い当たる記号を口にした。
「え、Fくらい、かな〜……?」
だったはず。たぶん。
オレの言葉を受けて、わっと唯香がおどろく。
「葵、まじか!」
驚きに目を丸くしながら、唯香がオレの胸を凝視する。じろじろ。
「グラドルみたいじゃん。目の保養だわ〜」
さきほどの麻衣と同じように、満足げな笑みを浮かべる唯香。
とりあえず、お坊さんの合掌みたく両手を合わせてスリスリ擦り合わせながらオレの胸に向かって拝み倒すのやめていただけません?
あ、あれれ。
最近の子は『セクハラ』とか『デリカシー』って概念をご存知ないのかな?
オレの勘違いってか、一方的な思い込みかな。SNS慣れしてる現代っ子のほうが、コンプラ気にするものと思ってたけど。
意外とみんな「同性だからセーフ」みたいな考えなのかな。「BL漫画でも男同士で乳繰り合ってるからセーフ!」みたいな感じなのかな。セーフ寄りのアウトだと思うけど。セウトだと思いますけど?
「えー、うらやま〜」
「わ、ほんとだー。胸おっき〜」
ゆらゆらと戸惑いに揺れるオレの前に、ぞくぞくと下着姿の女子が集まってくる。
色とりどりの下着。今朝も見た鮮やかな色が、オレの目を針のように刺す。視神経を刺激して、脳を恍惚に陥れる。
あわわわわわわゎ。
め、目のやり場に困る。あられもない姿に戸惑う。
ってか、身体を見られるの恥ずかしい。今朝の男性サラリーマンの舐めるような目とは全く違うけど、まじまじと他人に自分の身体を見られるの恥ずかしいんだけど。ど、どうしよ。困った。
「ブラかわいい〜」
「どこで買ったのー?」
「胸おっきいと映えるね〜」
おろおろするオレを意にも介さず、クラスの女子たちが各々話し出す。
プチ女子会。女子トイレで繰り広げられる密談。
それぞれが思い思いに気ままな感じで喋るようすは、とりとめのない話に花を咲かせる井戸端会議を思わせた。
あばばばばばばば。
「はいはーい、すとっぷーっ」
先頭に立って音頭をとるかのように、わらわらと群がる女子の前に立つ麻衣。両手を横に広げながら割り込むようすは、どことなく羽を広げたペンギンを思わせる。
その場を仕切るように、麻衣が言葉を続けた。
「葵が困っちゃってるから、もう今日は営業終了でーす。またのご来店を〜」
麻衣の声を合図に、それぞれ定位置に戻っていく女子たち。去りぎわに、何人かが「騒がしくしてゴメンねー」とか「また今度じっくり見せてー」などと口にしていた。見せるのはお断りします。
蜘蛛の子を散らすように、持ち場に帰っていく女子たち。
とたん、静けさが戻ってきた。さきほどまでの騒がしさと人だかりがウソのように、オレの周りにゴーストタウンさながらの静寂が舞い戻ってくる。
束の間の平和が辺りに訪れる。
「あ、ありがと、麻衣……」
たどたどしく、感謝の言葉を口にするオレ。
感謝するのも変な話だけど。発端は麻衣だし、オレ被害者だしさ。
サスペンス劇場ですし。女子更衣室で起きた『唐突に胸もぎゅっと揉まれ事件』の第一被害者ですし。もう既にホシはあがってますけどね?
こちらに顔を向けた麻衣は、晴れやかな笑みを浮かべた。
「んーん、全然。むしろ、ごめんね?」と麻衣が言った。「あたしが変なことしちゃったせいで、みんなゾロゾロ集まってきちゃったね」
へにゃっと眉尻を下げて、申し訳なさそうに笑う麻衣。
「う、うぅん。だ、大丈夫だよ……」
「そ?」
ちょこんと首を傾げた拍子に、さらりと麻衣の艶髪が揺れる。蛍光灯のライトに照らされた艶めく黒髪が、陽を受けて輝く絹糸のように淡くきらめく。
「う、うん。着替えたら、外いこっか……?」
オレの言葉を受けて、にこりと麻衣が微笑む。
「うんっ!」
明るく返事をした後に、いそいそと服を脱ぐ麻衣。
ふいに、パステルが目に留まる。麻衣が上に着ていたブラウスを外した拍子に、淡い薄桃色のブラがオレの視界に映り込んだ。
わ、かわいい。
麻衣の下着、すっごく可愛い。
すごく『女の子』って感じの水玉模様のブラ。ふわふわしてて、フェミニンな感じ。スポブラとかキャミじゃないんだ。
かわいい女の子が着てそうなランジェリー。主張しすぎない控えめなフリルが付いたブラに、ワンポイントに小さめのリボンが入ったショーツ。
生地の感じも好き。いやらしい感じのテロテロした生地じゃなくて、ちゃんと布っぽさが残るフワフワとした生地感。カップの曲線に沿ってあしらわれた花冠みたいなラインが華やか。レースが入ってるのも、大人っぽくていい感じ。
麻衣、かわいい。
『女の子』って感じ。すごく可愛い。
「……」
思わず、下着姿の麻衣に見惚れるオ……わ、わたし。
先のお返しと言わんばかりに、ジッと麻衣のことを凝視する。だれも見てないことをいいことに変質者ムーブをかますワテクシ。
「ん、なぁに?」
わたしの視線に気づいてか、訝しげに麻衣が訊ねてくる。
「あ、い、いや……なん、でも……」
「ふぅん?」
ちょこんと首をかしげる麻衣。頭のうえにハテナが浮かんでいそう。いちいち仕草があざとい。
下から上を見上げるように、こちらの顔をのぞき込む麻衣。
「顔ちょっと赤いね。暑い?」
不思議そうな表情を浮かべつつ麻衣が訊ねてくる。
「そ、そうかも〜……?」
愛想笑いを浮かべながら返事をするわたし。
うちわ代わりに手をパタパタさせて、ほてった自分の顔を冷やそうと試みる。
わたしが感じてる現在の体感風速、扇風機で例えると『超弱』くらい。ほぼ意味ない。無意味。
ときどき手で顔を扇ぎつつ、麻衣にならい着替えを進める。わたしのことを見つめる訝しげな視線には、シカトを決め込んで気づかないフリをした。
着替えを終えて更衣室を出た後でさえ、麻衣の下着姿が脳裏に焼き付いていた。




