1-5.
───1-A教室
なかなかショックな入学式は、何事も〝起こさず〟無事に終えた。
(まさか王女とは……とにかく冷静になろう。そもそも俺の都合や気持ちを一方的に押し付けるのはよくない。克己復礼ってやつだ)
各自これからお世話になる学びの部屋へ。
さっきの大講堂もそうだけど、学園の建物はみんな魔力が感じられるな。魔術に関して、俺は細かいコントロールは苦手なんだけど、魔素の察知には敏感だ。本を読むのは好きだけど書けって言われたら無理なのと似ている。
机の上に、丁寧に名前を貼ってくれてるから座るところが一目瞭然。俺だけ家名がなくて『ケイ』ってばあんとあるのが潔い。そして何故か隅っこ窓際。
それはそれとして、ミルマリがニコニコとして隣に座っている。でも机には『チャッポ=キナイア』って書いてあるんだが。
「あの、そこ、僕の席……」
当該人物が現れた。あ……この子。今朝ギルレイってやつに絡まれてた栗色巻き毛の子じゃん。
ミルマリはさっと立ちあがり、チャッポを見据える。
「ねえ、席を替わってくれない? あたし、ケイの隣がいいの」
「そんなの、勝手にしたら怒られるよ」
「大丈夫。あたし、学園長の孫だから」
この子、とんでもないワガママ娘だな。おろおろするチャッポが理不尽の被害者にならないよう、ここは俺が配慮すべきだろう。
「ミルマリ。さっきも言ったろ。俺は学園長の孫じゃなく、君自身を見てるって。カワイイのにワガママは似合わないと思うぞ」
「かっ、カワイイっ……むふんっ。わかった、ケイの言う通りにするっ。離れてもあたしのこと見ててねっ」
自分の席に戻るなり、こっちを向いて手を振るミルマリ。意外と聞き分けがよくて助かった。おかんの「カワイイって言われて喜ばない女の子はこの世にいない」が役に立った。おとんは今でも毎日言ってるらしいからな。強者だ。
「あ、あの、ありがとう。今朝もありがとう。恩人なのに、お礼も言わずに逃げちゃって」
「覚えていてくれたのか。あんなの大したことじゃない。それより体調はどうだ」
「もう大丈夫。僕、夜更かし癖があって朝が弱いものだから。昨日も商法の本を遅くまで読んでて」
「商人の子なんだな。俺は専門外だけど、社会のルールって知っておいて損は何ひとつないから。興味のあるとこだけ読んでる」
「わあっ、勉強家だね。貴族が商法なんて珍しい……あれ」
チャッポは机の上の名をチラと見て黙り込んだ。平民もみんな家名を持つ時代で、下の名前だけの俺に何か事情を察したんだろう。まあ自分から言うのはめんどくさいから、訊かれたら説明しよう。
「あらためて、ケイだ。3年間よろしく」
「こ、こちらこそっ。チャッポです。『キナイア商会』ともども、よろしくお願いします」
気が弱そうに見えて、ちゃっかりさん。暴力じゃない機転や強さは、ぜひとも学びたいところだ。
「よ~し、みんな、席に着けっ」
先生が入ってき……お、また見知ったお顔。試験の時さんざん突っ込んできたスキンヘッド先生じゃないか。
「今日から3年間、このクラス担当をするミノキ=アガだ。専科は『総拳』。在学中必須科目だから、顔を合わすことが多いだろう。ま、よろしく頼むな」
アガ先生、ざっと教室内を見渡しながら俺と目が合うなり眉をピクッてさせてたな。また後で謝っておこう。
入学マニュアルによれば、『総拳』は格闘技全般。護身術も入ってるから全員必須ってことになるのか。生徒の安全が織り込まれてる感じでいい。
「そんじゃま、自己紹介からやっていこうか。そっちの席から順番にやってくれ」
クラス全員で30人ほど。出自やら得意科目やら個人情報を挙げていく。聞くほどに、あらためて王国中から期待を背負って集まってる感じで、みんなシュッとしてる。
ひと通り回ったところで、最後が俺。アガ先生、微妙にハラハラした顔で俺を見てる。そういや学園長に「なるべくケン様とセイ様の名を出さないように」って言われてたっけ。じゃあ簡潔に。
「ケイです。読書が好きで、好きな食べ物はコンビーフ(バラ肉塩漬け瓶詰)です。よろしくお願いしますっ」
メリハリきちっと。腰は直角に。よし、ちゃんと出来……あれ? みんな俺を見ながらざわついている。何だ……何か失敗したのか。
「……ああ~、今から15分休憩。そのあと、学園内の見学に入る。トイレ以外はうろうろせんように。以上っ」
アガ先生、難しそうな顔で場を仕切り退散。何か腑に落ちない中、チャッポがおずおずと声をかけてきた。
「あの、ケイ君って、コンビーフが好きなの?」
「もう好きなんてもんじゃないね。一番好きな食べ方は、キャベツの千切りと和えてあったかライスにどーんって乗っけてかっこむ『コンビーフ丼』。とくに『キナ印』ブランドのやつが最高」
「わあ、それウチの商会のやつだよっ。今度、今日のお礼に持ってくるよ」
「マジかっ。それは何よりも嬉しい」
山麓に来てくれてた行商人さんから買う、年一回の贅沢。あの異常な塩分濃度とヤバい調味が醸し出す禁断の味。ああ、思い出しただけで唾液腺が決壊する……
「保存食の瓶詰を日用の嗜好品にするなど、無駄で愚かにもほどがありますね」
「何ぃっ」
───っと! 聞き捨てならない物言いに振り向いてみれば、眼鏡ショートな女子が仁王立ちで、俺を見下ろしている。
くっ……俺の年一回の楽しみをバカにされた。しかし相手は女子。ここは己の矜持と好物、いったいどっちを採ればいいんだっ。
「入学テストで混乱させておきながら、何か優秀なのかと思えば……家名も無しとは。スラム出自ですか。さらには読書にコンビーフなどと。歪と言うほか、形容しようもない」
よくわからんが……俺が気に入らないみたいだな。だけどここで邪険に返せば泥沼だ。「どんな負の言葉を投げられようとも『自分は好きだ』と言えばいい」───おとん、また人間関係の試練がやってきたよ。王都おそるべし。
「今の言葉を、少しばかり訂正していただきたいのですけれど」
他方からの声に目をやると……銀色の髪に抜けるような白い肌の女の子が、強い目で眼鏡女子を見すえている。
「王政により、スラムは今や、ディアミネス聖教会の元で保護されております。〝私たち〟の後ろ盾で姓名を持ち、立派に社会へ出ている人も増えている。そんな現状に逆らうことを言うなんて……あなたこそ歪です」
なんか場外乱闘が始まった。右左を見ながらおろおろし始めるチャッポ。うん、わかるぞ。俺も今同じ気持ちだから。
「……ふん。何が是で非かの論議など無駄。とにかく、1年の最優秀者が集まっているこのクラス。少しでも歪なことをしたら、学園審議会にかけますから。そのつもりで」
俺を冷たく一瞥すると、くるり背中を向け自分の席へと戻る。
「ふう。結局何も言わずで済んだが、なかなか手厳しい子だな。確か……」
「ユスティ=コデクス。王国法典院、主席審議官の娘ですわ」
銀白な女の子がそっと、先ほどの自己紹介を補足してくれる。
「はじめまして、ケイ様。ご挨拶が遅れました。ルミナ=ヴェリタスです。修道女をしております。以後お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとう。三年一緒だから、気楽にね」
差し出された手をとるべく、俺も立ち上がって握手をする。彼女はそのままふわっと俺に近寄り、耳打ちをしてきた。
「お母さま……聖姫様に、近々聖教会へお出向きくださいと、お伝え願えますか」
「えっ、何でおかんのことを」
ルミナはそれだけ伝えると、ニコリと会釈して席へと戻る。なんかいい匂いのする子だな。
入れ替わり、ドタドタとミルマリが頬を膨らませながらやってきた。
「ちょっと目を離したらもうっ。何。なんであの聖教会の女がケイに声をかけるわけ?」
「それは俺が訊きたい」
「ま、いっか。それよりねえねえ。次の学園見学は横にいるからね。あたしが案内してあげるっ」
「そうか、君は詳しいんだな。ありがとう、頼もしいよ」
「むふ~んっ。もっといっぱい褒めてっ」
ミルマリ、またご機嫌で席に着くなり、手を振ってくる。
「あの、ケイ君ってさ、何者なの」
チャッポが気弱な感じで訊ねてくる。そりゃこれだけ入れ替わり立ち替わりで騒々しいと、気になるよな。
「正直、俺もぜんっぜんわからん。普通にしてるだけのはずなんだが」




