2-20.
───視点変更───
レジクス王国、西の最果て。
厳戒指定区域とされている、「世界の始まり」──人間の訪れを許さぬ場所。大蛇のごとき巨木がうねり、七色に輝く断崖がそびえたつ。その中を闊歩する、未だ観測しきれていない原初の魔獣たち。
その深淵から奇跡的に戻った者は言う。天と地の境界が曖昧な、夢と混乱のなれ果てであった、と──
山脈を穿つ亀裂──竜の谷の最奥で、世界を支える柱のような巨影が、静かにたたずんでいる。
古代竜アルカナ。
ケンとセイは『玄晶』の調査を王国に託し、アルカナの元に参じて「奇妙な波動」の動向についてうかがっていた。
異世界人であるせいもあってか、この世界では魔王にすら恐慌状態になることはない。常に怖れず冷静に。しかし、アルカナは別格。生物として敬意以外を払う余地がない、圧倒的な存在である。
「……縁のざわめきが、強くなっている」
黄金の瞳孔が細く線を引いた瞬間、暴風のごとき波動が、ケンとセイの全身を貫いた。
「魔王が言っていた〝干渉〟のことでしょうか」
セイの問いかけに、アルカナは大船のごとき巨大な頭をゆっくりと振った。
「そうだ。やっと私にもわかるほどに、近づいてきた。だが、まだ遠く……この世界の縁に、やっと触れたところだ」
息を呑むセイに反して、マイペースで気楽に尋ねてしまうケン。
「すみませんアルカナ様。魔王ともさんざん頓智めいた話をしてまして。もう少し具体的に寄せていただくと助かるんですが」
「ちょ、ちょっとケン。やめなさいよ」
「ふぁっはっはっはっは! 構わん。万の単位で齢を重ねると、返って気を遣われるほうが興を削ぐ。特にケイは〝佳く〟育っているぞ。お前たちの子は、私を一層退屈させん」
「お、恐れ入ります」
笑い声ひとつで谷が揺れる。世界でアルカナと直接向かい合える人間は、この〝三人〟しかいない。
「ケンよ、頓智ではない。説く〝かたち〟が無いのだ。ゆえに、感じ取ったものでしか言えん。それは〝あやつ〟も同じであろう」
アルカナがそう宣った瞬間。周囲の空気が震えた。
「───! 何か、来る!」
ケンとセイが身構えた先。空間が突然、内側からひしゃげるような音を上げた。その、ぼっこりと空いた大穴から、無数の触手が現れ、深紅の大目玉が這い出てきた。
「ま、魔王!?」
「何だよこいつ、ワープできるのかよ!」
魔王の突然の来訪に驚く二人。しかしアルカナだけは察していたようだ。
「ようやく来たか、古きものよ」
<<……位置情報を……思い出した……竜の頂……>>
世界の頂点が突然揃い踏みし、さすがのケンとセイも驚き焦った。
「これだけデカい波動が二つ揃うと、メンタルを削られるな」
「わたしも。ちょっと吐きそう」
まだ軽口を叩く余裕がある二人をよそに、二巨頭は会話とも言えぬ会話を始めた。
「魔王───古きものよ。『原初の生命』であり、世界の記憶。だがそれは、古すぎるがゆえに曖昧模糊としている。さあ、思い出したことを言葉に紡げ。お前が怖れ、準備をするわけを」
魔王は触手を落ち着かせ、すっと瞼を横一文字にし……体表を脈動させ始める。併せて、風と大地が共振し始めた。
「思い出すだけでこの演出かよ」
数十秒が経ち……魔王の言葉が、訥々とケンたちの頭に響いてきた。
<<……幾万の、歳月……己だけが……残される……通り過ぎるのを……見守る、ために……>>
突如、言葉は画に変わり、漆黒に塗りつぶされて、閉じた。
「おいおい、今ので終わりか」
「そうではない。古きものよ、確かに、私と其方、そして異世界人の二人。これだけ役目が揃って、初めてできることだな」
アルカナと魔王は、意を汲み合ったかのように、黄金の瞳と大目玉を見合わせた。
「ケン、セイ。今から私と魔王で、『時の縫い目』を開く。お前たちはそこから過去へ飛び込み、これから現世で起こるであろうことを、見聞してくるのだ」
「か、過去ぉ?」
「時空を超える……ということでしょうか」
「そうだ。干渉はせず、五感での体験となる。ただ、ここへ今一度戻れるかどうかだけは、〝賭け〟になるが」
世界の秘密を知る、過去への旅。
別次元からやってきたケンとセイにとって、それ自体はさほど驚くことではないものの……最後のひと言は、十分憂慮すべきものだった。
「……おいおい、戻れないのはちょっと困るな」
「わたしも。ちょ~っと救世と個人の未練が、釣り合わないかなあ」
軽妙な二人に、魔王が淡々と、凍り付くような事実を伝えてきた。
<<……見ねば、始められぬ……我以外を……世界に、残したい……のなら……>>
「カタストロフィ的な話をしてるのか? くそ、編集者にでもなれよ。あおりコピーを考えるのに合ってるぜ」
「わたしは、その続きを読みたくない。……アルカナ様。賭けはしません。戻れないのなら、現状を自力で打破します」
アルカナはふと、不敵に笑ったような波動を感じさせた。
「あいわかった。ではこの件を、ケイに託すとしよう。あやつのほうが、潜在的活力が高い。時の縫い目から戻ってくる確率も上がるだろう」
「───! そんな……ケイを使うなんて、ひどいです! わたしたちが同意しないとわかって!」
即座に反射で叫ぶ母心。ケンは同意しつつ、しかしあっさりと観念した。
「わかりましたよ。おれたちの血脈でしか時空次元を渡れないっていうなら、そりゃもうおれら夫婦でやるしかないし」
ケンはセイの小さく落とした肩を、そっと抱きよせた。
「うむ。頼れるものはなく、使えるものが限られた状況。私とて、世界を俯瞰したときの、ひとつの駒に過ぎん。だが……お前たちがふたたびここへ戻れるよう、命は尽くす。それで赦せ」
二人が拒んだもうひとつの理由が、アルカナの寿命だった。時空の理に反することが、数千年単位で生きている彼の竜の命の残り火をいかにたやすくつまみ消すか。想像に難くなかった。
ケンは魔王に向かって叫んだ。
「おい魔王! アルカナ様は老体に鞭打って頑張ってくれるんだ。お前は余裕をこいてないで、全力以上を出せよ! 少しでもアルカナ様の負担が減るように」
<<……理解……した……>>
「あれ、素直。かわいいところがあるじゃない」
魔王の、触手をふるふると揺する返事のようなしぐさに、ケンとセイは二人して笑い合った。
魔王とアルカナが、ひとつの空間を挟み込むように向かい合い、力を集中し始める。その集積に合わせ、空間がいびつにねじ曲がっていく。併せて、空は荒れ狂い、地はうねり割れ……重力は逆転。周りの砂利とともに、ケンとセイはふわりと浮かびあがった。
「ケン、抱っこして!」
「今、そうしようと思ってた!」
加減など知らず、力いっぱい抱き合う。
空中が、ぱっくりと裂ける。ぐいぃっと楕円にこじあけられたその漆黒の穴に、ケンとセイは、勢いよく吸い込まれていった。
~Ⅲ章へ続く~




