2-8.
順当に行ったり、行かなかったり。無い知恵を絞ってチェックポイントを通過していく俺たち。時間はお構いなしに流れ、木漏れ日は少しずつその頼りない光を落としていく。
ランタンを掲げるほど暗がりに包まれながら、五つ目をクリアしたとき、地図に大きな◇が浮かび上がった。
「開けた場所の記号……おそらく野営地だ。今日のゴールっぽい」
「やった~! 流気のおかげでだいぶラクやったけど、メンタルがへとへとやねん」
「わかる。緊張感はどうしようもないよね~」
「ケイは大丈夫そうだね」
「そんなことはないぞ。俺だって疲れる時は疲れる」
そう。マイペースでないことが思った以上に身体に来る。ここでひと区切りなのは、よく考えられていると思ったほどだ。
地図が示す場所へ近づくと、木々が大きく開け、灯りと共に人の声が聞こえて来た。
「あれ、誰かいる」
「他の班の子たちだ。天幕が四つ……どうやら中間地点は共有みたいだね」
一班につきテントは二つ。野営地は三班ずつ分けられているようだ。
晩御飯の用意をしていたクラスメートたちが、俺たちに気付いて話しかけてきた。
「お、ケイたちじゃん。遅かったな」
「私たち結構早くここへ来たんだけど……どうも今日はここまでしか進めないみたいなの」
「ここで一泊は強制なんだな。とにかく早く行けばいいわけでもないのか」
「そこは微妙だぜ。その地図からチェックポイント通過時間は逐一先生たちに知らされてるし、何らかの評点にはなっているはずだって」
「そうなのか」
「らしいぜ。お前らの前に来たユスティが、ぎゃあぎゃあ言ってたからな」
眉をひそめながら、親指でぐいっと別班のテントを指さす。何でも、仕掛けのほとんどをユスティが解いたものの、他のメンバーの足並みがそろわず、思うように踏破が進まなかったのだという。
「ユスティは大丈夫なのか。行きがけは無理を押してる感じだったが」
「晩飯も食わずにとっとと寝たって。班のやつらみんな、やっと静かになったって漏らしてたぜ」
彼女は……孤独の強さという点では、俺と似ている気はしている。だが俺は、仲間を作って融和していくアプローチに変えている。それが癇に障るのかもしれない。本当の気持ちなんて、誰も知らないが。
「……ケイ、あたしたちも野営の準備しないと」
「ああ、ごめん。すぐに取り掛か……どうしたんだ?」
呼びに来たミルマリが、向かおうとする俺の訓練服の裾を引っ張った。
「あのさ、前にうちの中庭でお散歩した時、すっごく心が強いって言ったの、覚えてる?」
「ああ。どうしたんだ突然」
「聞いて。誰にでもやさしくすることが、正しいとは限らないの。それで傷つく人だっているんだから」
「誰かがそうなのか」
「……ううん、ごめん。もういいや」
ミルマリはうつむいて、先に走り出した。下唇をぐっと噛んで、何か言うのを途中でやめたように見えた。
人間関係の話だろうか。帰ってからまた、家の書庫で調べてみよう。ただ……何だろう。少し胸がきゅっとなった。
───翌朝。
「ケイ、おはようっ。よく眠れた? ……って訊くまでもなさそう」
「おはようミルマリ。ご明察通り、俺はどこでも寝られるからな」
昨晩、焚火を囲んで皆で話している時は、疲れからか少し憂いを感じたが、今朝は元気そうだ。
「うう……身体が痛い。あんまりない筋肉がボキボキ言ってる」
「あかん。目の前にふかふかベッドがあったら、秒で二度寝できるわ」
チャッポとクッカは思いっきり不満を言葉にしているが、皆の顔からすると、同じ心境だろう。寝ぼけ頭でうろうろしてる様は、リビング・デッドみたいだ。
昨晩、土魔術で作った洗い場に、水魔術が得意な者が水を貯め、顔を洗う。こういうのもチームらしい。クッカも身体が動き始めたのか、いそいそとナッツと乾燥イチジクの詰まった黒ブレッドをフライパンで焙りながら〝お紅茶〟の用意をする。
「あれ、君たちはもう行くのかい」
「僕ら朝は食べないほうだし、それに……彼女が急かすから」
グリオンがユスティ班の連中と話している。その向こう、彼女が細い身体に大きな背嚢を背負い、ふらふらしているのが見えた。
「おい……彼女、ちょっとヤバいんじゃな……───っ!」
気にかけた瞬間。ユスティは背嚢の下敷きになるようにしてべしゃりと倒れた。気づいた周りの人間が急いで駆け寄る。
「ユスティ……大変っ。額にすごい汗が」
「熱もひどい。これはまずいぞっ」
チームメイトの一人が、緊急連絡に使う笛型の魔道具を吹こうとした時だった。
「はあ、はあ……やめて……私は……リタイアなんか、しない」
介添えする女子を弱々しく払いのけ、ゆらりと立ち上がる。
「こんな……くだらない競技で……ぜったい、弱者に……ならないっ!」
「お、おい、様子が変だぞ」
ユスティは顔を上げると、かっと目を見開き、肺が破れそうなほどの叫び声を挙げた。
「ぁああああああああ───っ!」
胸元が大きく脈打つように、異様に蠢く。次いで黒い靄のようなものが衣服の隙間あちこちから噴出し、広がっていく。それは色濃く分厚く、彼女の全身をかき消すように包み込んだ。
「───ぐっ!?」
ドンッと、空気が、大きな音を立てて揺れる。
そして目の前……突然に。
漆黒に染まった、巨大な獅子の〝異形〟が現れた。
<<───GOAAAARRRRG!!!───>>
「ぎゃあ───っ!」
「まままま、魔獣ぅうっ!」
この広い野営地を席巻する、見上げるほどの巨体。漆黒の異形が放つ、身の毛もよだつ咆哮ひとつで、クラスメートの半分が気絶し、腰を抜かし、失禁した。
「ひっ……い、いや」
異形はその黄色く光る〝三つ目〟を、泣き濡れる女子の一人にぎょろりと合わせる。
そして、勢いよく噛みつこうとしたが───
「させるかあっ!」
顔面を思いっきり横殴りし、横転させた。よし、普通に攻撃は〝通る〟。この隙に……
「動けるやつ! 動けないやつを助けて、開いてる道のどこでもいいから散れっ! それと、さっきのホイッスルを吹くんだっ!」
「ケイ、僕も戦おうっ」
「あ、あたしもっ」
グリオンとミルマリ、貴族子女にしては勇ましいじゃないか。
チャッポとクッカも……俺のところのチームメイトは全員動けている。流気が恐慌に耐性を持っているのかもしれない。だが───
「ダメだっ! こいつは魔獣なんて〝いいもの〟じゃない。波動が明らかにおかしい。それより皆の避難を手伝ってくれっ!」
「しかし、一人でなんて」
「すまん! お前らがいるほうが邪魔だっ!」
異形が起き上がってきた。こいつ、脳があるかどうかもわからんのに、一丁前に頭をぶるぶる振っていやがる。
「早く散れっ!」
身体強化を使える人もいるみたいだな。それぞれ、何とか動けない人を担いで避難に動いている。
【闘衣・壱】を展開。〝弐〟なら一発でカタがつくが、加減の難しい相手なのが問題だ。波動に紛れて、ユスティの活力が伝わってくる。うかつにこいつを打ち抜かないようにしないと。飲まれたままでは【聖光】が効くかどうか。
異形が、デタラメに大口を開いて俺に噛みついてきた。かわしたところの地面がごっそりと噛み取られ、大穴が開いた。
「こいつ、腹減りすぎだろっ」
なかなかの威力。さすがに噛まれてやるわけにはいかない。とにかく、動けなくしてしまおう。
鋭い噛みつきの連続をかわし、距離を取る。すると、鬣を勢いよく波打たせ、無数の黒い棘を飛ばした。
「うぉ……っと。それなりに攻撃バリエーションがあるってか」
棘が刺さった木や土がじゅうじゅうと溶けていく。下手に手で払っていたらヤバかった。だが当たらなければそれだけ。さっさと終わらせるぞ!
闘衣を右手に全集中。紅蓮の気刀、【斬撃型】を繰り出す。こいつは形現なんかとわけが違う。俺の流気の勢いそのもの。剣と言うより、高速に刃を回転させる鋸だ。
攻撃を避けつつ、するりと胴の下へと滑り込み……四肢を斬り飛ばした。
<<───URRRRRH!!!───>>
四肢を失い、腹を上にしながらのたうつ異形。
斬った断面から血は出ず、靄となって消滅している。これなら、首を落とせば終わりか。だが……明らかに生物じゃないのに、この苦しむ素振りをするのは何だ? いや、今考えるのはそこじゃない。
「ユスティを返してもらうぞ。くたばれっ!」
念のため彼女の活力を探りつつ───素早く断ち落とす。
雄たけびを上げる間もなく、ゴロッと転がる頭部。すると、まるで血を吹くように勢いよく黒い気体となって霧散し……最終的に、異形はその黒いすべてを消し去り、ユスティの身体を地面に横たえた。
「生きてるな。よかった」
【聖光】を当てると、真っ白になった顔色に血の気が戻っていく。気は失ったまま。ひとまずこれで心配はないはずだ……が。
「───! これは……ユスティ、ちょっと失礼するぞ」
破れてはだけた胸元に乗る、〝見たことがある〟ペンダント・トップ。俺はそれを引きちぎり、訓練服を脱いで彼女にかけた。
手にした銀の台座を見てみれば……おそらくそこにあったであろう黒い石───『玄晶』は、欠片も見当たらなかった。




