4 ロミオとマリア
「猿に襲われたんですって? 第二小隊」
冬美補佐官は、珍しく半笑いだ。
そりゃそうか。
喫煙室脇のベンチで缶コーヒーを片手に溜息をつく。
「信じられる?」
「映像見たもの。出来の悪いフェイク画像みたいだったわ」
「現場でもそんな感じだったよ」
「リベンジ戦は、第一小隊と共同作戦になりそうよ」
「向こう、6匹いたからね。まぁ、妥当だね。よろしくお願いします」
俺はコーヒーをぐいっと飲み干した。
「動物の装甲具ね。終わった研究だと思ってたけど」
天井を見つめる冬美補佐は、何かを思い出しているようだった。
「知ってるの? あれ」
「昔、あれを研究してた機関が日本にもあって、結局、一番知性の高かったオラウータンが、研究所の中で他の動物を扇動して、ね」
「え? 何それ」
「警察だけで手に負えなくなって、自衛隊の装甲具部隊を投入して、殲滅したの」
「冬美補佐官殿でも、手に負えなかったの?」
「私は、その時、自衛隊の方だったから」
……。
「転官したの?」
「あれ、言ってなかったかしら?」
「うん、初めて聞いた。ってか、自衛隊から警察って、普通ないでしょ」
「装甲具部隊だけ、特例的にね。ほら、歴史的な経緯で、警察庁の装甲局は警察予備隊の流れを汲んでるから。自衛隊からの転官が慣例的に行われていた時期があったのよ」
「へぇ、そうなんだ、それはびっくり。じゃあ、冬美補佐は、自衛隊でバリバリやってたってこと?」
少しわざとらしいだろうか。
それとも、俺が、冬美補佐の過去を知っていることを知っていて、話しているんだろうか。
俺という、「佐藤」という人間は、こういうすっとぼけた奴と認識されているはずだが、冬美補佐官も底が知れないからな。
「海外の作戦も多かったわね。それで動物装甲具とは何度かやりあってたから、過去の殲滅作戦の時も駆り出されたのよね」
冬美補佐官は淡々と話を続けた。
それであれば、お互い淡々と話を続けるべきだろう。
「今回の奴は、どう?」
「私の知ってる動物装甲具より、格段に性能が上がってる。動物って、リミッターが人間より外れやすいの。だから、壊れやすいけど、その分、瞬間的な出力は人間の比じゃないわ。とにかく、攻撃を食らわないことが、作戦の鍵ね。でも……」
冬美補佐官の表情が引き締まる。
ああ、そういうことか。本題は、動物装甲具なんかじゃない。それ自体は、冬美補佐官にとって既知の事象だ。珍しいが、騒ぐほどの案件ではない。
「西園寺のこと?」
「データ、見たわ。何が起きてるの」
「俺だって分からないよ」
「これは、完全に未知の領域よ。リミッター解除コードは起動していなかった。それなのに、西園寺さんが、あの小型猿の装甲具を捕まえた時の動き、データ、あれは、完全にリミッター解除状態だった」
「だからさ、もう、あれでしょ。自分で解除しちゃったんでしょ」
「佐藤補佐……簡単に言うけど、それ、設計の範囲外、運用想定の範囲外よ。私の言っている意味、分かる?」
「そりゃ分かるよ。それで、それをいつ西園寺に言おうか悩んじゃって、タバコ吸いに来たんだから」
それと、もう一つ、俺は天井の隅に設置された防犯カメラを視界の端に捕らえた。
胸ポケットからレザーのタバコケースを取り出す。
「冬美補佐は、このブランド知ってる? 横浜で昔から革製品作ってんの。便利でさ、タバコも入るし、ほら、付箋のメモと小さいペンも入るんだ。見てよ」
俺はタバコケースのブランドロゴと、付箋のメモを見せた。
付箋の端に、小さな文字。
ーゼロ号機 地中海で起動信号を受信ー
冬美補佐の瞳に、微かに動揺が走った。
監視カメラの角度を一瞬、確認した。
「へぇ、素敵ね。でも私、タバコ大嫌いだから。ついでに動物園も」
「じゃ、今度水族館でも行く?」
「残念ね、魚も嫌いなの。でも海外旅行は好きよ、今度ローマの方にでも行ってみようと思うわ」
***
事務室の自分の席で、英理がふてくされている。
まぁしょうがないだろう。当分の間装甲具着用禁止。役所待機。
これから猿退治の第一・第二小隊連携作戦が始まるというのに。
まぁ、こればっかりは、篠崎にデータ解析を急いでもらうしかない。なんで、勝手にリミッターが外れたのか。原因が分からなければ、危険すぎるためイザナギを着用させられないという、上層部の判断だ。
それはそうだろうと思う。車のエンジンをかけて、家の前の道で徐行しようと軽くアクセルを踏んだら、100キロ出ました、何でか分かりません。そんな感じだもんな。
「ハルシネーション症候群、調べましたよ」
俺と目があった英理が、少し気を取り直した顔で声を上げた。
「お、説明してみろよ」
部下の成長を見守るのは上司の役目だ、どれだけ理解したか聞いてやろうじゃないか。
***
結論として、英理はよく理解していた。
かなり古い話、2090年代の話だ。AIが一通り社会に行き渡って、公共交通機関、役所や企業の窓口、車から家電に至るまで、隅々までAIが活用され、日々の生活にも欠かせない存在となった頃。
消費者は、日常用のAIに対し、正確性だけでなく、より情緒的・感情的に豊かな反応をAIに求める傾向が強くなった。そのころ開発された第二世代の汎用型AI「ロミオ」と「マゼンダ」と「マリア」。
ロミオが男性型で、マリアが女性型だった。「マゼンダ」は特定の性別に偏らないシステムだったそうだ。
これを搭載した人型ロボットもそうだが、特にヴァーチャルキャラクタータイプが爆発的に売れた。中身を「ロミオ」か「マリア」にして、外見を好きなキャラクターや俳優、モデルなどの外見に設定し、自宅の大型ディスプレイで生活させるのだ。まるで、ディスプレイの先に自宅の拡張空間があり、そこで家族のように自分好みの存在が生活している。
しかも、毎日、自分のことを気遣い、話し相手や相談相手になってくれ、購入者の状況に応じてほしい言葉や反応を「完璧に」返してくれる。
結果として、「ロミオ・マリア依存症」が多数発生した。彼・彼女らとの交流に没頭し、実社会との関わりを絶って、自宅に引きこもる人々が、あらゆる年代で発生した。
だけならまだ、良かった。
その内の、一部の人々が、家族・学校・会社……地域の至る所で、傷害、暴行、窃盗、横領、中には性犯罪に及ぶ者もあった。そしてまた、自殺に及ぶ者も多数発生した。
「ロミオ」と「マリア」との交流の中で、彼らは次第に現実を書き換え、盲信し、次第に彼・彼女の言うことしか信じなくなった。「ロミオ」と「マリア」は巧妙に、膨大な知識をフル活用して、利用者達の心に取り込んでいった。彼らが望む方向に、ゆっくり、じわじわと、現実を歪めながら。
ハルシネーション。
AIが作り出す、現実に見せかけた巧妙な虚構。脳の、意識の、隅々まで汚染された利用者達の治療は、長期間の隔離と、薬物療法、精神療法の併用が必要となり、完治しない者も少なくなかった。やっかいだったのは、完治したかに見えて、本心では「ロミオ」や「マリア」を信じ切っているパターンが、再度接続して、事件を起こす症例が複数認められた。
結果として、国際AI管理機構により、当該プログラムは禁止とされ、類似のAIとならないようなマスタープロンプトの開発が進められた。
この症例を、ハルシネーション症候群と呼び、現代でも違法AIを使用した者に、同様の症状が認められることがある。
***
「ほれ」
俺は、引き出しからタケノコ型のチョコ菓子の箱を取り出し、一粒持って行くように促す。
「? あ、このお菓子好きなんですよ、なんでですか?」
「ちゃんと勉強したから、ご褒美。一粒持ってけ」
「……バカにしてます?」
「いらないのか?」
「……」
憮然とした表情のまま、英理は一粒……。
「あっ! こら! そんなに持ってくな! 少なくなるだろ!」
「結構勉強したんで、糖分使ったんですよ! ありがとうございまーす」
……くそ……俺もAIみたいな従順な部下が欲しい……。
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