32 UNKNOWN/黒/真っ白
普通の倉庫にこんな、電波遮断の特殊な処置がしてあるはずがない。
嫌な予感が膨らむ。
「小松さん,当たりみたいよ」
左壁面の温度がじわじわ上昇している。
夏美ちゃんがAIを使って計算した,この火事の中での活動限界時間は後12分。
あたしは人影の方に向けて走り出す。
通路は緩やかな斜面になっていて,少しずつ下っている。あらかじめ入手していたこの工場の図面では,ここは倉庫内の小部屋になっていた。役所に届け出てある図面とは違う。
ローラーを使えば早いが,障害物がある可能性も考えると使いずらい。
通路の先にほんのりとした光が見える。何らかの危険があるかも知れないが,立ち止まる時間はない。その光のある空間にあたしは飛び込んだ。
その瞬間,右に熱源と運動を感知する。飛びかかってきた何かを,かわしながら反転し,そいつに目を向ける。
なんだこりゃ。見たことのないタイプの装甲具だ。真っ黒に塗装されたパーツ,流線型の体のラインにそったような形。
照合を開始する。
UNKNOWN。データなし。
バッテリーの位置も分からない。
ただどう見ても,いい素材を使ってる。作りも新しい。高級な機体なのは間違いない。
これはかなり厄介だ。
通ってきた通路の方から爆発音が聞こえてくる。
倉庫火災の限界も近づいている。
男は? どこに行った?
背後で大きなモーター音が聞こえる。背部モニター画面に映る潜水挺が一隻,水の上に浮かんでいる。目の前の装甲具に注意を割きながら周囲を見ると,どうもこの空間は,海水を引き込んだ水路のようだ。
エンジンのかかった潜水挺に乗り込もうとする男がモニターに映る。
あたしは即座に銃を抜いて,潜水挺に向けて構えた。
「警告だ! 今すぐ投降しなさい!」
あんまり良い判断じゃない。爆発の危険があるから、潜水挺には撃ち込めない。あの男に向けて撃てば射殺のおそれがある。おまけにこの狭い空間で跳弾したら,こっちも危ない。
だから銃は嫌いなんだ。
背後の加速度センサーが反応する。黒い奴が一気に間合いを詰めてくる。
銃の威嚇は間に合わない。ホルダーに銃をしまって,黒い奴に向き合う。
右腕で殴りかかってきたところを身を引いてかわすと,次の瞬間目の前に黒い奴の左足が迫ってきた。すんでのところで身を屈めてかわす。そのまま喉輪で掴んで地面に倒そうと右手をつきだしたが,かわされる。速い。
あたしの空いた右わき腹に黒い奴の右足が向かってくる。左腕と左足でガードを作って受け止める。
「!」
想定以上の衝撃であたしは3歩ほどの距離,横に弾かれた。
着用者は何かの武術をやっている。それに加えて,機体性能が相当高い。
「火の手が予定より速いです! 脱出が間に合わなくなる! 予定変更です、撤収しましょう!」
後ろの潜水挺から男が声を張る。
そうはさせない。
急いで黒い奴と潜水挺の間を遮る。
おそらく,こいつを回収しなければ,あの潜水挺は発進できない。もし潜水挺が単体で逃げても,こいつを取り押さえれば連中の足を探ることができる。
倒すのみ。
あたしは黒い奴に向かって構え直す。
お互いに出方をうかがって動けずにいると,倉庫の方から響く大きな爆発音とともに,地面が揺れ,あたしの注意が一瞬,黒いヤツからそれた。
次の瞬間には目の前に黒い奴がせまっていた。右の回し蹴りが飛んでくる。大きく後ろに飛んでかわし,蹴り終わりを狙って踏み込み,こっちも右の蹴りかぶせるが,黒い奴もかわす。動きが速い。反応が良い。さらに黒い奴が打ち込んできたローキックはかわせず,そのまま受ける。強い衝撃が走り,側部パーツに若干のダメージが残る。
あたしもローキックを返し,さらに身体を回転させて左の後ろ回し蹴りを叩き込むが,黒い奴は左腕で受けきった。おそらく,キックボクシングか何かの経験者だ。それも相当なレベルの。
黒い奴が間髪入れず右の蹴り,左の後ろ回し蹴りを放ってくる。
ガードを固めたあたしの目に,一瞬,何か光るものが映った。
黒い奴の右手が,発光したように見えた。それが目の前に迫ってくる。何かまずいことが起こる。だが,かわすには間に合わない。
あたしはとっさにその右の拳を左手で掴む。
画面が真っ白になった。
モニターの上部に黒い奴がいる。何であたしはこいつを見上げてるんだ?
目の前にコンクリートの地面が広がっている。
あたしは今倒れている。まずい。
黒い奴が足を高くあげる。
イザナギの反応が鈍い。動けない。
銃声が響く。1発2発3発。
黒い奴がいなくなる。
逃がしちゃう。
あたしは黒い奴の方に向けて右手から発信機を射出した。
あたしの足下に小松さんの1号機が駆け寄ってくる。
「英理! 英理! 立て!」
小松さんの叫び声が、あたしの意識をはっきりさせる。
「分かってる……ぅう」
少しずつイザナギの機能が回復してきている。何とか立ち上がる。見ると小松さんがきた通路の方からも煙が流れ込み始めている。
遠くで何かが爆発する音が聞こえた。
それに重ねて、潜水挺のモーター音と水をかき回す音が聞こえる。
「逃がしちゃった……。すみません……」
「お前が無事なら良い! 今は逃げることだけ考えろ! やばいぞ!ローラーは動くか?」
「何とか……」
「突っ切るぞ。ついてこい」
あたしと小松さんは下ってきた道を一気に駆け上がった。
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