18 非番/座禅/本当の
当直明けは非番になる。とはいえ夜は仮眠しかとってないので,かなりぐったりだ。太陽がやたらまぶしく見えて,
疲労感を倍増させる。帰って寝ちゃっても良いけど,当直明けは神経が尖った状態が続いてるので,すぐ寝てもあまり熟睡できない。歩くなり運動するなり,少し身体と心をほぐした方がいいことを,あたしは経験的に学んでいる。
拝命1年目のボーナスで買った,愛車の神岡自動車製電気自動車「ミューズ」。レトロな外車っぽい外見だが,中身はれっきとした国産車で,メンテナンスや車検が安く済むところが決め手だった。そういえば,国産車が完全電気自動車化の流れとなる中,このメーカーは一番最後まで化石燃料の車両を作っていたらしい。
最近の車は,超高効率充電池の小型化と大容量化に伴って,安いモデルでも、フル充電で3000キロは走る。電気もすごく安くなった。衛生軌道上における太陽光発電の進歩と小型固体電池の進歩が,電気に関する現代の問題をほとんど解決してしまった。あたしたちの祖父母が子供の頃にはまだ化石燃料や,原子力発電とかが主流だったらしいけど,あまり想像がつかない。
エンジンをかけて,独身者用官舎の駐車場から,敷地外へのろのろと愛車を走らせる。良い天気。初夏のまだ穏やかな日差しが気持ちいい。車の窓を開け放って,新首都高から第三湾岸線を通り,あたしは鎌倉の行きつけの寺に向かった。
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せっかく,職場を離れて気分転換できる座禅の時間だったのに……。
まったくもって気持ちが落ち着かない。帰ろっかな。
ピシャリ。
左肩に住職の一喝が落とされる。すみません。
松井第1小隊長は,座禅を組んだ姿勢で微動だにしない。作務衣もやたら似合っている。
ここで会うのは初めてだけど,かなり経験を積んでいる雰囲気がある。
もはや修行僧にしか見えない
ていうか,松井さん,今日は日勤じゃなかったっけ……。
ピシャリ。
だめだ。雑念しか浮かばない。
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「今日は休みなんですか?」
座禅後,寺でお茶を飲ませてもらう時間がある。寺のよく整えられた庭園を見ながら,お茶と和菓子をいただくのが何よりの幸せ。松井さんもぼんやりと庭を眺めていた。
「冬見補佐から,休みを取れとの指示だ。昨年一度も取得していなかったので,人事管理上,年休を消化して欲しいとのことだ。あまり,気は休まらんがな」
「え,一日も取ってなかったんですか?」
「小隊長が不在にはできないだろう。ただ,上司が休めと命令するなら,従うさ」
「倒れちゃいますよ。そのうち」
「小松坂も同じだろ。指示でもなければ,休めん。小隊長っていうのはそういうものだ。それに,小松坂もそうだが、俺も今は独り身だからな。休んだってたいしてやることもない。それにいざとなれば,最強の冬美補佐が御出陣されるさ」
ありゃ,最後のは松井さんなりの冗談?珍しい。
色々と意外だった。何となく松井さんと小松坂さんには距離があって,仲が悪いというのが部署内の定説だった。少なくとも,小松坂さんは松井さんをかなり意識していて,負けたくないという競争心を持っているし,仲良くしようなんて気持ちは全くないように見える。でも,今の松井さんの口調は,親友とか,下手したら兄弟のことを話すような暖かさがあった。
「松井隊長は,小松坂さんのこと嫌ってるのかと思ってました。」
松井さんは一瞬きょとんとした顔をした後,小さく,吹き出すのをこらえるように笑った。
「なんでそう思った?」
「え、いえ…なんかいつもやけにつっかかると言うか…厳しいというか…。以前小松さんは松井さんの部下だったと聞いているので,何かあったのかなーとか」
松井さんは、穏やかな顔のまま,少しだけ、何かを噛みしめるような、そんな目をしたように見えた。
「あいつのこと、お前は何か知ってるか?」
「え?小松さんですか?まぁ、ラーメンが好きとか、細かいところでうるさいとか……」
「あいつの昔のことだ」
「そうですね…。松井さんと、研修所で同期になった時期があることととか…」
あと,まぁ,ほんとはもう少し昔のことも知ってはいるけど……。
それはここで話すことじゃないか。
どうせ、本人も忘れてるだろうし、あたしが高校生の時に会ってることなんて。
「その前は知らないか。まぁ、いつか、あいつから話すだろう。西園寺には」
「そんな風に言われたら、気になりますよ。なんですか?」
「いや、いい。今日は口が軽いな。職場を離れると、気が緩んでいかん。そう言えば、お前はよくここに来るのか」
うーん、ちょっとはぐらかされたけど。
「非番の日は大体ここです。帰っても眠れないので」
「そうか。それはいいな。たまにこうやって神経を休ませ,研ぎすます方がいい。先月の「装甲具神経学雑誌」に載っていた論文だが,座禅や瞑想が,装甲具との神経接続をなめらかにするという結果が出ていた。読んだか?」
「……いえ……すみません……」
仕事の話になってしまった……。くそ……。あたしの休日が……。
でもその論文は読んでなかったので,読んでみようかな。
「座禅は昔から続けてるのか?」
「実家が寺なんです。それと空手の道場も兼ねていて。小さい頃から座禅してました」
ほぅ,と松井さんはつぶやいて,手元の抹茶に視線を落とし,何かを考え始めた。
松井さんが庭園に視線を戻した。
「お前や四極がリミッター解除に耐えられるのは,何かそのあたりのことも関係しているのかも知れないな。精神統一とか,そういうこととか、な」
「それは考えたことがありませんでした。でも……。あたしは多分,他の要因だと思いますよ」
「他の要因?」
「あたしと四極さんに共通しているのは,きっと,死ぬほど、装甲具を憎んだことがあるってことだと思います」
松井さんが、あたしに視線を向けた。
不思議と、穏やかな顔をしていた。
「親父さんのことか」
「四極さんは、妹さんを」
「あいつと、そんな個人的な話をしたことがあるのか?」
いやいや,違いますよ,あの人と,世間話はおろか,そんな深い話する人なんていませんよ。
…とは言えないので。
「いえ、ただ、そういう話を噂で聞いたことがあるだけです」
松井さんは,噂,ね,とつぶやいた。
松井さんは抹茶を一口啜った。
「死ぬほど憎い道具を使って、お前は何故、戦う?」
松井さんの言葉は、不思議と、今のあたしだけでなく、昔のあたしにまで投げかけられているように聞こえた。
でも、それは、問い詰めるのではなく、もうすでに知っている答えを、改めて確認しているように聞こえた。
あたしは,ひょいと立ち上がって,伸びをした。
「……あたし、もっと身長も伸びて欲しかったし、もっと力が強かったら良いと思ってました。男の子に生まれたら良かったかも,とかも」
ほんとは,まだこの間のリミッター解除の失敗を引きずっていた。
「お父さんの事件の前からずっとそう。男子に負けるのとか嫌だったし。お寺を継ぐにしたって、女性だと色々難しいし……。何かあんまり良いことないかなー、なんて」
あたしは、空の方を見上げた。
「イザナギはすごいです。あたしに強い力を貸してくれる。知れば知るほどあたしに応えてくれる。あたしを引き上げてくれる。弱かったあたしを、強くしてくれる。きっと……」
鳥が一羽、日光を遮るように飛んでいく。
「誰かが殺されかけていても、きっと、なんとか、助け出せるように……」
松井さんも空を見上げていた。
「西園寺、忘れるな。強い力は、自分を見失わせることがある。お前の本当の気持ちを、決して見失うな」
「本当の気持ち?」
「そうだ、本心だ。」
松井さんは、それだけ言うと、あたしに背を向けて歩いて行った。
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