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短めで終わる予定です。
英雄になりたかった。
子供の頃、枕元で何度も何度もせがみ、母を困らせながら語ってもらった昔話がある。
それは救国の英雄譚。
今から遥か昔、突如として出現した魔物達とそれを統べる魔王。
邪悪なる者たちは私達の住む世界を瞬く間に蹂躙し、大地も、海も、森も、国も、そして人々を犯し、汚し、その命も奪い去っていった。
勇敢なる戦士達が魔物に戦いを挑んだか悉くは返り討ちにされ、もはや世界は、人はこれまでかと皆が絶望に沈んだその時。
英雄が現れた。
英雄は大精霊によってもたらされた白銀の剣を振い、見事に魔物達を破り、魔王を討ち果たし、世界を救ってみせた。
その後、英雄はある娘と契りを結び、現代にまで続くその血筋がこの世界の守護者、王家として存在している。
その話が大好きで僕もいつかそんな存在になりたいと子供ながらに思っていた。
だから、僕が魔物退治の専門職である冒険者になると決めるまでさして時間はかからなかった。
村の友人を誘い、お金を貯めて、冒険者訓練校に入学した。
訓練は厳しく、うまくいかない事も多く、大変だったがそれでも将来はあの枕元で聞いた英雄の様になれると信じていた。
だが、現実は違った。
訓練校を卒業しての初仕事。
巣穴に巣食う低級モンスターの討伐。
大抵の者なら難なくクリアできるはずの依頼を完遂できなかった。
「まぁ、元気出せよノア。次があるさ」
「そうよ。まだ冒険者になったばかりじゃない。これからよこれから!」
「……ファイト」
「う、うん。そうだね。そうだよね!」
村からの友人であり、パーティメンバー。
親友のカイル。勝ち気のジミー。天然口下手なリン。
3人は自分を励ましてくれた。
失敗は誰にでもある。
次に頑張ればいいと。
でも、本当は気づいていた。
依頼を達成できなかったのは自分が足を引っ張ったせいでもし3人だけだったら、上手くいっていただろうと。
依頼を失敗したのは自分の責任だと。
それを言わずにだまってこちらを慰めてくれる優しさが胸に棘として刺さり、苦しかった。
その後も依頼を受け続けたが、芳しい成果を上げる事は出来なかった。
成功を掴む事ができぬまま、月日は巡っていく。
虫が鳴き、日差しが冴える日から、落ち葉が舞う季節へ。
雪が音を吸い、その間から新たな萌芽が生まれる。
何度も何度も繰り返していく。
顎に何も生えていなかった時代から、毎朝の髭剃りが日課になっていく。
順調に同期達は出世し、駆け出しの木等級から半人前の銅等級、銅等級から一人前の銀等級。
ほとんどの者はこの銀等級となった。
さらに、才に恵まれた者は金等級。
そして、選ばれた者。
才ある者の中でも更に一握り。
訓練校時代。一際異彩を放っていた者は英雄が手に持っていた剣の色になぞらえた白銀の等級へと上り詰めていった。
そんな中で僕たちは未だに銅等級の証をぶら下げて冒険者ギルドの酒場の末にいる。
時折、指をさされてせせら笑う声が聞こえてきた。
「ごめん…僕のせいで」
「いや、別に」
「うん…気にしないで」
「…」
仲間達の励まし合いも年々、勢いがなくなっていく。
エールを傾ける皆の姿にかつての快活さは見当たらない。
分かっているんだ。
みんな、分かっている。
依頼を受け続けた結果、分かったこと。
どんな馬鹿にでも分かること。
明らかに足手纏いの存在を。
そいつのせいで現状が起こっているというのを。
そいつさえ居なければ自分達はこんな悲惨な状況になっていないという事に。
そして、その存在が自分達のリーダーとして居続けるという異常。
その存在が僕自身、ノアであるということに。
友達じゃなければ、彼らは言えただろうか。
優しくなければ、彼女らは言えただろうか。
臆病じゃなければ、僕はみんなに言えただろうか。
「お前が悪い」「才能がない」「もう、やめよう」「諦める」って。
そこから数日後の事だった。
山岳地帯に棲むモンスターの調査依頼。
その途中に出くわしたのは特級危険生物のレッドドラゴンだった。
目の前に現れた紅き鱗の龍は一瞬でカイルを炎の息吹で燃やし尽くした。
焼け爛れ、哭き叫び、地に倒れ伏したカイル。
その姿に激昂したジミーが剣で持って切り掛かるが、剣は鱗に阻まれ、へし折れ、大樹の幹の様な尾の一振りで岸壁に叩きつけられた。
震える体で杖を持ち、魔法を詠唱し竜に打ち込んだリン。
だが、それらを全く意に介す事もなく龍はその前脚でもってリンを踏み潰した。
仲間達が、友達が蹂躙されていくのを僕は何も出来ず、恐怖ですくんだ脚で立ち向かう事も出来ず、ただその惨劇を見ている事しか出来なかった。
龍の口が大きく開く。
鋭い牙が並んだ口が俺に覆い被さってくる。
死ぬ。
どこか他人事の様に自分の人生を受け入れようとしていた時。
閃光は走り抜けた。
龍が大きく仰反る。
閃光は龍の腹を一直線に横切ると、その軌跡から鮮血が迸る。
龍は大声で鳴き、閃光に向かって息吹を吐きかけようとするも当たる直前に展開された魔法陣によって防がれる。
僕の隣を見知らぬ男が通り抜けていく。
カシミアで作られ、精密な意匠を施されたマントを翻す男が手に持ったアスペンの杖を振うと魔法陣が変化し、防御術式が反射術式に切り替わる。
跳ね返った炎は切り裂かれた龍の腹を焼き、龍は苦しみ悶える。
不利だと悟った龍が飛び去ろうと羽を広げ、宙に浮くと、上空から大槌を手にした大男がその剛腕を奮い、龍を叩き落とす。
呻めきながら首をもたげる龍は目の前に立つ男達を焼き尽くそうと息吹を吐く構えを見せたが、龍の首筋を閃光が横ぎった。
龍の首がドスンと重々しい音を立てて、地面に落ちる。
閃光が徐々に光を抑え、人の形へと変わっていく。
いや、違う。
剣から溢れ出ていた光が収まり、その光で見えなかった人影が見える様になったのだ。
その顔はよく知っていた。
僕の同期の中、一際異彩を放っていた。
同期の中で抜きん出た実力を持っていたその男だ。
男の周りに魔法使いと大槌使いが近寄ってくる。
3人の胸に光るのは白銀の証。
僕が求めてやまなかった英雄の証。
極度の緊張が途切れ、地面に倒れる。
意識が暗闇に落ちていく中、子供の時の昔話を僕は思い出していた。
※
花瓶が僕のすぐ側の壁に叩きつけられる。
投げてきたのはジミーだった。
病院のベッドの上、左足と左腕、頭に包帯で巻きつけた痛々しい姿で、怒りに染まったその瞳を僕に向けで叫ぶ。
「全部…全部あんたのせいよ!あんたが冒険者になろうって言い出すから!カイルも、リンも………この人殺し!」
ジミーの目尻から涙が伝う。
溢れ出た感情がその吐口として涙腺を使ったのだ。
「私は、私は本当は冒険者なんかなりたくなかった!ずっと村に暮らして平和に生きていたかった!結婚して、子供を産んで……でも、あんたが私達を誘って、それでカイルも……だから、私は…」
嗚咽が漏れ出る。
ぽたぽたとシーツに伝う涙。
僕を見るのを止め、項垂れたその姿は酷く傷ましくて。
声をかけようと一歩踏み出したところでジミーが口を開く。
「…出ていって」
僕の体が固まる。
「早く出ていって!二度と私の前に姿を現すな!」
明確な拒絶の言葉。
どうしようもないほど重苦しい空気が部屋に満ちる。
「…ごめん」
なんの慰めにもならない、責任もない、空っぽの謝罪を残し、僕は部屋を出るのだった。
※
1人になった僕の状況はより厳しくなった。
カイル達によって支えられていた僕の実力は実際の銅等級には及ばない。
パーティに入れてもらおうにも、もう20代半ばを超えた半人前など誰も入れてやろうという気にはならない。
個人で依頼を受ける。
しかし、失敗に失敗を繰り返し、ついには降格してしまった。
10年以上やってきた結果、手にしたのは木等級の証。
失った仲間達。
その現実から必死に逃れる様に、様々な場所へと赴いた。
どの様な凡人でも一流にすると言う触れ込みの剣術家の元に行った。
魔術の才無き者でも魔法を習得させられるという魔術師に会いに行った。
他者の秘められた才能を見抜き、開花させることができるという超能力者に教えをこうた。
だが、その全てにおいて突きつけられた現実は
「お前には何も無い」
だった。
『嘘だ。そんなの嘘だ。でも、本当はわかって。いや違う。なら、やっぱりみんなを巻き込んだのは。僕が悪いのか。力がないのに。違う違う。そうじゃない。何かあるはずだ。じゃないと死んでいったカインとリンに何て言える。僕の願いは間違いで。諦めたくない。まだ終わりたくない。ああ、どうしてこんなに…』
纏まりなどなるでない思考で、思う浮かぶ言葉だけが頭の中で氾濫する。
嵐の海上に取り残された様な不安と恐怖。
罪悪感、失望、葛藤、執着、羨望、溢れ出る負の感情がヘドロとなって僕の身体にまとわりついてくる。
生きているのに、死んでいるみたいに毎日が薄暗い。
そんな僕の事を時間は無慈悲に置き去りにしていく。
30歳を超えて、40歳へ。
黒々としていた太い髪は徐々に細くなる。
ハリのあった肌もシワが刻まれていく。
詰まりなく動いていた関節は動かすたび、ぱきりと音を立てた。
寝ても早く起きて、疲れが取れない。
それでも眠りたくて酒を飲んだ。
エールの消費量が増える。
引き締まっていた腹の筋がぼやけていった。
ただでさえ鈍臭いと言われていた動きはより緩慢になる。
もはや、誰も僕を見向きもしない。
なぜ、こんな事をしてるんだろうか。
なぜ、こんなになっているんだろうか。
頭に浮かぶ疑問を酔いで誤魔化す。
依頼を受ける気力も無くなっていく。
抜け出せない洞窟の様な日々を過ごし、そして…僕は…
※
「おら!何やってんだおっさん!遅れてんじゃねぇか!」
雪山の中を小規模団体が歩いている。
その内の2人は若い男で足場の悪い雪の積もった山道を先へ先へと歩き、女性2人がそのすぐ後ろについていた。
だが、そこから後方に50歩程離れた場所で息を切らし、青年達を追う男が1人。
歳は40後半程の中年。
腰が悪いのか、姿勢は猫背気味の小太りで頭頂部の髪は薄く、顔には深いシワとクマがあった。
中年は白い息をまばらに吐き出し、額に汗をかいてノロノロと歩を進めていた。
「たく…荷物持ちでもいいから同行させてくれって言ったのはお前だろうが!何でそんな遅ぇんだよ!やる気あんのかテメェ!」
若い男2人の内、短髪で大柄な男が足を止めて振り返り、中年を怒鳴りつける。
眉間にシワをよせたその表情には、はっきりと怒りが滲み出していた。
「落ち着けよ、ライアン。そんな怒る事はないだろう」
「オメェは甘いんだよイーサン」
顔を紅潮させる大柄な男、ライアンを嗜めたのはもう1人の若い男、イーサンだった。
彼は細身で顔立ちが整った、いわゆる美青年と言われる容姿をしていた。
「蒼氷石の納品期日まで後2日しかねぇんだぞ?本来なら今頃、こんな山ん中にいないで依頼主がいる都市部に到着して仕事を終えてる予定だった。だが、あのおっさんのせいで作業が遅れて、まだ雪にまみれてる。キレるに決まってんだろこんなのよぉ」
「だから落ち着けって」
怒りながら愚痴を漏らすライアンをイーサンは落ち着かせようと肩を叩いて、宥める。
「今回の仕事は事情によっては遅延したり、納品自体が失敗するかもしれないって事は依頼主は把握済みだろ?前金は貰ってないから、相手側もこっちに詰めるような事はしないだろうし、サボってたみたいな不誠実な理由じゃないなら遅れても大丈夫なはずだ。違うか?」
「いや、俺が言いてえのはそういう事じゃなくてだな。依頼を受けた以上、期日までに届けなきゃいけないのにたらたら動いてたおっさんの責任について…」
「はいはい、そこまで、ストーップ」
ライアンとイーサンの間に入り、話しを中断したのは女の1人、エミリー。
ショートの黒髪に藍色の眼をした彼女は呆れた表情でライアンを見た。
「もういいでしょ、ライアン。なっちゃったものはしょうがないでしょ?
ていうか、こうなる可能性も考慮した上であの人を仲間に入れたはずなんじゃないの?
それを後からぐちぐちぐちぐち…そんなに嫌なら最初の入れるか入れないかの時に頑とした態度で断ればよかったじゃない。
そうしなかったのは何処のどなた?」
「はぁ?なんだ?悪いのはあのおっさんじゃなくて俺だって言いてぇのか?」
「あら?そう聞こえちゃった?ならごめんなさいね?堪え性の無い男って好きになれなくて、つい口が滑っちゃった♪」
「…ッ、テメェ」
「おい、よせよ。ライアン」
エミリーの挑発にライアンが青筋をたて、一触即発の空気が流れ始める。
そんな張り詰めた空気の中、大きな高い声が響く。
「い、いい加減にしてください!」
声の主はリリー、おっとりした雰囲気のロングヘアーの女性。
女性陣のもう1人である。
彼女は手に持った杖を握りしめて、喧嘩中のライアンとエミリーをキッと睨む。
「仲間割れは命に直結する。だから絶対ダメだっていつも言っていたのはライアンさん、貴方ですよね?」
「…あ、イヤぁ…」
「エミリー。貴女も。不必要な挑発はやめてください!前もそれで他のギルドの方とトラブルになりましたよね?反省してなかったんですか?」
「えー?あの時は相手の男が私にちょっかいかけてきたからで、それにお説教なら私じゃなくてライアンの方に…」
「言い訳は結構です!2人とも!反省!」
リリーはぴしゃりと言い放つと、2人はしゅんと落ち込んだ。
とりあえず空気が落ち着いた事にイーサンはほっと胸を撫で下ろした。
雪を踏み締める音が聞こえ、4人が振り向くと中年がすぐ側までやってきていた。
中年は息を吐きながら、4人に向かって頭を下げる。
「お、遅れてすみません。ハァ……僕が…原因…ですよね。すみません」
「チッ…分かってんのなら、もっと速く動いてくれねぇか?」
「ライアンさん?」
「…」
悪態をついたライアンをリリーがギロリと睨む。
ライアンは視線を横に逸らした。
イーサンが手を叩き、視線を自分に向けさせる。
「とにかく、行こう。んで、この先でキャンプをはろう。もう昼も過ぎてるし…」
イーサンはチラッと中年の方を見る。
そして再び、他3人に視線を戻した。
「歩きっぱなしで体力も消費してる。そろそろ休息が必要だ」
「…分かったよ」
イーサンの言葉でライアンは歩行を再開する。
リリー、エミリーもそれに続く。
イーサンは中年の肩に手を置き、申し訳なさそうな表情で話しかける。
「ノアさん、仲間がすみません。気にしないでください」
「は、はは。大丈夫ですよ」
ノアと呼ばれた中年は苦笑いをして答える。
そして、少し下を向いて呟いた。
「……ほんとに、大丈夫ですよ」
※
夜の帳が下りる。
雪が音を吸い、辺りは静寂に満ちていた。
ゆらめく炎の中にライアンが枯れ枝を投げ入れる。
エミリーは寒い寒いと呟き、手を擦りながら火にあたっている。
リリーはスープを飲んでいた。
ノアはテントのすぐ側で黒パンをモソモソと齧る。
視線を上げると一瞬、ライアンと目が合ったが、ライアンはすぐに視線を逸らし軽くため息をつくと、炎の方へ向き直る。
ノアの心の内に苦々しい思いが広がり、顔を下に向けた。
そんな2人の様子を見て、イーサンはライアンを注意しようとライアンに顔を向けた。
「おい、ライアン…」
「ああ、もう、ハイハイ。悪かった。悪かったよ。俺が悪いですよと。ったく……だが、イーサンよぉ。お前が駆け出しの頃、世話になったって言うから。お前の頼みだから聞いてやったんだぜ?じゃなかったらこんな…この年で駆け出しの木等級のヤツなんぞ仲間に入れなかったんだぞ?だって、目に見えてる無能じゃねぇか。誰が引き入れるかってんだよ」
ライアンは両腕をヒラヒラと動かして、不平不満をぶちまける。
女性陣はまたか…と呆れた目でライアンを見ていた。
平均年齢20歳でありながら、このパーティの等級は全員が銀。
同年代の中では1番の出世頭だ。
それ故に将来、金、はたまた白銀を目指せる逸材なのではないかとギルド内で期待を寄せられていた。
そんな新進気鋭な集団の中に入り込んだ異物。
眩いばかりの将来が見える自分達とは真逆の存在である木等級の中年男。
爪弾き物にされるは必然であったし、不満がうまれるのも自明の理であった。
「そんな言い方はないだろう」
「いや、あるね。絶対あるね。ダメな物はどう足掻いたってダメだと言わなきゃダメなんだよ。気をつかって、『大丈夫、気にしないでください』『ミスなんて誰にもありますから』なんて、そんなもんミスを取り返せるヤツとか、反省を次に活かして改善できるヤツとか、成長できるヤツに対してかける言葉であってこんなダメ親父にかける価値は一つもねぇんだよ」
「だからって、暴言を吐く事を正当化していい理由にはならないだろう。仲間である以上、敬意を持って接するべきだ」
「敬意ねぇ。持てると思うのかよ、このグズによ?」
イーサンの言葉を鼻で笑うライアン。
イーサンは眉間に皺を寄せた。
「…ライアン、いい加減に」
「……待て」
食ってかかろうとしたイーサンをライアンは右手を出して止める。
ライアンが視線を夜闇に移して、じっと見つめる。
冒険者の習得技術、身体強化。
体内の気を操り、五感及び筋骨、内臓、皮膚や関節を超人化させる。
鋭敏になった感覚がこちらに迫ってくる影を捉えていた。
立ち上がると、背中に背負っていた両手剣を抜いた。
「敵だ…臨戦体制!」
ライアンが叫ぶ。
その声にメンバー達が反応し、各々が武器を持った。
「おい、おっさん!荷物しっかり守れよ!」
ライアンの声が響く。
闇の中、獣物の呼吸音が迫ってくる。
月明かりを瞳に反射させ、現れたのは中級モンスターのスノーファング。
寒冷地に生息する獰猛な捕食者だ。
基本的に肉食な彼らだが魔力の補充の為、蒼氷石を捕食する事でも知られる。
数十頭の群で、こちらを囲う様に広がってくる。
唸り声を上げ、鋭い牙の間からダラダラと涎を垂らした一頭が一番近くにいたライアンに襲いかかった。
「ガルアァァァ!」
「せりゃぁぁ!」
大口を開けて飛びかかってきたスノーファングをライアンは一刀両断する。
割れた頭から血が吹き出し、地面に倒れた。
獣達が一斉に襲いかかってくる。
「ハァ!」
「せいやぁ!」
「やぁぁ!」
イーサンは片手剣を振るう。
エミリーは槍で敵を刺し穿つ。
リリーは魔力を弾丸に変え、獣たちに向かって撃ち出した。
混乱する戦場でノアは荷物の前で剣を握りしめていた。
そんなノアの背後に凶牙が迫る。
「ゴルルル…」
「う…あ…」
低い声で哭き、こちらに躙り寄る脅威。
ノアは震えて動けない。
獣牙から想起され、ノアの脳裏によぎるあるトラウマ。
仲間を殺した赤き龍のアギト。
その記憶が肉体を硬直させていた。
「グルァァァ!」
「う、うぁぁぁ!?」
飛びかかってきたスノーファングに押し倒される。
腕を噛まれ、出血と共に襲いかかってきた痛みに悶絶する。
「あがぁぁぁ!」
「ノアさん!」
イーサンがスノーファングからノアを助けようと走った。
だが、別の獣達が立ち塞がり阻まれる。
ノアがスノーファングに襲われている間、別の個体が荷物に群がる。
皮袋の匂いを嗅ぎ分け、蒼氷石の入った物を識別すると絞られた袋口を顎で挟み、その場から逃走する。
「待ちやがれクソ犬が!?チクショウ!」
ライアンがそれに気づき、追いかけようとしたがやはりスノーファング達に邪魔される。
「ウォォォオオオオ!!」
群れの後方、一際大きい個体が遠吠えを上げる。
すると、スノーファング達は踵を返し、夜の闇の中に消えていった。
静寂が辺りを包む。
イーサン達の周りに残るスノーファング達の死骸から流れ出る血が雪を赤く染めていく。
ライアンが肩を震わせる。
痛みでうずくまるノアに詰め寄る。
雪を染める鮮血と同じ色で染まった目でライアンは罵詈雑言をノアにぶつけた。
イーサンが止めに入り、エミリーは呆れ、リリーがライアンを叱責する。
ノアはただ唇を噛み締めながら、彼らに謝罪をし続けるのだった。
※
「あーあ。結局、報酬はゼロかよ。あーあ。誰かさんのせいで散々だぜ全くよぉ」
「ライアン」
「…すみません」
「ノアさん。気にしないでください。それよりも病院へ行きましょう。応急手当はしましたけど、ちゃんと診てもらう方がいいですから」
街に戻り、ギルドに依頼失敗の報告を終えた。
簡易的な処置を施された僕の腕を指差したイーサンは病院へ向かう様に勧めてくる。
「そうですね。ノアさん、傷が悪化すると大変です。いきましょう。私もついていきますから」
「え?」
「だって途中で倒れたりしたら大変でしょ?だから、付き添いさせてください」
「でも、そこまで気を使って頂かなくても…」
「いいんですよ。一緒に依頼を受けた中じゃないですか。ちゃんと面倒見させてください。ね?イーサン?」
「ああ、リリー。その通りだ」
「よし、ならすぐに行きましょう!エミリー、行きますよ」
「え?私も行くの?」
女性陣2人に連れられて病院に向かう。
到着したのは冒険者御用達の魔術病棟。
日々、戦いの中に身を置く冒険者たちに怪我はつきもの。
その怪我を魔法によって治療する場所で、冒険者達にとっての病院といえばここだった。
中に入ると怪我をした冒険者達が治療を受けているところが見えた。
2人と別れると受付に話を通し、治療の順番が回るまで待つ。
「ノアさーん」
名前を呼ばれ、治療魔術を受ける。
みるみるうちに傷は塞がり、腕は元通りになった。
だが、代わりに全身を疲労感が襲う。
治療魔術は便利だが、傷を負った者の体力も使用する為、ひどく疲れるのだ。
高位の治療魔法なら体力も関係なく回復させられるんだそうだが、そんな能力を持っているのは教会のお偉いさんくらいだろう。
冒険者にはとても受けられる代物ではない。
「っと…」
窓際の長椅子に腰掛け、体力の回復をはかる。
鼻から息を吐き、目を瞑ると窓の外から声が聞こえてくる。
女性の声だ。
ちらっと見るとそこにはリリーとエミリーが会話をしているところだった。
「………それにしても無駄骨だったね。今回の依頼。あぁ、いや、あの人を責める気はないけどね?私も連れていくって賛成したしさぁ」
エミリーが話している内容。
どうやらノアのことらしい。
ノアは息を潜めて聞き耳を立てる。
「でも、も〜少し出来るかと思ってたのに……あれはダメだわ。あんたはどう?あのおじさん。どう思う?」
エミリーに質問されたリリーが懐に手を入れる。
取り出したのはキセルだった。
皮ポーチからシャグを取り出し、キセルに詰めると魔法で火をつける。
フーッと煙を吐き出す姿にノアは(この人吸うのか…)と意外そうな顔をする。
「フーッ…どうでもいいですね。あんなおじさんなんて」
リリーは本当に興味の無さそうな顔をしてキセルを吸う。
その突き放す様な態度にノアは愕然とする。
先程まで自分に笑顔を向けてくれていた相手と同一人物とはとても思えなかった。
「そうなの?ライアンほどじゃないにしてもイラッとしたりしない?」
「しませんよ。ホントにどうでもいいですから。あの人がどんだけとろくさくても鈍臭くても気にしません……いや、むしろその方が私にとっては好都合です」
「どういう事?」
「イーサンですよ、イーサン。あの人、おじさんの事を気にかけてるじゃないですか?ですから、おじさんがミスする度に私がフォローを入れれば、その分イーサンの中の私の好感度も上がるでしょ?なら利用しない手はないでしょ」
「じゃあ、病院まで連れていくって言ったのは?」
「もちろんイーサンへのアピールですよ」
「強かねぇ…あんたは」
「イーサンはいい物件ですよ。この先、必ず昇進します。イケメンで、性格もいいし。逃がす訳にはいかないんですよ」
「その為のダシに使われた訳だ。かわいそー、おじさん」
「むしろ感謝して欲しいですよ。あんなハゲたさえないおじさんに優しく声をかけてあげたんですから」
「えー?うっかり、あんたを好きになっちゃたらどーする?」
「あっははは!無い無い絶対無いです!顔見てから出直してこいってものですよ」
2人の笑い声が響く。
ノアは歯を食いしばる。
もう、その場にいられなかった。
病院から出ると一目散にかけだした。
「あれ?おっさんじゃね?」
「!」
ライアンとイーサンが露天の串焼きの会計しているとこちらに向かって走ってくる影を捉えた。
影の正体は同行者のノア。
脇目も降らず走るノアにライアンは声をかける。
「おい、おっさん!どこ行くんだ……」
しかし、ライアンの呼び声を無視し、ノアは2人の横を通り過ぎていく。
その目元に光る物をみたイーサンは沈鬱な表情になる。
「何だぁ?あのおっさん?腹でも壊したのか?」
「ノアさん…」
走り去るノアの後ろ姿にイーサンは拳を握りしめるのだった。
※
「クソッ!バカにしやがって!ふざけんなよ!」
宿舎の一室で、ジョッキを煽りテーブルに荒々しく叩きつける。
空になった杯に酒を注ぎ、また煽る。
「僕はお前らの倍以上生きて冒険者をやってるベテランだぞ!この世界を守ってきた先駆者なんだぞ!敬意を払えよ!何が、むりむりだよ。僕がムリならお前は性格がムリだよ!」
空になった酒瓶を投げ捨てる。
割れた破片が部屋の隅に錯乱するが構やしない。
荒れ狂う感情のままに口から言いたい事をぶちまける。
「あのライアンとか言う奴もだ!偉そうに指図して!僕をなんだと思ってるんだ!イーサンも好き放題言わせてるんじゃないよ!リーダーだろ、リーダー!ちゃんと諌めてよ!」
再び、酒を煽る。
「……んぐっ、んぐっ……ぷはぁ!……うっ……」
ジョッキから口を離すと視界がぐらりと揺れた。
一気に酒を飲んだせいで、アルコールが回ったらしい。
ふらつきながら、ベッドに横たわる。
強烈な睡魔に襲われて瞼を閉じた。
夢を見た。
カイル、ジミー、リン。
そして僕が丘の上で風を感じながら、街を見下ろしている。
胸に光るのは白銀の証。
世界最高峰を持った戦士、魔法使いとして僕達は世界を股にかけている。
背後から地鳴りを響かせ、巨大なモンスターが出現する。
カイル達は武器を持ち、モンスターに攻撃を仕掛ける。
モンスターは腕や脚を振り回し、応戦するが徐々に押し込まれ、悲痛な叫びをあげる。
そんな中、咆哮と共に腕が僕に向かって振り下ろされる。
僕は剣を抜き、振るう。
するとモンスターの腕は吹き飛び、鮮血が迸る。
僕は剣に力を込める。
剣に眩い白銀の光が集っていく。
刀身に光が満ちた時、僕が放った横薙ぎに併せて光が放出される。
その光に飲み込まれたモンスターは跡形もなく消え去った。
皆が武器をしまう。
僕に向かって、笑顔で声をかけてくる。
丘の下から声が聞こえてくる。
見ると街中の老若男女が腕を上げ、拍手をして僕達を讃えていた。
その光景に僕も自然と笑顔になる。
そうだ。
これだ。
これこそ僕が思い描いていた景色。
腕が伸びる。
目の前に映る憧れを掴もうと手を伸ばした。
だが、突如として光に包まれる。
そして…
※
ベッドの上、天井に向かって伸ばされた腕が視界に入る。
頭が割れそうに痛い。
昨日の酒が頭の中で暴れていた。
伸ばした手を目元に当てる。
真っ暗になった視界で、誰もいない部屋で僕は笑った。
「ハハッ……」
冷めた笑い。
現実と理想の間を吹き抜けていく乾いた風の様な笑い。
こんな歳になっても未だにこんな夢を見る自身に対しての侮蔑と哀れみがこもった笑いだった。
むくりと起き上がる。
ボロ皮財布の中を見ると、金はほとんど入っていない。
「……仕事行かなきゃ」
皮袋に入れた荷物を持ち上げるとドアを開け、外へ出た。
※
ジメジメと湿気た暗闇の中を歩く。
石が敷き詰められた地下道は時折、水滴が垂れてきていて、その下に小さな水溜りを作っていた。
ノアは脚を滑らせない様に注意をはらう。
ここはかつての王城の地下。
英雄の血脈を引く現在の王家ではなく、魔王によって滅ぼされた国。
その王が住んでいた城だ。
何でも、魔王はこの城を根城として使い、英雄はこの城にて魔王を討ち果たしたとされている。
現在は歴史的価値を認められ、観光地として城の上部は整備されているが地下道はそうではない。
というのもこの地下道、外界の洞窟や鍾乳洞と繋がっていて、そのせいで時折、魔物達が入り込んでくるのだ。
なので、定期的に地下道を確認しては魔物を狩る役目が必要だった。
幸い、入り込んでくる魔物はオオハイネズミや黒棘蝙蝠といったザコしかいない。
僕のような木等級が行う仕事としては最適で、僕はよくこの依頼を受けていた。
そのせいで僕がギルドカウンターへ行くと、自動的にこの地下道の魔物駆除依頼を受付嬢が用意するようになった。
腰につけたカンテラが金属音を奏でる。
石畳が続く道の先、光る赤い目が複数見える。
オオハイネズミだ。
僕は懐からあるものを取り出す。
麻布で巻いたガラス球だ。
ガラス玉の中心には赤い魔力だまりができている。
僕は麻布を解くと、オオハイネズミに向かって投げた。
ネズミ達の中心でガラス玉が割れる。
すると、中から漏れ出た魔力がネズミ達を包み込んだ。
「チギィィィィ!?」
ネズミ達が泡を吹いて倒れる。
僕は剣を抜いて、ネズミ達にトドメを刺した。
ガラス玉に入っていたのは毒魔法だ。
通常は役に立たない低級魔法だが、この地下道のザコ相手には有効なので、仕事を受ける際には用意してきている。
「ふぅ…これで終わりっと」
最後のネズミにトドメを刺し、剣から血を拭う。
カンテラの火で茜色に光る細い傷のついた刀身を見ながら思う。
これが白銀の剣だったなら、僕はこんな地下道でネズミ退治なんてしないですんだのだろうかと。
(詮無いことだな…)
被りを振って剣を収める。
依頼達成の報告をしようと地上に向けて歩き出そうとした。
「うわっ、とっ」
だが、踏み出した場所は水溜りのすぐ側で濡れており、それが原因で脚を滑らせる。
バランスを取ろうと壁に手をついた。
すると、ガコンと重々しい音がして手で触れていた壁石の一つが押し込まれる。
「?……うわぁ!?」
ノアが困惑していると、突如としてノアがもたれかかっていた壁が倒れ、ノアも釣られて倒れる。
「うわぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ!?」
倒れた先は長くて細い傾斜になっていて、ノアは勢いよく暗闇の中を転がり落ちていく。
「いだっ!……てぇ〜」
しばらく、転がされた後、床に尻餅をつく。
お尻をさすりながら立ち上がる。
手の平も落ちた衝撃ですりむいて血が出ていた。
着いたのは不思議な空間だった。
四方を柱で囲まれた密室はその壁や天井に魔法陣、魔法文字が刻み込まれ、闇の中、怪しく光っている。
「ここは、一体…」
ノアが目線を奥へと向ける。
部屋の奥には幾何学系の紫結晶が鎮座しており、時折その光を強めたり、弱めたり、まるで心臓の脈動のように点滅していた。
「あれは…」
ノアは結晶に近づく。
見ると、その中では人型の何かが眠っているように見えた。
(人…なのか…?)
ノアが結晶に触れる。
擦りむいた手から僅かな血がついた。
すると、変化が起こった。
ノアが触れた瞬間、結晶に魔法文字が大量に出現する。
「!?」
ノアは慌てて手を引っ込める。
魔法文字は結晶全体に広がり、結晶は強く輝き始める。
その光に当てられた壁や柱の魔法陣がかき消えていく。
「うっ!」
ノアは目を腕で隠す。
光はどんどん強まり、部屋全体を覆い尽くした。
ノアがゆっくりと目を開ける。
光の収まった結晶が変わらず鎮座している。
結晶の中心にヒビが入った。
ノアが後ずさる。
ヒビは音を立てて大きくなる。
「ウグゥゥゥゥ、ウォォォォオオオオオオオ!!!」
おどろおどろしい声が、ヒビから聞こえてくる。
ノアは剣を抜いた。
固唾を飲む。
ヒビが結晶全体に広がる。
「…ッッ」
来る!
ノアは覚悟を決めた時、結晶が弾けた。
「パンパカパーン!!我!大復活じゃー!!!」
「……………………え?」
弾けた結晶から空中に飛び出たのは羽と角の生えたちんちくりんだった。
ちびっ子は地上に降り立つと、ポカーンとしているノアを見る。
「ん?んんんん?……おお!お主か!我の封印を解いてくれたのは!でかした!よくやった!偉いぞー!褒めて遣わすぞー!」
ノアの目の前にやってきたちびっ子はノアをそう言って誉めそやす。
「き、君は?」
「ん?我か?我は…」
ちびっ子は満面の笑みを浮かべながら答えた。
「魔王じゃ」
沈黙が流れる。
だが、それも一瞬のことだった。
「ぬおわぁぁぁぁぁあ!?」
ノアが握った剣をちびっ子に向けて振り下ろした。
ちびっ子は冷や汗をかきながら、全力で剣をかわす。
「なな、ななななな何を、何をするじゃお主!?殺す気か!」
「魔王……倒す…人類の……敵……」
「判断早すぎじゃろお主!?」
剣を向けてくるノアを魔王は両手を前で振って静止させる。
「とにかく落ち着け!落ち着けー!」
身体を震わせながら剣を振り回そうとするノアを魔王は必死に宥めるのだった。