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第九話 記憶喪失



「覚えてないの。なにも――私自身のことも」


 あまり縁がないので、どれが可愛い女の仕草なのかわからない。けれど、オレステスが考える精一杯の女の子らしい口調で告げた。

 本人としては、一世一代の大芝居を打ったつもりだったのだが、通用しただろうか。

 俯いたまま、ちらりと視線だけを上げて弟の顔を盗み見る。


 唖然と口を開いた顔と目が合って――その顔が、みるみるうちに怒りの形相へと染まった。


「なにをふざけているのですか、姉さん!」


 先程聞いたオレスティアのか細い声とは比べ物にならない怒号だった。

 眉を歪める。いきなり女に怒鳴りつけるこの男の態度は、不快だ。

 本来のオレステスとして対応するのならば、「他に言い方はないのか」と凄むところだが、とりあえずはぐっとこらえる。


「姉さん――ということは、あなたは私の弟なの?」


 眉をゆがめたまま、弟を見上げる。

 実際には不快からくるものではあったが、彼の目には不安のためと映ったのかもしれない。うっ、と一瞬詰まって、口ごもる。


「あなたの名前は? ――いいえ、そもそも私の名は……そしてここは、どこなのですか?」


 上体を起こし、すぐ近くにいた弟の袖口をキュッとつかむ。

 もしかしたら、いきなり怒鳴りつけられたのだからもっと怯えて見せた方がよかったのかもしれない、とは思った。

 とはいえ、怖がって泣くふりをしたところで話が進むとは思えない。多少不自然に思われてでも、置かれた環境を知る方が先だった。


 なにもわからなくてただ泣くだけか、それとも状況を打開させるべく行動するか。

 元来のオレスティアがどちらを選ぶかはわからないが、オレステスは間違いなく後者だった。


 そしてなにより――意識して、弟に対しきゅるんとした眼差しを作って見せる。

 よくわからない状況だからと怒鳴り、なのに不安げな表情をされたら口ごもるような様子を見ると、単純そうだった。

 むしろ矢継ぎ早に質問されたことで混乱し、思考を手放してくれないだろうかと期待したのもある。


「――っ、どういうことだ!」


 案の定といっていいのだろうか。顔を真っ赤に染め上げた挙句、弟はオレステスの手を振り払い、医者につめ寄る。

 医者は医者で、予想もしていなかった展開にうろたえていた。


「わ、わかりません。特に異常は見受けられなかったのですが……」


 いや、もし仮に異常があってもあんな診察ではわからないだろう。

 このヤブ医者が、と言ってやりたいところを我慢して、少し助け船を出してやることにした。


「そういえば、後頭部が痛いような気がします」

「――! 失礼します!」


 あわあわと駆け寄ってきた医者は、そろりと「オレスティア」の後頭部を撫でる。

 派手にぶつけていたから、やはりこぶができていたのだろう。さすがにヤブでも医者は医者。オレステスがほんのり示唆した可能性に気づかないはずがなかった。


「ただ倒れたとしかお伺いしていなかったので先ほどは気づかなかったのですが……ご様子から、強く打ちつけたことが推測されます。目撃した侍女にも確認が必要ではありますが……」

「それで、頭を打ってたらどうだと?」

「もしかしたら――打ち所が悪くて、記憶障害が発生している可能性があります」

「――つまりは、記憶喪失、と?」


 眉をひそめた弟の問いかけに、医者が深刻そうな顔で頷く。


 そう、これがオレステスが考えた策。

 記憶を失っていれば状況を知るために質問しても、多少言動におかしなところがあっても看過されるはずだ。

 少し安直に過ぎる作戦かとも思ったが、まぁ無難ではある。


 思うのと同時、おれもそんなに賢くないが、こいつらもけっこうバカだよなと悪態を胸中で呟いた。

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