第八十六話 魔物の特性
「おとぎ話?」
唐突に出てきた単語に、首を傾げる。ルシアはそれを受けて、そう、と頷いた。
「ほら、言ってたでしょ。辺境伯領にある森の奥深くに、魔女の集落があるって」
「ああ――」
言われて思い出す。
たしかに、そんなところにある魔女の伝承だなんてまるでおとぎ話だな、とかいった話をしたような気もする。
その条件下で発せられた「例のおとぎ話が本当」だというのならば。
「そんなもんが本当にあるのか」
「一般的に想像される魔女が本当にそこに住んでるかとか、集落があるのかとかは正直わからないけど、少なくとも強力な魔力を持つ者が存在するのは、まず間違いなさそうよ」
だって、と一旦区切ったのは、オレステスとオレスティアの注意を引くためか。
軽い苦笑を口元に滲ませながら、肩を竦めて見せる。
「魔物騒ぎの出所はそこみたいだもの」
「は?」
オレステスとオレスティアの声が重なる。
オレスティアの場合は単純な訊き返しのようだが、オレステスはそこまで鈍くはなれない。思わず、ごくりと喉を鳴らした。
「もしかして――その何者かが魔物をけしかけてるってことか……?」
まさかな、というよりは、そうであってほしくないという願いを込めた問いかけは、自然と掠れる。
その願いをもちろん見越してなお、ルシアはあっさりと頷いた。
「そういうことらしいわ」
「いやいや冗談じゃねぇぞ!」
とっさにオレステスの口から洩れたのは、焦りを隠せない叫びだった。
ルシアは「そうなのよねー」とのんびり答える。その、一種のほほんとした調子が危機感を感じさせないせいで、オレスティアは相変わらずきょとんとしていた。
「魔物って言ったって、一口で語れるものじゃないわ」
わずかに真剣みは増したものの、ルシアの語調は未だ、緊迫感の欠片もない。単純な説明をしているだけの様子を崩さなかった。
「たとえば、同じ人型とはいっても、トロルみたいに知能低めから、オークやゴブリンみたいに人間並みに近いヤツもいる」
オレスティアのような貴族のご令嬢が、魔物に詳しいはずもない。一から解説するつもりだろうルシアは、オレスティアが首を縦に振るのを待ってから続けた。
「知能が低いヤツは、人間の言うことなんて理解できないわ。統率なんてとれるもんじゃない。操るなら、魔力を持ってしてって感じになるでしょうね」
「――昆虫みたいなものですか?」
「うーん、そこまでとは言わないけど……そうね、賢い犬には負ける、くらいの認識でいいんじゃないかしら」
わかりやすいたとえに、オレスティアはまた首肯する。
「そして逆に知能の高い魔物は、人間の身体が脆弱なことを知っている。自分よりも弱くて脆い相手の言うことなんて、よほどのメリットがなきゃきかないわ」
「たしかに。そして人間と魔物、共通の利など、そうそうあるとは思えない――」
「そういうこと」
ちゃんと理解しているらしいオレスティアが、口元に手を当てて呟く。
ルシアはほんのりと口の端を持ち上げて笑った。――純粋に笑顔と呼ぶには、陰りが見えるけれど。
「メリットを与えられない以上、協力関係を結ぶなり従わせるなりするには、格下ではないことを魔物達に見せつけるしかない。腕力なり魔力なり――いわゆる『力』で押さえるしかないってことね」
「あっ」
思わず、と言った様子で声を洩らしたオレスティアが、口を押さえた。ルシアの言いたいことを正確に把握したのだろう、表情には険しさが宿っている。
「どちらにせよ圧倒的な『力』を――少なくとも魔物達を凌駕する『力』を持った者がいる、と」
「そういうこった」
オレステスは肩を竦めて見せた。
きっとオレステスでは、こうもわかりやすく言語化することは難しかっただろう。
ルシアのおかげであり、また、オレスティアが決して愚鈍ではなかったおかげでもある。
「しかもその相手が、人間の暮らしを意図的に脅かしている。――おそらくは、悪意を持って」
「楽観視できる状況じゃねぇな」
こくりと喉を鳴らすオレスティアに、オレステスも苦虫を噛み潰したような表情になる。
当初、魔女の集落とやらが本当にあるのならそこを頼りたいなどと思っていたが、どうやら期待はできそうになかった。
――いや、それどころの問題ではない。
ルシアやオレステスだけでなく、事の重大さを認識したらしいオレスティアも、暗い顔のまま口を噤んでしまった。




