第八十二話 まるでプロポーズのような(オレスティア視点)
辺境への行程は、とても平穏だった。
火球を打ち上げた「オレスティアの姿」を見たからだろうか。そしてそれを教えたのがルシアだとわかっているからかもしれない。
ずっと、魔力もなく魔法も使えなかったオレスティア。その彼女にこんな短期間で魔力を目覚めさせ、簡単な初期魔法とはいえ、伝授したルシアが実力者でないはずもない。
オレステスが宣言した「連れ戻されるくらいならばすべてを投げ捨ててでも逃げる」を実行できる力を見せつけたのだ。従う以外の道はない、そう思わせたオレステスの勝利だった。
うまい手法だと思う。
それもこれもすべて、オレスティアのために練られた策だということはわかっている。
それらを踏まえた上でもなお、強かすぎるオレステスに、感謝と共に呆れがあるのは否めない。
なんだかんだと、オレステスはとても上手に「オレスティア」を演じてくれている。
それもオレスティア自身が望んでも望みきれないほど、「カッコイイ女性」の姿を。
変な話ではあるけれど、よほどオレスティアより上手な「理想的なオレスティア」だ。
――そこでふと、ある考えが頭をよぎる。
これなら一層のこと、このままオレスティアとして嫁いでくださらないかしら?
そしてオレスティアはオレステスの体を借りて、オレステスとして生きて行く。
辺境伯の配下として置いてもらうもよし、なんならルシアと一緒に旅に出るのもいいかもしれない。
それはとても、魅力的な考えだった。ルシアと出会い、侯爵邸へと向かっていたときの道中が思い出される。
今までオレスティアが生きてきた中で、一番自由で開放感があり、また、楽しかった。
あのときはまだ慣れていなかったから、ルシアに迷惑をかけてしまった自覚はある。けれど今なら、もっとうまく「オレステス」になれる気がした。
鍛練も続けているし、この体のままなら、いつかは本当のオレステスほどに強くなれるかもしれない。
ルシアの役に立てる。オレスティアもこの上なく楽しい。
最高ではないか。
「調子はどうだ?」
思いつきに胸が高鳴りかけるも、声をかけられて我に返る。
ふと目を上げると、二歩ほど前を歩くオレステスが軽くこちらを振り返り、見上げていた。
辺境までは馬車で向かっても半月弱ほどかかる。
その間は立ち寄る町で宿に泊まるのだが、今夜の宿の部屋へと向かう途中だった。
オレステスとルシアが宿で一番の貴賓室に泊まっている。その部屋を挟んで、右隣に一団の長であるゲルマニクス、左隣に、辺境伯の使者ということで特別待遇を許されている「オレステス」となっていた。
小声で訊ねてくれたのは、ちょうどルシアとオレステスの部屋に招き入れられているところでの出来事だった。
「――ごめんなさい」
罪悪感に駆られて、つい謝る。
「なんだ、急に」
「私、悪いことを考えました」
テーブルを囲み、腰を下ろしながらもオレステスは多少の戸惑いを見せている。ルシアも、三人分の紅茶を淹れながら、小首を傾げてこちらを見ていた。
考えてみれば、オレステスはいつもオレスティアの心配をしてくれる。
今のように、調子はどうだとか、馬での移動は辛くないかとか、不便なことはないかとか、上げ始めたらきりがない。
そうやって気遣ってくれるオレステスを、ほんの一瞬とはいえ見捨てるような考えを抱いてしまったのだ。
ぽつぽつと、オレステスを置いて逃げたらどうなるかと考えてしまいました、と告白する。
自分の厚顔さに恥じ入るのと同時、さすがに怒らせてしまうかもしれないと項垂れた。
けれど二人は、怒るどころか顔を見合わせて苦笑している。
「バカ正直に話さなくてもいいんだぜ、そんなこと」
「ホント。オレスティアさんらしいと言えば言えるけど」
他人の前ではともかく、オレスティアに対して二人は建前的な話をしたことがない。
そう考えると、これもきっと本心なのだろう。安堵のため息が洩れるのを感じた。
「けどよ、その考えは実行しない方が身のためだと思うぜ?」
片眉を上げて、野太い笑みを浮かべながらオレステスが続ける。
「だってよ、なにかの拍子で戻っちまったら、お前、ひとりだろうが。むしろ窮地だぜ?」
面白がる口調で言われて、ハッとなる。その通りだった。
オレステスの体を借りてルシアと旅をしたとする。
オレステスの方はいいだろう。そのままルシアと行動を共にしようが、別れようが、ひとりでもなんとでもできるはずだ。
だがオレスティアは?
他に味方と呼ぶべき人間が近くに居ない状況で、一人きりとなったら。
サッと血の気が引くと同時、深々と頭を下げた。
「――今後とも、末永くよろしくお願いいたします」




