第七十八話 中身の違いは大違い
時間が流れるのは、意外と早い。
鍛錬と調べもの、そしてさすがに出立のための準備もある。慌ただしく日々を過ごすうちに、あっという間に出立の日となった。
いよいよ、侯爵邸ともおさらばか。
感慨めいたものがちらりと浮かぶ。
――あれ?
感傷に浸っていてもなにもならないなと視点を転じた先に、オレスティアとルシアがいた。
アレクサンドルが用意したお仕着せ姿のルシアは、まぁ予想していた通りに可愛い。
だがそれだけではなく、甲冑に身を包んだオレスティア――いや「オレステス」の姿に――
「姉さん」
感想を言葉にして浮かべるより早く、思いつめた顔のアレクサンドルに声をかけられる。
あまりにも神妙な顔つきをしているものだから、つい笑ってしまった。
「そんな顔しないで。あなたとは別に、今生の別れというわけではないのだから」
侯爵夫妻とは違って。
後半の言葉を飲みこむ。
実際、侯爵夫妻とは何をどうやってもうまくいくとは思えないが、アレクサンドルは違う。たとえオレステスとオレスティアが元に戻ったとしても、彼がまた以前の態度に逆戻りするとは思えない。
アレクサンドルが侯爵家を継いだら、仮にオレスティアが辺境伯とうまくいかなかったとしても、なんとかしてくれるのではないか。そう期待を抱ける程度の信頼はできているように思う。
「けれど……せっかく和解できたと思ったのに」
しゅんとうなだれるアレクサンドルに、ほう、と内心で感嘆する。和解などという単語が出てくるということはやはり、以前の態度がよくなかったと自覚し、本気で反省しているということだ。
手を伸ばして、頭を撫でてやる。
「大丈夫よ。うまく辺境伯を手懐けて見せるから。あなたもなにか理由をつけて遊びに来ればいい」
「手懐けるって……本当に、口が悪くなってしまって」
苦笑には、面白がるような、懐かしむような、切ないような、複雑な色が見え隠れしている。
その表情を見て、ふと、思いついた。
「もし私に対して、罪悪感みたいなものがあるなら、一つ、お願いがあるの」
言いながら、ちょいちょいと手招きする。それに応じて軽く身を屈めるアレクサンドルに、ごにょごにょと耳打ちした。
「それは――それくらい構いませんけど」
それがなにか、とでも言いたげなアレクサンドルに、にこっと笑いかける。
「よかった、ありがとう!」
またね。
そう締めくくるのは「別れ」ではないことを強調するため。
――実際にはこの先、どうなるかわからない。不確定要素があまりにも多すぎる。
けれど希望を残す余地はあるし、「そうなればいいな」と思うオレステスの願望でもあった。
寂しげに笑うアレクサンドルを残し、馬車に乗り込む。
「――あの坊っちゃんが『オレスティアさん』に冷たかったなんて、ウソでしょ」
後を追って乗ってくるルシアに、ひょいと肩を竦めて見せる。
「あそこまで変わるとは、おれも驚いたぜ」
「いや、ありえないわよ、そんなに短期間で変わる? 信じられない」
「――本当に」
疑いの眼差しを隠しもせずに言い放つルシアに同意したのは、オレスティアだった。馬車の窓近くに寄ってきていたらしい。
「お義母さまたちと違って積極的に加害するとかはなかったですが、彼の方から声をかけてくるなんて――それも、思いやってくれるなんて」
しんみりとした口調のオレスティアにバツが悪くなったのか、ルシアは少し眉をひそめる。
「オレスティアさんがそう言うなら本当でしょうけど」
「扱いの差よ」
苦笑を洩らしたあと、ふと気づいて、オレスティアへと目を向けた。
「けど、悪いなオレスティア。護衛って名目にしてるもんだから、一緒に馬車に乗れなくて――お前だけ、馬なんてよ」
眉尻が下がるのを自覚する。
どう考えても、移動は馬より馬車の方が楽だ。身体的には「オレステス」なのでさほど疲れを覚えないかもしれないが、侯爵令嬢には苦行に違いない。
「乗馬、出来てよかったです」
確かに「オレスティア」が馬に乗れなければ、いくらオレステスの体でも不安定になってしまう可能性もある。長時間の移動となればさらに、だ。
その点オレスティア自身も馬に乗れるとなれば、その不安は軽減されるが――
「いや、おれが言いたいのは……」
「わかっています。お気遣いありがとうございます。お気になさらないでください」
こちらを見上げてにこっと笑って馬に乗り、手を振って去って行くのを見送った。
「――なぁ、ルシア」
ゆっくりと動き出した馬車の中、思わず口元を押さえてぼそりと呟く。
「思ったんだけどよ――おれ、けっこうな男前じゃねぇか……?」
甲冑姿を見たときにも思ったことだった。
鏡を通して見慣れた顔のはずなのに、「別人の目」を通すことでこれだけ違って見えるのか。
「そうなのよ!」
バカなこと言わないで、と呆れ顔で返されると思っていたのだが、意外にもルシアが大きく頷いた。
「あなた自身のときには一回も思ったことなかったんだけど――前にも微笑みかけられて、うっかりときめいちゃった」
「え、おれ相手に!?」
意外を通り越し、驚きのあまりに素っ頓狂な声が出る。
それを受けて、そんなわけないでしょ、と呆れた目を向けられた。
「どちらかと言えば、オレスティアさん相手に、かも」
「ああ、だな」
考えてみれば「あなた自身のときには一回も思ったことはない」と明言されていた。
それはそれでけっこう酷い言われ様ではあるのだが、全面的に同意してしまえるところが悲しかった。




