第七十話 お相手願えますか?(オレスティア視点)
午後になり、ルシアとオレステスは資料を探しに書庫へと向かったが、オレスティアは残って鍛練を続けることにした。
一人で過ごさせることを心配したのか、ルシアからは一緒に調べ物をしようかと誘われたけれど、辞退した。
侯爵家の書庫にある書物は、幼い頃から時間をかけてすべて読みつくしている。ルシアという新しい目が入ってなにか見つかったとしたら、教えてくれるはずだ。
ならば一緒に居てムダな時間を過ごす必要はない。オレスティアはその時間を使って鍛えていた方が、よほど有効だった。
午前中にオレステスから教えられたことを思い出しながら、復習してみる。
オレステスには、「おれの得物は長柄の槍だけど、お前はやめとけ」と言われた。
ある程度は体が覚えているにせよ、扱いの難しい武器なのだそうだ。
それにまだ「オレステス」が侯爵家で認められたわけではない。さすがに、真剣のついた武器を振り回す許可など出ないだろう。
棍を使った練習も提案してみたが、先端部に重みがあるとないでは大違いだと言われ、そんなものかと納得した。
なので、オレステスがアレクサンドルから借りた木刀で鍛練中だったのだが――
「随分と精が出ますね」
額から流れてくる汗を拭っているときだった。背後からアレクサンドルに声をかけられて、ビクリと身が竦む。
身体能力に関しては、オレステスの体に助けられていた。
けれど気配に気づくだとか、そういったものはやはり「中身」の問題なのだろう。どうしても鈍い気がする。注意しなければならない。
「充分にお強いでしょうに、生真面目なことだ」
ルシアに関しては「オレスティア」への好意を全面的にアピールしてくれたおかげで信用しているらしいが、「オレステス」には警戒が見える。
そしてまた、「オレステス」として振る舞ってはいるが、中身はオレスティアなのだ。ルシアやオレステスが一緒に居てくれれば心強いが、侯爵家の人間に対応するのはまだ少し――怖い。
もっとも、3人の中ではアレクサンドルが一番ましなのではあるが。
「日々の鍛練は大事ですから」
なるべく平静を装いつつ答える。
「姉にも稽古をつけてくださっていましたね?」
「ご希望されていましたから」
「侯爵令嬢が鍛えるということに違和感はないのですか?」
アレクサンドルの声もいたって平静ではあるものの、詰問調に聞こえるのは気のせいか。
「自分が守るから必要ない――そうおっしゃるのが筋かと思うのですが」
守り切る自信がないのか。言外に言わんとすることがわかる。
実際、常識としてはアレクサンドルが言う通りなのだろう。だがどうしても委縮してしまうのは、その言い分が正しいからだけではなく、冷淡に扱われ続けた過去があるが故なのもあった。
「護衛騎士とはいえ、いつも傍らにいられるわけではありませんから」
元の気弱さが出てきそうになるのを、懸命にこらえる。
「しかも向かわれるのは辺境の地。自ら御身を守れるに越したことはありません」
正面からの視線に耐えかねて、目を横に流す。
別におかしなことは言っていないはずだ。
なのにアレクサンドルは、疑わしげな目でじっとオレスティアを見つめている。頬に感じる視線だけでわかるのだから、相当なものだ。
「昨日も思いましたが――あなたは一体何者だ?」
「何者だ、とは?」
質問の意図がわからず、訊き返す。
「一介の冒険者だというが、なんというか――気品がありすぎる」
「――――」
それはまぁ、そうだろう。虐げられてきたとはいえ、侯爵令嬢だ。立ち居振る舞いは叩きこまれている。
「元は上流の出ですか? 言い訳にした騎士階級だと言われた方が納得できる」
「――――」
「訳ありですか」
さてなんと答えよう。
返答に困って迷っていたら、ありがたいことに勝手に解釈してくれた。
「なにより不思議なのは、僕が覚えるこの感覚です」
オレスティアが安堵する間もなく、アレクサンドルが続けた。
「あなたの顔形にまったく覚えがないのに、どこかで会ったような気がしてならないのですよ」
当然といえば当然かもしれない。なにせ「中の人」のことは知っているのだし。
口にはできない感想が浮かぶ。
とはいえ、さすがに中身が入れ替わっているとは思わないだろう。――思わないはずだ。
内心でドキドキヒヤヒヤしながらも、とりあえずは沈黙を友とする。
「――まぁいいでしょう。とりあえずそれは置いておくとして」
はあぁ、とため息をついたあと、アレクサンドルは軽く片眉を上げる。
「僕も、お相手願えますか?」
まるで食事にでも誘うような気軽さで、しかもさも当然のように言われて――
「――え?」
オレスティアの口から洩れたのは、驚きのあまりに発せられた間抜けな声だった。




