第六十八話 敵か味方か
今、十日後って言ったか?
驚きに瞠った目をアレクサンドルに向けると、彼も同じ表情で首を左右する。
アレクサンドルも聞いていなかったらしい。もちろん、オレステスも。
――当人に日程すら知らせず、事を進めるつもりだったのか。
「こんな娘、救い出す価値もないしな」
吐き捨てるというよりは、淡々と言い捨てるといった調子だった。わざとらしく傾けられた顔には、冷笑が浮いている。
「大した報酬を得られるわけでもない。下手に連れ出せば、辺境伯からの追手にずっと追われることになるかもしれん。ならず者なら、そんな損をするだけのことをするはずもないか」
侯爵がルシア達に一瞥を向ける。
もし万が一、本当にルシア達が「オレスティア」の雇った人間ならば、やめておいた方が得策だと牽制でもかけているつもりなのだろう。
「無論、そこの二人だけに任せるはずはない。こちらからも複数人の護衛はつける」
逃げようとしても無駄だ。言外の言葉に、護衛ではなく監視役の間違いだろう、との感想が浮く。
言っても詮無いことだ。是だと答えがわかりきっている答えの代わりに、口を開く。
――もっとも、こちらの答えもほぼ予測はできているが。
「辺境伯に私を引き渡したら、すぐにこちらへ戻ってくる護衛ですね?」
「当然だ」
短い返答に、ほらな、と内心で肩を竦める。
「辺境伯は、お前に関する費用はすべて用立てると言っている。お前が向こうに着いて以降のことなど、わざわざこちらが負担する必要はない」
お前が向こうに着いて以降、と侯爵は言うが、そもそも、その行き帰りの費用とて辺境伯から渡された支度金の中から出すのだろう。
だとすれば侯爵はなんら費用の負担はしていない。手間も、ほんの数人の護衛や馬車を手配するくらいだ。大した労力ではない。
金銭的に困窮しているわけでもないのに、この仕打ちか。
イラ立ちが浮くのと同時、それに比べて辺境伯は本気で太っ腹だなと思う。これは実は、相当この婚姻が乗り気なのかもしれない。
いや、アレクサンドルから聞いた話では、自身の周囲がキナ臭くなってきたからと婚姻の延期や白紙を打診してきたとのことだった。乗り気であれば、そのような提案をしてくるはずもない。
辺境伯の考えがまったく読めないからこそ、多少の気味悪さも残る。
侯爵くらいわかりやすければ楽なのにな。
思いながら、にっこりと笑みを刻んで見せる。
「安心しました。必要以上の恩を着せられたらどうしようかと思っていましたので」
正直、余計な一言である気はした。けれど、大人しいオレスティア本人ならば話は別として、血の気の多いオレステスは言い返してやらなければ気が済まない。
鼻白む侯爵の顔を見て、ふと気づく。
ああ、もしかしたらおれがこうやって反抗的な態度を取るから、当初の予定よりも早く追い出す気になったのかもしれねぇな。
だとしたら悪いことをしたという気がしないでもないが――ここにいてもオレスティアにとっていいとも思えない。
なんとなくもやっとしたものを抱えながら、俯くオレスティアへと目を向ける。
「とりあえずここに滞在する間、ルシアさんとオレステスさんに過ごしていただく部屋を用意しなければなりませんね。私の部屋の、次の間ではどうでしょう?」
「さすがにダメでしょう」
一番都合のいい案を出してみたのだが、呆れ顔のアレクサンドルにあっさりと拒否された。
「百歩譲ってルシアさんはそれでいいとして、オレステスさんには他の護衛兵と同じ宿舎に滞在していただくのが当然かと」
「えっ」
オレステス、ルシア、オレスティア、3人の濁点がつきそうな声が重なる。
護衛兵の宿舎と言えば、もちろん男だけだ。外見がいくらオレステスとはいえ、中身がオレスティアなのに、ひとりでそこに放りこむわけにはいかなかった。
「じ、じゃああたしも彼と同じ部屋で」
「いや、それもダメでしょう。女性をそんなところに――」
「好きにしろ」
珍しく焦った様子で言いつのるルシアに、アレクサンドルはやはり呆れ顔のままだ。
紳士的なことを言う彼を遮るように、侯爵が言い捨てる。
「ともかく、あまり邸内を無駄にうろつくな」
嫌そうに歪んだ顔で言い置き、侯爵は立ち上がる。呼び止める暇もなく立ち去る彼を追って、侯爵夫人も出て行った。
そのとき、ちらりとオレスティアを見る目がなにやら意味深長に思えたのは、オレステスの気のせいか。
4人で話し合った結果、妥協点として、邸内に2人の部屋を隣同士で用意してもらうこととなった。
「いいですか。あくまで辺境伯の遣いなので特別待遇だということを忘れないでください。父上も言っていましたが、邸内を出歩くのも極力控えていただきたい」
長くはない滞在期間とはいえ、揉めたくはないでしょう?
つけ加えられた念押しには、素直に頷いておくことにした。




