第五十二話 腹立ちと残念と
「私のせいかもしれません」
言い辛そうに、それでも意外とはっきりと、その言葉を舌に乗せた。
「――どういうことだ?」
伏し目がちなオレスティアに、なるべく責める調子に聞こえぬように問いかける。
ちらりと目を上げた彼女と視線が絡んだのは一瞬だった。再びオレスティアは、軽く目を伏せる。
「オレステスさんはなんとなく把握されていると仰っていましたが――おそらくはその推測通り、私はこの家で疎まれていました」
「――」
だと思ったぜ、それは知っている――言うべき言葉を探してはみたが、どれも適切ではない。結局は、沈黙を友とする。
「なので――すみません、ルシアさん。充分なお礼はできないと思います。それを伝えたら見捨てられるかもしれない、そう思うと怖くて伝えられませんでした」
申し訳ありません。座ったままながら、深々と頭を下げる。
おおらかなルシアなら、「いいのよそんなこと」とでも笑い飛ばしそうなものなのに、むすっとしていた。
「――怒って、いますか?」
にこりともせず、口を開きもしないルシアに重ねて問いかけたのは、オレスティアだった。沈黙に耐えられなかったのかもしれない。
「そうね。ムカついてるわ」
問われて、ルシアが低い声を出す。
意外だった。
ルシアはオレステスを信頼できる人物と言っていたようだが、それはオレステスから見たルシアも同じだった。
でなければ、節約とはいえ宿で同じ部屋を取ったりしない。荷物をごっそり持っていかれたり、もっと悪ければ襲われかけたとでも訴えられたら元も子のないからだ。ルシアはそのようなことはしないだろうと、素直に思える。
まして、さきほどルシアは言っていた。ここまでついてきた理由は、オレスティアを一人にできないからだと。ならば謝礼がないからと言って怒るとは思えず――
――あ。
そこまで考えて、ふと、ある可能性に気づいた。
オレスティアは、それこそ庇護者的立場でいてくれていると思っていたルシアに拒絶されるような言葉を吐かれて、ショックを隠せないようだった。
申し訳ありませんと再度口走りながら、半泣きになっている。
「そんなことで見捨てるような人間だと思われていたなんてね。心外だわ」
ああ、やっぱり。
ニヤけかけた口元を押さえるオレステスとは対照的に、オレスティアは「え?」と惚けた声を出す。
「そりゃあ人間だもの。損得で動かないって言ったらウソになるわ。でもね、右も左もわからない、それどころか自分ですらない体になってしまって途方に暮れている人間を見捨てるほど、人非人じゃない」
「――」
「もちろん、困ってるからって誰彼構わず助けるお人好しじゃないわ。でもさっきも言ったでしょ? あたし、人を見る目には自信があるの。そのあたしから見て、オレスティアさんはちょっと話しただけでもわかるくらいのいい人よ」
「――」
「だったらこうやって知り合ったのもなにかの縁なんだから、助けてあげたくなるのが人情ってものよ」
違う?
ルシアが同意を求めた相手は、オレスティアではなくオレステスだった。
「違いない」
想像した通りの「ルシアがムカついた理由」に、ニヤリと笑ってしまう。
先程とは違った意味で涙を滲ませるオレスティアが、申し訳ありません、と重ねた。
「違うわ、オレスティアさん。こういうときは謝るんじゃなくて、ありがとうって言うのよ」
「――はい。ありがとうございます」
「ははっ」
素直に言いかえるオレスティアと、満足そうに頷くルシアを見ていてつい笑い声を上げてしまった。
「さっきおれに善人だって言ってたけどよ。お前も大概善人だぜ、ルシア」
「そうよ、当たり前でしょ。今更知ったの?」
薄い胸を張り、悪戯なウィンクをして見せるルシアに、場が和んだのは言うまでもなかった。




