第四十二話 決意(オレスティア視点)
もう、ナンパの域を完全に超えていた。血の気の多いならず者にとっては、珍しくないことなのかもしれない。
ルシアを掴まえようと手が伸ばされた、その瞬間だった。
「――っ!?」
男が、声にならない悲鳴を上げる。
オレスティア自身も驚いた。気がついたときには、伸ばされた男の手を掴み、捻じり上げていたのだから。
まったくの無意識だった。自然に体が動くなどという経験は初めてで、困惑する。
――ただわかる。どうすればより、苦痛を与えられるのかを。
ぐっと力を入れて、後ろ手に捻り上げた男の手を上方へと持ち上げる。
みしりと男の肩が鳴り、痛みに顔が歪んだ。
「いてーっ! な、なんだよてめぇ、見掛け倒しじゃなかったのかよ!?」
「あ、ごめんなさい」
このまま力を加えたら、関節を外せる。なぜかそれがわかり、実行に移す一歩手前、男の叫び声で我に返った。
オレスティアが手を離すと、腕を掴まれた男だけでなく、もう一人の男も慌てた動作でまろびながら逃げていく。
その情けない後ろ姿を見送って――とたんに力が抜けて、ヘナヘナとへたりこんでしまった。
「えっ、ちょっと大丈夫!?」
突然へたりこんだオレスティアに驚いたのか、ルシアの声に珍しく焦燥感が混じっていた。
抱えていた荷物を脇へ奥と、助け起こそうとするように肩と背に手を置く。
支えてくれるルシアを見上げて、苦笑した。
「すみません。あの方たちが去ってくれて、安心したら力が抜けてしまって」
なにか重篤な症状があるわけではないとわかったからか、ルシアも安心したように息をつく。直後、オレスティアと同様の苦笑を浮かべた。
「でもびっくりした。オレステスの体が動きを覚えてたのね」
「そうみたいです。おかげで助かりました」
「そうみたいって……じゃああなた、確信もなしに飛び出してきたの?」
完全に呆れた調子のルシアに、返す言葉もなかった。ただ先ほどまでと同じく苦みのある笑みを返すしかできない。
「無謀ね。なんとかなったからよかったものを……大体、あたしひとりで対処できるんだし。無駄に危ないこと、する必要ないでしょ?」
助けよう、そう思ったことすら余計なお世話だったのだろうか。説教じみたルシアの言葉に俯きかけて――気づく。
これはルシアが、オレスティアを心配するためであって、責めるものではないということに。
「でも、見過ごせなかったのです。ルシアさんが危ないと思ったら」
ルシアが心配してくれるように、オレスティアも彼女を心配しているのだ。わかってほしくて口を開いたのだが、ルシアは軽く肩を竦める。
「ま、オレステスならきっと、そうでしょうね」
そういえば、トロールからでさえルシアを守ろうと動いたのだったか、この人は。
「はい。オレステスさんなら見て見ぬふりをするはずがない、それに――私だって、ルシアさんを守りたいと思ったんです。それで勇気を振り絞って――」
「待って」
ようやく行動を起こせた。言いかけたオレスティアを、ルシアが遮る。
「ということは、『オレステスの体』が勝手に反応して動いたとかじゃなく、あなたが、あなたの意思で、あたしを助けようとしてくれたの……?」
「はい。でも結局は、オレステスさんの身体能力に助けられたのですけど」
ルシアを守れたのは、オレステスの力ありきだった。とうていオレスティアの能力でできたとは思えない。
――けれど、それでも。
「よかったです。初めて、ルシアさんのお役に立てて」
ずっとお荷物だったオレスティア。放っておいても大丈夫だったのかもしれないが、ルシアの労力を少しだけでも減らせた。
心の底からの安堵が、笑みになる。
「――えっ、ウソでしょ……?」
へたりこんだオレスティアを見下ろしていたルシアが、呆然と呟く。頬が、かすかに赤い。
「? どうかしました?」
「な、なんでもないわ。じゃあ、部屋に荷物を置いて、ごはんにしましょ。立てる?」
「はい」
頷いて立ち上がるオレスティアに、ルシアが手を貸してくれた。
そして、ふと思う。王都まで、まだ半月以上はかかる。
それまでの間、このオレステスの体に見合うよう、強くなろう。
動きはきっと、体が覚えている。それは先程の出来事が証明してくれた。
だからせめて衰えてしまわないように――オレステスに返す、その日のために。




