第四十一話 声かけ事案からの(オレスティア視点)
「は、離れなさい!」
本当は、踵を返して宿に逃げ帰ってしまいたかった。
けれどそれはできない。したいけど、したくなかった。
意を決して上げた声は、上ずっている。オレステスの低い、力強い声が台無しだった。
駆け寄ろうと思うのに、足が竦んで動かない。膝から崩れ落ちてしまわないように、一歩ずつ地面を踏みしめて歩くので精一杯だった。
「オレスティ――レス!」
いつものようにオレスティアさんと呼ぼうとしたのだろうルシアが、はっとしたように呼び変えた。
男の姿をしている者に女性名で呼びかけるのは、どう考えても訝しがられる。
男達も、振り返るルシアの視線を追った。屈強なオレステスの体躯をみれば怯むのも無理はない。
ぎょっと目を剥き、手が離れた隙をついてルシアはこちらに駆け寄ってきた。
「どうして出てきたの! 待っててって言ったよね?」
「帰りが遅くて心配で――それに、現に今問題が」
「いいから戻ってて、大丈夫だから」
「ですが……」
「――へっ」
ルシアの口調を見れば、自分のことよりもオレスティアを心配しているのがわかる。すでに慣れっこになっている、まるで子供に語りかける調子だった。
反論めいたものを口にするも、オレスティアの声は震えていた。
声だけではない。カタカタと、握りしめた拳が両太ももの横で小刻みに震えている。
それが決して武者震いの類いではないことに気づいたのだろう。男は鼻先で笑うと続けた。
「ビビらせんなよ。なんだ兄ちゃん、震えてんのか? でかい図体して」
男達が歩み寄ってくる。ゆったりとしてはいるが、上品なものではない。左右に揺れるような、それだけで柄の悪さを物語るものだった。
「あなた達、いい加減にしなさいよ!」
二人の前にルシアが立ちふさがる。男達とオレスティアの間を割るような立ち方だが、ルシアが小さすぎて「オレステス」の視界を妨げることすらない。
「あたしはあなた達とは行かない! この人と一緒に居る。それが答えで、すべてよ」
オレスティアの胸元辺りで叫び声を上げ、なおも寄ってくる男達のうち一人の胸をドンと突き飛ばす。
オレスティアの目から見ても、それは男を倒せるほどの力はなかった。攻撃魔法でも使えば当然一撃で倒せるのだろうが、純粋な腕力としてはルシアもいたって普通の女性なのだから。
なのに、押された男は大げさによろけて倒れ込んだ。
「お、ひっでー暴力女だなぁ。おーい、大丈夫かぁ?」
「あーいてぇ! いてぇなぁ。こりゃあ姉ちゃんがつきあってくれなきゃ、痛みが引きそうにねぇな」
「ほら、責任取ってくれよ」
口々に言い合って、ニヤニヤ笑っている。
はめられた、というのもバカらしい。難癖のつけ方も、なんのオリジナリティーのないつまらないものだった。
そもそも本気で騙すつもりもなく、本当にただただウザ絡みしていルシアに言うことを聞かせようとしているだけなのが、演技をする気もない態度で知れる。
――それでも、怖い。
ああ、やっぱり失敗だっただろうか。
恐れていたように、オレスティアが「オレステス」の姿を見せてしまったせいで、ただ事態が複雑化しただけの気もする。
かといって今更、「失礼しました」と引き下がって状況が沈静化するとは思えない。
仮にそれで事が収まったとして、ただルシアを置いて、見捨てて逃げる行為になるだけだ。
「――ホント、バカみたい」
恐怖で震えるオレスティアを尻目に、ルシアは心底呆れたような、疲れたようなため息を吐く。
「なんなら本当に、もっと痛い目見ないとわからないのかしら」
魔法でもぶっ放す気にでもなってしまったのか、頭を掻きながらルシアが物騒なことを言い放つ。
すると同時に、男達は爆笑した。
「痛い目? この兄ちゃんがなんかしてくれんのか」
「図体がでかいだけで、こんなみっともなく震えてる兄ちゃんが?」
男達が笑うのも無理はない。未だオレスティアの拳は、震えたままなのだから。
「――もういいわ。行きましょ」
連れをバカにされているのが許せない、もうつきあいきれない。
怒気をあらわに、ルシアはくるりと男達に背を向ける。
その瞬間だった。
「さすがにあんたも舐めすぎだっ!」
カッとなったのか、男がルシアの肩に向かって勢いよく手を伸ばした。




