第四話 同じ名前の少女
「オレスティア様、どうなされたんですか?」
目を丸くして鏡を見つめていたかと思えば、俯いて黙り込む姿を訝しんだのか。侍女が怪訝そうな様子で声をかけてくる。
目を開けてからずっと覚えていた違和感が、また強くなった。
普通、気落ちしているらしき主人を見れば心配するものではないのか。
なのに侍女から感じられるのは呆ればかりで、そういったものはまったく見受けられない。
いい気分ではないな、と思うのと同時、ふと気づく。
オレスティアってのはこの女の名前か?
おれと同じかよ。内心で、へっ、と笑う。
クラウディウスとクラウディア、ユリウスとユリアなどと同様に、オレステスという男性名と対となる女性名がオレスティアだった。
別に珍しい名前ではないから被ることがあってもおかしくはない。
おかしくはないが、親近感が湧くのも事実ではある。しかもこの「オレスティア」はオレステスと同じ髪と瞳の色なのだから。
とはいえ、現状わかるのはオレスティアの名と容姿、あとはなにやら身分が高そうだということくらいだった。
それに関しても、はっきりと身分がわかっているわけでもない。
さて、どうするか。
これから先、やるべきことを考える。
逃げ出すことは、難しくないだろう。見る限り、どう見てもいいとこのご令嬢ではあるが、側仕えが一人しかいない。
他にもいるのかもしれないが、こうやってたった一人だけがついている時間が少なくないなら可能だ。
なによりそのたった一人近くに居る侍女が、オレスティアへの関心は薄そうだった。隙をつくくらい、いくらでもできる。
問題は、このまるっきり状況がわからないまま逃げても、なにも解決しないだろうことだった。
オレステスであれば、一人で生きて行ける。
だがオレスティアはどうだ?
この貧相な体を見れば、体力などもないだろう。オレステスがやっていたような放浪の旅など無理だ。
体力だけでなく、容姿の違いもある。オレステスは屈強な肉体の男だったが、オレスティアは女だ。それだけでも一人旅の危険度は増す。
総合して考えれば、状況を知ろうが知るまいが、ここで生きて行くのが無難だろう、とは思う。
ただ一つ、貴族のご令嬢として生きることにオレステスが耐えられないだろうことを除けば。
軍の規律や貴族の護衛として品行方正な振る舞いすら嫌で、気ままな冒険者をやってきたオレステスが、すんなり馴染めるはずがない。
まして女になどなったことがない。女として振る舞うことができるとも思えなかった。
はーうー、とため息が落ちる。
「――今日の予定を、再度確認したいのだけど」
逃げ出すにせよなんにせよ、今は少しでも多くの情報を強いれるべきだ。
おそらくご令嬢としては不自然な、それでも粗野なオレステスにしては丁寧な物言いで訊ねる。
初めて耳にした、オレスティアの声。
声帯が細かったりするのだろうか。別に低めたわけでもないのに、声量がない。大きな声を出すのに慣れていないような、喉の感触だった。
――もったいねぇな、綺麗な声なのに。
「婚約者の方に会うため、新しいドレスを仕立てるご予定ではありませんか」
そんなことすら忘れているのか。うんざりとした様子を隠しもしない侍女に、むっとする。
このオレスティアって女、使用人にすらバカにされてるのか?
態度を正せ、と説教の一つもしてやりたいところだが、とりあえずは堪えた。状況がわからない中、敵を作るのは得策ではない。
ひとまずは作り笑顔で、場を作ろうことにした。
「そうね、そうでした。婚約者の方に会うための――」
そこまで言って、はたと止まる。
――婚約者、だと?