第二話 貧相な令嬢
待て。
待て待て待て。
まったく見覚えのない豪華な部屋で、見知らぬ美少女にまっすぐに見つめられているなど、状況がわからなければ混乱するに決まっていた。
ましてそれが、鏡に映った自分だとすればなおさらだった。
一体どういうことだ?
なにが起こっている?
なにより――これは本当におれなのか……?
そろりと右手を持ち上げてみる。目の前の美少女も同じ動作をした。
その手で、頬に触れてみる。当然、美少女も同じ仕草をした。
そして手にも頬にもちゃんと、触れた感触がある。
そうか、これは夢か。夢なら不思議なことが起こってもおかしくはない。
だが感触があるのはどういうことだ。
いや、これも眠っていて、寝ながら自分の頬に触れているだけかもしれない。その感覚が夢の中にまで追いかけてきているだけだ。
きっとそうだ。ならもっと強い刺激を受ければ起きるかもしれない。
「おやめください」
頬をつねるかひっぱたくか。ひっぱたいた方がより強く感じるだろうかと手を少し動かしたとき、ぴしゃりと制止された。
「せっかく綺麗にしたお化粧が落ちてしまいます」
少女の髪に触れていた女が、いかにも面倒そうな表情と顔で言い放った。
初めに「目を開けろ」と声をかけたのはこの女か。
状況を見れば、少女の身支度に手を貸していたのはわかる。きっとメイドだか侍女だか、そういった類なのだろう。
高貴な人間には、身の回りの世話をする者がいる。そこには主従関係があった。
傭兵をやってたとき、身分の高い騎士に侍従がついているのを幾度も見たが、そこには多かれ少なかれ主への敬意が見て取れた。
だがこの女には、そういったものが見受けられない。口調こそ丁寧ではあるものの、視線は冷ややかだった。
令嬢と侍女の関係は、騎士と侍従のそれとは違うのだろうか。違うのだとしても、仮にも主人格に当たる人間への眼差しとしては失礼なのではないか。
むっとしたのは一瞬。すぐに我に返って、いやいや今はそれどころじゃないのだろうと思い直す。
夢なのではないかと考えたのは、現実逃避だ。
わかっている。わからないことだらけだが、今、この状況が現実であることは疑いない。
理由はわからない。なにがなんだかわからない。
けれど今、この美少女の中にオレステスの魂が、人格が、入っていることだけは確かだ。
――で?
わかるのがたったこれだけの状態で、なにをしろと?
考えるにも状況がわからなさすぎて無理だ。
そもそも考えることは苦手なのに。
オレステスは、どちらかと言えばいわゆる脳みそまで筋肉でできているタイプだった。
だからこその、鍛え上げられた肉体が自慢だったというのに。
鏡へと向けていた視線を自分の――少女の――手元へと移す。
オレステスの太く、逞しい腕とは似ても似つかぬ、なまっちろい腕。スカートで隠れて見えないが、この分だとおそらく脚も同様だろう。
もし元に戻れなかったとしたら、この貧弱な体で生きて行くしかないのか?
せっかく鍛え上げたあの体を失って、この貧相な令嬢の体をあそこまで鍛えるには、一体何年かかるのか。
冗談じゃねぇ。
全身から血の気が引いていくのがわかった。