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「……つまり、バエルちゃんの義眼を洗って付け替えようとしたら、バエルちゃんが嫌がって暴れて、そのときに手の甲を思いっきり引っかかれたと」

「あぁ、バエルが血まみれになっていたのも、そのせいだ」

 バエルとは、恐らくあの黒猫の名前だろう。

 マスターが状況を確認すると、男は不機嫌そうに答えた。

「あの、私、早とちりしてあなたをぶってしまって……本当にごめんなさい」

 私は彼に対して誠心誠意、謝罪の言葉を述べた。

「ふん。まぁバエルはそのうち戻ってくるだろう」

 彼は謝罪する私を一瞥すると、その存在を無視するように、そのままくるりと踵を返した。

「ちょっとちょっと。彼女、あなたに用があってここに来たのよ」

 マスターがそれを慌てて引き留める。

「この僕に用だって?」

 彼はそれなら仕方ないといった様子で、肩をすくめて足を留めた。

「僕に用があってここへ来たようだからすでに察しはついていると思うが、この僕が悪魔探偵、遊間(あすま)(だい)。悪魔的頭脳を持つ、オカルト事件専門の名探偵だ」

「私は魔門……魔門(まもん)あいです」

 彼の半ば芝居がかった自己紹介に気圧されながらも、私はなんとか自分の名前を口から絞り出した。

「魔門……マモン。七つの大罪のうち、『強欲』を司る悪魔の名を冠する女か……くくく……」

 彼は私の名前を聞くや否や、にやりと薄気味悪い笑みを浮かべ、一人でぶつぶつと何事かを呟き始めた。

「あら、ついでに私も自己紹介しちゃおうかしら。私はキャサリン。このバー『バフォメット』のオーナーよ。よろしくね」

「はい、キャサリンさん。よろしくお願いします」

 皆がひととおり自己紹介を終えると、遊間はそわそわした様子で天井を指さした。

「こんなところで立ち話もなんだ。二階にある私の事務所で話を聞こう」

 そういうと、彼は私をおいて、一人ですたすたと階段を上っていった。

「久しぶりの来客にテンションが上がっているのよ」

 マスターはウィンクをしながら、私にそっと耳打ちをした。

「大丈夫。ちょっと……いや、かなりの変人だけど、根は悪い人じゃないわ」

 マスターの言葉に背中を押されて、私は階段に足をかけた。

 階段を上るとすぐ、重厚な木製の扉とともに、「遊間探偵事務所」と彫られた金属製のプレートが目に入った。

 遊間は、その扉の前で腕組みをし、足をゆすりながら、私たちが到着するのを待っていた。

「いいか。くれぐれも、勝手に僕のものには触れないように」

 彼は扉に手をかけると、振り返ってそう忠告した。

 一体、彼の部屋に何があるというのだろうか。

 嫌な予感に身構えていると、彼は勢いよく扉を開いた。

 扉が開かれると、そこには不思議な光景が広がっていた。

 まず目についたのが、無造作に積まれた本の山々だった。

 積み切ることができなかったのか、それとも積んでいたものが途中から崩れ落ちてしまったのか、床にもばらばらと散らばっているそれら無数の本は、その多くが相当な年代物のようだった。

 外装にはかすれ傷が目立ち、小口は日焼けして小麦色に変わっている。

 なかには市場に出回っているのかすら疑わしいほどに雑な作りの書物も見られ、そのような書物にはたいてい、恐ろしい怪物の挿絵か、奇妙な形をした見知らぬ文字が記されていた。

 次に目を捉えたのは、大学の研究室や学校の理科室でしか見ないような怪しい実験器具の数々だった。

 色とりどりの液体が試験管やフラスコのなかでぐつぐつと煮沸されていて、その光景はSF映画でよく見るような狂科学者マッドサイエンティストのいかれた実験室を思わせる。

 それらの薬品が原因なのか、アルコールや砂糖菓子が混ざったような、胸やけするほど甘ったるい香りが室内に充満していた。

 そして、一際異彩を放っていたのが、壁や床などにチョークで殴り書きされた、小難し気な計算式や魔法陣のような幾何学模様の数々だった。

 それらは一見するとでたらめに書き散らされた子供の落書きにしか見えないが、注意を向けてよく観察すると、それらひとつひとつに重大な意味が込められているようにも感じられ、この部屋全体に不思議な調和をもたらしていた。

 その光景を見て、私は胸のざわめきを感じた。

 一歩でもその部屋に足を踏み入れてしまえば、それが最後。

 この世ではない、どこか別の世界へ入り込んでしまい、もう元の世界には戻れない。

 そのような、不思議な予感が私の頭に渦巻いていた。

「どうした。入らないのか」

 遊間が怪訝な顔をして、こちらを見つめていた。

 ――いいですか、愛。この先、あなたに何が起ころうとも、決して真実を見定めようとする気持ちを忘れてはいけませんよ。

 今でも、オカルトに対する疑いの気持ちは変わっていない。

 しかし、なぜかこのとき頭に浮かんだのは、母のあの言葉であった。

 私は、意を決して遊間の部屋に足を踏み入れた。

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