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プロローグ
私は、私でない記憶を憶えている。
その世界は、この世界より遥かに自由で狂気に満ちていて、私はその記憶に溺れるのが好きだった。
脳髄をくすぐる、血液の甘い香り。
脳幹に響き渡る、天使の歌声のような悲鳴。
その記憶は、日に日に私を浸食していき、私は、私でなくなるのを感じていた。
取り返しのつかなくなるほどに浸りきった私は、暗闇のなか、消えゆく自分をぼんやりと眺めていた。
案外と恐怖はなく、それどころか、不思議な心地良さまであった。
――消失は、救い。
そこにいた誰かが、ふと呟いた。
それは、死の淵に追い込まれた人間の放った、ちっぽけな一言かもしれない。
しかし、それは同時に、脆弱な人間に遺された最後の希望だった。
――そうか、これは救いだったのか。
私は永き放浪の旅の果て、漸くその答えに辿り着いた。
それは原初の記憶。
人類を神から解放する、悪魔の記憶。