第九十六話 潜入
石畳の上を走る馬車の床下部分に私は、タイミングを計りつつしがみついていた。今更ながら今の自分の状況の可笑しさに笑いそうになってしまう。
「無茶言いやがて・・・」
だがそんな笑みもすぐに消え上官への恨み言が出てしまう。
ここから道脇の庭へと飛び乗ってバレずに館を捜索しろなんて、余程のアホじゃないと考えつかない計画を立てやがって。そう頭上の馬車に乗る女に訴えたいが、ここまで来た以上私も引けない。
そう私は体を覚悟を決めると、振り子のように揺らして進行方向に背の低い生垣を見た。
もうあと十数メートルもすれば庭師達がいるからここが最後のチャンスだ。そう私は揺れる勢いそのまま手を離した。
「なんとでもなれッ!」
誰にも見られてない事を願いつつ馬車の骨組みから手を離して私は宙を浮いた。そして私の体は勢いそのまま音を立てて目の前の生垣へと突っ込んでいった。
「痛ってェ・・・」
なんとか生垣の中に入れはしたが体のあちこちに枝が刺さって痛い。それに思ったより生垣の中が詰まっていて、体も動かしずらいし出ようと動けばかなり音が出てしまいそうだった。
だがなんとか出ようと体を捻ってもがいていると、その時どこからか話し声が聞こえてきた。
「なんか音しなかったか?」
「あ?馬車の音じゃねぇのか」
恐らく二人分の足音が私のいる生垣の辺りに近づいてきていた。多分さっき見えていた庭師達だろうが、流石に音がでかすぎたらしく怪しまれている。
だから一旦庭師達をやり過ごすために私は蹲って音を立てない様息をひそめた。
「いやいや馬車じゃねぇって。なんか物が落ちた音だって」
「でもぱっと見落ちてねェじゃねえか」
「・・・いや、落ちた音だったはずなんだけどなぁ」
その声と足音が私の傍を通った。この感じは雇われだろうし別に私達を警戒して、庭師に扮した警備とかでは無さそうか。
「せっかく貴族の落とし物ならパチれねぇかと思ったんだがなぁ・・・・」
「じゃあ俺先戻ってるからな。早くお前も戻らないと俺がチクるぞ~」
その会話通り一人分の足音と影が私の傍を通り過ぎて行ったが、まだあと一人は諦めきれないのか辺りを歩き回っていた。
「絶対音したよな・・・・」
ガサガサと辺りの生垣を漁る音がする。庭師なんだから早く仕事に戻れよとキレたくなるが、このままだと私のいる生垣を覗かれたら終わりだ。
でもそんな私の願いとは別に段々と私のいる生垣へと、その庭師は近づいてきていた。
「ッチしゃーねえか」
道沿いの生垣を漁っていってからこのまま来られたら、確実に私はあの庭師の顔を見ることになる。
この庭師を殺す事も選択肢だが、この広い庭にそれを見下ろすように立つ館でどこで人が見ているから分からないから、余計な事はしたくない。あとは死体の処理も面倒くさい事になるのは分かり切っているしな。
そう私は判断して一瞬でも隙を作って逃げようと、石魔法を全く私と別方向の生垣目掛けて飛ばした。
「ん?動物か?」
その石魔法が生垣に当たる音で庭師は釣られたようで、私から背を向けて歩き出していった。だがそこまで距離が離れている訳じゃないから、急いで移動しなければ。
そうして音を立てない様生垣を抜け出そうとしながら、次の逃げ先を探していた。だがやはりただの庭なので生垣と良く分からない花やら植物が生い茂ってるところがあるぐらいだった。
「あっちしかねぇか」
生垣だと庭師達が近くて音も立てれなくて移動は早々出来ない。なら少しでも私の体を隠せて遠回りになるが、安全に行けるあの茂みの方が良さそうか。
そして私はなんとか生垣を脱出して庭のど真ん中を走って行ったが、やはり音を出してしまっていたのか戻って来ていた庭師とばったり目が合ってしまった。
「え、あ、え」
状況が掴めないようで枝だらけで屈んだ私を見て庭師が口を開けて混乱していた。かくいう私も一瞬屈んだ姿勢のまま固まってしまったが、すぐに頭を働かせ出した。
どうせこうなったら見逃してもらえないだろうしもう仕方ないか。そう私は見切りをつけると足に力を込めた。そしてそのまま立ち上がって目の前の庭師を捕まえ、口元を抑えつつ押し倒した。
「すまんな」
庭師が何かもごもご言っているが、私だって死ぬわけにはいかない。
後始末と見つかりやすさを考え私は庭師の首に手を回した。もちろん首を絞めると足をばたつかれたりして手間取る可能性がある。だから一瞬で黙らせるため庭師の首を本来曲がらない方へと思いっきり捻った。
「・・・・よし」
気絶でもしてくれたら良かったがやっぱり死んでしまった。そこまで加減できるようなやり方では無いから仕方ない。
そして私はその死体を引きずって近くの背の高い植物の茂みへと運んでいった。そこでとりあえず庭師の死体を隠して次の移動場所を選定しようと、植物の間から顔を出して辺りを見渡していた。すると後ろからさっきのもう一人の庭師の声が聞こえてきた。
「おーい。サボってんじゃねぇよー」
面倒臭い事になるかもしれない。貴族の館で一人が行方不明となると絶対に騒がれるし、この死体を見られたら絶対に私らが疑われる。こりゃ時間をかけてられ無さそうか。
「本当にチクッちまうぞー。今なら酒一杯で黙っててやるから出てこいよー」
私はそんな背後から聞こえる同僚を探す声を聞き流しながら、再び正面から顔を出して辺りを見渡した。この先はあまり障害物も無いようで人一人隠れれ無いほどの区分け用の低い生垣があるだけだった。
これだともう走り抜けてかなり遠いが鉄柵沿いの噴水の辺りまでに行くしかないか。そう視界の先の人生で初めて見る噴水を眺めていると、館の方で何かが動くのが見えた。
「・・・・・・まさかな」
一瞬窓に光の反射がしてエルシアの銀色の髪かと思ったけど、改めて視線を向けても館の中が暗すぎて見えなかった。
おそらく窓に太陽の光が反射したのだろうし、今はそんな事よりも私が館に侵入できるようここを脱出せねば。そう集中しているとまだ探しているらしい庭師の声が聞こえてきた。
「・・・ッチ。あいつ飛びやがったな」
だがそう言ってその庭師は捜索を諦めたようで、悪態をつきながらも持ち場に戻って行ってくれた。
そして私は何もせずにこの距離を走り抜けるのはきついと判断して、少しでも時間を稼いでおこうと、無理やり持たされていた火打石を取り出した。
「ヘレナの奴どんだけ色んな可能性考えてたんだか」
ついでにこの死体も消えて欲しいが、そこまで火は強くならないだろうし燃え広がらないだろう。だがここで火を起こせば風向きからして煙が庭師の方へと行くからしばらく目くらましが出来る。そう火の付きやすそうな乾いた草を集めて火を起こした。
「じゃあ行くか」
茂みの一部に火が移ったのを確認すると、私は覚悟を決めて茂みから飛び足して走り出した。
そしてそのまま足を動かして一瞬後ろを振り返るが、やっぱりまだ火はすぐに延焼しておらず煙すら上がっていない。でも念のための策だし今は私が見つからない様さっさとあの噴水まで走って行けばいい話だから問題は無い。
それ以降私は振り返る事もせずただ姿勢を低くして走って行った。そして特に誰かに見つかる事も無く噴水までたどりつく事が出来た。そして一息置きつつ私がいた茂みを振り返るとそもそも火が上がっておらず自然鎮火してしまっていたようだった。
「・・・・ま、結果オーライか」
本当の所はあの死体ぐらいは燃えて欲しかった。でも我儘は言ってられないから、私は庭の端を姿勢を低くしたまま走って行った。ここでも事前の調査通り見回りが全くいなくて助かった。
そうして高く張り巡らされている鉄柵に沿って走っていくと、貴族白いの館の傍まで到着する事が出来た。
「で、ここからどうするかだが」
内部の詳細は分からなかったが、基本一階は居住用のスペースじゃないのは分かっているから二階三階から捜索していくことになる。で、私ならバレたらまずい人間を隠すなら三階だし、さっき銀色の反射が見えたような気がした窓も三階だった。
だからフックと縄を取り出して登る準備をするが、やはり屋内では見回りがいるらしく一定間隔で足音が聞こえる。
「まずはタイミングか」
この投げ縄だと二階三階と段階を踏んで上がらないといけない。だからまず二階の見回りの動き方を音で判断しないといけない。
そう私が恐らく柱が入っているであろう壁の傍に耳を立てて、どうにか足音を拾おうとした。一階の人の音とややこしいが、聞こえ方で多少は違いが分かるから何とかなるかもしれない。
そうやって5分程耳を当ててやっと私の中で判断がついた。
「大体二分周期か」
一分で反対まで行って戻ってくる。歩いて巡回しているのは足音的にこいつだけだから、背を向けた時に一気に行くか。後は耳を澄ませただけでいるか分からなかったが、止まって見張りしている兵士が窓際を見ていない事を願うだけだ。
「よっと」
フックを二階の廊下窓の縁に掛けた。少し外れそうだが他に掛けれそうな所も無いので仕方がない。そして私は縄を両手で持って白く塗られた壁伝いに登って行った。そして私は一分も経たずに二階の窓の縁へと到着できた。
「・・・一人だけか」
廊下の中心にある一階と二階を繋ぐ階段に、一人が見張りとして立っているだけだった。
これなら廊下を行ったり来たりしている見回りに注意すればいいか。そう判断して一度見回りがこちらに歩いてきていたので、頭を下げて向きを変えるのを待った。
「あっちは上手くやってんのかね」
一時の休息時間を得れた私はゆっくりとそんな思考をしていた。だがそれもすぐに終わり一分が経つと、見回りがまた反対方向へと歩き出すタイミングになった。そして私はもう少し二階の内装だけ確認しようと顔を出した。すると廊下で使用人らしき男と館の主か貴族っぽい男が話しているのが見えた。
「・・・ぶっね」
見回りが貴族に挨拶したせいで、貴族と使用人の視線が私のいる窓へと向いていた。反射で隠れたがバレていないだろうか。
「さっさと三階行くか」
とりあえず私はそう判断して再び壁に耳を当てた。ここまで来て三階に到着した瞬間見回りと鉢合わせとか嫌だから慎重に慎重に・・・・・。
「・・・・・・・居ない?」
足音が二階の見回りの音しか聞こえない。耳を当てた場所が悪いとも思ったけど、何度やっても足音が聞こえてこない。
でも流石にそんな事は無いはずと数分粘ってみた。だが結果は変わらず私の耳から入ってくる情報は、三階に見回りがいないって事だけだった。ここまで警備が緩いとこの館にだれもいないのではとすら思えてくる。
「でも行くしかねぇか」
窓から顔を出しさっきの貴族と使用人がいないのを確認すると、私はそのまま三階の窓の縁目掛けてフックを投げ飛ばした。
そして風に揺られてバランスを崩しそうになりつつ、二階へと登った時と同じ要領で三階まで登ることに成功した。そして音を確認しつつ恐る恐る窓から顔を出すと、やっぱり私の耳は間違っていなかったらしく廊下には誰一人姿が見えなかった。
「意味分かんねぇなこれ」
でもいないならいないで小細工せずに、簡単には入れるからありがたいはありがたい。そう私は窓に手を掛けて音を立てない様開けた。そして顔に温かい中の風が当たりつつ、そのまま体を滑らせるように館の中へと侵入していった。
「さて」
後はどの部屋にいる可能性があるかだが、一応さっきの銀色に反射していた部屋から見るか。他に情報も無いしとりあえず潰せるところは潰す。
そうゆっくりと歩みを進めて行って、物の良さそうな木製の扉の前に立って耳を澄ませた。
「・・・・人の気配があるか」
二人分。しかも恐らく女と子供だ。この館の貴族の娘っていう可能性もあるがエルシアって事も全然あるから確認したい。そうバレないようゆっくりドアノブへと手を掛けようと伸ばした。
するとその時誰かが私の肩を叩いた。
私の心拍が跳ね冷や汗をドッとかき始めた。警戒していたのに全く気配すら感じなかったって事はかなりの手練れだ。そう私はいつでも戦闘できるようナイフに手を掛けてゆっくりと振り返った。
「やぁ。元気そうで何よりだよ」
この時私達の目的は達成された。だがそれとは別に私が生きて帰れるかという、新たな問題がそこに発生してしまっていた。
「まぁまぁそんな怯えた目しないでよ。旧交を温めようじゃないか」
私の中でトラウマがフラッシュバックし歯の奥がカチカチと音を鳴らしてナイフを持とうとする手が上手く力が入らない。どうやって逃げるか考えないといけないのに、頭も上手く回らない。
そんな私を放っておいて目の前の男。つまり私が盗賊にいた時の頭のクソジジイが満面の笑みで私の肩を掴み続けていた。
「まさか君が立ち直るなんてね。これでもっと面白くなりそうだ」
お前が私を壊したんじゃないか。そう言いたかったが私の唇は震えるだけで、それ以上動かせることが出来なかった。
「大方下の子達を囮に君が証拠集めって感じかな?大っぴらにやらないって事は軍の上層部も穏便に済ませたい感じかな。いいねいいね都合が良いよ」
私を殺す気が無いのかペラペラと語り出していた。だが私の肩を掴む手は岩の様に固く逃げる事もナイフを取り出す事も出来ていなかった。
「捕まえるか殺すつもりだったけど、そこまで元気ならちょっと計画変えてみるかな」
相変わらず意味の分からない独り言をブツブツと呟いていた。でもそれが私達にとって良くない事を考えているのは確かだった。
「エルシアはこの部屋にいるよ」
顔を上げたクソジジイはなんの躊躇いも無く扉を指差していた。
「でも今はその時じゃないんだよね。だから今手を出さないって言うなら逃がしてあげても良いよ」
私なんて片手でも捻れる実力なのになぜそんな提案をするのだろうか。今この館でこいつも暴れる訳にはいかない理由でもあるのか。そう悩んでいると更にクソジジイは階段の方を見た。
「っと、館の主が来ているけどどうする?」
そう言われると確かに階段を登る足音が聞こえてきていた。もう理由は分からないが匿っている事が確認できたし、この男の口車に乗るなんて堪らなく嫌な予感もするが仕方ないと、私は静かに頷いた。
するとそれを見たクソジジイは気味の悪い歪んだ笑顔になっていた。
「一年後のフェリクス君との時までの暇だから、私を君が楽しませてね」
私はそう言われ気付いたら横にあった扉の中の部屋へと押し込まれてしまっていた。そしてそれを把握する前に中の住人の叫び声が私の耳を貫いた。
「え!ちょ!誰ですか!?」
その声に反応して顔を上げると、そこで目が合った少女はラウラだった。そしてラウラ側も私の顔を見て何か察したのかアワアワとしだして、窓際の少女にせわしなく視線を送っていた。
「ん?あぁイリーナだったか」
窓際には風に銀色の長い髪をたなびかせて、ティーカップを口に付ける少女が座って私を見ていた。私たちの予想も推測も当たったというのに、なんでこうも嫌な予感しかしないのだろうか。
そう私はその光景を見てただ固まってしまっていたのだった。