第八十八話 再会
肺に空気を入れるだけで痛みすら感じてしまう程の寒い早朝の事。僕らはタッタッタという一定のリズムの元、いつものように一時間のランニングをさせられていた。
「今日さっみぃな」
隣で銀色の髪と同じ白い息を吐くのはハインリヒだ。あの野外演習以降割と距離が近くなった気がして、話す事が以前より増えた気がする。
「昨日雪降ってたしねー」
昨日はそこまで積りる程降りはしなかったのか、グラウンドに凍った水たまりがポツポツあるだけだった。
そんな僕の視線をグラウンドから先頭へと向けると、今日は髪を後ろで結んでいるらしいアイリスの姿が見えた。今朝も相変わらず挨拶も無視されたし、僕に原因があるとはいえ未だに怒ってるらしい。もうそろそろ許して欲しいと思うのは、我儘だろうか。
「そーいや例の暗殺犯まだ捕まってないらしいな。軍が総動員されてんのにすごいよな」
そう僕とハインリヒの間に割り込むように速度を上げてきたのは、コンラートだった。こいつも長いブロンド髪を後ろで結んでいて、言い方は悪いけど雰囲気が軽薄な男ではあるけど、案外こういう時事的な話題の事はいつも気にしていてマメな奴だ。それに良い奴だしかなり接しやすい。
「早く平和になって欲しいよね」
ヘレナさんやイリーナがその仕事に就いてるのだから、早く解決して戻って来て欲しい気持ちと、早く解決してしまったら今度はエルシアは処刑されてしまう可能性が高いという、僕からしたらどっちも良くない未来しかない。かと言って僕が何か出来る訳じゃないし、ヘレナさんに動くなって言われてるしなぁ。だから上手く落としどころを作って欲しいのだか・・・・・・・。
「お、やっと終わったな」
そんな僕の沈むような思考の中、まだ薄暗い寒空には鐘の音が鳴り響いて朝のランニングの終わりを告げていた。この時間ぐらいのランニングなら余裕にはなってきたけど、いかんせん寒すぎて手足の末端が痛い。
「風呂いこーぜ。まだ男の時間だしよ」
最近の日課はコンラート達と朝に宿舎の風呂に行く事だ。前はこの時間自主練か勉強をしてたんだけど、流石に寒すぎて耐えられない。それにコンラートの言うように、ランニングが終わって二十分は男が入れる時間だからってのもあるしな。
そうしていつものコンラートやハインリヒを含めたいつもの四人で、僕らは白い息を吐きながら浴場へと向かって行った。僕らが宿舎の脱衣場に入る際、宿舎の階段を登っていくアイリスが見えたので恐らく自室に戻るのが見えた。そして僕らは脱衣場へと入ると早めに来たお陰がそこまで人で混んではいなかった。
「そういやルイスの奴家督継ぐらしいな」
「らしいね。色々大変だろうねあの家は」
服を脱いでいる時、隣でそんなハインリヒとコンラートの会話が聞こえてきた。確か昨日ヘレナさんも同じ事を言っていたけど、貴族の間ではすでに広まった話なのだろうな。
「そういえば転入してくる奴もいるらしいぞ。しかも二人」
「この時期にか?後期で入ったフェリクスでも大分珍しかったのにな」
そんな会話を聞きながら浴場へと向かっていると、二人が何か知っているかと僕に視線を向けてきていた。一応知ってはいるけど下手な事言う訳にはいかないから、慎重に言葉を選ばないといけないか。
「んー僕の昔からの知り合いだね。地元が一緒でね」
熱い白い湯気の籠る浴場へと入りながら、言うべき情報を取捨選択しつつ僕はそう答えた。盗賊なんていう訳にはいかないしこれぐらいが限界か。別に嘘はついて無いし報道しない自由って奴だ。
「へぇそいつら強いのか?」
コンラートが漫画の脳筋キャラみたいな台詞を吐いていたが、ただ単に同じ軍隊に所属するから興味として聞いて来ただけらしかった。コンラートって人の情報とかよく集めてるし、やっぱ貴族社会を生きる術って奴なのだろうか。
と、まぁ別にそれに対して嘘もつく理由もないから良いか。そう石鹸で体を洗いながら判断して僕は答えた。
「魔力量はかなり多いね。実力は最近会って無いから分からないや」
「お~良いね。この時期に入ってくるだけの事はあるって感じか」
すると次はハインリヒも質問があるのか、隣のコンラートの体越しに僕を見てきた。相変わらず風呂でも眼鏡かけててレンズが曇ってて、良く見えるなとは思うが。
「それって女か?男か?」
「ん?あぁ男と女一人ずつだよ」
ハインリヒがそんな事気にするんだとは思ったが、それ以上は何か深堀もするわけでも無く転入生に関する質問はしてこなかった。
そしてそんな会話をしつつ僕らは風呂でさっぱり汗を流していた。ハインリヒは何かやる事があるのか湯舟には浸からず上がってしまったが、それ以外は時間いっぱいまで浸かっていた。やっぱり寒い朝に入る風呂って良い物だ。
そして時間になって僕らは湯船から上がると、その後は皆それぞれやる事があるらしく分かれていった。かく言う僕はというと時間は少し押してるけど腹が減ったので食堂へと入って行っていた。だがそこの入り口には、丁度食堂から出てくるハインリヒとばったり遭遇した。
「さっき振りだね。もう朝飯食ったの?」
「ん?あ、あぁまぁそうだな」
ハインリヒが少し視線を逸らして眼鏡を掛け直していた。なんか焦ってた気がしたけどまぁ時間もないしどうでも良いか。
そう僕はハインリヒと別れを告げて食事プレートを受け取りに向かったのだった。
「あ、温かいお茶も貰えます?」
そして数分待ってから食堂のおばちゃんからお茶を貰ってプレートの上にのせ、自分が座れそうな席を探した。少しづつ捌け始めているが、まだまだ人が多くて座れそうな所が中々見当たらない。
「あ、あそこでいいや」
僕がそう見つけたのはアイリスの座るテーブルだった。こう言って良いのか分からないけど、アイリスが嫌われているせいか周りの席に人が座りたがらない。だから困ったらアイリスを探せば席に座れる訳で、偶にこの手法を使って飯を食っている。
「失礼しまーす・・・」
そう僕が腰を下ろすとやっぱり不機嫌そうにされてはしまうが、席はちゃんと一個分離しているから許して欲しい。ちょっと前は隣に座ってもそんな嫌そうな反応してなかったのに、そこまで嫌われてしまったのかと少し悲しくなる。
そうやって僕は変にアイリスを刺激したくない気持ちから、黙って朝食のパンをちぎっていると珍しく神妙な表情をしたアイリスの方から話しかけてきた。
「・・・・・その、前は蹴ってごめん。やりすぎた」
僕は手に持っていたパンを落としそうになった。まさかアイリスが自分から謝ってくるとは思わなかったからだ。この一週間僕らか謝っても何も反応が無かったのに、いきなりこんな事言ってくるなんてどういう心境の変化だろうか。
でもここで驚いて黙っている訳にはいかないので、僕はなんとかフリーズしかけた頭を働かせ出した。
「う、うん。僕も色々心配してくれてたのに勝手な事してごめんね」
そう答えるとお互いに視線が合ったが、それ以上互いに何か言葉も発せず気まずくなって、アイリス側から目を逸らされてしまった。まぁでも何はともあれ理由は分からないけど解決してよかった。同室とピリピリしていると僕の胃が持たなくなるしな。
そして黙々と食べ続け僕の朝食も終わりかけていた頃。そろそろ時間かとプレートを持ち上げて僕が立ちあがると、アイリスもそれに続いて立ち上がった。もうこの時間にもなると、人で一杯だった食堂もかなり人が少なくなっていた。
そんな食堂をプレートを手に二人並んで歩くが、やはり会話が無い。てか今までアイリスと日常会話した記憶も無いし、どう話を振れば良いか分からん。
「・・・あのさ。今度もし良かったら、、、」
と、そんな沈黙の中アイリスが何か言いかけた時、タイミング悪く鐘の音が宿舎内に鳴り響いた。もうすぐ座学が始まる合図の鐘だから、食堂でこの音を聞くって事し走らないと座学に間に合わないって事になる。
「ごめんアイリス!その話後で!今は走るよ!」
「ん?あ、あ・・・うん」
そう僕らはプレートを返却して宿舎から一旦外へ出て、講義棟へと走って行った。せっかく汗を風呂で洗い流したのにこれじゃあ台無しだ。やっぱ朝に風呂と食事両方は欲張りすぎだな。
そうしてアイリスと走っている時。ちょうど事務局の前を通り過ぎようとすると、突然扉が開かれ人が目の前に現れた。
「あ、すみません!」
多分目の前に現れたのは事務局のお兄さんだ。ぶつからなくて良かった。
って、そんな場合じゃないから急がないと、そう僕らは扉に手を掛けた事務局のお兄さんに会釈をしてそのまま走って行ったのだった。
そんなアクシデントがありつつも、座学の始まる一分前には僕らは席へと到着する事が出来た。なんだかんだ急げば間に合うのか。そんな学びを得つつ僕は息を整えると、僕はさっきの話の続きだと隣に座るアイリスにどうしたのか尋ねてみるが。
「・・・やっぱいい。なんでもない」
そう言うだけで何も教えてくれなかった。まぁ怒っているわけではなさそうだから、別に良いのだけど気になるな。そんな事を思いつつ次の座学に必要な教本を出して時間を待っていると、鐘の音と共に教官教室の扉を開いた。
最近は教官も騒動に駆り出されて忙しそうだけど、毎回顔色一つ変えず座学も訓練もしてくれていて素直にすごいと思う。
「噂に聞いていると思うが、転入してくる生徒がいる」
教壇に立つなりいきなり教官がそう言ってた。僕が転入してきた時もこんな感じだったんだろうか。
そんな感慨深さを感じていると、アイリスはその事を知らなかったのか後ろの席のハインリヒに驚いたように振り返っていた。そこって会話しているイメージ無かったけど、なんか関係あったっけか。
するとそんなアイリス達を置いて教官は扉へと視線を向けていた。
「入れ」
その呼びかけに続いて教室の扉が事務局のお兄さんによって開けられ、懐かしい顔が二人分入ってきた。自分も数か月前まではあの立場で緊張してたけど、今あの二人はどう思っているのだろうか。
「手短に自己紹介をしろ」
すると最初に話すのはラースらしく、僕に視線を一瞬送ってくれた気がしたがそのまま前に出て話し出した。そういえば別れる前は嫌われてたから、今でも僕の事を嫌っている可能性の方が高いのか。
てかそれにしても身長伸びたしイケメンになったなぁ、なんか親みたいな感覚で感動してしまう。
「ラース・フェレンツと言います。元は俺らは身寄りが無かったのですが、フェレンツ中佐の家に養子に入れてもらい入学させて頂きました」
俺らって事はライサも養子に入れられたって事か。確かに身分が無いと帝都だと暮らしずらいから、ヘレナさんが配慮してくれたのだろうな。てか何気にヘレナさん中佐に昇進してるし、だから昨日少し嬉しそうだったのかな?
そんな事を思いつつ隣のそのフェレンツ家の次女であるアイリスを見たのだが。やっぱり知らないのか、驚いたように口を開いて三白眼を真ん丸とさせていた。家族なのにヘレナさんは連絡してないのだろうか。
そしてそれに続くようにライサも前に出てきていた。
「ライサ・フェレンツと言います。そこのフェリクスさんとは昔馴染みの関係です。よろしくお願いします」
ライサはまだ僕の事を嫌って無いのか、ニコッと笑って僕を見てきた。身長は変わってないけど、相変わらず癖ッ毛の栗色の髪は、伸ばしてるのか肩ぐらいまでかかっていた。まぁでも昔のまんまって感じだなライサは。なんだか安心する。
「二人ともペアで同室になってもらう。席は一番後ろだ」
そう教官が言うと明らかライサが嫌そうな顔をしていた。そういえばライサってあの盗賊の時も一人部屋だったし、いきなりラースとは言え男と同室は嫌か。
でもラースは大人になったのか決まづそうにしているだけで、何も言わず二人とも席と席の間の通路を歩いて行った。
「じゃあ座学を始める」
二人を座ったのを確認した教官が早速座学を始めていった。まぁ内容は二人に全く配慮せず前回の続きからで、専門的で難しい内容だったが、これは僕が教えて何とかするしかない。
そしていつものように昼の時間を告げる鐘まで、ノンストップでその座学は続いていった。最初の頃は慣れなくて、眠くなったり尻が痛くなったりしたけど、なんだかんだこの長さにも慣れてきた。そしてその長い座学の終わりの鐘が校舎内に響いていた。
それを聞いて座学を終えた教官が教室を出た後、一気に教室内は騒がしくなっていた。
「飯食い行くか」
ハインリヒがそう僕に提案をしてきたが、その前に足音を立てて僕の元へとくる人物がいた。その人物に察しがつきつつも振り返ると、笑っているのか緊張しているのか分からない表情をしたライサがそこには立っていた。
「ひ、ひさしびり!!!」
教室内全体にに響くぐらいの大きい声でライサが噛んでいた。それに自分でも気づいたのか顔を赤くしてしまっているし、ここで僕が黙っているわけにはいかないか。
「うん、久しぶり」
まぁライサってずっと盗賊の所にいて人慣れしてないだろうし、緊張するのも無理はないか。
そう思っていると後ろから遅れてラースもやってきていた。以前のラースならここで僕に一発殴りでも入れてきそうだと勝手に身構えていたが、もう成長したのかライサとは違って落ち着いた様子で和やかな表情をしていた。
「久しぶりだな。元気してたか?」
見た目と言いこの好青年っぽい雰囲気とかが、昔のラースがどこかへと行ってしまって気がした。体的にも大人になってるし百八十は身長ありそうだった。
「久しぶり。一応なんとかやらせてもらってたよ」
そう一通り再会の会話を終えると、すぐそばにいたコンラートが口を開いた。
「じゃあ俺ら飯行ってくるから、そこ三人で飯行って来いよ。積もる話あるだろ?」
コンラートが気を効かせてハインリヒ達を連れて行ってくれた。僕としても学校の設備紹介とかしておきたかったしありがたい、そうお礼だけいって皆を見送った。流石貴族なだけあってそういう気遣いが出来ている。
と、そんな一連の会話を済ませると僕の隣の席のアイリスの事を思い出した。アイリスもフェレンツ家だし一応僕から紹介しておいた方が良さそうか。
そう僕はラース達にアイリスが見えるようずれて紹介を始めた。
「この子がフェレンツ家の次女のアイリスさんです。これから家族になると思うから挨拶ぐらい、、、」
そう僕が言い切る前にさっき噛んで恥ずかしそうに顔を赤くしていたライサが、机を挟んでアイリスの正面に立っていた。知らないところで何か関わりがあったのかと僕はチラッとラースの方を見るが、ラースも何も知らないと言った表情をしていた。
「・・・・・・何」
もしかしてアイリスって口が悪いんじゃなくて口下手なだけなのだろうか。いきなりライサ相手にそんな高圧的ないい方しなくても良いのに・・・・。
喧嘩にならなければ良いがと、そう思っているとライサはアイリスに左手を差し出していた。
「よろしくね。アイリスさん」
そういえばライサは僕より三歳年上だから、僕と同い年のアイリスより上になるのか。この教室だともう少し上の生徒もいるけど、割と年長者の部類に入ってしまうか。
するとアイリスも困惑した感じで、そのアイリスの左手を取った。
「・・・・よろしく」
まぁ何はともあれ二人とも握手をして挨拶も穏便に済ませれたようだった。てかライサは心読めるから、対人関係苦労してしまうかもしれないからフォローしておかないとな。創作物でよくあるやつだけど人の声聞こえて便利そうに見えるけど、ストレスになるって展開多いし。
と、そんな事は置いておいて時間も惜しいので僕は荷物を纏めて席を立った。
「じゃあ食堂行くよ。早くしないと混んじゃうからさ」
アイリスはライサと握手した手をジッと見つめて困惑したような表情をしていたが、僕は軽く会釈だけしてラースとライサを連れて教室を出て行ったのだった。