第八十四話 因縁
目の前では信じられないような光景が広がっていた。
ガラガラと土煙を上げながら崩れる門と、大きな水柱を上げ崩落していく橋だった物。そして爆風と共に届く火薬の様な匂い。視野を広げると広場を厳重に見張っていたはずのこの国の兵士や執行官が、慌てふためいて混乱する群衆を制御しようと走り回っている。
「フェリクス、逃げるよ!」
群衆が混乱して滅茶苦茶になった広場の端で、そう誰かが僕の右腕を掴んだ。
でも僕はその手に引っ張られても、この混沌とした広場の中心から目を離せないでいた。
「・・・・・エルシア」
風に揺られてボロ布一枚のエルシアの長い長い銀髪が、曇天の空の下靡いていた。ある意味神秘的な光景ではあったのだが何かが異質だった。
その異質さの正体が分からないまま見つめていると、そのエルシアは目隠しをしているはずなのに、処刑台の上で後ろを振り向いたまま固まっていた。
「アイリス。先に宿舎に帰ってて」
僕は何かがこれから始まる。そう思って僕の右腕を掴むアイリスを突き放して、人波に逆らってエルシアの元へと向かおうとした時。
僕の視線の先で銀色の髪が靡くのを止め、その背後からは一週間前にも見た顔が姿を現していた。あの時はエルシアを助けると言っていたけど、あの感じは明らかに助ける以外の目的がある。
そう思いながら急がないと思いエルシアの元へと急ごうとするが、足が重くて中々進まなかった。その内にもその男はエルシアより前に処刑台の上に立つと突然広場全体に向かって声を張り上げた。
「静粛に!!!!」
あの男からは想像も出来ないような、この広場内全員に良く通る叫び声にも近い大きな声を発していた。そしてその声に一度広場の全員の視線が集まり、静寂が訪れたのを確認すると処刑台の上の男は穏やかに続けた。
「諸君が混乱する気持ちも良く分かる。だが少しだけ私達に時間をくれないか」
仰々しく演劇でもやっているのかという話し方だった。でもそんな事している内に兵士達が抑えに行ってくれるそう思ったのだが。処刑台の周りには仲間なのか一部見覚えのある盗賊達が、兵士達が行けないように処刑台を守っているのが見えた。
「フェリクス!絶対危ないって!!逃げるよ!!」
アイリスが明らかに広場のおかしな状況に、そう僕の右手を執拗に引っ張ってくるが、そんな事は言われなくても僕が身をもって知っている。
でも危険だとしても僕は自分が取らなかった選択の結果がこれから見れるのかもしれない。それが後悔することになるかもしれないけど、それを僕は今見届けないといけない。
でもそんな責任感と一緒に堪らなく嫌な予感もしている。
もし僕にとって望まない結果がこれから目の前で起こったのだとしたら、僕は一週間前に意地でも止めなかったのを後悔するかもしれない。あの時の臆病さで取り返しのつかない事になってしまうのではないのか。
そんな事を考えながらアイリスの引っ張る手に逆らって、処刑台へと一歩また一歩足を進めていったのだった。
ーーーーー
それは今から一週間前での事だった。
「やぁ」
振り返ると夕日に影になって見えずらいが、いつものように嫌なぐらい口角の上がった笑い方をする、あの盗賊の頭のジジイが立っていた。久々に見たというのに記憶のままやばい奴ってのは一目見ただけでも分かる。
「予定はなかったけど来ちゃった」
そうジジイが右手を上げて一歩ずつ僕に近づいてくるが、僕もそれに対して一歩ずつ後ずさりをしてしまっていた。どうやってもこいつには勝てない。逃げるか助けを呼ばなければ。
そう辺りを見渡しても影のかかり出した敷地内には誰もいない。すると目の前の男は僕を宥めるかのように。
「今日は話をしに来ただけだからそんな警戒しないでよ」
相変わらずのニヤニヤとした気味の悪い面だった。それにエルシアの件で僕の精神状態が良くないせいか、植え付けられた実力差の事実のせいか自分でも足が震えているのが分かる。
「あの銀髪の子の事は残念だったね。私も色々手を尽くしたんだけどねぇ・・・」
僕の心を読んだのか目の前の男はエルシアの話を振ってきて、僕の心臓はその言葉に大きく脈拍を上げた。わざわざその話をするって事とこのタイミングで現れたって事は、絶対にエルシアの件はこの男が関わっているのは、今の焦燥した僕の頭でも分かる。
でもなぜここで僕に接触するんだという疑問が出てくる。黙って奇襲して僕を捕まえるなりすればいいのに、この男のやりたい事が一向に見えてこない。
「考え事は終わった?」
いつの間にか僕の後ずさる足は止まっていたのか、気付くと僕の目と鼻の先に男が見上げるようにしてその細い目で見てきていた。
そんな男で占められた視界に僕は指の一本も動かせずにいると、突然男は僕の肩と腕を触り出した。
「ん~筋肉は付いたっぽいし、前の怪我も治ってるかな?いやでもちょっと治り方がおかしいね」
ブツブツ何かが楽しいのか笑っていたけど、僕にはその言葉の意味を頭の中で処理できるほど冷静ではなかった。こんないつ殺されてもおかしくない距離で、僕の体は恐怖のせいか動かないし上手く魔法も用意できないと言う反撃手段も無い状況。今ナイフを突き刺されれば僕は叫ぶことも出来ずに死ぬことは確かだった。
「まぁまだ一年あるしね。頑張ってくれないと困るよ」
男が僕の肩をポンポンと叩くと、何故か男は僕の視界で小さくなるように一歩下がって僕から距離を置いた。その時やっと自分が呼吸を忘れていたのを思い出して、空っぽになった肺にむせながらも急いで酸素を送り込んだ。
「で、本題に入ろうか。って言っても大した話じゃないんだけどね」
そう目の前の男が一人で楽しそうに語る中、僕はむせるような咳を抑えながらも自分のナイフを取ろうと懐をまさぐったのだが。
「あ、これは預かったよ。平和的に行きたいからね」
ブレンダさんから預かっている大事な想いの籠ったナイフが、目の前の男が遊ぶようにして右手でブラブラと持っていた。それがあんな奴がと堪らなく許せなかったが、僕は一歩を踏み出す事が出来なかった。
それを見てか男は満足そうに頷くと、勝手に語り出した。
「君は知らないんだろうけどね。あの銀髪の子ってね、この国の王族の血を引いてるんだよ」
初耳の情報だった。エルシアからそんな素振りは感じた事も無いし、なんで田舎も田舎なラースの家にいたのか色々疑問は尽きない。
だがそんな驚きのお陰か、僕の止まった頭と乾いた口がやっと動き出した。
「・・・・それがどうしたんですか?」
分からない事は尽きないけど、今回エルシアがこのラインフルトの街にいた理由とか大臣を殺したって話と関係があるから、こんな話をわざわざしてきているんだろう。どうせ今の僕じゃ戦っても勝てないのは分かっているけど、この男を野放しにするわけにはいかないから戦わないといけない。
そう焦りながらも僕は魔法の準備だけしつつ、時間を稼ぐように話の続きを待ったのだが。
「で私はあの子の国を作ろうと思うんだ」
「・・・・・・・は?」
脈絡というか前後の情報が抜け落ちすぎていて、何も分からなかった。しかもそのエルシアは捕まっているし、事実と目の前の男の言っている事が食い違いすぎてて理解が追い付かない。
「でも捕まっちゃったんだよね。だから助けに行きたいんだけど」
男の背後では夕日が城壁の裏へと沈み辺りは暗くなっていた。でもその男の不気味なほど愉快そうな楽しそうな顔だけは僕には良く見えていた。
「君も手伝ってみない?だって助けたいでしょあの子の事」
男がそう言いながら僕に向かって右手を差し出して来た。
僕の助けなんて無くてもこの男一人の力でなんとか出来るはずなのに、なぜ僕を誘ってくるのか。どう考えても何か裏がある様にしか感じられなかった。
「ま、そういう反応にもなるか」
残念そうにする素振りも見せずに男はさっと右手を引いてしまった。
あっさり手を引くぐらいに分かっているならなぜ聞いて来たんだ。本当にこいつのしたい事が全く見えない。
「でも昔の君なら少しぐらいは、私の手を取るか迷うと思ったんだけどね」
まるで僕が非情な奴に変わったとでも言いたげな物言いだった。別に僕だってエルシアは見捨てたくないけど、今の現状でそんな判断が出来ないだけだ。なのにそんな言い方をされると腹が立ってくる。
「ま、ちょっと残念だけどそれはそれかな」
するとそれだけ言いに来ただけだったのか、僕から背を向けて歩き出してしまった。強く誘ってこないしで最後まで何が目的で僕に接触してきたかが分からなかった。
「あ、忘れてた。これ返すね」
そう少しだけ僕に振り返ったと思うと、さっき奪ったナイフを僕の顔面目掛けて投げナイフの要領で飛ばして来た。
そんな突然の攻撃に一瞬反応が遅れたが、僕も男の背後から石魔法を放てるよう準備していたお陰ですぐに魔法で顔面をガードすることに成功した。
そしてそのナイフと石がぶつかる甲高い金属音の後、急いで魔法を解除して視界を確保するが、そこには誰も居なくなってしまっていた。
「じゃあ一週間後にね~」
その声の主が見えない中、ただ残された言葉が日の沈んだ紫色の西の空に響いていた。
あのまま行かせて良かったのか。僕が今あいつを止めないとダメだったのではないか。今からでも追いかけないとダメなのでは。
そんな不安が胸の中を渦巻いていたけど、僕の足はそれ以上動く事が出来なかった。
そしてその不安を一週間の間抱いたまま過ごした。その間は普通に生活しているように取り繕えていたと思う。でもやっぱりずっと胸の中に何か引っかかったような気持ち悪さと、何もしていない自分に対してどこか焦燥感を覚えていた。
だけど僕は何も出来ないまま処刑の執行される日の朝を迎えた。今日は教官達も警備に駆り出されたのか、ランニングも無いようで朝は部屋で時間を持て余していた。
「大丈夫そう?」
冷え込んだ部屋の中で食堂で貰って来たお茶を飲んでいると、隣で勉強していたアイリスにそう話しかけてきた。この一週間しばしば僕の事を気に掛けていたりと、何かとずっと心配をしてくれていた。こんなに気を使わせてしまって申し訳ない。
「大丈夫だよ。それでいつ行く?」
「んー昼前には行こうか」
ペンを顎に当てながら何かを考えた後、アイリスは僕を見てそう言った。僕としても胃の中に物が入った状態で、エルシアが目の前で処刑されるのを見たら、吐いてしまいそうな気がするから助かった。
「無理はしないでね。帰りたかったらすぐ帰るから」
まるで母親だな。アイリスのあまりにもな心配っぷりにそう感じてしまった。自分では取り繕えていたと思っていたけど、案外そんな事なくて周りに気付かれてたのかもしれない。それすらも気付けない程周りを見えてなかっただけなのかもしれないけど。
「少しだけ寝るね」
「うん」
僕は少しでも気分を落ち着けようと、そう一人ベットに顔を埋めた。
起きたらすべて解決していないだろうか。何もかもヒーローが現れて全部まとめて助けてくれないだろうか。そんな淡い希望を抱きながら僕の瞼は落ちていった。
そしてその一時間後。僕は自業自得な苦しい現状と共に、重い足取りでアイリスと城前の広場へと向かって行ったのだった。
ーーーーー
「イリーナ姐準備は良い?」
最近は少しずつ話せるようになってきたイリーナ姐。それに心の声も増えてきて前の何も考えてない空っぽの状態よりは全然状態も良くなっている。
時間である程度なんとかなりそうだから、もう少しゆっくりして回復を待っていたかったけど、何か大掛かりな作戦でもあるのか皆慌ただしく遠征の準備をしていた。
「おいライサ!これどうするよ!」
すると使えそうだと思ったのかラースが持ってきたのが、寝室の隅に一か月前ぐらいから放置されたエルシアちゃんの剣だった。何かの戦利品だろうけど本人も触ってないから、ちゃんと見てなかったけど大分汚れている。
「でも手入れしてないっぽいし使えそうに無くない?」
ラース君からそれを受け取って鞘から出すけど、刃こぼれもしてるし少し錆びてもいる。それに少し血の匂いがして嫌だし、流石に今から研いだり手入れは出来ないし使えないかも。
そう私がラース君に剣を返そうとすると、その私の手をイリーナ姐が掴んだ。
「・・・どうしたの?」
そう私が問いかけたイリーナ姐の目は、見開かれてその剣をじっと見ていた。私はそんな突然のイリーナの行動に驚きつつ、何かあるのかと思い剣を譲る様に手渡した。
「これフェリクスの」
そうイリーナ姐がポツりと零すように言った時に私も思い出した。部屋の隅に放置されてたのもあってちゃんと見ていなかったけど、確かにフェリクスが良く持ち歩いてた剣と似ている気がする。
でもそうなるとこの剣についている血って・・・・・・。
「大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ。あいつは死んでない。迎えに行くって約束してるんだ」
そう剣を抜き身のまま抱き抱えるイリーナ姐は、ひどく取り乱して過呼吸になってしまっていた。そしてその抱かれた錆びた刀身には赤い血液が流れてしまっていた。
「お、落ち着いてって。まだフェリクスが死んだと決まった訳じゃないでしょ」
私だってこの剣の持ち主がフェリクスだって知ったら不安だ。でもそれ以上に取り乱しているイリーナ姐を見ると、否が応でも私は冷静にあろうとしてしまう。
「だから一回剣を放して?危ないからさ」
私がぐちゃぐちゃになりそうな己の心を抑え込んで、そう言ってもイリーナは聞く耳を持たずただ剣を抱えてしまっていた。口には出していないけど、心の中で死んでない死んでないと言い聞かせるように繰り返し呟いていて明らかに正常では無かった。
最近は落ち着いて来たけど、こうやって情緒がおかしくなる時は偶にあった。でもそれもあの頭のおじさんがいた時ばっかだったから油断してたけど、流石にフェリクスの死を匂わされると堰が崩れてしまったのか。
でも私までここで立ち止まっちゃいけない。今私がイリーナ姐を支えないとまた部屋に籠っていた時に逆戻りしてしまう。
「イリーナ姐!!しっかりして!!!」
私はそう無理やり刀身を握ってイリーナ姐から剣を取り上げた。その時私の手のひらも血まみれになったけど気にしてられない。
そうしてまだ剣に縋ろうとするイリーナ姐から、剣を離して鞘に入れると一旦ラース君に預けた。
「きっとフェリクスは生きてるから!しっかりしてよ!!」
私は血まみれの手をイリーナ姐の肩に置いた。私だってフェリクスの事は不安で心配で泣き出したいんだ。未だってフェリクスにに縋りたいんだし、それこそ昔みたいにイリーナ姐に縋りたいんだ。
なのになんでこんな風になってしまったんだ・・・・。
「おいガキども。時間だ」
でも何も解決できないまま、私達の迎えが来てしまった。イリーナ姐の事は移動中の馬車でなんとか落ち着かせるしかないか。
そう私は唸れたイリーナ姐を立ちあがらせて、ラース君と一緒に馬車へと乗り込んでいった。
「私が頑張らないと」
エルシアちゃんの様子もおかしい。イリーナ姐も頼りにならない。だから今私が頑張っていつかフェリクスと会う時に頭を撫でて貰って褒めてもらうんだ。
いつかその日が来ると思っていないと、私の心は保っていられない。今までだってそうして折れそうな心を継ぎ接ぎに縫ってきたんだ。
そうやって私たちの馬車はラインフルトという街への街道の上を、ガラガラと音を立てながら進んで行ったのだった。
明日は投稿が遅れるもしくは出来ないかもしれません。申し訳ないです。




