第七十四話 朝日
まだ空も暗く焚火の火が弱くなり出した頃。ヘレナさんとの会話を終え僕らは再び皆の寝ている野営地まで戻ってきた。
「まだ一睡もしてないですよね?僕が夜番してるので先寝ててください」
ずっと寝ずに色々やってくれていたけど、流石にヘレナさんはもう限界そうで、目が半分も開いてなかった。流石に治癒魔法もやって体力的にきついだろうし少しは寝て欲しい。
「・・・すみません、早速頼らせてもらいます」
多分あと2時間も寝れないと思うけど、そうヘレナさんは言い残して野営用のテントの中へと入って行った。目のクマも酷かったけど今日の行軍大丈夫だろうかあの人。
そんな事を思いながらこんな寒い中、外で寝てしまっている分隊員の子に毛布を掛けて回っていた。そしてそれも終えて暇になった僕は、消えかけてほとんど白く灰になっていた焚火に小枝をくべていた。
「・・・・・さっむ」
パチパチと火の燃える音がするけど、やっぱり深夜な事もあってか大分冷え込む。他の子は毛布を掛けはしたけど、風邪ひかないと良いのだけど。
そうして僕も毛布に包まりつつ、一応あの野盗たちが来ない様注意している内に段々と東の空が紫色になってきた。
「・・・・ねむ」
寝たい時に寝ようと思っても寝れないくせに、日の出あたりに眠くなり出すのはなんなんだろうか。それに徹夜した時特有のフワフワ感があるし、今日の訓練ちゃんと出来るか心配だ。一応魔力欠乏の症状は落ち着いて来たからなんとかなると思いたいが。
そう焚火をボーっと眺めて時間が経つのを待っていると、ふと視界端で一人の人影が動いた。
「・・・・・あ、おはよう」
どうやら起き上がった人影はハインリヒのようだった。とりあえず挨拶をしたけど、銀髪だからか焚火の明りだけでもすぐにハインリヒだと分かった。
でも寝ぼけているのか眼鏡を掛けていないせいか、僕の挨拶に反応せず起き上がってボーっとしてしまっていた。
「大丈夫?」
僕はそんなハインリヒに近寄って、様子を確かめようとするとやっと頭が働き出したのか眼鏡を探す素振りをしていたが、結局ポケットに入っていたのか取り出して掛けていた。
「ん?あ、フェリクスか」
眼鏡を掛けても見えずらいのか眉間に皺を寄せて僕を見てきていた。随分顔に疲労の色が見えるから、やっぱ昨日の戦闘が響いているのだろう。
「うん。なんとか大丈夫だったよ」
「良かったよ」
起き上がったハインリヒに僕は屈んで視線を合わせていたが、それ以上会話が続かなかった。それにハインリヒと微妙に視線が合わないし何かやってしまっただろうか。
と、そんな事を思いつつもあの後聞いたヘレナさんの話を思い出していた。どうやら僕への治癒魔法に、ハインリヒが手伝ってくれたおかげで助かったらしい。だからお礼言っておかないとな。
「治癒魔法ありがとうね。教えて早速実戦で出来るなんて流石だね」
「あ、あぁ。そうだな」
ハインリヒはなぜか微妙な反応というか、上の空な返事だった。僕がアイリスを助けに行くのに巻き込んでしまったのを恨んでいたりするのだろうか。せっかく治癒魔法してくれたんだから何かお礼をしたいんだけど、ハインリヒはあんまり僕と話したそうに無いな。それに自己満足的なお礼の押しつけは良くない。
そう僕が色々思案を巡らせていると、突然ハインリヒが一度深呼吸して自分の頬をパチンと叩いた。
「・・・・・そのだな。すまん」
「ん?何のこと?」
何か恨み言でも言われるのかと身構えたのだが、そんな突然の謝罪に驚いてしまった。今日はやけに人に頭を下げられる日だな。
そんな意味の分からず混乱する僕を置いてハインリヒは右手を差し出してきた。
「これからも仲よくしてくれると嬉しい」
「・・・・?」
寝起きなせいかハインリヒが何を言いたいのか分からない。だがまぁ僕に対して怒って無いようで良かった。
そうハインリヒが差し出して来た右手を戸惑いながらも握り返した。
「よ、よろしくね?」
まぁなんでもいいか。別に何もなかったって事だろうし、ハインリヒが元気そうなら何よりだ。
「あ、ちょっと薄いかもだけどハーブティー飲む?」
眠気覚ましにとカールの店で買ったハーブを持ってきていたのだ。ちょうど手持無沙汰で焚火で水を沸かせていたから、二人分ぐらいならすぐ用意できる。
そう僕はこっそり持ってきていた小さなティーカップを取り出した。
「お前よくその荷物で持ってきてたな」
そんな風にハインリヒに呆れられはしたが、まだあまり手慣れては無い手つきでハーブティーを用意してハインリヒに差しだした。
「熱いからね気を付けて」
ティーカップは割と高かったから熱くて落とされたらたまったもんじゃない。そうゆっくりと手渡して、二人して焚火を前に座ってハーブティーに口を付けた。
あまり知識は無いが多分ローズマリーとかその辺の種類のハーブティーだとは思う。人によっては好き嫌いはあるかもしれないけど、僕は割と好きな種類の物だ。
「・・・どう?」
僕は大丈夫かなと恐る恐るハインリヒの様子を窺うと。
「温まるな」
白い息を沢山吐きながらハインリヒがそう答えてくれた。でも表情は和らいでいるし、嫌いな味というわけではなさそうで良かった。それに貴族だからなのか僕よりも飲み方が洗練されているというか、手慣れている感じがする。やっぱイメージ通り貴族の人ってお茶会とかするのだろうか。
「もう一杯貰っていい?」
「ん?あ、ちょっと待ってね」
僕はハインリヒが差し出して来たティーカップを預かって、また水筒から水を取り出して沸かし出した。流石に沸かすのは軍の支給品でやってるから、本物より風味が落ちたりするのかもしれないけど気に入ってくれて良かった。いや気を使って・・・・いやあんまり考えないでおこう。僕のダメなとこが出てる。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
そうハインリヒに手渡し、自分のティーカップにもまた淹れなおした。あんまり会話は無いけど、こうやって焚火を眺めてお茶を飲むだけの時間も悪く無いかもしれない。
そうやってしばらくは昨日の事がまるで嘘みたいに落ち着いてゆっくりと時間が流れいた。
そしてその時間が流れ続け、僕らがハーブティーを飲み終わったぐらいに、また一人眠りから覚めたのか起き上がった。
「・・・・・おはよう」
少し離れた所で目を擦りながら起き上がるアイリスに、僕は少しの緊張と共にそう挨拶をした。ヘレナさんに聞いた感じだと大分気に病んでいるようだったけど、正直僕がどうやって対応すればいいかまだ分からない。
「・・・・・・お・・・・はよう」
寝起きだからか少し舌足らずな感じでそう返事をしてくれた。以前寝起きに話した時はもっと攻撃的だったけど、流石に昨日の事で落ち込んでしまっているのだろうか。
そう思ってなんとかフォローしないと、と僕はティーカップを置いてアイリスの元へと歩み寄った。
「ケガは大丈夫だった?」
僕がそう聞くとアイリスの肩が大きく跳ねた。やっぱり気にしてしまっているようだった。僕はハインリヒや他の分隊員がいる事も踏まえて、あまりプライバシーに踏み込まないように言葉を選ぼうとしたのだが。
「無事でよかったよ。これからの野外訓練も頑張ろうね!」
結局どう慰めればいいか分からず、そんなありきたりな事しか言えなかった。そんな僕のひねり出した思いやりも意味は無く、目の前のアイリスは視線を落としゆっくりとそして確実に頭を地面にこすりつけた。
「・・・・・・ごめんなさい」
それ以上アイリスは何も発さず頭を地面に擦り続けるだけで、僕らの間に気まずい沈黙が流れ続けていた。僕はハインリヒの方に助けを求めるように視線を送るが、ハインリヒにもどうにも出来ないのか肩を落とされてしまった。
「気にしてないし、結果誰も死んでないからさ。ほら頭上げて?」
そうアイリスに呼び掛けてみても頭を上げようとせず、ただ肩が震えながらも頭を地面から離そうとはしてくれなかった。
どうやったら頭を上げてくれるだろうか。今アイリスが僕に何を求めているかが分からない。でもどちらにせよこうやって土下座させ続けるわけにはいかない。
そうアイリスの肩を掴んで無理やりにでも姿勢を起こそうと、両腕を伸ばした時。
「・・・・・助けてくれてありがとう」
その言葉で伸ばしかけた腕が止まった。
そのアイリスの発した声が涙声だったせいだからかもしれない。僕が直球に感謝を言われて戸惑ったせいかもしれない。でもその言葉で僕は腕に込めた力を抜き、ポンっとアイリスの肩を叩いた。
「どういたしまして」
そして力を入れることなく、そっと肩を押すとアイリスは地面から頭を離して姿勢を上げてくれた。本人として言っておきたい事は言い終わったって感じなんだろうか。
でもそうやって起き上がったアイリスの顔を見ると、昨日の事もあってか髪の毛もボサボサで前髪どころか額にまで土がついて汚れてしまっていた。
「って前髪ひどい事になってるよ」
僕はそうアイリスの前髪に着いた土を払おうと手を伸ばすが、すぐにその手をアイリスに払われてしまった。
「い、いい。自分でやるからこっち見ないで」
文面だと強い口調だけど、その言い方的には棘は無かったし、単純に恥ずかしくて見られたくなかったのだろう。少しは調子が元にに戻ったようで良かった。
そう僕は背中を向けてしまったアイリスに向けて言った。
「川あるから顔洗いに行く?」
僕のそんな提案にしばらく固まっていたけど、アイリスは少しの後承諾したのか一度コクっと盾に頷いてくれた。
「じゃあタオル持ってくるから行こうか」
僕はアイリスを一瞥しつつ、タオルをテントの中から引っ張り出したのだが。
「あれいない」
さっきまでアイリスがいたはずの場所にその姿がなかった。また何かあったのかそう焦りそうになったが、ハインリヒが僕の肩を叩くと。
「先行ったぞ。あとティーカップとか洗うだろ。俺も行くよ」
振り返るとハインリヒが、わざわざ気を使ってくれて先にティーカップやポットなどを纏めてくれていたようだった。
流石頼りになると思いながら、僕はハインリヒと共に川へ向けて森を少し歩き出した。
「別にそんなに焦らなくてもいいのにね」
僕と顔を合わせるのが気まずいとかそういうのだろうけど、怒ってないんだからそんなに使わなくていい気を使って欲しくない。
だが隣を歩くハインリヒはアイリスの気持ちが分かっているのか、少し声を落として。
「多分別の理由だと思うんだけどなぁ」
「そうなの?」
僕がなんでなのか理由を聞こうとしたが、その時にはさっきの様に川のせせらぎと水面が目前まで迫ってきていた。
なので一旦会話を終わらせた僕らはそのまま河原に出た。
「あそこにアイリスか」
どうやら川の水で顔を洗ってるらしく、そこまで離れた場所にいるわけではなさそうだ。僕はそれを確認して安心すると、ハインリヒに向かって。
「じゃあ洗い物終わらせようか」
そう言ってハインリヒの持つティーカップを受け取ろうとしたのだが、ハインリヒは僕からティーカップとかを離すようにして言った。
「・・・・いや、フェリクスはあっちに行った方が良いと思うぞ。俺が洗っとくからさ」
ハインリヒの視線の先では相変わらずアイリスが顔を洗っていた。彼なりに気を使って昨日の事含め清算しておけって事だろうか。
僕はそう受け取って感謝しつつハインリヒに洗い物を任せ、少し歩きずらい河原を進んで行った。
「アイリス。これタオル」
僕がそう呼びかけると屈んだアイリスがこっちを見てきた。その目元は泣き明かしたのか赤くなっていて、どれだけ気負って昨晩泣いていたのが分かってしまった。
そしてその顔は本人からしたら見られたくないのだろうなと、アイリスの頭にタオルを被せて隣に座った。
「もう落ち着いた?」
視線をアイリスに向けない様対岸の木々の間を見つめながらそう問いかけた。
「・・・・・うん。多分」
相も変わらずいつもの毒気は消えて、弱々しく今にも消え入りそうな声色だった。いつもはあんなに棘があるのに、ここまで崩れてしまうものなのか。
「怪我は大丈夫?」
タオルを頭に被せて水気を拭いていたアイリスが、気になるのか川水の流れる音に負けそうなぐらい小さくボソッとそう聞いて来た。僕はそれを何とか拾うと、アイリスに変に気負って欲しくないからと、色々考えながら。
「大丈夫だよ。ほらもうこんなに肩上がるし!」
そう僕は右肩を大きく天に掲げた。どっちかって言うと偏りも背中の方がまだ痛いけど、まぁ大丈夫だとアピールしたいだけだしそこは良いか。
そう思いながらアイリスの反応を窺ってみるが、やはり浮かない表情のままだった。
「・・・・そう、良かった」
それに僕が変にテンションを上げているせいか、どこかアイリスがよそよそしかった。ここまでしおらしいと本当にに話しずらいな。
それに対して、どうしたものだろうかと僕が考えていると、何か意を決したように胸に手をやってアイリスが僕を見てきた。
「こ、今回の事もあるけどさ。私って色々貴方に迷惑かけてきたじゃん」
緊張しているのか少し声が上ずっていたが、今までと違いちゃんと声を張って僕にそう言ってきた。僕はその質問に頷いていい物か悩んだが、話を進めるために軽くうなずいて続きを促した。
「だからさ。貴方がやめろって言うなら学校辞める。・・・・いや言わなくても辞める。それなら私なんかとペア組んで同室にもならないしさ」
話していく内に頭にかかっていたタオルが落ちてきて、アイリスの顔が隠れてしまって今どんな顔をしているのかが分からなかった。
でもある程度スムーズにその言葉が出てきたってことは、昨日から自分なりの責任の取り方として、そんな事を考えていたんだなとそれは分かった。だとしても僕はそんな事望んでいないのだが。
姉妹揃って責任感が強いと言うか、極端な考え方になりやすいと言うかやっぱ似ているんだな。そう思ってアイリスの頭に乗ったタオルを掴んだ。
「やめるのはダメ。ちゃんと卒業して」
僕はそう言うのと共にアイリスの頭からタオルを取り払った。でもアイリスは更に顔を下げてしまって、表情は未だ窺えず垂れた髪からの物なのか水が、一粒また一粒と滴っていた。
「で、でも私散々迷惑かけて、昨日のだって自業自得だし、、、、」
そんな泣きそうな声でアイリスは自分を責めだそうとしていた。だから僕はそんなマイナス思考を無理やり終わらせようと、アイリスの頭にタオルをかけて水気を取る様にワシャワシャとしだした。
「え、え、ちょ、ちょっと!なに急に、って待って!」
そんな風に突然の僕の奇行にアイリスは戸惑っていたが、狙い通り一旦この重い空気はどこかへ行った。僕はカウンセラーでも何でもないんだから、アイリスの求める答えなんて出せない。だからせめて前を向けるように手伝うだけだ。
「いいから気にしないの。いつもの唯我独尊っぷりはどこに行ったの」
「そんなの言われたって、そのせいでフェリクスが・・・」
初めてアイリスに名前呼ばれた気がする。いやまぁそんな事は置いといても、アイリスが謝って僕が許したんだからいい加減シャキッとしてほしいんだが。本人としては納得がいかないんだろうな。
「これ以上それすると怒るよ。僕が良いって言ってるんだからこの話は終わり!いいね!?」
僕はそう言うと共に、タオル越しにアイリスの頭を掴んで顔を上げさせた。随分ひどい顔で泣いてしまっていたらしい。
「・・・・・そんなので良いの?私は何も罰を貰ってないのに」
この時やっと、アイリスは僕に怒ってほしかったのではと分かった。自分のやった事が責められる事で、それがアイリスにとっての贖罪になるって考えてたのかもしれない。気持ちは分からなくは無いが、本当にヘレナさんと姉妹って分かる性格だな。
「じゃあ今度勉強教えてよ。まだ遅れ気味だし分からない事も多いからさ」
妥協案としてそう言ったのだが、やっぱり求めていた罰では無いようでアイリスは視線を伏せてしまっていた。かといって罰とか求めてないし、僕は少し面倒くさいなと思いつつ目を覚まさせるように、アイリスの頬を両手で挟むように叩いた。
「良いって言ってるから良いの!!これ以上粘るの禁止!!良いね!!!」
僕はそう言い放って頬から手を離すと立ち上がった。これ以上考え込ませたらどんどん負のスパイラルに入っていきそうに感じたからこうした。
すると丁度川上の方から日の出が見えてきていた。そんな朝日に眩しくなって目を伏せながらも左手をアイリスに差し出した。
「ほら行くよ!朝礼始まるからさ!」
これ以上話しても多分根本的に解決しない。だからもう時間に解決してもらおう。そう思って僕は一旦この場を収めようとしていた。
すると恐る恐ると言った感じでアイリスが僕の左手を取ってくれた。
「・・・・・うん」
まだアリスの顔には戸惑いの色は抜けていない。でもこれから前を向いて行けるようになればいい。今は罪悪感で一杯だろうけど、それも時間が希釈していつかは周りや自分と向き合えるようになるはずだから。
「じゃあ立って!遅れるよ!!」
アイリスの抱える色んな物を少しでも振り払うようにして、僕は朝日を浴びながら精一杯アイリスの手を引っ張った。




