第七十三話 ひとりじゃない(3)
※ 前話(七十二話)の最後の会話部分を一部修正加筆しました。
エルム村での夢を見ていた。
いや夢というより記憶の方が正しいだろうか。ブレンダさんが僕が転生者であると打ち明けた時の事を鮮明に思い出していた。
あの時は自分一人で転生者である事を抱えて、それを抱えきれずに耐えれなくなって自滅する。そんな未来もあったかもしれない。でもブレンダさんはそれを吐き出させてくれて、そんな突拍子も無い話を笑わずに受け止めてくれた。そのお陰で父さんとも母さんともちゃんと向き合えたし、ブレンダさんには今でも感謝している。
だからいつか自分と同じような境遇は無いにしても、同じように一人で抱えて悩んでいる人がいたらブレンダさんの様に助けてあげたい。そう思って誰かの為になればと生きてきたつもりだった。
だから今回のアイリスの事を僕の人生の最後に守れて良かったそう思える。ブレンダさん含め色んな人に助けられて生きたこの命を、また誰かの未来の為に使えたのなら、これであの世でブレンダさんに会ってもちゃんと面と向かって話せる。
そう思っていたんだけど。
「まだ早いですよ」
希望か願望か、短い夢の中そんな声が聞こえた時。僕の意識は覚めていったのだった。
ーーーーー
僕の世界に最初に入ってきたのはパチパチと焚火の燃えるような音だった。それと共に自分のだろうか寝息が聞こえ、閉ざされていた瞼の裏に何か暖かい光がうっすらと届き始めていた。
「・・・・・・・・?」
そしてそんな外界からの刺激から、段々と意識がはっきりして目が開いていった。だがその開かれた視界は、ぼんやりとして世界がモザイク状になっていてまだ良く見えなかった。
そんな中どこからか声が聞こえてきた。
「良かった・・・・本当に良かった」
その声は僕の真上から聞こえてきていた。そしてその声の方へ未だぼんやりとする視界を向けると、僕の目の前に影がかかった。するとその影はシトラスの香りと共に近づいてきていた。
「体調は大丈夫ですか?」
その影が再び声を発したかと思うと、その声はヘレナさんの物だと今更ながら気づいた。段々とクリアになっていく思考の中、ヘレナさんは僕の頭を撫でたかと思うと衣擦れの音共に立ち上がった。
「ちょっと待っててくださいね。水とってきます」
そうヘレナさんは言ってどこかへと行ってしまうと、さっきまで僕を包んでいたシトラスの香りがフッと消え、今度は土の匂いが鼻まで届き始めていた。
「ここは・・・」
僕はその足音を追うように鈍く重い体をゆっくりと起こした。未だ視界はぼやけているが、鮮明になるよう眉間に皺を寄せていると、僕の左手に何か暖かい感覚が残っているのに気づいた。
「アイリス?」
段々と見えてきた視界の先には座ったまま寝てたアイリスの姿がそこにはあった。アイリスとヘレナさんで僕の傷を治癒してくれたのだろうか。
「・・・でも無事で良かった」
アイリスの傷は治したけど意識が回復するまでは確認できなていなかった。少し血色は悪そうだけど生きていてくれてよかった。
それにハインリヒやルイスの奴も気になる。そう思って立ち上がろうとしたのだが、踏ん張る事すら出来ずにふらついてしまった。
「・・・っと」
そして激しく視界が揺れ立っている事すらままならなくなった僕は、重力に身を任せるように再び地面にへたり込んでしまった。
おそらくだけどこの感じだと案の定貧血症状だけど、これだけ酷いと魔力欠乏の症状もありそうか。立ち上がってから吐き気も酷いし、頭もズキズキと痛み続けているしこれは訓練続けれるか怪しいな。
「きっつ」
そう頭を押さえながら周囲を見ると、かなり深夜なのか他の分隊員の子達も既に寝てしまっていた。そこには僕から少し離れた所にハインリヒの姿を確認して安心したが、ルイス達の班の姿が見えなかった。
結局あの野盗が何だったのか事情を聴きたかったのだけど、まぁそれは後々で大丈夫か。
そしてそうこうしている内にもヘレナさんが戻って来て、僕に水筒を手渡してきてくれた。
「体調は大丈夫そうですか?」
水筒を受け取った僕が喉を鳴らして水を一気に飲んでいると、ヘレナさんがそう心配そうに覗き込んで聞いて来た。僕はその質問に一度水筒から口を離して、肩に手をやりながら。
「魔力欠乏の症状がきついですね。背中は違和感はありますけど痛みは無いです」
あの僕の魔力残量でよく治癒魔法をかけれたなとは思う。実際今の僕は魔力すっからかんだし限界まで、ヘレナさんの魔力の治癒魔法で何とかしてくれたんだろうな。
するとヘレナさんは僕の背中の傷が心配なのか、後ろに回って背中をさすってきた。
「すみません。私がいながらこんな事に・・・・」
そう申し訳なさそうに声のトーンを落としてしまっていた。僕はそんな空気感が嫌で話題を変えようとした。
「ルイスの奴はどうしたんです?」
「え?あぁ治癒だけして先に帰らせました」
戸惑いながらもそうヘレナさんが答えてくれた。やっぱりルイスの奴が何かしてたんだろうな。人死にが出なかったからいい物のよくあそこまでやるな。
そう思っているとヘレナさんが聞き忘れた事があるのか、思い出したように。
「訓練は継続出来そうですか?先に帰る事も可能ですけど・・・」
体調的にはすぐにでも帰りたい。だがここで帰ると来年の野外演習まで待たないといけないし、そんな余裕はない。今すぐにでもライサ達を助けないといけないのにモタモタはしてられない。
「いえ続けます。ヘレナさんのお陰でケガは治りましたしね」
僕は後ろで背中をさすっていたヘレナさんに向き直ると、治癒魔法のお礼と共にそう伝えた。ヘレナさんの表情を見てもかなり疲れてやつれているのは伝わってくるし、こんな時間まで僕の様子を見ていてくれたんだ。まさに命の恩人で頭が上がらない。
「妹の命の恩人ですしね。それに私は監督者です。貴方が怪我を負った時点で私の責任なので気にしないでください」
そう言って疲れた顔を隠すようにして笑うとヘレナさんは再び立ち上がった。
「じゃあ夜番してるので寝ていてください。明日から野外訓練は再開するのでね」
そう言われても僕も眠気なんて今更あるわけもないし頭痛やら吐き気で寝れるわけがない。だったら気を紛らわした方が良いと、それを追いかけるようにして僕も立ち上がった。
「せっかくですし話し相手になりますよ。まだ夜は長いでしょうし」
そう言って東の空を見てもまだ濃い紺色で、太陽はまだ遠く月と星だけがその空を照らしているだけだった。
そんな事を言った僕に対してヘレナさんは、仕方なさそうに困った笑みを浮かべると。
「じゃあここだとあれなので歩きましょうか」
そしてヘレナさんは体調が悪くなったらすぐ報告する事を条件に、皆から少し離れて近くを流れる小川の所まで一緒に歩いて行ってくれた。
その道中段々と聞こえてくる川のせせらぎと、月明りだけ頼りに森の中を進んで行った。そしてその途中僕が気絶した後の話を聞いたが、僕の治癒を終えたヘレナさん達が洞窟内をどうにか確認したらしい。でもその頃にはもぬけの殻で、部屋の角にあった小さな抜け道から山の向かい側に逃げたのだろうという話だった。
「そこに剣は落ちてました?」
「いや、一応洞窟内は確認したが無かったですね」
あの洞窟内に入れたなら父さんの剣が帰ってくるかもと、期待したけど多分あの野盗に持ってかれてしまったのか。せっかくあの剣が人の為に振るえたのに、すぐにどこかへやってしまうなんて、これは父さんに怒られるな。
「・・・・大事なものでした?」
僕が少し残念そうに話を聞いていると、ふいにヘレナさんがそう聞いて来た。
「えぇまぁ。形見のようなものですし」
正直にそう答えたが、それを聞いてヘレナさんが申し訳なさそうに黙ってしまった。別に責めているわけじゃないしヘレナさんのせいでも無いからそんな気負わなくても良いのに。何でも自分のせいと思っている節があるな、そう思いながらも僕から話を切り替えた。
「アイリスは大丈夫でした?さっき見た感じは大丈夫そうでしたけど」
するとヘレナさんは少しの間考え込んだ後、まぁいいかと頷いて話し出してくれた。
「フェリクス君が眠ってる時は貴方の手を握ってとにかく謝り続けてましたね。あの子自身魔力が残って無くて何も出来ないのが辛かったんでしょうね」
あのアイリスがそんな事をするイメージは無いけど、そんなに心配してくれていたのか。また明日謝っておかないとな。
そんな事を思っている内にもヘレナさんは言うべきことがあるのか、真面目そうな雰囲気を作って。
「私はアイリスと姉妹仲が悪く暫く会話もありません。だから適当な事を言っているのかもしれませんが」
目の前に小川が現れ月明りが僕らを照らし出した時、ヘレナさんがそう前置きをして話した。
「あの子はあぁ見えて責任感が強い子です。自分のせいでこんな事にとかなり負い目を感じていると思います」
そう隣に立っていたヘレナさんが僕に体を向けて、真っすぐと目を見てきた。青白い月明りと、それを反射する川の水面の光でヘレナさんの髪が深い紺色に見えていた。
「だからあの子が貴方に謝罪をしてきたら、どうか許してくれませんか」
ヘレナさんはそう言うと共に髪を揺らして頭を下げてきた。それが姉としての義理を通したのか、ただ妹を思いやっての行動かは僕には推し量れない。
でも僕に元々アイリスを恨むような感情は持ち合わせてないし、自分の怪我は自分の責任で負ったものだ。だからそんな頭を下げてまでのお願いは必要ないと口を開いた。
「頭を上げてください。ヘレナさんが頭を下げなくても、元々アイリスの事を許さないつもりなんて無いですよ」
僕はそう言ってヘレナさんが頭を上げるのを待っていた。でも姉としての責任感なのか教官としての義務なのか、頭を下げたままヘレナさんは言った。
「・・・・・・ありがとうございます」
そうヘレナさんが言ったものの未だ頭を上げる事をしてくれず、一向に目が合わせることが出来なかった。
「まずは頭を上げてください」
ずっと自分の命の恩人に頭を下げさせている現状が耐えれず、僕はそう言ってヘレナさんに頭を上げるように促した。
するとヘレナさんは渋々と言った感じで頭を上げ、垂れた髪を耳に掛けて言った。
「・・・・・・情けないですね」
気まずそうにそう言ってヘレナさんは、僕から背を向けて川へと向かって歩き出した。どうしたのかと思っていると、そのまま川ぎりぎりの所で立って腕を伸ばしたかと思うと。
「私の人生って失敗してばっかなんですよね。仕事も家族も人間関係も」
そんな自嘲しながらもヘレナさんは後ろで手を組むと、ぎこちなく微笑んで僕の方を振り返ってきた。
「だからなんですかね。私が今貴方にどう言えば良いのか言語化出来ないのは」
僕はそんなヘレナさんになんて声を掛ければいいのか分からず、ただ押し黙ってしまった。でもそんな重い空気感と対照的に、暗闇の中川の水面がキラキラと反射して眩しかった。
「姉らしい事でもしようと思ったんですけどね。いっつも私のやる事成す事結局無駄骨で自己満足でしかない。本当にダメな人間ですよ」
ヘレナさんの自分を卑下すような言葉に「そんな事は無い」そう言おうとしたけど、さっきの自分の発言を思い出して軽率に慰める言葉を発する事が出来なかった。まさに僕の発言でヘレナさんの行動を無駄骨にさせてしまっていたからだ。
でもそんな黙ってしまった僕に気を遣ったのか、ヘレナさんが気まずそうに笑うと。
「すみません。私めんどくさいかったですね」
そう言って一歩一歩僕の元へと近寄ってきたかと思うと、そのまま僕の脇を通り過ぎようとしてしまっていた。
でもこのままじゃ昔の僕のように一人で押しつぶされそうになってしまう。そう感じて通り過ぎようとしたヘレナさんの左肩を掴んだ。
「・・・・完璧な人間なんていないと思います。でも僕の見てきたヘレナさんはそうあろうと頑張ってた素晴らしい人だと思います」
用意した言葉じゃないから上手く伝わらないかもしれないけど、ヘレナさん自身が思うほどダメな人間じゃない。むしろ立派な人なんだと、そう伝えたかった。でもそんな想いも伝わらなかったのか、困ったように笑ったヘレナさんがただ一言。
「・・・・・ありがとうね」
そして考えるようにしてヘレナさんは立ち止まって空を仰いだ。そのまま白い息を吐いて天に昇らせたかと思うと。
「でも私は完璧じゃないとダメなの。それが大人である私の責任だから」
そう言ったヘレナさんの目は月の光を反射しているせいか強い意志が感じられた。
そんな完璧主義がヘレナさんなりの生きる上での矜持なのだろう。それが彼女が生きてきた経験からくる考えなのも分かる。
でもそんな生き方はいつか自分を壊す。全部自分の責任だって抱え込むのが自分にとっても周りにとっても駄目な事なのは、僕の今までが良く分かってるつもりだ。だからその独りよがりな完璧主義はいつか身を滅ぼす。
そんなどこか昔の自分と同じ危うさを感じた僕は、ヘレナさんの肩を掴む力を強めた。
「じゃあ僕に肩を貸させてくれませんか」
ブレンダさんが僕にしてくれた様に出来るかは分からないけど、僕なりにこの人が立っていられるように悩みを聞いて支えてあげたい。そう思って言ったのだが、少しだけ瞳孔が開いたヘレナさんが首を動かし僕の方を見てきた。
「・・・・・君はまだ学生でしょ」
「じゃあ学生じゃなかったら良いんですか?」
そう言うとヘレナさんは困ったような表情を浮かべて頬を掻いていた。今のが断る口実なのは分かってるけど、お節介で僕はまだ踏み込む。
「一人でなんとか出来なかったから、今までヘレナさんの言う失敗をしてきたのではないんですか?」
すると頬を掻いていた指を止め、ヘレナさんが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。そんな反応をさせてしまうのは言う前からも分かっていたけど、ここで引くわけにはいかない。
「それでも完璧でありたいと言うなら、誰かを頼っても良いんじゃないんですか?」
「・・・・それは」
どんな心情でヘレナさんがこれまで生きてきたのかは分からない。でもこれまで色々な苦労を積み重ねた上で、そういう考えに至ったのだろうなとは理解出来る。それも良い事だとは思うけど、今のやつれたヘレナさんは見てられない。彼女のその生き方は明らかに呪縛になって足を引っ張ってしまっている。
「あまり一人で抱え込まないで、相談するだけでもいいので僕を頼ってください。貴女が何と言おうと僕の命の恩人は貴女なんですから、恩を返したいんです」
そう言いながらヘレナさんの左肩を強く握り過ぎていた事に気付き、僕は慌てて手を離した。するとヘレナさんはその左肩をさすりながら。
「・・・・・結局私もアイリスと一緒だったのかもね」
何のことか。そう聞こうとするとヘレナさんがフッと笑って突然両手で僕の右手を取ったかと思うと。
「私はめんどくさいですよ」
ヘレナさんは視線を逸らしつつも確かに僕の手を取ってそう言ってくれた。
「頼ってください。それぐらい応えて見せますよ」
僕がそう言うとさっきまでの不安そうな顔から一転、ヘレナさんがぎこちないながらも口角を上げたかと思うと。
「じゃあ精一杯もたれかかるからね。自分で頼れって言ったんだから逃げないでね」
そう言ったヘレナさんは僕の右手を強く握りしめていた。昔ブレンダさんが僕にしてくれた様に一人の抱え込んだものを吐き出せたかと思うと、感慨深い様な誰かに返せて良かった安堵感の様な、そんな物を感じていた。
「もちろんですよ。男に二言はありません」
目の前のヘレナさんはまだ戸惑いや不安が残っているのか、作ったような笑みを張り付けていた。でもそれが彼女なりのけじめか決意なのか。そう受け取って僕も精一杯笑ってそうヘレナさんに応えた。
明日は投稿時間を23時にさせていただきます。申し訳ありません。




