第六十五話 人違い
「久しぶりだね。外は楽しい?」
そう言っていたエルシアの表情は一切動くことのなく目は暗く深く沈んでいた。だがそれもすぐに作ったような笑みを浮かべたと思うと、一歩また一歩と近づいてきていた。
そして僕らを照らしていた西日をエルシアの銀色の髪が覆った時、僕はその顔から表情を察する事が出来なくなっていた。
「まぁ驚くよね。イリーナから私たちの事聞いてたのかな?」
後ろで手を組んだエルシアは僕を下から覗き込むようにしてきた。その顔はまさに妖艶と言う言葉が合うような笑みを浮かべていた。昔一緒に居た時のエルシアとは、まさに別人ともいえる雰囲気を纏っていて、僕の知るエルシアと同一人物は思えなかった。
「んー?どうしたのかな?罪悪感で言葉が出ないとか?」
僕はその得体のしれない何かから距離を取るように、姿勢を低くして一歩引いたのだが。それを逃がすまいとエルシアは、僕の襟元を掴んで壁に押し付けてきた。
「逃げたらダメだよ~」
股に足を入れられ首元を腕で抑えられた僕は、身動きも取ることが出来ずエルシアの濁った瞳から目が離せなくなっていた。
「・・・・ど、どうしたの?」
精一杯の引きつった笑みと共に、そう言うのが僕の限界だった。だがそんな僕を見てエルシアは、甲高い声で笑うと僕の首を抑える腕の力を強めた。
「まぁお前って無自覚で周りに迷惑かけてるしね。分かるわけないか」
エルシアの言ってる事も言いたい事も全く見えてこなかった。そんな僕を見透かしているのか、エルシアは吐息が感じられるほどの距離まで顔を近づけてきた。
「お前が逃げてから私らがどうなったか知ってる?お前のせいでイリーナがどうなったか知ってる?」
「・・・まだ盗賊の所にいるって事?」
ヘレナさんの話だとそうだと思うが、ならなぜここにエルシアがいるのかが全く分からない。それにイリーナはどうしたんだ。僕と別れるまでは何も無かったのに、何かが起きたのだろうか。
「それよりひどいね。ラースとライサの奴はずっと暗くてキモいし、イリーナも引きこもっちゃったしね」
エルシアの言った内容も受け入れがたい事だったけど、何よりその内容を語るエルシアは待ったく表情を崩すことなく、うすら寒い笑いを浮かべ続けていて怖かった。
「ま、それも私にとってはどうでもいいけどね」
そうエルシアが言うと共に、西日が城壁の向こうへと沈み辺りは暗くなっていった。そしてそれと同時にエルシアの表情も暗くなり、まつ毛が当たりそうな距離で銀色の瞳は鈍く暗く光って僕を離すことなく見ていた。
「エマちゃんの事もあるけど、何よりも私が許せないのは、、、」
更に首を絞めつけるように僕を壁に押し上げて、エルシアの左腕が食い込んできた。そしてエルシアは聞いたことも無い様な低く濁った声で。
「お前が私からフェリクスを奪った事だよ」
「・・・・・・・?」
僕を僕から奪う・・・?
全く抽象的で説明が足りてなくて、僕にはその言葉の意味が理解できなかった。だがそんな僕を置いてエルシアは話を続けていた。
「だから早く返してほしんだけどね~。でもここだとあいつが邪魔するから」
そうエルシアがどこかに視線を向けていたが、僕はエルシアから目を離す事が出来なかった。そしてゆっくりと僕に視線を戻すと。
「ま、結局元に戻るだろうし何でもいいんだけどね。次もお前だったら私がどうなるか分からないけど」
話ながらも表情が笑ったり暗くなったりコロコロと変わっていて、全く目の前の人物の情緒が掴めなかった。だがそんな僕を意にも返さないように、エルシアは僕の耳元に口を近づけると。
「あいつはお前が卒業するのを待ってる。だからそれまでに強くなることだね」
そう言ってニコッと笑うと僕の首を抑える力を弱めて、やっとエルシアは解放してくれた。僕は首元をさすってそんなエルシアを見ていると、後ろに手を組んで僕を見上げるようにして。
「出来るだけこの先の情報知っておきたいから、さっさと死なないでね迷惑だから」
そう言い残して日の沈んだ方へと歩き出したエルシアをただ見ていると、角の手前で最後に僕に振り返って手を振ってきた。
「じゃあね~」
それだけ言って僕の目の前から姿を消してしまった。僕には首元の苦しさと沢山の疑問だけを残して。
ーーーーーー
エルシアとの突然の遭遇からまた一週間が経った。この間再びエルシア達と会う事も無く、相変わらずコンラート達とはつるんでアイリスとは険悪と、特に変わらない日常を送っていた。
そして僕はというと、エルシアの言っていた事が分からず誰かに相談したいという思いで、ヘレナさんに話を聞いてもらいたいと時間を取ってもらった。
そして今に至る。
僕は休みの日にヘレナさんに指定された場所に向かうと、そこは中央通りに面したカフェだった。正直入った事の無い様なタイプのおしゃれな店で、僕は店内に足を踏み入れるのも躊躇われていて立ち往生してしまっていた。
でもテラス席に座っていたヘレナさんが、手を振っているのが視界に入ったお陰で僕の足はやっと動く事が出来た。
「お時間取らせて申し訳ありません」
二人分のコーヒーが置いてある二人席のテーブルに僕はそう言って腰を下ろした。テーブルの向かいで足を組んで座っていたヘレナさんは、いつもの軍服と違い秋物っぽいベージュ色のカーディガンを着ていて、ザおしゃれって感じで絵になっていた。
「いえいえ私も来たばかりなので。それにこれどうぞ」
スッとヘレナさんがコーヒーカップを差し出して来た。この世界のコーヒーがどうか分からないけど、僕は子供舌で苦くて飲むのが無理なものだ。
「あ、ありがとうございます」
でも自分から誘った手前断るわけにもいかず、僕は黙ってコーヒーを口に付けた。
・・・うん苦いな。
まぁ飲めない事も無いし大丈夫か。そう僕は一度コーヒーカップを置きなおして改めてヘレナさんを見た。
「その服とてもに合ってますね」
「うん?あぁこれ母のお下がりだけど褒めてくれてありがとうね」
ヘレナさんの母ってアイリスが言うには、今病気を患ってる人だよな。あんまり触れちゃいけない話題だったかもしれない。そう僕は話題を逸らすように、とりあえずこの時間を作ってくれたお礼をした。
「こちらこそわざわざ時間を取ってくれてありがとうございます」
でもそうは言ったものの少しだけ気になった事がある。
「別に士官学校でも良かったくないですか・・・・?」
僕としては話を聞いてくれるのは嬉しいけど、プライベートな感じで来られるとこれはこれで緊張する。
でもそんな僕を見てかヘレナさんは、口元を抑えて肩にかかった黒髪を揺らして笑っていた。
「私が来たかっただけだよ。それに生徒との面談名義なら経費で降りるらしいからね」
そう言うと共に、ヘレナさんは僕のコーヒーカップの縁を人差し指で触って僕を見ると。
「あ、でも他の子には内緒にしてね?」
どうやらこのコーヒー代が僕の口止め料って事らしい。まぁ僕が相談を頼んだ立場だからわざわざ言いふらすつもりなんて毛頭ないが。
そしてヘレナさんは姿勢を戻して、再び真面目そうな顔になって僕に向き合ってきた。
「で、話ってどうしたの?」
そんなヘレナさんに以前のエルシアとの事を出来るだけ詳しく伝えた。これは僕一人で抱えても分からないし、抱えていたくない。意味が分からな過ぎてこの一週間、小骨が喉に引っかかるどころじゃなかった。
「・・・・ふーんなるほどね。難しい話だね。それにあのイリーナがか」
僕の話を聞き終えたヘレナさんは口元に手をやって、今の話をかみ砕くためにしばらく考え込んでしまっていた。僕はその間手持無沙汰で、ソワソワしつつもコーヒーをチビチビと口を付けていた。
そして少しした後ヘレナさんは口を開いた。
「まぁでも聞いた感じだと、そのエルシアちゃんって子は敵ではないのかな?」
その質問に僕は空になったコーヒーカップを置いて、そのヘレナさんの質問に肯定した。
「・・・・まぁ多分敵意は無かったように感じました。危害も加えられなかったですし」
首は抑えられたけど、手で絞められたわけじゃないし、殺すつもりというより身動きを取らせないって感じのだったと思う。
「なら警告してくれただけなのかな?・・・・いやでもそれにしては意味の分からない台詞が多すぎるしなぁ」
そうまたヘレナさんはブツブツと考え始めてしまった。僕より先に座ってたはずなのに、コーヒーに手を付けずにいたせいか、すでに白い湯気は昇らなくなってしまっていた。
そして数分が経った頃だろうか。僕がその途中紅茶を頼んでそれが届いた頃に、ヘレナさんがうんと頷くと顔を上げて僕を見た。
「推測だけどエルシアちゃんに何か裏切るような事したんじゃない?でもそれはそれとして、自分たちを助けれるのはフェリクス君だけだから嫌いでも頼っているとか?」
ヘレナさんは自分で言いながらも首を傾けていたけど、そう自分なりに結論を出してくれていた。多分裏切りと言ったら、あの街で一般人の親子を僕が殺した事だろうから一応筋は通っていると思う。
「でも、やっぱり意味の分からない言葉が多すぎるね」
「・・・・・・ですよねぇ」
結局それに尽きるんだよな。僕が僕を奪うとか何言ってんだって感じだし、エルシアの心の内が全く持ってうかがい知れない。
「ごめんね、あんまり役に立てなくて」
そんな僕の表情が気になったのか、ヘレナさんは申し訳なさそうにしてしまっていた。でも自分から頼んだのにそんな表情をさせる訳にはいかない。
「いえいえ!とても参考になりました!!」
僕は出来るだけ感謝が伝わる様、両手で手を合わせて笑顔で感謝を示した。するとヘレナさんは分かってくれたのか、ありがとうと言ってやっとコーヒーに口を付けた。
「あ、冷めてる・・・」
「ん?あ、自分のと交換します?」
さっき届いたばかりの紅茶を差し出すが、ヘレナさんはそれを断って冷めたコーヒーを一気飲みをすると、カンと音を立ててコーヒーカップを置いた。
「じゃあせっかくだし、君が飲み終わったらちょっと街でも歩こうか」
そうして僕が飲み終わるのを待ちながら、ヘレナさんはただ僕を眺めていた。すると最後の紅茶を飲み終わった時、ヘレナさんは少し驚いたような表情をして。
「君何かつけてる?今良い匂いしたけど」
「あぁこの辺の店で買った奴ですよ。友達の経営してる店なんですけど」
寝る前以外にもカールの店の物を常用していたけど、他人に指摘されるのは初めてだった。今ので良い匂いって言ってくれたし僕の体臭に合って良かったと安心した。
そう思っていると、ヘレナさんは身を乗り出して僕の右手首を手に取ると鼻に近づけていた。
「シトラス系かな?私が好きな匂いだな。私もそれ見てみたいしその店紹介してよ」
屈んだヘレナさんに色々視線のやり場に困って目を逸らしながらも、断る理由が無いので僕はその誘いを承諾した。
そして恥ずかしさから掴まれた右手を振りほどくようにして、右手を挙げると僕は席を立った。
「じゃ、じゃあもう行きましょうか。時間もあれですし」
そう紅茶の代金をテーブルの上に置いてヘレナさんを急かすと、全部奢ってくれるらしくそのまま会計を済ませてくれた。そして僕らは店外に出て、僕の案内の元カールの店まで向かっていた。
「いつも行く場所なの?」
その道の途中、隣を歩くヘレナさんはそう僕に聞いて来た。
「まぁそうですね。雰囲気も良くてお気に入りです」
そうして歩いている内にもカールの店が見えてきた。で、今丁度僕が歩いている所が、一週間前エルシアと会った場所だ。
「・・・・・・」
もういないはずだけど角からふらっと出てこないか、そんな期待なのか不安を抱いていたけどそういう事は無く、僕は入店のベルを鳴らした。
「お、いらっしゃーい。えっ!?・・・って違うか」
ヘレナさんを妹のアイリスと見間違えたのか、カールは一瞬身構えていたけど、すぐに気づいたようで接客スマイルに戻った。
「何がご所望ですか~?」
何気に久々にこういうカールを見た。まぁ客が来ることが珍しいから、逃がすわけにはいかないんだろうな。そう思いながら、カールとヘレナさんの会話を眺めていた。
「この子の付けてるのが気になってて。安いので何か無いです?」
安いって言葉に眉を動かしていたけど、カールは笑顔を保ったまま要望を他に聞いて商品を見繕いに店の奥に引っ込んでいた。
「気の良さそうな子だね」
「・・・ですね」
そんな子に貴女の妹が迷惑かけているなんて口が裂けても言えない。なんで姉のヘレナさんがこんなしっかりしてるのに、妹のアイリスがあんな風になってしまったのか。
そんな事を思っていると、ヘレナさんは何か薬品の入った瓶を棚から手にとって考え込んでいた。
「・・・・これは」
何か気になったのか、僕はどうしたのかと聞いてみたがヘレナさんは何でも無さそうに瓶を棚に戻してしまった。
「なんでもないです。あ、ほら来ましたよ」
そうヘレナさんが店頭の方を指差すと、カールがジャラジャラといくつもの遮光瓶を笊に入れて持ってきていた。
「これ一つで大体銅貨五枚ですね」
まぁ安い方ではあるけど、消耗品って考えるとちょっと戸惑うぐらいの値段設定た。そう思ったのはヘレナさんも同じようで、少し苦い顔をして瓶を見ていた。
「・・・・なるほど」
でも確か僕が今使ってるのを買った時銅貨3枚だった気がしたけど・・・・。
僕のそんな疑問を置いておいて、カールはヘレナさんの様子を察したのか一つの瓶を開けた。
「これフェリクスと一緒の奴ですけど、お試しで使ってみます?」
「・・・いいんです?」
ヘレナさんの問いにカールが頷くと、受け取って蓋を開けた。するとやっぱり僕の付けてると同じ柑橘系の匂いがフワッと広がった。
「これ今なら銅貨3枚で売るんで、気に入ったらまた買いに来てくれません?」
これもしかしたら値切りされた時の為に、カールの奴あらかじめ高い値段提示したな。まぁ事情は察するけど、こんな優しそうな面して商魂逞しいな。
「三枚ですかぁ・・・」
でもヘレナさんは相談するように財布の中身を覗いていた。だがそんなヘレナさんに追撃するように、カールは更に畳みかけてきていた。
「なら今だけ!!銅貨二枚で売りますよ!?」
こうやってこの店を持たせているのか。いつも暇そうにしてたけど、カールなりに色々頑張ってたのが分かるぐらいの慣れた販促だった。まぁアイリスのは大分高い奴だけど、これなら一本値引きしても客引き代って事で大丈夫って判断なんだろうな。
「じゃあそれなら・・」
するとカールの策謀が成功したらしく、ヘレナさんは財布の紐を緩めた。まぁ僕に店を紹介してもらった上値引きまでされたら、ヘレナさん的には買わない選択肢は取りずらいだろうしちょっと申し訳ないな。
「毎度ありーっ!」
まぁヘレナさんもなんだかんだ嬉しそうだし、カールも新規顧客の開拓できたし良いか。すると既に部屋の中が段々とオレンジ色に照らされだしていたのに気づいた。
「もう時間か。じゃあまた来るね」
僕はカールにそう言ってヘレナさんの方を見た。どうやら丁寧にポーチの中に遮光瓶を入れてくれていた。
「ありがとうございました。またお金に余裕が出来たらもうちょと高いの買いに来ますね」
まぁエルシアの事は解決はしなかったけど、ヘレナさんに相談してある程度心は落ち着けた。それに訓練ばっかだったし、こういう外出があると気分転換になる。
そうして僕らはカールにお辞儀をして店の扉のベルを鳴らした。
ーーーーー
間抜け面をしていたあいつを置いて、私は暗くなった街を歩いていた。
「ん~これからどうしようか」
案外あの距離ならあいつをぶっ殺せそうだったけど、どうせ詰んだ世界だし得られる物は得ておきたいから、今殺すのは勿体ない。そんな判断だった。
でもやっぱりエマちゃんを殺したのは許せないな。今まではあの子だけは殺さないようにしてきたのに。
・・・・・・まぁでもエマちゃんもこの世界だと殺されちゃったし、その拘りも意味ないか。
「次上手くやれば良いや」
そう過程はどうでもいいんだ。最後に私が望む世界に立っていればそれでいいのだ。
でもそこに不安要素があるとすれば。
「フェリクスがあのままだと・・・・」
それは私がこれまで頑張ってきた意味が無くなる事になる。
フェリクスと私が生き残って笑っていられる世界を見るために、何度も苦しみながらもがいてやってきた。それなのに突然この世界は、フェリクスじゃない他人がフェリクスを演じていていたのだ。
そう思うとまた腸が煮えくり返りそうになる。
「でもまた会えると信じるしかないよね」
そんな一抹の不安を抱えながらも私は、いつも変わらず気持ち悪くニヤけているジジイの元へと向かったのだった。
5月6日修正 カフェで席を立つ所の行動を少し修正しました。本筋には一切関係無いです




