第六十三話 いつかのため
校内に響く鐘の音が鳴りやみ、静かになった校舎を僕は全速力で走っていた。
そして冷や汗と共に教室に入ると教官はいるようだが、まだ座学が始まっていないのか皆席に座っておらず思い思いに話しているようだった。
それを見てさっきの鐘が授業の始まりの奴ではないのか、そう疑問に思い教室の入り口で立ち竦んでしまっていた。そんな僕を見つけたのか、話していたのであろうハインリヒとコンラートが僕に手を振っていたのが見えた。
「おっ!間に合ったな!」
何が何だか訳が分からず、事情を聴くためにとりあえずコンラートの元へ行くと、まだアイリスも教室に来ていないらしく隣の席が空いていた。
「さっきの鐘は何?あれが始まりじゃないの?」
僕がそう聞くと、コンラートとハインリヒは見合ったと思うと急に笑い出した。
「あ~だからお前あんなに急いでたのか。あの鐘って朝練の終了の奴だぞ」
そうコンラートが言うと共にハインリヒが、これで汗を拭けと鞄からタオルを取り出してくれた。そしてコンラートはというとまだ笑いが収まらないのか、腹を抑えて肩を揺らし続けていた。
「いやぁなんかアイリスの奴も焦ってたよな?なんかうずくまってたけど何かした?」
「あーハンカチ落としたらしくてね」
正直に転んだとか言ったら、アイリス怒って面倒くさそうだし嘘をついた。コンラートがそこ見てないならわざわざ言わない方が良いだろうしな。
「えーでもあの感じは・・・・ってもう始まるか」
そうコンラートがまだ粘ろうとしていたが、ふと教壇に目を向けたと思うと急に席に座り直してしまった。僕もつられて教壇の方を見ると、教官が何やら書類をゴソゴソし始めていた。講義資料的な何かだろうか。
そしてまた鐘が鳴ると同時に、もう着替えてきたのかアイリスが教室に入ってきて座学が始まったのだった。
どうやら今日は軍関係についての説明らしく、後で実践を積んだ士官を呼んで講義もしてもらうらしい。そんな軽い説明を教官が終えると早速座学の内容に入っていった。
「まず最初に言っておくが、戦場はお前ら魔導士が主人公じゃない。一瞬の火力こそ目を見張るものがあるが、ほとんどの魔導士の魔力は10分も戦えば切れるから継戦能力は無いと言って差し支えない。それに数も少ないから戦線を張るには物足りなさすぎる」
そう言った後教官は一息置いて、チョークの様な物を持ち黒板にいくつもの単語を書き始めた。
それぞれ奇襲・後方かく乱・牽制抑留・側背援護・戦線突破・火力支援など難しい単語が並んでいたが、なんとなく察するに意味的には支援とか遊撃的な役割って事だろうか。
「だから貴様らは基本これらの任務を分隊もしくは小隊単位で実行してもらう。これらを見れば分かるが戦場では貴様らは本隊から離れて行動する事が多く、各隊で柔軟な対応を求められる事が多い。だから指揮官としての戦場全体を見て判断できる素養が求めれらるし、遭遇戦に備えたある程度近接戦への慣れも必要になる」
そう言って教官は教本のあるページを開けと言って、つらつらとそこに書いてあることを音読しだした。
「まず指揮官なら任務に沿って論理的に目的を設定し、常にそれが妥当がどうか見直しつつ、、、」
と、そんな具合に本格的な授業が始まった。前の世界では軍事の事なんて勉強した事無かったから、少し新鮮だけどやっぱり知らない単語が多くて分かりずらい。でも教官が言うには、最近こういった魔導士の戦術が進化の過渡期で、一年経てば直ぐ変わるから覚えるんじゃなくて理解するべきらしい。
そんないきなり学ぶには難しい内容だったけど、遅れを取るわけにはいかないと教本に書き込んだりノートを取ったりしていると、気づくと鐘の音が鳴っていた。
「だから基本的に戦力で劣る我が軍は・・・・っと終わりか。午後は実戦帰りの士官の話を聞くから、十分前にはに来るように」
僕とアイリスを教官がチラッと見てきた。もしかしてアイリスと一緒に僕まで問題児扱いされていないか。そう思いながら教室を出る教官を見ていると、後ろの席に座るコンラートに両肩を掴まれた。
「あ゛あ゛あ゛つまんねぇよーーー」
確かに二時間近く一方通行タイプの授業だとつまらなく感じる気持ちは分かるが、そう言いながら僕の肩を揺らすのはやめてほしんだが。
そんな時僕の左後ろに座っていたハインリヒが、僕の肩を揺らすコンラートの手を掴んでくれた。
「困ってるからやめてあげろって。それに途中からコンラート寝てたでしょうに・・・」
割と前の席なのに、あの教官相手に寝れるのは強いな。そんな内容の無い会話をしていると、アイリスが教本を片付け終えたのか、席を離れ僕の左隣に立って見下ろして来た。
「邪魔」
「あっはい。すみません・・・」
僕とアイリスで共用の長机な上の席は窓際の左端だから、アイリスは僕の席の後ろを通らないと出れない。でもその通路を今コンラートの手が封鎖してしまっていた。
だから面倒事を避けたい僕は、どうにかコンラートの手を振り払って自分の席を開けると、何も言わずにアイリスはスタスタと教室外に出て行ってしまった。
「あいつ礼も言えねぇのかよ」
相変わらずコンラートはアイリスの事が嫌いなのか、そう毒を吐いていた。この感じは多分コンラートも昔痛い目にあったのかもしれないな。
「まぁ飯行こうか」
空気が悪くなるのも嫌だった僕がそう提案すると、ルートヴィヒとオットーも誘って食堂へと向かった。今日は豆とパンだったけど、ちゃんと味も付いていて僕は満足出来た。でもオットーは偏食なのかぶつくさ文句は言ってたようだったけども。
そうして昼食を済ませて、教官が言うには実戦経験のある士官の話を聞くため僕らは席についていた。
「今回来る方は、この学校の卒業生で5年は軍歴のあるベテランだ。失礼のないようにな」
教官の5年でベテランと言うのが少し引っ掛かったが、他の子はそうでもないらしく淡々と話は進み、教官の合図と共にガラガラと教室の扉が開いた。
そしてそこに現れたのは、ビシッとした軍服に黒髪をセミロングぐらいまで伸ばしたしっかりしてそうな女の人だった。ベテランと言うから厳しそうなおじさんをイメージしてたけど、案外優しそうな笑顔を浮かべて教壇に立ち挨拶を始めた。
「初めまして皆さん。ご紹介に預かりましたヘレナ・フェレンツと言います。今日は短い間ですがよろしくお願いします」
そう頭を下げたのは、一年前あの街で僕が置いて行ってしまったヘレナさんだった。
まだ僕に気付いてないのか視線は僕に向いてきてないけど、二十人しか教室にいないのだからいつかは気付かれしまう。だからどうしようかと考えていると、更に教官が驚きの情報を出して来た。
「あ、そういえばこのクラスのアイリスさんの実姉でもあるんですよね?」
その言葉のせいでヘレナさんの視線が隣のアイリスに向いた。
今一緒に隣にすわる僕の事も絶対気付かれた。アイリスの方を見ているけど、あえて気づいてないふりをしているのだろうか。それとも思い出したくない程嫌われてしまっているのか。
「あーそうなんですよ。うちの妹が迷惑かけてないと良いんですけどね」
「・・・・・いやいやそんな事ないですよ。アイリスさんは成績もトップですから」
多分この教室の全員が嘘つけと思った。教官の返答も謎の間があったし、かなり答え方に困っただろうな。それにそのアイリス当人も嫌そうな顔してそっぽを向いてしまっていた。
「それは良かったです。じゃあ早速ですが私の話を始めさせていただきますね」
そうしてヘレナさんはさっきの教官と同じように、チョークを持って黒板に何か書き始めた。今回は文字じゃなく何が組織図みたいな物を使って説明するらしい。
「私はここの36人を束ねる魔導小隊長をやってました。まぁといっても部隊の三分の一しか魔導師が配備されませんがね。そしてこの君達が最初に配備されるのはさらに下の小隊ですね」
最初はこんな配属先とか部隊の編成の話から始まって、その後はヘレナさん自身の経歴の話になり出した。その時僕が盗賊の所にいた時に戦った話を、僕の名前を伏せてはくれたけど話した時は肝が冷えた。
そして肝心の僕とイリーナが逃げた時の戦いは、劣勢だったがなんとか粘って援軍が来て助かったらしい。でもそれで部隊を二度目の半壊させてしまったから、指導教官に回されてこれから実技等で指導に入る事になったと。
ヘレナさんは最後に教訓みたいな物をつらつらと言って、もう終わりなのか改めて教壇に立つと。
「と、まぁ私からは以上ですかね。何か質問があれば受け付けますが」
そう質問コーナーが始まると皆思い思いに質問をしだした。どこの街が初配備なのかとか、一番大変だった戦いは何かとか、他には編成についての専門的な質問とかが時間いっぱいまでヘレナさんに向けられていた。その中で僕は気まずさから質問できなかったし、アイリスも窓の外を見てヘレナさんの話しすら聞いているのか怪しかった。
そうして鐘の音が鳴り、教官が間に入って今日の座学は終了とまだまだ続きそうだった質問をせき止めてしまった。
そして教官の号令と共に、ヘレナさんに皆で礼をして座学の時間が終わると教室内が一気にざわつき出した。
そんな中僕はヘレナさんの黒い瞳が自分に向けられているのに気づいて、後ろで話すコンラートに混じる事が出来なかった。でもその視線はアイリスに向けたものだったのか、コツコツと僕らの席に近づくとヘレナさんはアイリスの方を見た。
「アイリス久しぶり。母さんと父さん元気?」
「・・・・・知らない」
さっきのざわついた空気が一瞬でピリッとして静かになった。アイリスは家庭内でもこんな感じなのだろうか。
「来週末帰るから、母さんに伝えといてね」
アイリスのあんな態度には慣れっこなのか、それだけ言ってアイリスの席から離れようとした時。
「じゃあ君は着いてきて」
去り際に周りに聞こえないようにか耳元でそう言われた。どうやら僕の事は覚えてもらっていたようだった。
そして教室を出ていこうとするヘレナさんを、僕はトイレに行く振りをしてついて行った。すると教室から出て少しした所に、壁にもたれかかってヘレナさんが立っているのが見えた。
「久しぶりだね。こんな所で会うとは思わなかったよ」
僕を見ると優しく笑って手を振ってくれた。でも僕は再会を懐かしむより先にやるべき事があると頭を下げた。
「あの時はすみません。今更僕が言うのも違うと思いますが、ご無事で何よりです」
するとヘレナさんは焦ったように、壁から背中を離して僕の肩を掴んできた。
「ここで頭下げないでください。人の目もありますから」
そう言われはっとして顔を上げると、確かに廊下に数人いて視線を集めてしまっていた。全く周りの事が見えてなくて、またヘレナさんに迷惑をかけてしまった。
「じゃあちょっと来てください」
そう焦り気味のヘレナさんに手を引かれ、ついて行く事3分。教育棟の一階端にある空き教室まで連れていかれてしまった。その途中ヘレナさんは何も話してくれなかったから、やっぱり怒ってるのかと少しだけ怖かった。
「まぁ最初に言っておきますが、別に何も怒ってませんよ。フェリクス君の事情だって知ってますしね」
机に座ってそうヘレナさんがさっきの僕の謝罪について切り出して来た。恐る恐るヘレナさんの顔を見ても怒ってないのか、さっきと同じように優しく笑っているだけだった。
「・・・・ありがとうございます」
せっかく許すと言ってくれているのに、これ以上謝ろうとしてもそれはただの自己満足でしかないと思い、僕はそう素直にヘレナんさんの厚意を受け取った。
「ま、それに友達と戦うのは誰でも嫌ですからね」
「・・・・・友達?」
到底出てくる事のないだろう単語が聞こえて、一瞬頭がフリーズしてしまった。でもあの街で知り合いなんていただろうか。戦う前にはイリーナに気絶させられたし、知らないのだが冒険者仲間でもいたのか。
そうなんとか考えていても、僕の友達って考えるとどうしても嫌な想定が頭の中に浮かび上がってくる。でもそうであって欲しくなと、否定しようとそれらしい理由を考えるけど、ヘレナさんが次に言った言葉でそれも意味は無くなってしまった。
「私と初めて会った時一緒に居た子ですよ。その時はいなかった他にも女の子が居たりしましたしね」
多分ラースの事だ。それに女の子はエルシアかライサのどっちかだろうか。つまりあの街を襲撃したのは、ラース達って事なのか?いやでもなんでそんな事・・・・。
「・・・・・大丈夫ですか?すみません、あまり触れてほしくない事でした?」
何も返事をしなくなった僕を心配してか、机から降りてヘレナさんは僕を見上げるようにして前に立った。
「・・・・ちなみにかなり強い白髪のおっさんはそこに居ました?」
一番あって欲しくない可能性を感じ取って、僕は違うと言ってくれと願いながらそうヘレナさんに聞いてみるが。
「あーいましたね。もしかしてフェリクス君の居た盗賊のリーダーだったり?」
僕はその質問にゆっくり頷いた。そして今の自分の状況を初めて認識する事が出来た。もしヘレナさんの言う事が本当なら、ラース達がまだあそこで苦しんでいるのに、僕は自由に外を謳歌して楽しんでいたのかと。
ならばこんな所で勉強なんてしてないで、僕の役目は早くラース達を助ける事じゃないのか。
「私が軍の方で捜索願出すので、一人で探しに行こうなんて思わないでくださいね」
僕の考えなんてお見通しなのか、そう言って優しく肩を叩いてくれた。でもそう言われたとしても、今僕のせいでラース達が苦しんでいるかもしれないのに、何もしていない自分が嫌になってしまいそうになる。
「今のフェリクス君じゃあの盗賊に勝てませんよ。ならここで鍛えて強くなってからじゃないと、助けれる人も助ける事が出来ないのではないですか?」
正面切ってあのジジイと戦ったんだからそんな事は分かってる。でもだとしても、これは僕の感情の問題だ。
「フェリクス君とは数日しか話してないですけどね」
でもそんな僕を諭すようにして、そうヘレナさんが前置きして話し出した。
「多分背負い込みすぎなんですよ。自分にはどうしようもない事を諦めて忘れるって事も、大人には必要な力ですよ。・・・・・軍人なら猶更ね」
そして西日が差し込みだした空っぽの教室の中、ヘレナさんが僕の手を取った。
「フェリクス君のそういう所は美徳だと思うけどね。全部自分が何とかすれば解決出来ると勘違いしちゃだめだよ。君一人じゃ出来ない事だってあるってのを知らないと」
」・・・・・でも今何もしない訳には」
僕はそう言ってヘレナさんの手を振り払おうとするけど、確かな力で握られた僕の両手は離してもらえなかった。
「だから私が手伝うよ。でもそれは君がここを卒業してから。確実に君の友達を助けたいなら人手がいるでしょ?」
「・・・・・なんでそこまでするんですか?」
言ってしまえば、僕はヘレナさんの部下を殺した一味だし、たかだか数日一緒に居ただけの仲だ。それなのになんで僕をここまで気に掛けるのかが分からなかった。
でもヘレナさんは少しだけ考えた後。
「なんか私の妹みたいで、見てて危なっかしいから?」
「・・アイリスさんと一緒?」
自分では全くそうは思わなかった。
でもそう改めて確認するとヘレナさんはそうだねと頷いて。
「自分で色々やってどうしようもできなくなったら、一人で勝手に爆発しちゃいそうな感じ?フェリクス君は妹と違って、要領良さそうだからまだ爆発した事無いのかもしれないけどね」
少し抽象的だったけど、ヘレナさんの言わんとする事は分かった。自分ではそう思った事は無いけど、他人から見たらそうなのかもしれない。
「頼りないかもしれないけど、私を信用してみてくれない?君の友達助ける手伝い全力でするからさ」
僕はそう改めて握り直された両手を強く振り払う事が出来なかった。
ここまで僕の事を見てくれて、その上で手伝うって言ってくれる人の手を振り払えるはずも無かった。
それにヘレナさんの言う事はもっともなのは分かってる。今の僕でこの広い世界からラース達を探すのは困難だ。だからあとは僕の感情がそれを許すかどうかだけど・・・・。
「・・・・すみません。少し冷静じゃなかったかもしれないです」
そうして一息置いてヘレナさんの目を見た。僕は自分じゃなくて、ラース達を助けるんだ。だから自己満足で無謀な事をしちゃだめだ。
「これからよろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
これで良かったのかはまだ分からない。でもヘレナさんが僕を想ってくれて助けようとしてくれた、それに応えようと思った。だからヘレナさんの手を取った。
「ま、じゃあ私は仕事あるから戻るね。くれぐれも勝手に動かない事」
手を握り直した後。その手を離して少し背伸びしたヘレナさんは、そう言って僕の額をデコピンして教室を出て行ってしまった。
「・・・・頑張ろう」
僕は改めてラース達をいつか助けに行けるよう強くなる。そう決意してヘレナさんの後を追って教室の扉を開けた。
ーーーーー
「もうそろそろかな?」
私と頭のジジイだけが乗った馬車は、ガラガラと音を立てながら整備された道を進んでいた。
「まぁ君の好きなようにやってみなよ。あ、でも逃げたりしたら分かってるよね?」
御者台から振り返って私にそう念押しなのかそう言ってきた。別に私が逃げて他の子が殺されても、結局元に戻るから良いんだけどね。
「分かってます」
まぁでもこっちにいた方が、情報集めやすいしあいつを殺しやすいからね。今回はこのジジイの目があるから、殺してリセット出来ないけど上手く次につながる餌を撒いとかないと。
「じゃあ城門に入る時は、私の娘って設定だからね」
そうして私たちは西日が落ちていく中、目的地のラインフルトの街へと入っていった。




