第六十二話 傷
僕は勉強を終え疲れを取るために備え付けだったベットに潜り込んだ。宿舎のベットは思ったより良い物だったらしく、すぐに寝落ちしてしまいぐっすりと寝れてしまっていた。
「・・・・・・ん?」
そして次に意識が夢から戻って来て最初に聞こえてきたのは、鳥の鳴き声だった。それと一緒に一定リズムで複数の何かが地面を蹴るような音がどこからか聞こえてきた。
「・・・・なんの音だ?」
僕は寝ぼけた目を擦りながら体を起こして、ゆっくりとベットから降りた。どうやら隣のアイリスは何か用事があるのかもう部屋にはいなかった。
「朝から何やって、、、、」
その時やっと回り出した頭で今の自分の状況が掴め始めた。そんな嫌な予感と共に冷や汗がドッと出る感覚を覚えながら、僕は窓に駆け寄って下を見た。するとそこにはアイリス含めクラスの皆がグラウンドで、ランニングをしているのが見えた。
「まずいまずいまずい」
寝ぼけていた頭が一気に冴えてきて、心臓が締め付けられるような感覚に陥ってしまっていた。
なんでアイリスは起こしてくれなかったんだと、理不尽な怒りも覚えてしまって、意味も無く部屋の中を歩き回ってしまっていた。でもこんな事してられないと、僕は運動用に支給された服に着替えて靴を履き部屋から走って出た。
「・・・・ッ」
昨日はあんなに人の気配があった宿舎が、シンと静まり返ってしまっていた。ただ僕の激しい息継ぎと足音だけがこの宿舎に響き渡っていて、それが酷く僕を焦らせていた。
そして一階に降りてそのまま外に出ると、ちょうどうちのクラスのランニングが終わった所なのか、昨日コンラートが言っていた朝礼用の場所に皆が肩で息をしながら立っていた。
そんな皆からの視線を意識しないように、僕を一瞥することも無くクラスメイトを見ているスキンへットの教官に近づいた。
「・・・っす、おはようございます」
僕がそう挨拶すると振り返る事も無く、教官はただ短く聞いてきた。
「理由は?」
「・・・寝坊です」
僕がそう申し訳なさそうに言うと教官は深くため息をついて、なぜかアイリスを呼び寄せた。
「じゃあお前はグラウンド十週な。連帯責任でアイリスも付いていけ」
「・・っな、なんで私まで!!私起こしましたけど!?起きなかったこいつが悪いですって!!」
本当に起こしてくれたのだろうか。そんな事を思いながら教官とアイリスの長い押し問答を聞いている内に、とうとうアイリスが折れたのか渋々と言った感じで了承していた。
「じゃあ一限には間に合うように」
「・・・そんな無茶な」
ポツりとそう零すと、教官に文句を言うなとでも言いたげに睨まれてしまった。だって一限まであと40分だぞ。ここ一周最低でも500メートル以上はありそうだし、着替えも考えたらかなりギリギリだと思うんだが。
「じゃあ解散。遅刻はしないように」
もう交渉の余地は無いのか、教官は手を叩き解散の合図を出してしまった。コンラート達が頑張れってジェスチャーでやってくれてるけど、一限に間に合うにはどうしたものか。
「・・・・ッチ、朝ぐらい自分で起きろよ。いつまでママから乳離れ出来てないんだよ」
そう毒を吐いてアイリスは先に走り出してしまった。少しカチンと来たけど、今回は僕が完全に悪いからと大人しくアイリスについて走り出した。
そうして走っている内に5週目に突入した。今のペースで行けば時間を見た感じ服を着替える時間は作れそうだった。そして目の前を走るアイリスはやっぱりと言うべきか、かなり体力があるようでずっとペースを落とさずにいた。僕も大分体力に自信はあったが、ここではこれが普通なのかもしれない。
「・・・・巻き込んでごめんね」
苦手な相手だとしても、自分が原因で迷惑をかけたならちゃんと謝らないと。そう思いアイリスの隣を走ると、そんな僕を無視してペースを上げられてしまった。
「話しかけんなって事か・・・・」
アイリスは僕が寝ている間もちゃんと走ってたのに、またここで走らされてるもんな。そりゃイラつきもするか。
そんな事をして走っているとふと視線の端に、教育棟の2階部分から身を乗り出して手を振ってくる人影が見えた。
「・・・・コンラート達か」
どうやらありがたい事に応援してくれているらしい。僕は周りに教官がいない事を確認してから、小さく手を振り返して走り続けた。
そしてあと一周ってなった時。流石にアイリスも疲れてきたのかペースが落ちてきた。でもそれを抜こうとすると・・・。
「・・・ッ」
アイリスは無理して追い抜かれまいとスピードを上げてしまっていた。そんなに僕に負けるのは嫌なのかと思いつつも、時間を出来るだけ短縮したいのでペースをさらに上げて構わず抜かした。
だがその時突然小さな悲鳴と一緒にアイリスの走る足音が聞こえなくなった。
「・・・・?って大丈夫!?」
振り返ると、どうやら足を引っかけて転んでしまったらしかった。
「だ、大丈夫だから・・」
僕が走るのをやめ近寄って傷の具合を見ようとすると、アイリスは気にせずすぐに走り出すつもりなのか立ち上がろうとしてしまっていた。
「治癒魔法使わないと!このまま放置はダメだって!」
見た所膝を大分擦りむいてるし血もかなり出てる。それに砂利やら土が傷口に付着しているし感染症の事を考えると危ない。感染症は治癒魔法じゃ治せないしせめて清潔にはしないと、そう思っての提案だったが。アイリスは苦い顔をして。
「・・・私治癒魔法使えないから」
その苦い顔を見て昨晩のアイリスの机や図書館での事を思い出した。病気の母の為かなとか思ってたけど、あれだけ勉強しても治癒魔法が使えないって事なのか。
「じゃあ、僕が治癒魔法かけるから大人しくして」
それなら尚更と、立ち上がろうとするアイリスを抑え込んで膝の傷口を確認しようとするが、やはり抵抗されてしまった。
「キモいからッ!触んなって!!!」
「治すまでは離さないですよ!!暴れると遅刻しますよ!!」
脚で何回か腹を蹴られて痛かったが、僕がそう言うとひどく睨みながらアイリスは大人しくしてくれた。自分が使えない治癒魔法を使われるのは嫌なのか知らないが、流石に男女の力の差じゃ逃げきれないと思ったのだろう。
「じゃあ水魔法で傷口洗うので大人しくしてくださいね」
ライサから教えてもらった水魔法を久々に使った。本人は綺麗なだけって言ってたけど、魔法で作れば確実に綺麗だしこういう怪我をした時に役に立つ。
そうして傷口を綺麗に洗い流すと、自分のハンカチを取り出して傷口をトントンと残りの砂利や汚れを払っていた。すると痛かったのか、アイリスは伏せていた目を再び僕に向けて睨んできた。
「・・・痛いってッ!」
「我慢してください。すぐ終わるので」
そしてそうこうしている内に一限の始まりの鐘が鳴ってしまっていた。
「ちょ、ちょっと遅刻するって!」
僕もやばいとは思いつつも、アイリスの膝に治癒魔法をかけ始めた。幸いそこまで深い傷では無いようで、十数秒で綺麗に傷跡も残さず終わった。
「・・・・・・・」
そんな傷口だった所を見るなり、アイリスは立ちあがって僕を見下ろして来た。何かお礼でも言ってくれるかなと思ったが、そんな事は無く教育棟へと足早に走って行ってしまった。まぁそもそも僕が遅刻したせいでし良いんだけども・・・。
そうアイリスの背中を見ていると、どこからか視線を感じた。
「まずい、僕も急がないとな」
さっきまでコンラート達がいた窓に教官の顔が見えた。顔を見るにかなりご立腹らしい。これはさっきの寝坊と合わせてかなり怒られそうだな。
そんな事を思いながらアイリスの背を追って、僕も教育棟へと走っていったのだった。
ーーーーー
「イリーナ姐~?昼ごはん置いとくよ~」
カタンと床に硬いパンと薄いスープの入っている木の皿を置いた。もうこれを繰り返すようになって3ヶ月が経とうとしていた。最近はイリーナ姐も落ち着いては来ているけど、どうしても外に出る勇気が出てこないらしい。
「・・・・はぁ」
一回食事を取るためにイリーナ姐が扉を開けた時に、話しかけようとしたけど一切話してくれずに扉を閉められてしまった。それにその時一瞬見えた顔がかなりやつれていて見てられなかった。
「心読める私じゃあれかもしれないけど、いつでも相談に乗るからね」
イリーナ姐の傷口は深い。最初会った時も、私を慰める為にいつも笑って一緒に寝てくれてたけど、そうしてくれるイリーナ姐が偶に夜泣いてたのを知っている。
でもそんな傷ついた自分を差し置いて私の為にイリーナが姐が色々無理してくれていた、だからそんなイリーナ姐が好きだったし、フェリクスと会うまではイリーナ姐しか信用してなかった。だからこそイリーナ姐には何か恩を返したいけど、今の私は木の扉一枚越しに声を掛ける事しか出来ないでいた。
「・・・・・・・・」
でもそんな私の精一杯の声掛けは無言の返事となって、木の扉の向こうから帰ってきた。
「・・・・じゃあまた夕飯持ってくるまでに食べちゃってね」
私は今日も駄目かと思いながら、その木の扉の前から去っていた。そして広場の中心に戻ると、なにやらラース君とルーカス君が座って珍しく話しているようだった。
「何話してるの?」
私は最近長くなってきた髪を耳に掛けて、屈むようにして二人を話しかけた。
「ん?いやエルシアの帰りが遅いなって話だ」
「・・・あー確かに遅いよね」
もうあの頭のおじさんに連れられてどこかへ行って2か月が経っただろうか。普段の遠征とかだとこれぐらいで帰ってくる気もするけど、どこまで遠くへ行っているのだろうか。あの子ならどうせ大丈夫だとは思うけど、そう私が思う理由をラース君達に行っても仕方ないしなぁ・・・。
そうやってどう説明したものかと考えていると、ルーカス君も聞きたい事があるのか口を開いた。
「ちなみにイリーナさんの方は大丈夫なんですか?」
「・・・うん、まぁ、落ち着いてはいるっぽいけど。まだ時間はかかりそうかな」
イリーナ姐のいる部屋の扉を私は見た。やっぱり私たちが居ると扉を開けてくれないようだ。私たちにまで怯えなくても良いのに、一回ぐらい顔を見せて話して欲しい。
「フェリクスの様子とか聞いときたいんだけどな。何かあったのかな?」
そうか私は心が読めるからなんとなく事情は分かってたけど、ラース君達からしたらイリーナ姐が三か月も籠っている理由が分からないのか。でも私が勝手に抉っていい様な過去じゃないし、説明するわけにはいかないしなぁ・・・。
色々私の中で抱えないといけない事が多すぎる。
「ん~まぁ私が何とかするから大丈夫だから。フェリクスは・・・・多分元気だよ」
私だって聞きたい。でも意図的なのかイリーナ姐はフェリクスの事を考えないようにいている気がする。偶に迷惑を掛けたくないとか思ってるし、生きているとは思うんだけど。でも今どうしているのかぐらいは、私も知りたい。
「・・・やっぱ心配だよね」
ラース君も最近はフェリクスに謝りたいとか言い出してるし、今ここでフェリクスを嫌ってるのカーラちゃんとエルシアちゃんだけかもしれない。まぁそのカーラちゃんは別部屋に移されて、今の様子を知る事は出来ないんだけど。
「ま、まぁ僕らは出来ることをやりましょう。まずイリーナさんがどうやったら出てきてくれるかですけど、、、」
そうしてルーカス君の言葉と共に私たちは色々案を出し合った。多分この会話すらもイリーナ姐に聞こえていると思うけど、その方がイリーナ姐も出てきてくれるかなって思って、そのまま指摘せずに会話を続けた。
でもやっぱり良い案は私たちの間では出てこなかった。まぁラース君達はなんでイリーナ姐が出てこないか知らないから当然と言えば当然なんだけど、一番イリーナ姐と一緒にいた私が何も出せないのが口惜しかった。
「・・・・一番一緒にいたのもフェリクスなのかな」
4年ぐらい外で一緒に居たなら、私よりも長くいたことになってしまう。そう考えるとなんだかモヤっとした感情にはなってしまっていた。でもルーカス君達にどうしたのかと言われ、すぐにそんな感情はどこかへ行って忘れてしまった。
「まー待つしかねぇか」
「そ、そうかもね。出来ること無さそうだし」
結局の結論はこれだった。周りがどうしようとイリーナ姐自身の問題だし、自分で感情を整理してもらわないと私たちが何を言っても無駄なのかもしれない。
「フェリクスが戻ってきたら出てくんのかね」
ラース君が岩に囲まれた空を見上げてそう言っていた。戻ってくるって事は、フェリクスも連れ戻されたって事になるけどそれは良いのだろうか。でもそれに続いてルーカス君も懐かしむようにして空を見上げると。
「もう4年?5年?ぐらい会ってないよね」
それを聞いて今のフェリクスを想像していた。
身長はどれだけ伸びたのだろうか。もうイリーナ姐の身長は軽く越していると思うけど、あまりイメージが出来ない。エルシアちゃんはあの街の戦いで会ったとか言ってたけど聞けばよかったかな。
会えない年月が経つごとに、私の知らないフェリクスが増えていっている。今頃私の知らない所で新しい友達が出来て、もしかしたら結婚だってしているかもしれない。
そう考えると胸が締め付けられるような感覚になって苦しかった。私を忘れて新しい人生をフェリクスが送っていて、久々にやっと会えたとしても忘れられているのではないか。フェリクスからしたら私なんてちっぽけな存在だったんじゃないか。
でも何よりもフェリクスが幸せな事は喜ぶべき名事なはずなのに、そこに自分がいない事に不満を覚える自分が一番嫌だった。
そう考えれば考えるほど自分が嫌になって、これまでの頑張りも意味の無い物の様に感じてしまっていた。
でもそんな時ラース君が、急に黙り込んでしまった私が心配なのか声を掛けてきた。
「ライサ?どうした?」
「・・・ッ!い、いや何でもない」
いつのまにか私の目では景色が歪んで、上手くラース君の顔が見えていなかった。私はそんな顔を見られたくないと、気づいたら二人から離れようと走り出してしまっていた。
そうして走っている時には抑えきれなくなって、涙が溢れてしまっていた。しばらく泣いたことなかったのに、こんな簡単に崩れてしまうのかと自分でも驚いてしまうぐらいだった。
「・・・頑張るんだ。頑張らないと。泣いてちゃだめだ。誰も助けてくれない」
私は自室の扉の前まで逃げて、そう自分に言い聞かせた。これ以上考えていると私が耐えられなくなってしまう気がしたから。
「・・・・よし。出来る。頑張ってまたフェリクスに褒めてもらうんだから」
私は扉に頭を付けて何度も胸を叩いてなんとか心を落ち着かせた。今私が倒れたら誰がイリーナ姐を助けて皆を守るんだ。
そうやって私は自分で自分に傷を付けない様、自分自身の心から目を背けていたのだった。




