第五話 ひとりじゃない(1)
七月二十日
大筋の内容は変えてませんが、一部展開を加筆修正したので内容が少し増えました(二千字~三千字ぐらい)内容的にも後の展開に影響を及ぼさない程度の変更なので、既に一度読まれた方はお時間あったら読んでいただけるぐらいで大丈夫です。
旦那様とフェリクス様が外に行ってから十数分。しばらく奥様は心配そうにお二人の背中を眺めていたのですが、時間も時間だと夕飯を作る用意を始めていました。
だから私も使用人として働くべく準備を始めたのですが。
「私がご夕飯作りましょうか?」
「良いの良いの。私が作りたいから、ブレンダはフェリクス達に水用意してあげて」
そう奥様に水桶を渡されてしまいました。食事を作るのなんて私に任せればいいのに、なぜか奥様は自分で作りたがります。元々身分の高い家のお人だったらしいのに珍しいと思いつつ、私は気をもんでいるのですが。
と、そうは言っても雇い主に逆らう訳にはいかないので、私は大人しく水桶に汗拭き用の布を用意して玄関外で座り返りを待っていました。
「・・・・田舎ですね」
私は元々もっと南の方の出身で、成人してからは傭兵として妹と生計を立てていました。まぁそれも寄る年波には勝てずそれに妹が先に行ってしまって、殆ど廃業状態でしたけど。
「・・・・・あ、手入れしないと」
ふと昔の事を思い出していると、昔使っていた大剣の手入れを忘れているのを思い出した。もう使う機会は無いのでしょうけど、あれを捨てるには時間が経ちすぎたようです。
もうこの家に雇ってもらって九年だというのに、未だに剣を捨てれないのはあの時への執着が残っているのかもしれないのかもですね。
そうブツブツと独り言を呟いていると、どうやら遠出していたのらしくやっとお二人の姿が遠目に見えてきた。
「小さい子にあんな無理させて・・・・」
旦那様は少々フェリクス様に構いすぎなように感じる。勿論あれでも良いと思うのですけど、普通はもっと距離を置くのが一般的ですから貴族階級にしては珍しいお人だと思う。まぁだからこそ奥様と駆け落ちするほど意気投合したのでしょうけど。
「さて。私も仕事しますか」
私の役目はあくまでフェリクス様の世話と教育。家事手伝いはついでみたいなものですしね。
そう私が汚れを払って立ち上がると旦那様達の声が遠くから響いていた。
「フェリクスー、大丈夫かー?」
「大丈夫で・・・っす!」
随分フェリクス様は無理して走っているように見えた。今は親子らしく随分楽しそうに夕焼けで赤くなった道を並走しているようだったけど。
正直言って私はあの子が少し怖い。
「ブレンダー!水と布たのむー!」
「承知しましたー!」
私は桶を庭先に置いてお二人がやってくるのを待った。
それで話は戻るのですけど、本来雇い主のご子息に抱いてはいけない感情であるのは分かっています。
でもこう・・形容しがたいのですが異様なのです。お二人は特に気になっていないようですが、明らか教えて無い様な事が出来ていたり、雰囲気と言い言葉遣いと言い子供らしくなさすぎる。今まで金稼ぎとして子供の世話を何度かしていても、見た事の無いタイプの子でどう対応したらいいか偶に分からなくなる。
そんな事を思いつつも、まぁ成長が早いぐらいなのだろうな無理やり自分に納得させていると、そのフェリクス様がクタクタになって戻ってきていた。
「水ですよ。ゆっくり飲んでください」
そう言ってコップに移した水を渡すと余程喉が渇いていたのかフェリクス様は、すごい勢いでそれを飲み干そうとしていた。私はそんなフェリクス様の額の汗を布で拭こうとしました。
「あ、いや、大丈夫です」
「・・・そうですか」
ですがそれをすぐに嫌がり、私から布を受け取ると自分で汗を拭きだしてしまいました。
この子は昔からこういう周りに頼るのを嫌がる所がよくあります。遠慮がちと言うか、一歩引いているような行動が多くて心配になる事が多いです。
昨日に色々この辺の事を聞いてき時は、珍しく頼ってくれたような感じがして、少し嬉しいような安心したように感じたんですけど、今の反応を見るに中々心を開いてくれてなさそうです。やはり何か悩みがあって抱え込んでいるから、私の中に違和感があるのでしょうか?
「これ、ありがとうございます」
そう言ってフェリクス様は水の入ったコップと拭き終わった布を丁寧に畳んで渡してきた。この歳でこういった丁寧さがあるのは素晴らしいと思いますが、逆にその丁寧さが私の中での違和感を増幅させていく。
ですがそう言ったのも含めて私がなんとかしないといけません。だって私はフェリクス様の世話をするために雇われたのですから。こんな私を雇ってくれたお二人に恩義に応えないと。
そう決意を新たにしていると、どうやら互いに木刀を持ち向き合って素振りの練習からやるようでした。
「もっと脇締めろー、ちゃんと前向けー」
「は、はい!」
私は庭の橋に座りジッとそれを眺め続けました。ただこういう親子の光景を眺め続けていると、弟がそのまま成長していたらこんな感じだったのだろうかと。ふと考えてしまってしまう。もうこんな昔の事を思い出すなんて歳なのでしょうか。
それから数分が立つと明らかフェリクス様の握力が無くなってきたようで、木刀を振るう手には力が入らなくなっていた。まぁ子供なら仕方のない事です。
「・・・ちょ、ちょっと・・・もう・・無理です・・・」
「んーじゃあ明日もやるからしっかり休めよー」
走ってたこともあってかすぐにバテてしまい、それを分かっているのか旦那様も今日の指南はすぐに終わらせるようでした。いきなり子供にやらせるには厳しいように感じますが、旦那様なりに考えがあるのでしょう。
そうして旦那様が先に家の中に戻るのを見届けてから、私は庭に寝転がって胸を上下させるフェリクス様の元に向かった。
「大丈夫そうですか?」
「え、えぇ、とりあえずは・・・・」
私の渡した新しい布で汗を拭きながら息を整えているのを見ていると、なんとなく気になった事があったので聞いてみることにした。
「フェリクス様はなぜ旦那様や私にも敬語なんですか?」
その質問にフェリクス様は布を掴んだまま、きょとんとして少しの間考え込んでしまってしまっていた。
そしてしばらくすると、考えがまとまったのかフェリクス様は汗を拭く手を再開していた。
「えーっとなんとなくです。もし不愉快だったなら変えたほうがいいですかね?」
やはり距離があるというか気を使っているように思える。使用人である私に使う必要なんて無いのに、この卑屈さとも言える謙虚はどこで学んだのでしょうか。
そんな風に考えていると、フェリクス様が不安そうな顔をしているのに気づきました。
「あっあの・・・?何か変な事だったりしますかね?」
「・・・いえ、フェリクス様の言葉遣いが年齢にしては丁寧で素晴らしいなと」
あまり不安を与えても良くなさそうですし、ここは一旦は引き下がることにした。丁寧である事は良い事ですし、取り立てて指摘するような物じゃない。それに私も教える事が減ったと喜べばいい話ですから。
「あ、ありがとうございます?」
なんだったんだと疑問そうな表情を見せるフェリクス様。
この子を見ていると、もしかしたら周りの大人を信用していないのかもしれないと思う。私もある時から大人を信用せずに育った口ですから、気持ちは分からないでも無いですが、あのお二人を親にしてそうなるのはあまり理解が出来ない。
でもだからこそ私が寄り添ってあげないとこの子は、将来苦労するのかもしれない。そう思い話を聞いてみようと、寝転がるフェリクス様の隣に座るとあちらから話しかけてきました。
「・・・えーっと、そういえばブレンダさんは子供の頃どんなだったんです?」
「・・・・・私ですか」
顔を私に向けつつフェリクス様がそう聞いてきて、私はどう答えたものかと頭を悩ませた。
自分の子供の頃の話なんて、人様に語れるほど胸を張れる物では無いし、子供に聞かせるには重い話になってしまうと少し躊躇ってしまう。
でももしかしたらそれがフェリクス様の違和感の正体を探れるかもしれない。そう考えた私は前置きをしつつも話す事に決めた。
「最初に言いますが、面白くないですし、明るい話ではないですがいいですね?」
「えぇ大丈夫です!お願いします!」
私の念押しに対してフェリクス様はさっきまでの疲れた様子はどこへやら、随分聞く気満々で姿勢を起こして私を見ていた。
そんなフェリクス様を見て案外子供っぽい所もあるのだなと思いつつ昔話を始めめた。
「私は、ある夫婦の長女として産まれました」
ーーーーーー
私ことブレンダは、軍人の父と市民の母の元に長女として産まれました。
市民階級ではありましたが父は遠征に行くことが多く家を留守にしがちで、その上待遇も良く無く貧乏な家庭でした。
でも、そんな中私が五歳の頃に弟が出来たのです。
「これでブレンダもお姉さんねぇ」
そう言いながら、母は布で包まれた産まれたばかりの弟を抱えていました。そんな母の姿を見て、私も子供ながらに初めてできた弟のために頑張ろうと思ったものです。
「はい!お姉さんとして頑張ります!」
「いい子ねぇ。明日はお父さんも久々に帰ってくるし、お祝いにご飯ちょっと豪華にしようか?」
「やった!楽しみ!」
そう私は喜びを体全体で示すように飛び跳ねていました。
そんな私の頭を母の手が撫でてきました。小さい頃褒められる時はいつもこうやって頭を撫でられたものでした。私もま子供で、まだ母の温かい手のひらが恋しい年ごろだったのだから仕方ないです。
「じゃあ、もう今日は寝なきゃね。色々手伝ってくれてありがとね」
「はい!おやすみなさい、お母さん!」
この時が私にとって一番親というものを実感できた時かもしれません。
命を懸けてお金を稼いで、忙しいながら祝いの日には何とか帰ってきてくれる父。家事に追われながらも一人の女性としての幸せを得た母。そんな二人に愛されてすくすくと育つ私。貧乏ながらも不満などなく毎日楽しかったものです。
でもそんな楽しい日々は長くは続きませんでした。
それは今でも忘れない珍しく大雨が降って家の中が暗く沈んでいた時の事。弟が二歳の誕生日を迎えることなく死んでしまったのです。
こうやって赤ん坊が長生きできないなんて、珍しいことではありません。だから親は子供が成長するまで干渉する事を避けるのが普通ですし、それが一般常識でした。
ですが、当時七歳の私にとっては初めて体験する死という概念で、そう簡単には受け入れられませんでした。
「もう会えないってどういうことなの?なんでいなくなっちゃうの?」
暗くなった部屋で冷たくなった弟を抱える母に、訳も分からず泣きながら問い詰める私。今思えば母の方が苦しかったのかもしれない。
「・・・仕方ないの。もうバイバイしなきゃいけないの」
「なにそれわかんない!どこいっちゃうの!ねぇ!」
当時はこうやってはっきり言ってくれない母にイライラしていました。母が一番悲しかったでしょうに、酷なことをしていたと思います。でも当時の私にそんな事分かる訳も無く、ただ縋るように母の腕を掴んだ。
「・・・なんで何もいってくれないの?」
「・・・・・・そうだ!お父さんならなんとかしてくれるんじゃない?」
「・・・・・・・・・・もうすぐ帰ってくるっていってたよね?その時になんとか━━」
私の問いかけに母はうつむいたまま何も答えてくれませんでした。そしてその俯いた顔のまま苦しそうに今にも泣きそうな声で。
「・・・・ごめんね。頼りないお母さんで」
「なんで、なんでなんでなんで!お母さんがあやまるの!?」
「ごめんね、本当にごめんね。何もできなくて」
そういう母は、私よりも涙を多く零していた。私が傍でいくら言っても、ただただ私に謝り続けるだけで会話を拒んでいた。
そんな母を見ている私も段々と溢れる物を我慢できなくなり泣き始めてしまっていた。その時はそれだけで夜が更けてそれ以降はどこか家の中が、この日の様に暗く沈み続けました。
ですがその一年後今度は妹が出来ました。
もしかしたら弟が死んでしばらく塞ぎ込んでいた私のために、母と父が家族を増やしてくれたのかもしれません。
でも当時の私は、まだ弟の事を引きずっているのもあり複雑な気持ちでした。だけど妹の出産をしてから病気がちになってしまった母のために、なんとか気持ちを切り替え代わりに頑張ろうと奮起しました。
そうして慣れない育児をし始めたのですが、この頃は母の病気もどんどんと悪化し始めそちらの世話も私がすることになりました。
「大丈夫?お母さん?」
「ゴホッ、ゴホッ、う、うん、大丈夫よ」
母の口元を抑えた手には咳と一緒に出た血がついていた。母の体調が良くないのが分かっていても、医者に見せるお金なんて無くて、ただ治るのを祈ることしか当時の私には出来なかった。
「とりあえずごはん食べれそう?」
「えぇ、おねがい」
私が母をゆっくりと寝かして台所に粥を取りに行こうとすると泣き声が聞こえてきた。
「っとちょっと待っててお母さん」
そう言い残し、私は慌ただしく妹のいる部屋へ向かおうとする。すると背中を向けた母から弱々しく、あの日弟が死んだときの様な縋る声が聞こえてきた。
「・・・・ごめんね、全部任せちゃって」
私はドアノブに手を掛けたまま振り返った。数年前とは比べ物にならない程弱々しく肉が削げ落ちた母の顔。もう精神的にも肉体的にも限界なのかもしれない。
でも私はそんなお母さんに気を使わせないためにも出来るだけ元気に。
「気にしないで!私も家事やってて楽しいから!」
「ほんとに・・ごめんね・・・」
そんな母を置いて妹の世話をする為私はドアノブを捻った。
もうこの頃からはよく体調を崩すようになった母に変わって、ほとんど私が家事をするようになりました。でもどんどんと家の空気は暗くなるばかりで、私あ子供ながらに両親に心配をかけまいと無理に作り笑いをすることが多かった気がします。
頼りの父は遠征であまり帰ってこれず、母は病床に伏し、まだ赤ん坊の妹。私がこうやって無理をしないとどうにもならない状況でした。
ですが私がいくら頑張った所でやはり悪いことは続くものでした。
妹が五歳になったある日、父が遠征先で亡くなりました。でも帰ってきたのは紙切れ一枚の死亡通知書と、その他書類だけの冷たい物だった。
「・・・・・・・・・」
たしか外は昨日からの雨で曇りなのか部屋の中は薄暗かった気がします。私にとってつらい事がある時はいつも天気が悪いのかもしれません。
そしてそんな中ベットの上で俯いている母に私はゆっくりと話しかけました。
「・・・・・お母さん、これからどうするの?」
聞いてみたけどやはり母から返事はありませんでした。もう父の死で限界を迎えてしまったのでしょう。昨日父の死を知ってから一度も食事を口にせず、本当に死ぬ気なのかと思うほどでしたから。
でも私にもそんな母に構っている余裕は無く、母の返事を諦め家事に戻ろうとすると、私がドアノブに手を掛けると母が口を開きました。
「・・・・・どうするって?あなたはどうすればいいと思うの?病人と二人の子供で生きていけると思うの?」
ゆっくりと振り返ると、母の伸びきった前髪の間から薄く濁ったような両目と目が合ったのを覚えています。
そんな久々に正面から見た母の顔はひどく荒んでいて、少し後ずさりをして扉に手を置きました。ですが、母だって苦しんでいるんだし妹のためにも私が頑張らなきゃと思い、ドアから離れ一歩を踏み出しました。
「で、でもさ国からお金が出るって話じゃん?それに私も働いて頑張るからさ!元気出してよ!」
そんな私の励ましも母には届かず、母は自嘲気味に軽く笑い飛ばされるだけでした。
「あんたが頑張っても、私の病気は治らないし、お父さんも帰ってこないのよ。それに金だってすぐに尽きるわよ」
この時の私には母親がひたすら無責任に見えました。まだ五歳の妹もいるのにこんなあっさりと諦めてしまっているのが許せなかったのです。
そんな怒りを込めつつも、いつかの優しい母に戻ってくれと精一杯声を張り上げました。
「・・・・で、でも、それでもなんとかしなきゃいけないじゃん!!!」
「知らないわよ、もう。どうせ私だって長くは生きれないし」
だけど母に私の言葉は全く意味を成さなかった。もう母にとっての生きる意味に私も妹もなれなかったのかもしれない。でも弟の死であんなに悲しんでいた母が、自分の死を受け入れている事が理解できなかった。でもあんな母に私は強く言えず床をジッと見てしまっていた。
「・・・・・・・」
長年治らない病気、息子と夫の戦死、これからの生活への不安。一人の人間が背負うにはあまりにも重すぎた。今思えば同情もするし理解もするけど、やっぱりそれを親の行動として認めれない自分がいる。
そして薄暗い部屋の中沈黙を破るように再び母が口を開いた。
「あなた達は、孤児院に行きなさい」
「・・・え?」
その言葉を一瞬理解出来なかった。でもその言葉の真意を聞き返す前に母は、昨日受け取った書類から地図と手紙を差し出してきました。
「ここに戦争孤児用の孤児院があるの。申請してあるからそこでお世話なりなさい」
「で、でも、お母さんは・・・・」
私たちが居なくなったら母はどうするのだろう、そう思いましたが、母の次の言葉で母にこの家族で生きる選択肢が無いのが分かってしまいました。
「私はどうせすぐ死ぬんだから関係ないわよ」
「で、でも、い、妹はどうするの!?まだ五歳だし大変じゃないの?」
どうにか孤児院に行かないでいいように言い訳を探しましたが母には届きませんでした。
「孤児院には、あなた達みたいな子がたくさんいるから大丈夫よ」
「い、いや、で、でも、、、、」
でもどうやら母の中では決まったことらしく、結局私の言葉は届いていなかったようでした。それでもなんとか母と妹と三人で一緒に生活できるよう考えました。だからどうにかならないか色々子供なりに案を出して、母の機嫌を取ろうと明るくしました。
でもそれがダメだったのか私の話をを聞くたびに、ほとんど怒ったことが無かった母の顔が段々と不機嫌そうに歪んでいってしまっていた。
「・・・・はぁ、なんで分からないかな。もう私は無理なの」
「私には何もないの!私には無理なの!!私はもうあなたの母親じゃないの!!!」
「ねぇ分かる!?私の気持ち一度でも理解しようとした事ある!?!?」
「ねぇ!!!!黙ってないでさァ!!!!!聞いてんのって!!!!!!」
母の近くにあったコップが私の足元を転がった。そして母は一息置くと決定的な事を言った。
「私は!!あなた達にどこかへ行ってほしいの!!!」
一言一言重ねるごとに語気が強くなって、私を突き放すような言葉を刺してきた。私はただギュッと両手を握ってその言葉に胸を傷つけられながら我慢していた。
でも所詮は十歳の子供、当時の私はそれを聞いてかなりのショックを受けた事を覚えている。いくら大人ぶっていてもたかがただの子供で、親にこんなこと言われて正常じゃいれませんでした。
「なんで、なんで、そんなこと言うの?怖いよお母さん」
私は段々と呼吸が浅くなり、視界はもう歪んで殆ど見えていなかった。
でも母はそれから感情が決壊したかのように怒り始め、よろけながらも私の元まで歩いて肩を掴んできた。その手は私の肩に爪を食い込ませ段々と私の着るボロ布が赤くなっていた。
「じゃあなんであなたは私の気持ち分かろうとしてくれないの!?今私がどんな気持ちか分かって言ってる!?!?」
「今までどんな思いでこんな生活耐えてたと思うの!?!?!?」
「どうせこんな生活になったのも私のせいだって言いたいんでしょ!?!?ねぇ!!!」
「ねぇ!!!教えてよ!!!!私の人生なんだったの???」
最早それを母と呼ぶにはあまりに異形すぎました。少なくとも当時の私にはそう見えていました。
「賢いあなたならわかるでしょ!!」
「ねぇってさ!ねぇ!!黙ってないでさ!!!!」
長く伸びた爪は更に私の肩に食い込み、生気のない青白い顔が目の前で叫んでいました。そんな顔を見たくなくて私は逃げる様にひたすら俯いていました。でもそれだけじゃ母の怒りが収まることは無く、妹が部屋の外で怯え声が聞こえながらも母は叫び続けた。
その時にはもう私にはどうしようもできなかった。
もうこんな母を見たくはなかった。
もうこんな場所にいたくなかった。
だから私は決意した。
私は母の手を振りほどき、妹のいる部屋まで走りました。背後で母の金切り声が聞こえましたが、部屋から出ることが出来ないのか、家の中では扉をひっかく音だけが気味悪く響いていた。
そうして必要な物を私はまとめて玄関に向かった時。丁度自室の扉を開け、私の血か母の血か指先を赤く染め、恨めしいように私を睨む姿が最後に見た母でした。
私は妹の手を握りしめそんな母から逃げる様に家を出たあとは、雨が降り始める中迷いつつも何とか孤児院に行きました。
そう結局は嫌がってた自分から孤児院に来てしまったのです。でも経過は最悪な別れ方をしてしまったと今では後悔しています。
そうしてやっとの思いで着いた孤児院の前には、一人の傘を差した男が立っていました。
「・・・あの、これ」
その男にぐしゃぐしゃになった地図と手紙を見せる。
最初は怪訝そうにしていた男も、手紙を見ると納得したようで、その瞬間の優しそうな顔に安心したのを今でも覚えています。
「あぁ前の戦役の子か。とりあえず上がって」
言われるがまま孤児院の中に招き入れられ、タオルと温かいミルクを渡された。でも私の中ではずっと母の金切り声が頭の中で響き続けていた。
「色々大変だったでしょう。これからはここが家だと思って過ごしていいからね」
「はい・・・ありがとうございます」
あまりきれいな孤児院ではありませんでした。妹も建物に入ってからずっと泣きじゃくり怯えていて、ぎゅっと私の手を握りしめていました。
だからそんな妹を守らなければとこの時の私は決意しました。あんな母みたいにならず最後まで責任をもって守り抜くんだと。
それからは孤児院での新しい生活が始まりました。
妹は上手く周りと馴染めたようで、すぐに年上年下構わずそれに教会の人含めた皆の人気者になりました。
私はというと、周りとは絡まずとにかく孤児院を出たあと職に困らないように、色々勉強をさせていただきました。
ずっと夢に出てくるあの時の母の姿で寝不足になりながらも努力しました。使用人ができるように家事をさらに勉強し、家庭教師ができるように教養を身に着け、傭兵なり冒険者ができる様剣術を学んだり、出来ることは何でも取り入れました。それが私なりの妹の守り方だと思っていたから。
でも失いすぎた代償なのでしょうか、このころからはもう作り笑いすらも出来ず、周りとの溝も深まるばかりでした。
でもそれでもよかったんです。私は最後の家族を守るため、それだけにすべてを注ぎました。それが私の幸せで家族の幸せだったから。
ーーーーーー
「・・・と、こんな感じですかね子供の頃の話は」
今自分で話していても、聞いてて気分のいい話ではないなと思う。このまま話したわけじゃなくて多少濁したけど、やっぱり人に聞かせるものではない。
そう思いフェリクス様の方を見ると鼻を赤くさせ涙目になっていました。
「あっあの、大丈夫ですか?ごめんなさい暗い話をしてしまって・・・」
「いやあの大丈夫です。つい感情が入ってしまって・・・」
私はこの話でそこまで反応してくれるとは思っておらず、どう声を掛ければいいか分からず少し混乱してしまった。この子を相手にするとどこかもう少し上の子と話している感覚になって、どうしても話過ぎてしまう。
するとフェリクス様は鼻をすすって赤くなった目でこちらを見つめてきました。
「その後はどうなったんです?」
「・・・・・・それは・・・・・また明日でいいですか?」
今日は私も少し疲れたので、もう話す気分になれませんでした。それにこの後もそこまで明るい話では無いですから。無論私にとっては大事な大事な想い出ですが。
だけどそこまで説明するまでも無く、フェリクス様はそれを察してくれたのか立ち上がりお辞儀をすると家に入っていきました。
そんなフェリクス様の背中を見ながら、ますますあの子が分からなくなってしまっていました。
普段子供らしく感情を見せる事の無いあの子が、今あそこまで感情を出したのはなぜだろうか。
なにか感情移入出来る所があったのか。やっぱり何か家族関係で悩みがあって言えないでいるのか。なら私が何とかしてあげないと、あの感じは危うく見える。
「・・・・ただの他人の子供のはずなんですけどねぇ」
老婆心なだろうか。それとも昔の私みたいに周りと壁を作って孤独に見えるからでしょうか。
もし何か悩みがあるなら何とかしてあげたい。人は悩み不安を一人で抱え込み続けるには、あまりに弱い。
ましてやあの子はまだ七歳の子供です。小さな擦り傷で破裂してしまうかもしれない、そんなあの子を放っておくわけにはいかない。妹が嫌った私の様にはなって欲しくない。
子供はいつも笑って過ごすべきなんです。
そう決意を私は固め立ち上がりました。