第五十三話 想い出の街へ
僕がイリーナの手を取り森の中を迷いながら進むこと一週間。そろそろ景色に変化が欲しいと思い始めていた頃。
「なんか二年前思い出しますね」
盗賊の所から逃げた時も平野だったり森だったりを、一文無しで彷徨い歩いてサバイバルしていた。まさに今の状況と同じで、イリーナといるとこういうのばっかりだなと感じる。
「まぁそうかもな」
僕の隣を歩くイリーナは、あまりその事に興味が無いのか眠そうに欠伸していた。
それ以上話す事が無くなった僕らは、二人分の土を踏みしめる音だけを頼りに森の中を歩いて行った。
そしてしばらくすると、僕らの視界の先には雪を被ったまさにアルプスって言った感じの山が見えた。
「ディリア山脈か」
イリーナがそう見上げてディリア山脈と言った山々は、ブレンダさんの話だと大陸の南北に横たわる山脈だったはずだ。
これが本当にディリア山脈なら、エルム村はこの山脈の西側だからこれを越えればまたあそこに帰れるのか。
「ん~どうっすかな」
僕は土地勘も何にも無いから、進む方向をイリーナに任せていたのだが、そのイリーナが進む方向で迷っている様で頭を掻いていた。
まぁ流石にこの山を越えてもアルマさんの街には帰れないだろうし、逆側に進んだ方が良いのではっと思っているとイリーナが口を開いた。
「んーっとだな。ちょっと行きたいところあるんだが、付いてきてくれるか?」
悩んだ後結論が出たのか、イリーナは僕の方を見てそう確認を取ってきた。
「まぁ場所によりますけど、半年以内にアルマさんの所に帰れるなら良いんじゃないです?」
一応依頼を受けて手当貰った以上、アルマさんに報告しないと冒険者証剥奪されかねない。まぁ多分この感じ今まで逆方向に進んでいたっぽいから、ちゃんと半年以内に帰れるかも怪しいが。
だが僕のそんな考えとは裏腹に、イリーナの行きたい所とはもっと遠い所らしかった。
「エルム村に行かないか?多分半年以上は掛かるだろうが」
イリーナは山の向こう側にあるであろうエルム村を見るようにして、目の前の山脈を見上げていた。
何かイリーナとしても思う所があるのだろうか。そう僕はイリーナの心境を推し量るようにして聞いてみた。
「何かそうしたい理由があるんです?」
そんな質問に対してイリーナは、うーんと唸った後腰に手を当て僕を見た。
「まぁあたしが言うのもあれかもしれんが、墓参りみたいなもんだ。あ、あとこれも返したいしな」
イリーナは思い出したように、ブレンダさんの妹からの贈り物だったナイフを取り出した。
僕としてはイリーナに持っていてもらってもいいけど、本人的にはそうしたいらしい。まぁイリーナなりの考えがあるのだろう。
「いいですよ。僕も気にならないと言ったら嘘になりますし」
僕がそう答えるとイリーナは青い髪を揺らして、僕に向き直って笑いかけてきた。
「じゃあ行くぞ」
イリーナの差し出して来た左手を僕は手に取って、僕らは再び歩きだした。
この日から僕らの半年間に及ぶ山越えが始まったのだった。
ーーーーー
「おい!平野が見えたぞ!!」
僕らは川沿いにディリア山脈の向こう側を目指して歩き、長い長い峡谷を進んでいた。所々歩ける場所が無くて遠回りとかもしたけど、天候も荒れることもなく順調に山脈を超えれそうだった。
「一回ここで服とか洗ってきません?」
ここ最近は川沿いが峻険で切り立っていたこともあって、近寄れなくて服が洗えず匂いが気になっていた。ここなら少しだけ河原があるし、どうせ山を出るなら丁度良さそうに思えた。
「うん、まぁ確かに。そうするか」
イリーナも自分の袖の臭いを嗅ぐと、少し嫌そうな顔をしていた。
一週間ぐらい水浴びできない上に、山の中とは言え夏で汗もかいてて、気持ち悪いし水浴びとかしたいな。そう僕らは川のせせらぎのする方へ足を滑らせないように降りると、丁度バーベキューが出来るぐらいの広さの、丸い石がゴロゴロ転がるどこかでよく見る川辺に出た。
「んじゃあイリーナはあっちの岩陰で先に水浴びしてください。僕は服洗っておきますから」
僕はそう言って荷物からタオルを出してイリーナに手渡した。だがイリーナはそのタオルを受け取るとなぜか不満そうに顔を逸らしてしまった。
「い、いやいい。自分で洗う」
僕がここで脱げとでも言っていると思ったのだろうか、少しイリーナが顔を赤くして恥ずかしそうにしていた。流石にそんな事言う訳がないのに、イリーナも変な心配するものだな。
「いつも僕に家事料理押し付けてるクセに急に何ですか?別に岩陰から服投げてくれればいいですから」
するとイリーナは僕が渡したタオルを振り上げると、そのまま僕の顔面に投げ返してきた。
そのタオルの顔から取って視界を確保すると、既にイリーナはお怒りのようで大股で岩陰に歩いて行ってしまっていた。
「自分で洗うからほっとけ!!!」
何をそんなに怒っているのか分からんけど、変に突っかかって殴られたらたまったもんじゃないしまぁ良いか。
僕はそう思って岩陰にイリーナ用のタオルだけ投げ入れると、自分も服を脱いで川に足を入れたのだが。
「つっっっめった!!!」
雪解け水なのだろうか、気温との差も相まって川がかなり冷たく感じた。それはイリーナも同じようで、僕が叫ぶと同時に岩陰からも叫び声が聞こえてきた。
それから僕は水の温度に慣らしながら、全身を濡らして布でこすっていた。石鹸とかが無いとどうしても臭うから使いたいけど、そもそも年も人里離れた所にいるんだからもう手元にあるはずがない。
そんな不満抱きながら、水浴びを終えて僕は予備の薄手の服と下を着た。そして残りの服を荷物から取り出して、一つずつ丁寧に手でこすり始めた。
「・・・これももう寿命かなぁ」
しばらくシャツ代わりに下に着ているけど、流石にボロボロになってきていた。この感じだと長く持ちそうに無いし、山を下りたらすぐに街が見つかると良いんだけど。
そうして選択をして5分程。手持ちの服もほとんど着の身着のまま出たせいで、あまり洗濯物もないからすぐに洗い終わった。そして少しだけ肌寒く感じながらも、薄手の格好のままイリーナを待っていた。
「・・・・・・おっそいなぁ」
そうして待っている内に15分は経過しようとしていた。もしかして服洗おうとして、流されたとかじゃないよな?流石にそんなどんくさい人じゃないとは思うけど・・・・。
心配しながら待つ事更に10分。未だにイリーナが岩陰から出てくる様子は無かった。僕は流石に心配になって岩の手前まで歩いて声を張り上げた。
「イリーナーー!?大丈夫ですかーーー!?」
僕がそう言うと同時にパシャんと水を蹴るような音が何回かした。もしかしてあんなに冷たいのに川の水につかっていたとでも言うのだろうか。
するとその水の音が消えたかと思うと、岩の向かい側から返事が来た。
「も、もう出るからこっち来んなよ!!!」
「言われなくても行きませんよ!!」
人を待たせといて第一声がそれかよと思いつつ、僕は言われた通り岩から離れてその辺の河原に座ってイリーナを待っていた。
そうしてまた10分待たされ、何やっているんだと思っているとやっとイリーナが岩陰から出てきた。
「・・・・髪下ろすと印象変わりますね」
いつもポニーテールみたいな感じで髪を縛っている所しか見たことないから、髪を下ろしているのが新鮮だった。水で濡れてるせいか変に色気があって、僕にはあんまり直視できなかった。
「ん?あ、そうか?」
イリーナは髪をタオルで乾かしながら、そう言って僕の隣に座った。するとその時少しだけふわっと良い匂いがした。
「石鹸使いました?」
僕は川の方を見ながら、そう聞いたがイリーナには心当たりが無さそうだった。
「いや?特に使ってないが。・・・・匂いとか気にならないよな?」
そもそも臭いも特に気にならないし、デリカシー気を付けろってヘレナさんに言われたしここは変な事言わないようにしないとな。
そう僕が頭を捻って自分の臭いを嗅ぐジェスチャーをして答えた。
「大丈夫ですよ。逆に僕が臭くないか心配なぐらいですし」
そう言うとイリーナはニヤッと笑うと僕に顔を近づけ、匂いを嗅いできた。するとやっぱり石鹸を使っているのかイリーナから良い匂いがした。
そんな状況に心拍数が上がっていると、イリーナが僕をからかうように見上げていた。
「あーこれは臭いな。もう一回水浴びしたらどうだ?」
本当の事を言っているのかもしれないけど、この顔は確実にからかっている。それだけはこのイリーナを見れば分かった。
それに加えて恥ずかしさもあってか、僕はイリーナの顔を僕の体から離すように無理やり押し返した。
「そーいうのいいですから。服乾いたらすぐ出ますよ」
僕は傍にいるのが少しだけ恥ずかしくなって、イリーナから離れるように立ち上がった。
すると川上からひんやりとした川風が降りてきて、視界の先には木の棒に掛けた僕の洗濯物が揺れていた。なんだか半年前の事が本当にあったのかと、疑ってしまうほど平和な光景だった。
そんな光景に少しだけ痛む心から目を逸らさないようにか、僕はふとヘレンさんやあの女の子を思い出していた。
もしかしたら都合よく生き残ってくれているかもしれないけど、現実はそう甘くないのは知っているつもりだ。だから僕はこの痛みを忘れずに背負っていかないといけない。だからあの時僕は街に戻ろうとせず、イリーナの手を取ったのだから。
ーーーーーー
山脈を超えてからまた一か月が経った。最初こそは平野で何もない所をただ歩いていたけど、段々牧草地や畑が散見されるようになって、久々に大きな街に僕らは着いた。
「ここって・・・」
まだ使えるか心配だったイリーナの冒険者証で城門を突破すると、そこに広がっていた景色は、いつか来た見知った街の景色そっくりだった。
「エースイの街だな。お前らが魔力測定したっていうな」
城塞都市って感じの風貌と、特徴的な大きい城がそこにはあった。入り口こそはあの時と違う門だし、3日ぐらいしか滞在していなかったはずなのに、この光景を見るととても懐かしい感じがした。
「ほら、ボーっとしてないで買い物行くぞ」
感傷に浸っていた僕とは対照的に、イリーナは街の中へどんどん進んでいってしまっていた。僕はそんなイリーナの隣に追いつくと、財布の中身を確認していた。
「とりあえず、服と食料と剣の手入れもお願いしないといけないし、あとは・・・・」
僕がそう必要な物をリストアップしていっていると、イリーナがニヤッと笑って一言付け足して来た。
「あと石鹸だろ?」
「・・・うるさいですよ」
イリーナは一か月前から妙に僕の臭い弄りしてくるのが鬱陶しい。まぁ実際石鹸は欲しいから買うけど、そう言われると買いずらくなる。
そんなどうでもいいような中身の無い会話も挟みつつ、エースイの街の中心に向かっていると、どこからか懐かしい匂いが漂ってきた。
「あ、あれって」
その匂いの元を見ると、以前来た時にもあったタコスっぽい何かを売っている屋台があった。もう8年ぐらい経ったはずなのに、まだあるなんてちょっと感動するな。
「うまそうだな。昼もまだだし食うか」
イリーナもその匂いに惹かれたみたいで、僕らはその屋台の元へ歩いて行った。そしてそこで昔ブレンダさんがしていたように、タコスっぽい物を注文したのだが。
「二つで銅貨8枚ね」
どうにも値段が高かった。記憶だともっと安かった気がするし、アルマさんのとこの街でもこんなに食料が高かったイメージは無い。
まぁそれでも腹が減っていたせいで、僕の財布の紐は緩んでしまっていたから買ってしまったのだが。
「はい、まいど。熱いから気を付けな」
僕とイリーナはそれぞれ店主から受け取って、汁が垂れないように気を付けながら食べ歩き出した。するとイリーナのお口に合ったようで、大分上機嫌になっていたようだった。
「あ、これ旨いな!」
「ですね!」
かく言う僕も、久々に山草とかじゃなく味の濃い物を食べてかなり上機嫌になってしまっていた。やっぱり人間ジャンクな物を定期的に食べないとダメだよな。
そんな二人そろって上機嫌になりながら、もう少し買い食いをしてから目的地に向かって行った。
そうして僕らは、先に剣を鍛冶屋に預けると再び市場に戻り一通りの買い物を済ませた。それなりの量を買ったからか新調したリュックもパンパンになってしまっていた。
そして全ての買い物が終わる頃には、日が暮れかけて露店もだんだんと減っていっていた。
「買い忘れないですね?」
「あぁ大丈夫だ」
そうイリーナは、結局自分で選んで買った石鹸を大事そうに抱えていた。僕に臭いがどうので弄っていたけど、どうやらただ単に自分が欲しかっただけらしい。
「まぁじゃあ剣を受け取りに行きましょうか」
僕がショートソードを父さんに買ってもらった店が、見つからなかったのは残念だけど仕方ない。でも今回の鍛冶屋さんは腕がいいのか、夕方には終わらせてくれるらしいからそろそろ向かわないとな。
僕らがそうやって暗くなった小道を歩いていると、これまた懐かしい建物が見えてきた。
「相変わらずボロいなぁ・・・・」
僕らが魔力測定した老朽化の激しい教会が見えてきた。ここで魔力測定したせいで、イリーナ達の盗賊に襲われたんだから、因縁の場所ではあるんだけども。
「お前が村を離れてもう7、8年ぐらい経ったんだな」
「・・・・そんなに経ったんですね」
色々あったからもう父さん達と暮らしていたのが、遠い昔のように感じてしまう。それなのに僕はまだ16歳だし、人生前半にしては色々ありすぎだよなと思う。
「改めてすまんな」
そう申し訳なさそうに声を落としたイリーナと僕の視線が合わなかった。気まずさからか、罪悪感からか、ただ前を向いて僕の隣を歩いていた。
「今更ですよ。それにイリーナが謝ることじゃないですし」
そもそもイリーナもあの盗賊の被害者なんだ。一方的にイリーナを責める事は僕には出来ない。
そう思って申し訳なさそうにするイリーナに、僕は気遣ったのだが。
「まぁ事実あの使用人を殺したのはあたしだからな」
そうイリーナが、ブレンダさんの妹さんのナイフを取り出した。なんだかんだずっと大切にしてくれている様で、今でも綺麗に手入れされているようだった。
「今回エルム村にあたしが行きたいって言ったのも、これを返したいからなんだよ」
「・・・・もうブレンダさんは死んでるんじゃ?」
僕がそう聞くとイリーナは、振り返ってナイフを僕に見せてきた。
「だから墓ぐらい作ってこれを供えたいんだよ」
イリーナがこんな事を言うなんて意外だった。僕を気遣ってエルム村に行こうと言い出したと思っていたのだけど、そんな理由があったのか。だがすぐにイリーナはナイフを引っ込めて、頭の後ろに腕を組んで前を向いてしまった。
「ま、ただの自己満足だがな」
イリーナはそう自嘲気味に笑っていた。彼女なりにけじめをつけたいって事なのだろうか。僕はそう思ってイリーナより前に行って、正面からイリーナの目を見た。
「ありがとうございます」
「・・・・なんでお前が礼言うんだよ」
意図が分からず怪訝そうな顔をして戸惑っていたけど、僕はそれでよかった。僕以外にあの村の事を覚えて意識してくれている人がいるだけで、一人じゃないと思えたから。それになによりイリーナがそうやって、僕らの故郷を気遣ってくれたのが嬉しかったから。
そして僕はニッと笑うと、体を進行方向に向けて振り返ってイリーナを見た。
「じゃ、時間無いので走りますよ~」
日も沈み少しずつ淡くなっていく空の方角へと僕は走り出した。その空には淡くなった赤色の太陽の残り日が地平線沿いに広がっていた。
僕にはまるでそれが、あの日村を離れた時の空みたいに見えた。




