第五十二話 月のかがやきよ
誰かの足音がする。
それは短い間隔でジャリ、ジャリと、土を蹴るような足音だった。
そして僕はその音と同期するように何かに揺られているような感覚に気付いた。
そうして段々と五感が覚めてくると土のような匂いと共に風が顔に当たっていた。
そんなどこか懐かしいような感覚の中、微睡んだ意識が現実に浮上してきて覚めて目が開いた。
「・・・・ん?イリーナ?」
あれ、なんで僕はイリーナに背負われてるんだ?てかさっきまで何やってたんだっけか。頭も痛いし良く状況が掴めないな。
それにさっきまで何やってたんだっけか、モヤがかかったみたいで上手く頭が働かないな。
「えーイリーナ?」
僕の声が聞こえてないのだろうか。全くさっきから呼びかけに反応を見せてくれず、ただ森の中を僕を背負って走り続けていた。
「てか重くないですか?降ろしてくださいよ」
ほぼほぼ体格同じな僕を背負って良く走れるな。そう思っていると、イリーナがかなり汗をかいているのに気づいた。流石に一人の男を背負って走っている以上、疲れていないって事は無いらしいし、この感じはそれなりの時間を走っているのだろう。
「降りますよ~?」
僕は返事が無いイリーナにそう言って無理やり降りようとすると、やっとイリーナの走る足が止まった。
「・・・・・すまんな」
イリーナがそうポツりと呟くと僕を持っていた手を離した。そしてそのまま僕は自由落下して尻から地面に落ちてしまった。
「痛ったいなぁ・・・・。さっきからどうしたんですか?なんかおかしいですよ」
ずっとイリーナらしくないと言うか、声に覇気も無いし何かあったのだろうか。僕もさっきからなんでイリーナに背負われてるかも分からないし、そもそも直近の記憶が飛んでいるのか上手く思い出せない。
「嫌味か?お前はもっとはっきり言うタイプだと思ってたんだがな」
尻餅をついて座り込む僕を、イリーナは見下ろすように僕を見ていた。丁度月が雲に隠れているのか、辺りは真っ暗でイリーナの表情を推し量る事は出来なかった。
「いやさっきからなんなんです?勝手にキレられても意味わかんないですよ」
僕は頭がさっきから痛いのに加えて、イリーナがずっと意味の分からない事を言ってキレてくるから少し腹が立ち、語気が強くなっていた。
するとそんな僕の態度に、イリーナもイラつきだしたのか舌打ちをしていた。
「はァ?言いたい事あるならはっきり言えよ。いちいち回りくどい言い方すんのウゼェぞ」
僕はそんなイリーナに流石に鬱陶しく感じて、立ち上がってイリーナを正面から睨みつけて言ってやった。
「だから意味分からないって言ってんだろ!!勝手に一人でイラついて僕に当たらないでくれます!?」
そう言った時。月が雲の中から出てきて青白い光が、僕らの元に差し込みイリーナの表情が良く見えた。そうして照らされたイリーナの顔は、さっきまでの棘のある言葉を吐いていた同一自分とは思えない程、弱々しい表情で視線を僕から逸らしていた。
「・・・・・なんなんですか、本当に」
僕は何が何だか訳も分からず混乱していると、イリーナは一息置いて覚悟を決めたように、キッと僕を見ると腰からナイフを取り出した。
「お前があそこに戻るって言うなら、あたしは死んでもお前を止めるからな」
そうしてイリーナが僕に向けてきたナイフは、いつの日か見たブレンダさんが妹さんから貰ったというナイフだった。
「だから意味わかんないんだって!!!それに危ないからナイフは下ろせって!!」
さっきからどうもイリーナは様子がおかしかった。僕が覚えてないだけで、何かあったのだろうか。だが僕がそうやってナイフを下ろせと言っても、やっぱり僕とイリーナの間で会話がすれ違っている様で、イリーナは変わらずナイフを構え続けていた。
「あのジジイ相手じゃ何人束になっても勝てねぇんだよ。どうせ今頃戻っても全員死んでる」
「だからさっきから何を言って・・・・・・」
ふとそう言いかけた時、頭と言うか額の部分がズキンと痛んだ気がした。
その瞬間僕の抜けていた記憶の一部が流れるように、映像として頭の中にあふれ出して来た。
それで少し頭の中を整理すると、今なんでイリーナが僕を止めようとしているのかも理由が分かったし、僕がイリーナに怒らなければいけない理由も理解できた。その中でもヘレナさんやあの女の子の事も気になるし、おおよその顛末だって想像出来てしまった。
「だからお前にどう思われようが、死んでもお前をあの街には行かせない」
でも僕とは考え方が違う様で、あの街の人達を見捨ててイリーナは僕の命を優先したらしかった。イリーナが僕を守るためにしてくれたのは分かっているけど、そもそも僕はそんな事を望んではいない。
今まで僕を守ろうと死んでいった父さんやブレンダさんみたいにとは言わないけど、誰かを守るために戦うのはそんなにダメな事なのだろうか。それに死ぬとは限らないのに、最初から逃げていたら守れるものも守れないじゃないか。
そう、なんで僕だけを助けたんだと不満が湧き上がるが、目の前のイリーナを見ると喉元まで出かけていた、不満を込めた言葉はどこかへ消えてしまった。
「・・・・なんでそんな悲しそうな顔してるんですか」
イリーナは下唇を強く噛み、目は潤んで今にも零れそうになっていた。初めて見るそんなイリーナの顔に動揺していると、唇を噛むのを止めゆっくりと口を開いた。
「何年も一緒居るんだ、お前の考えていることだって大体分かる。でもお前にはあの街に残ってほしくなかった。死んでほしくなかった。出会って傷ついて欲しくなかった」
そう流れるようにイリーナは月明りの下絞り出していた。そんなイリーナは、いつもの意固地になっている時とは何か違うような気がした。
「これはあたしのワガママだ。お前に理解されなくても良い」
今戻った所で間に合わないのは分かる。でもそれでも僕があの街に戻って戦おうとすると、そうイリーナは思っているらしい。
実際そうした所で何にもならない。でも何もせずこの先ヘレナさん達の事を忘れて生きようにも、どうせ僕の事だ、いつまでも気に掛けて罪悪感を勝手に募らせるかもしれない。
「・・・・まぁでも、流石にか」
僕は知恵熱を逃がすようにフーっと白い息を夜空に昇らせた。
それと同時に出た僕の呟きが理解できないようで、訝しんでいるイリーナに僕は言った。
「イリーナを殺したくないから、僕は戦う気はないですよ」
僕はゆっくりとそう言って、分かりやすく両手を上げて抵抗する意思が無いと示した。だが、イリーナは僕を信用していないのか、未だにナイフを下ろしてくれなかった。
「で、油断してナイフを下ろしたらあたしを組み伏せるのか?」
「そんな事しませんって。今更戻ってもっていうのは分かってますし」
僕は父さんから貰った剣を腰から外して地面に置いた。そして一歩また一歩とナイフを構えるイリーナへ近づいて行った。
「逆にイリーナの中での僕は、貴女を殺してまで可能性の低い人助けを出来る人間に見えるんです?」
目線を落としたイリーナの息遣いが分かる程の距離まで、近づいた僕は立ち止まってそう問いかけた。
だがまだ迷っているのか、イリーナはナイフを下ろそうとしなかった。だから僕はそんな手を取って、そのナイフを僕の首元に押し付けた。
「どうせイリーナも僕を殺せないでしょ?」
それだけやっても、イリーナのナイフを握る手が震えるだけだった。だから僕は少しだけイリーナの考えを肯定するように言った。
「まぁあの街で逃げるって言われても、素直に従わなかったのは事実ですしね」
それを聞くとイリーナは少しだけ顔を上げて、僕を月明りを沢山反射した揺れる瞳で見てきた。
「・・・じゃあなんで今は違うんだよ」
僕はそんなイリーナに言い聞かせるように、ゆっくりと落ち着いてイリーナが納得してくれと願いながら話した。
「さっきも言いましたけど、イリーナは死ぬまで僕を止めるつもりなんですよね?人を助けるために人を殺すなんて本末転倒じゃないですか?それに今だとヘレナさん達を助けれるかも怪しいですし」
まぁそんな矛盾した選択肢を僕は盗賊の所にいた時にやったんだけどな。しかも二人殺して一人を生かすという、字面だけ見たら意味の分からない選択肢を。
だがイリーナは少し考えた後僕から目を逸らして、自信なさげに小さい声で呟いた。
「・・・・あたしはそんな大層な命なんざ持っちゃいないさ」
一度上げた目線をまたイリーナは下げてしまった。
「僕はそうは思いませんよ。何年一緒にいると思うんですか」
僕は意趣返しにと、さっきイリーナが僕に言った言葉をあえてそのまま返した。そして僕は少しだけ明るく冗談を言うようにイリーナに向けて言葉を続けた。
「それにイリーナがいないとまだ僕は15歳ですし、冒険者の仕事できなくなっちゃいますよ」
するとイリーナは視線を落としたまま、自嘲気味にいつもよりかなり小さくなった声で言った。
「あたしはお前が思うような良い奴じゃねぇよ。沢山人を殺したし騙したし見捨ててきた」
イリーナが自分を下げ始めてしまった。明らかに今のイリーナは可笑しいのに気づいていたが、僕はどうすればいいか分からなかった。でも僕はそんなイリーナは見ていたくなかった。だから僕は無理にでも笑ってイリーナの肩を叩いた。
「いやいや良い奴なんて思った事無いですよ。いっつも迷惑かけられてましたし」
そういつもの調子に戻れと煽っても、イリーナはそれもそうかと更に暗い顔になってしまっていた。正直いつもと様子が違いすぎて、今のイリーナが気持ち悪かった。
だから僕はもうどうにでもなれと思いっきりイリーナをビンタした。
「・・・・・え?」
破裂音に近いビンタした音が森の中に響き、イリーナは鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くして茫然としていた。
「だから!別にイリーナが自分をどう思っていても関係ないんですよ!僕がイリーナと一緒にいたいってだけなんですから!!」
「い、いや・・・だからそんな事思ってもらえるような人間じゃないし・・・・」
いつもは自分勝手に突っ走って迷惑かける癖に、こういう時は自分を下げてイジけるとかめんどくさい奴だな。いつもの傲慢さと滅茶苦茶さはどこへ行ったんだよ。
そう心配よりも沸々と怒りが湧いて来た。
「だからそんな事知らねぇって!僕がお前と一緒にいたい!!そう思ったんだよ!!!!」
僕の叫びが月明りで照らされた森の中に響いていた。でもそんな叫びを聞いてもそれ以上イリーナは俯いて言い返す事をせず、森は再び静寂を取り戻してしまった。
「・・・・・はぁ、なんでこんな話になったんだか」
僕は頭を掻きながらどうすればと困っていた。そもそもイリーナが僕を街に行かせないっていう話だったのに、なんで僕がイリーナに告白まがいの事言ってるんだ。
そう改めて思うと恥ずかしくなって、僕はイリーナから離れるように一歩下がった。
するとイリーナは視線を下に向けたまま、下がろうとする僕の服の裾を掴んだ。
「・・・・んじゃあどこにも行くなよ」
さっきよりもイリーナは小さい声で耳を赤くしていた。
そんな雰囲気に少し居づらさというか恥ずかしさを覚えて、僕は視線を逸らすように月を見上げた。
「・・・・・いいですよ。まぁイリーナ次第ですけどね」
僕のそんな返答を聞くと、イリーナはパチンと自分の両頬叩いた。そして今度は何事かと思っていると、イリーナは顔を上げて僕の頬も一発ビンタしてきた。
「これでお相子だ」
そうやって笑うイリーナは、頬を叩いたせいか少し赤くなっていた。でもいつもみたいな明るい笑顔に戻っ高と思うと、イリーナは僕から顔を隠すように背を向けて歩き出した。
「ほら行くぞ」
僕はそんなイリーナに相変わらず調子の分からない奴だなと思いつつ、まぁそれがイリーナらしいかと小走りで追いついて隣を歩いた。
「じゃあ次どこ行きましょうか」
僕はとりあえず一件落着と、これからどうしようかとイリーナの顔を覗いた。だが、イリーナは気まずそうに視線を逸らして頬を掻いていた。
「あー今更なんだけどな。実はここがどこだか分かんねぇんだよな」
僕は大きなため息をついて、これもイリーナらしいかと諦め空に浮かぶいっぱいに満たされた月を見上げた。
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私達が街から馬車に乗って逃げ出してから一日が経った。どうやら追手は来ていないらしく、やっと落ち着いて荷台で隣に座る女の子に話を聞ける様になった。
「名前はなんて言うの?」
答えなくても心を読めば分かるけど、こういうのは喋る事が大事なんだ。そうフェリクスとの事を思い出しながら、出来るだけ優しく笑って不安そうに縮こまっている女の子に話しかけた。
「・・・・・ラウラ」
今にも掻き消えそうな小さな声で、女の子が絞り出すように言ってくれた。私はそれに対して大げさに笑って、明るく答えてあげた。
「へぇ~ラウラちゃんか!良い名前だね!」
多分5歳ぐらいだろうか。多分私がイリーナに拾われた時と同じぐらいな年齢だと思う。
そしてどうやってフェリクスの事を聞こうかと考えていると、ラウラちゃんの小さな頭が私の膝の上にもたれかかってきた。
「・・・あ、寝ちゃったか」
まぁまだ時間はあるしまた聞けばいいか。そう考えて起こさないように、私はラウラちゃんの頭を優しく撫でてあげていた。
昔イリーナ姐が私にやってくれていた事を私がするようになるなんてな、そう感傷に浸っていると、正面にいたエルシアちゃんと目が合った。
「・・・・どうしたの?」
私がそう言ってもただ笑うだけで、何も口を開いてくれなかった。でも心の中は随分と饒舌に話してくれていた。
(フェリクスと会ったんだけど、やっぱり中身が違うとは言え見た目はかっこよくなっていたよぉ~)
私はここ最近のエルシアちゃんの様子と違う事に違和感を覚えつつ、動揺を見て取られないように声を抑えてエルシアちゃんに聞き返した。
「殺すんじゃなかったの?」
フェリクスを殺してやり直すってよく心の中で言っていたから、あの街にフェリクスがいると知って殺しに行ったのかもしれないと思っていたのだけど。
(いやぁ~まぁここまで来たのも初めてだし、もう少し引き延ばそうかなって。ライサちゃんの事言っておいたし、いつか殺されに私達の所に来るだろうしね)
エルシアちゃんがこうなのは、初めて会った時には既にだった。最初は正直どうでも良かったけど、フェリクスと仲良くなってからは、危ない子だなとずっと警戒はしていた。
それにここ最近はこの世界に興味は無くなったのか喋る事すら少なくなっていたのに、何かフェリクスと話したのか随分と表情が柔らかかった。
(ま、邪魔はしないでね~)
エルシアちゃんは器用に心の声で私だけにそう言うと、毛布に包まって目を閉じてしまった。何があったのか心の声でも聞こえなかったし、エルシアちゃんが何をどう思って何を目的にしているのかが未だに分からない。
でも確実にフェリクスにとっては危ない存在なのは確かだ。
「・・・・・はぁなんでこうも変なのばっかり」
私が言えた事じゃないかもしれないけど、頭のおじさんと言いフェリクスは変なのに執着されやすいのかもしれない。
私はそんな不安を逃がすように白い息を吐いて、少しだけ欠けた月を見上げていた。
「フェリクスと会いたいなぁ」
私は月に昇っていく白い息を見ながら毛布に包まると、月明りから逃げるように目を閉じた。




