第四十八話 すれ違い
僕はただ何も状況が掴めず、頬を抑えて座り込んでいた。
「本当に何なんですか・・・・」
目の前には黒髪を揺らしたヘレナさんが満足げな表情を浮かべて立っていた。ずっと礼儀正しい良い人だと思っていたのに、突然僕を殴ってくるから意味が分からなかった。
そうやって混乱している僕を置いて、歩き出して僕を通り過ぎてしまった。
「じゃあ次は貴女ですよ」
今度は何が起こるのかと振り返ると、どうやら僕が殴られた時に一緒に倒れ込んでいたらしかったイリーナを掴んでいた。
「え?今のでスッキリしただろ?あたしは良くないか?」
口ぶりからして、ヘレナさんに何か吹き込んだのはイリーナらしい。まぁそんな所だろうとは思っていたけども。
「そもそも貴女が自分を恨めって言ったんじゃないですか。歯を食いしばって下さいね」
ヘレナさんが楽しそうに笑っていたのと対照的にイリーナは引き攣った笑いをしていた。何がどうしてこんな状況になったか分からず混乱していると、裾を誰かに引かれた。
「おにいさんだいじょうぶ?」
そういえばイリーナに捕まれた時、この子の手を離してしまっていたんだ。どっかに行ったりしてなくて良かったと僕は安堵した。
「だ、大丈夫だよ。ありがとうね」
僕は意味の分からない状況な二人を無視して、安心させるように女の子の頭を撫でていた。
そうしていると、イリーナが殴られる鈍い音がした。どうやら宣言通り殴ったらしく、イリーナが何か喚いていた。
「じゃああっち行こうか?」
僕はそんなイリーナ達を無視して、立ち上がって女の子の手を引こうとした時。どうやら喧嘩は終わったらしくヘレナさんが僕らの元へ歩いてきた。
「あ、あの!さっきはすみません。ちょっと勢いというか、そんな感じでやってしまって・・・・・」
さっきは普通に笑顔で僕を殴ってきていたのに、この人は何を言っているんだ。今更しおらしくなっても流石に理不尽すぎて許せないのだが。
そうは思ったが、とりあえず何か事情があるのかヘレナさんに聞くことにした。
「で、なんで僕を殴る流れになったんですか?」
少し呆れたようにそう聞くと、ヘレナさんは目を伏せて申し訳なさそうに話し出した。
でもヘレナさんの話を聞いても、僕が来た辺りからがあまり理解は出来なかった。夜通し作業してただろうし、テンションおかしくなってやってしまったのだろうか。
「でもなんでその話を聞いて僕を殴るんです?イリーナで良くないですか?」
今の事情説明で一番良く分からなかった所を僕は聞いた。話の中だとちょっとだけ庇ってくれたイリーナはかっこいいと思ったけど、結局僕を殴らせようと誘導してたからなあいつ・・・・・。
「いやぁ、さっきも言ったんですけど勢いで・・・・・・」
つまり僕はほとんど、とばっちりで殴られたらしい。イリーナなりに解決しようとしてくれたのかもしれないけど、滅茶苦茶だし強引すぎるんだよな。
そんな僕の不満が募っていると、ヘレナさんは申し訳なさそうに目を伏せて勢いよく頭を下げてきた。
「ほんっとうにすみません!貴方の事考えたら殴るなんて理不尽でしたよね・・・・・」
そう頭を下げるヘレナさんを見ると、僕はどこか毒気が抜かれてしまった。まぁこの人の事情を考えれば、僕を恨むのも理解できるし仕方ないとも思えてきたし。
それにあんまりここでヘレナさんに頭を下げられていると目立つし。そう僕はまだ少し痛む頬を抑えて、ヘレナさんの方を見た。
「まぁ実際僕が盗賊としてヘレナさん達と戦ったのは事実ですし。今回のこれでお相子と言う事でいいですか?」
僕はまだ赤い頬を指差して、頭を少し上げて僕を見上げているヘレナさんにそう言った。まぁ殴られたのは不服だけど、ヘレナさんの事情も汲むと僕にはどうしても強く責めれない。今はどっちかって言うとヘレナさんを扇動したイリーナの方に対しての怒りが大きいし。
「あ、ありがとうございます」
僕はヘレナさんの頭を上げさせて、今回の主犯であるイリーナの方を見た。
「で!イリーナは僕に言う事無いんですか?」
未だに不服そうに頬を抑えて、地面に転がっていたイリーナの方を見た。
「いやぁ、あたしはお前らを仲直りさせたくてだなぁ・・・・」
この期に及んで言い訳するらしい。確かに僕とヘレナさんの関係は清算は出来たかもしれないけど、雑だしあまりにも思い付きで動きすぎだ。これでヘレナさん達の軍隊と争いになったかもしれないのに軽率すぎる。あと、僕を最初庇ったくせになんで一発殴らせるのはオッケーなんだよ。
「僕に言う事無いんですか?」
僕は怒りからすぐに殴りたくなるのを抑えて、イリーナの目の前で止まって顔を覗き込むように体を屈めた。近くで見ると僕より強く殴られたのか、口の中が切れて血が出ていた。
「・・・・・すまん」
イリーナは口元の血を手で拭って、僕から視線を逸らしてた。僕の怒りが通じたのか申し訳ないとは思っているらしい。
まぁ結果論経緯はどうあれイリーナの行動が正しかったからと、その謝罪で怒りを収めた。イリーナも良かれと思った事をこれ以上責めるのは、僕の心も痛むし。
「・・・・・はぁ、とりあえず口開けてください。治癒魔法かけるんで」
僕はとりあえずそっぽを向いていたイリーナの顔をこちらに向けて、口の中を覗こうとした。
「い、良いから!別にこんなん放っておけば治るわ!!」
「口の中真っ赤ですよ・・・・」
大分強く殴られたのか、口の中が血で大惨事になっていた。流石にこれを放置するのはまずいと思い、僕が治癒魔法をかけようとするが、イリーナはなぜか嫌がって暴れていた。
「触んなって!!これぐらい唾ぬっとけば治るわ!!!」
口の中の怪我なのに唾ぬっとけば治るって意味分からないが。だがそんなイリーナを置いて僕も少し意地になったのか、イリーナの顔を掴もうとした。
「良いから動かないでください!普通に危ないですよ!!」
そんなバカみたいな取っ組み合いをしていると、後ろからヘレナさんに肩を叩かれた。
「多分イリーナさんは、恥ずかしいじゃないんです?」
「・・・・恥ずかしい?イリーナが?」
いやまあ口の中見られるのは嫌な人がほとんどだろうけど、あのイリーナがそうなのか?しかも治癒魔法の為だから嫌がるとは思えなかったのだが。
僕がそう疑問そうにしていると、ヘレナさんはニヤニヤしながらイリーナを見た。
「ですよね?恥ずかしいからフェリクス君に見られたくないんですよね?」
「・・・・・そりゃそうだろ」
イリーナは口元を抑えて恥ずかしそうに顔を少し赤くしていた。こんなイリーナ初めて見たな。
僕はそんなイリーナを見ているとちょっとだけ面白くなって、少しいじるように嫌味っぽく言った。
「意外と乙女な所あるんですね。もっとガサツだと、、、、」
そう言いかけた瞬間僕の目にはイリーナの靴裏が見えた。そう認知した頃にはその靴裏が僕の視界を遮って、顔面に走る強い痛みと共に後ろに吹っ飛ばされていた。
「痛ってぇ・・・・」
僕はチカチカする視界をなんとか慣らしながら周りを見ると、顔を真っ赤にしたイリーナが立っていた。そしてそのまま大股で市庁舎の建物の中に歩いて行ってしまった。
「・・・・なんなんだあの人は」
怒ったり恥ずかしがったり。イリーナといいヘレナさんといい情緒良く分かんないな。そう思って立ち上がろうとすると、ヘレナさんがまた大げさに笑っていた。
「いや、ちょ、ちょっとすみません。おかしくて・・・」
そうヘレナさんは口元を抑えながら僕に手を差し出して来たので、その手を取って立ち上がった。
そうやって目の前にヘレナさんが見えたけど、予想以上に顔が近くて緊張した。改めて見ると黒髪なせいか割と日本人顔というかアジア系のキレイな顔立ちだなと思っていると、ヘレナさんが僕の肩を叩いた。
「でも、あれはフェリクス君が悪いですよ」
市庁舎の建物に入っていったイリーナを見ながらヘレナさんが、そう笑いを抑えながら言った。
「でもあれは治療しないと不味くないですか?」
イリーナって生命力は強そうだけど、流石に出血してるなら止血ぐらいしないと危ないのだと思うのだが・・・。
だが僕の考えはヘレナさんにとっては間違っているらしく、やれやれと大げさに腰に手を当てていた。
「イリーナさんへのデリカシーが足りてないんじゃないんです?」
「・・・・・デリカシーですか」
そもそもイリーナが僕にデリカシーが無いと思うんだが。まあでも一応女の人だし、その辺の気を使うべきだったのかなぁ?いやでも怪我してるのにそんな事気を使ってたら、間に合うものも間に合わないように思うんだけどなぁ。
「私はほとんどイリーナさんとは話してないから断言はできませんけどね。やっぱりあの人も人並みに女の子なんじゃないです?貴方もあの人の前で裸になるのは嫌ですよね?」
口の中と裸が同義に扱えるのかは分からないけど、女の人からしたらそのレベルなのか。まぁ親しき中にも礼儀ありって言うし、ヘレナさんの言う通り僕のデリカシーが足りてなかったのだろうか。そう考えると後でイリーナに謝っておいた方が良さそうか・・・・。
「じゃあ治療はヘレナさんにお願いしても良いです?」
僕は少し反省してそう聞くと、この世界にも敬礼はあるらしくヘレナさんは、笑顔でこめかみ辺りに軽く手をかざしていた。
「分かりました!じゃあ行ってきますね」
ヘレナさんはイリーナを追うように走って行ってしまった。なんか最初会った時に比べて大分明るくなった気がする。前の落ち着いた感じも軍人らしさがあって良かったけど、やっぱり女の人は笑ってた方が良いしな。
「あ、そういえばあの子は」
僕は完全に忘れていたと焦って周囲を見渡すと、僕の真後ろにボーっと女の子が立っていた。
「だ、大丈夫?巻き込まれてない?」
女の子は、何を考えているのか良く分からない表情でただコクっと一回頷いていた。子供には今の会話とか意味分からないだろうし、茫然としていただけなのだろうか。
「じゃ、じゃあまぁ行こうか」
僕はとりあえず女の子を本営の方に預けようと歩き出そうとした。だが僕の体は女の子と繋いだ右手に引っ張られ進めなかった。
「いっしょがいい」
振り向くと女の子がその場に立って動こうとしてくれなかった。
「・・・・・ん~そうかぁ」
本営にはどうやら行きたくないらしい。まぁ父親もヘレナさんの感じ的にはもういないだろうし、寂しいのだろうな。でも怪我人ばかりで、人の往来が激しい市庁舎内に入れるのはどうなのだろうか。いやでも僕が父親を助けれなかった責任はあるし・・・・・。
そう迷っていると、女の子は右手で服の裾を掴んで今にも泣きそうになっていた。
「わ、分かったから!泣かないで?!お兄ちゃんと一緒に行こうか!?」
もうどうにでもなれと、僕は焦ってそう言った。
まぁもう仕方ない。この子を一人本営に置いて行く方が、気になって仕事に手が付かなくなりそうだし。
そして今度こそと、僕は女の子の手を引いて市庁舎まで歩いた。
「・・・・・疲れたぁ」
僕は歩きながら、口から出る白い息を見ながら僕は空を見上げた。朝にしては色々ありすぎて、今日一日最後まで働けるか不安でしかない。でも結果論ヘレナさんとの確執は僕の知らないし所で、イリーナのお陰?で何とかなったし良いのだろうか。
「まぁいいや」
僕は考えるのを止め、睡魔と腹の音を感じながら騒がしくなり出した朝の街を歩いて行った。
ーーーーー
私達はまたいつものように馬車に揺られていた。いつもとは違い目の前に頭のおじさんが座っているのを覗けばだが。
「面倒な依頼主でねぇ。さっさと引き払えってさ」
どうやらせっかく後方の街を確保したのに、私達は撤退させられるらしい。まぁ皆がこれ以上戦わないで済むならそれでいいのだけど。
「で、ラース君はどうだい?」
おじさんが手を組んでそう笑いながらラース君を興味深そうに見ていた。
以前のラース君なら何も言い返せずただ怒るだけだっただろうけど、今のラース君は顔を伏せることなくおじさんの方をまっすぐ見ていた。
そのラース君は一回目の戦いの後、頭のおじさんにある約束をさせていたのだった。
「知らねぇよ。また次も俺が戦うから約束は守れよ」
そう二回目の街での戦いでは、彼なりに考えたのか私達を戦わせない条件で、自分だけ戦線に出て戦ってくれていた。私も戦うと言ったんだけど、このおじさんが面白そうだから口を出すなと言うから、ただ苦しそうに戦うラース君を眺めることしか出来なかった。
「あぁ!もちろん守るさ!」
おおげさに手を広げておじさんがそう言っていた。心の声を聴いても相変わらず面白そうとか思っていて意味の分からない人だ。
「で、次はどこ行くんだよ」
ラース君は呆れたように腕を組んで、おじさんを見ないようにか目を伏せていた。だがそんなラース君を見ておじさんは少しだけニヤっと笑うと、さも当たり前の事のように言った。。
「ん?1回目に襲撃した街だよ。今なら防備も手薄で子供を回収できるだろうしね」
今回は傭兵しかやらないと言っていたはずなのに、結局いつものように人攫いをするつもりらしい。だが、ラース君はやはりと言うべきかそんな言葉に反発していた。
「わざわざする必要ないだろ。今回は雇い主の事を考えないとダメじゃないのか?」
そう以前みたいにただ騒ぐのではなく、冷静にラース君が話しているのに私は少しだけ驚いた。でもやっぱり手が震えているのが見えて、彼なりに無理をして虚勢を張ってくれてるんだと思っていると。
「まぁ一応契約内容は果たしたしね。せっかくの機会だし子供を運ぶのを、ラース君にも手伝って欲しいなって」
ラース君の拳が更に強く握られていた。このおじさんが思った事をそのまま言ったのは分かるけど、的確にラース君を煽るような事を言っている。
そんな二人を心配そうにして見ていると、ラース君は深呼吸をして言った。
「じゃあ殺しは無し。連れてくる子供も俺らの所で世話するならいい」
ラース君がそう強気に出ると、頭のおじさんは困ったように頭を掻いていた。
「なんで君がそんなに偉そうなんだか・・・・」
でも少しだけおじさんは考え込んだ後。
「うん、まぁでもそれも面白そうだし良いか!!!」
相変わらずこの人の事が理解できない。行動理由も分からないし、行き当たりばったりで軸はブレブレだし、本当にこの人の心を読めているのかすら不安になってくる。
この人のやってる事は最悪で人間として間違っているけど、全くその行動に悪意を感じられない。ただ遊ぶようで、無邪気とさえ思える。この人の心を読むことすら無駄なのではと思えてきてしまう。
そんな事を考えていると私の隣から舌打ちが聞こえてきた。
「・・・・・はぁ」
今隣に座っているエルシアちゃんはもう触れないことにした。何を言ってもやる気を出してくれないだろうし、この子の心を読むとこっちまで心が苦しくなる。
そうしてエルシアちゃん越しに御者台の向こう側を見ると、ボロボロになった城門が見えてきた。
「お!思ったより早いねぇ」
おじさんの声とは対照的に、ラース君が緊張した面持ちで剣に手を掛けていた。私はそれを見てこの子ばかりに負担を掛けてはいけないと、同じように剣に手を掛けて覚悟を決めた。
「・・・・フェリクス。私頑張るから」
なぜだか分からないけど、フェリクスと会える気がしていた。二年も待ったんだから、そろそろ神様がご褒美をくれるはず。そう私が思いたいだけなのかもしれない。
でもフェリクスが私を助けに来てくれるなら、頑張れると剣を握る手が軽くなった気がした。
そうして馬車は赤くなった空の中、私達を街へと運んでいった。




