第百四十四話 愉快犯
俺の名前はコンラート・アーベル
親はこの国の宰相で血筋も良く、自分で言うのもあれだがそれなりに能力はある方だと思っている。それに学生の頃から人脈作りだって怠ってきていないから、これからも出世の道を辿れるだけの実力も基礎も固めてきたつもりだ。
でもそんな準備をしっかりしてきた俺でさえ今戦場に立たされていた。
クソみたいな戦争が始まってやっと終わったと思ったらまた次の戦争だ。一回目の戦争こそこの血のお陰で何もなかったが、今回ばかりは貴賤を問わずに戦場に引っ張り出されてその余波を俺も受けていた。
「ディートリヒ大佐にこれお願い」
「あ、はい。分かりました」
そして俺の与えられた役目は手紙の運送屋だ。戦場で華々しく戦う訳でも無く、策謀を巡らせて軍を勝利に導くのでもなく、ただ士官間での指令書の配達をするだけ。多分親父が俺が死なない様に後方任務を当てらったのだと思うが、正直俺としても死にたくないから割とありがたかった。
「・・・っと、いないし」
人が慌ただしく往来する陣の中で人探しをするだけでも大変で、さっきいた場所に居ないなんて事はざらにあった。でもこれも国のお偉い方へ顔を売るチャンスだと思って頑張ろう。
そう俺が往来する兵士の間を縫って人を探していると、遠くから地響きのような地鳴りの様な心臓から震わす重低音が聞こえてきた。
「土煙ここまで見えるな」
振り返るとそこには森が広がっている。その先には一応今は敵であるリュテス国の軍と、一応今は味方であるブリューゲル少将の軍が対峙していたはず。今の音に舞い上がる土煙からして、やっと今その戦端が開かれたって事なのだろう。
「フェリクスの奴大丈夫かな」
元冒険者らしいが一応貴族の出ではあるらしい出自の良く分からない奴。実力はあるって話だったから、出会った当初から絡んでたけど結局最後まで良く分からない奴だった。
だが実際客観的な視点でも、実力は話以上に確かだったしそれなりに話は通じる奴だった。けど俺よりもハインリヒの奴と仲良くなって、あんまり関係構築できなかったのが痛い所だっただろうか。
「ま、どちらにせよか」
どうせあいつが生き残ってもそこまで出世は出来ないだろうし、顔見知りぐらいの関係を維持すれればいい。それにどうせブリューゲル少将の所属部隊な以上生き残れる可能性の方が少ないし。
「邪魔だッ!!そこで止まんな!!」
「ん?あっ!すみません!!」
考え事して立ち止まってたからか誰か兵士にキレられ、乱暴に押し飛ばされてしまった。そして俺は尻餅をしてしまい、付着した土を払いながら俺を押した失礼な奴を見た。
・・・・あの階級章は軍曹か。平民出身の癖に偉そうで腹立つが、一応今回は俺も悪いし黙っておくか。
「で、ディートリヒ大佐は・・・・」
そうして俺が陣を走り続けてどれぐらいが経った頃だろうか。既に日は暮れ女王陛下も軍を動かし始め戦闘が本格しようとし始めてた。
だがただの伝令には戦況なんて知るすべはないはずなのに、今明らかに想定外の事が起きてて且つそれが俺らにとって良くない物であるのは肌感覚で理解していた。
「何が起きたんです?」
ちょうど伝令として赴いていた下級貴族の中佐に対してそんな質問を問いかけてみる。
「分からん。まぁ大将二人いるんだし大丈夫だろ」
そう呑気な事を言って葉巻を加えているが、この本陣からでも先行した部隊が森の入り口付近で戦闘をしているのが見える。まあこれ以上出世の見込みのない役立たずに聞いた俺がバカだったか。
「では私はまだ仕事あるのでこれで失礼します」
「おう!頑張れよ!」
「・・・・お気遣い痛み入ります」
今俺はち自然に作り笑いできただろうか。下の人間にも好かれないと親父みたいに敵ばっかりになる。だから同じ轍を踏まない様に愛想を振りまいて来たが、いくらやっても慣れないしストレスが溜まる。
そうして俺は痛む胃を抑え走って向かったのが、親父ことこの国の宰相殿の所だ。戦闘が始まったら危険だから本陣に来いとの事で、随分過保護になっているらしい。
「失礼します!」
天幕内に入るが大将らの姿は見えなく、女王陛下に親父にあと近衛近習の側近ぐらいしかいない。でも親父はなんか上の空でブツブツ呟いてて気持ち悪いし、今は話しかけない方が良さそうか。
そう俺は大人しく天幕の端っこに座り戦闘の起こる森の方を見ていた。
そうして本陣にいると、次々と伝令がやってくるものだから俺でも今の戦況がなんとなく把握できて来た。
曰くリュテス国との例の密約が反故になったと
曰く交渉の態度すら見せず奇襲を受けた先行部隊は既に潰走寸前だと
曰く敵の数自体は少ないが魔導士が多く、殲滅には時間がかかりそうだと
親父から聞いた話だとこの後リュテス国と協力して、ブリューゲル少将を殺す算段だったらしいが、密約が反故なったとはこの事なのだろう。あの親父の焦りようを見れば余程計算外なのは確かだな。
「ここもやばいかもな」
誰かがボソッとそう呟いた。でもそれを誰かが追及する訳でも否定する訳でも無く、この場の沈黙がその発言を静かに肯定していた。
でもそんな空気感の中女王陛下一人伝令の話を熱心に聞き、側近と会話をしつつ大将らとしきりに連絡を取っていた。親父は陛下をひどく嫌っててよく愚痴を言っていたが、その親父はもう何も感じないのか意気消沈と言った感じで何も言わず座り込んで何もしていなかった。
「伝令です!マインラート大将の隊壊滅されたとの事です!敵は依然としてこちら本陣へと向かっております!」
二人いる大将の内一人がやられた。大将と言っても殆ど血縁で決まる肩書みたいな物でしかないが、些細な事が士気に影響を及ぼす事もある。
そう俺は天幕の外へと視線をやると、直近で招集された農兵達が明らかに動揺し浮足だち今にも逃げ出しそうになっていた。
「私が前にでます。旗を持ってください」
俺と同じように危機感を抱いたらしく陛下がそう言って椅子から立ち上がった。確かに総大将が前線に出れば士気は上がるだろうが、流石にそれは・・・・。
「おやめください陛下!!まだジークムント大将がいますから!!!」
今にも天幕から出ようと動き出す陛下を近習の女が引き留めていた。まぁ軍事に素人な陛下が出ても指揮系統が混乱するだけだし、俺も止まるべきだと思う。だが俺が触れて良い様な身分の人じゃないから、なんとかしろよと近衛をジッと見るだけだが、君子危うきになんとやらって感じで下を向いていた。
「離せッ!!エルシアがッ!!!」
確かリュテス国が担ぎあげたとか言う先帝の遺児の名前だっけか。そんな血気迫った表情するほど大事な存在らしい。
でもそんな本人の意志とは別に陛下は近習に無理やり止められ、次第に体力を失い椅子に座り直させられていた。まぁ陛下が前に出たら俺も戦線に出ないといけなくなるから、大人しくしてくれて助かった。
そうして更に一時間ほどが経ち、完全に日も暮れ篝火だけが明かりになった頃。また俺らにとって都合の悪い伝令がやってきていた。
「・・・・ジークムント大将の隊が潰走されたとの事です。残るは敗走兵をかき集めても本隊約八百程です・・・・」
パチパチと焚火のはじける音だけが良く響いていた。
誰一人その報告に反応をせずただ焚火で顔に影を作って俯いていた。でもそんな中陛下の近習が口を開いた。
「撤退しましょう。まだ八百も兵がいるなら時間稼ぎにはなります」
その場にいた側近士官と近衛の眉が上がった。
近習と言っても上流貴族の子女であるからには、それなりに教養はあるはず。それなのに今の言葉を部下の前でするとは、自分の保身ばかり考えて宮廷で争ってきた弊害だろうか。
だが陛下の御心は全くもって違うらしく、天幕の外を睨むように立ち上がった。
「・・・・やはり私が出ます。ここで逃げたとあっては帝国の権威は失墜します」
どうやら未だ陛下の闘志の火は燃え尽きていないらしい。
なら俺は馬を確保して逃げる準備でもするとするか。まだ二十一時過ぎだから、闇夜に紛れて逃げるには十分な時間がある。
そう俺がこの場からどうにか逃げようと算段を立てていると、全くタイミングの悪い事にかなり近い所で、敵の石魔法が地面に着弾した。
「あっぶねぇ・・・」
天幕の出口から数歩分の位置に着弾したそれは、大きく地面を削り小石や土を空から降らせていた。そしてそれと時を同じくして、敵が突撃してきたらしく喧騒と剣と剣のぶつかる音が近付いて来ていた。
「旗を持てッ!近衛も出るぞッ!!!」
陛下は近習の制止を振り切り戴冠式以来抜いていないであろう腰に差した剣を抜いていた。これは今更俺だけ逃げれそうな雰囲気では無くなってしまったか。
だがそんな時今までただ黙り続けていた親父が口を開いた。
「私が行く」
でもその声は戦場の喧噪でかき消されていた。だからか親父はもう一度声を張った。
「私が直接交渉に行く!!私ならあの人も話を聞いてくれるはずだ!!!」
陛下も近習も近衛も皆怪訝そうに親父を見ていた。かく言う俺でも頭がおかしくなったのかと同じように怪訝に見ていたが、親父は謎に自信を滲ませた表情を浮かべると、誰よりも早く天幕から走り出た。
「私はあの人と十数年の仲なんです!!今回もきっと不幸な行き違いがあっただけで━━」
そう言いかけた親父は何かを見つけたのか、天幕の外でジッとある一点を見つめていた。俺からは親父が邪魔でその点を見る事が出来なかったが、焚火に揺れる影とやけによく響く足音で、誰かがここに来ているのだと分かった。
「あ、あ、お、お久しぶりで・・・やっぱり私と話す為に来てくれたんですよね?」
縋るような震える声で親父が闇に向かって語り掛けていた。その背中は息子に見せているとは思えない程に情けなくて小さい背中だったが。
「ん~?あぁ君か。じゃあここが本陣って事?」
やっと親父が話しかけていた男の声が聞こえてきた。声からして老人っぽいがどこかで聞いた覚えのある声だった。
「え、えぇ!そうです!そうです!!それで何か誤解があるようですので一度お話をここで・・・・」
親父がその男を招き入れる様に頭を下げた時、俺の目からもその声の主が見えた。どうやら声の印象通り初老の男らしいが、血まみれな体で異様なぐらい口角を上げていて不気味としか表現の出来ない老人だった。
そしてその手に持ったナイフを軽く持ち直すと老人は言った。
「そ、じゃあお勤めご苦労さん」
その言葉と共に老人のナイフが篝火にキラリと反射し流れる様に暗闇と共に親父を切り裂いた。その光景が親父を殺されたというのに、俺はまるで芸術品を見ているかのような美しさを感じてしまっていた。
「で、女王陛下様はどこかな」
血しぶきを上げ倒れる親父を跨ぎ、一歩また一歩と老人が天幕へと近づいてくる。篝火に反射するその笑みとナイフが、オレンジ色に反射し風と共にゆらゆらと波打っているようだった。
そしてその老人の目がギラりと俺を捉えた。
「・・・・ん?あ、君は彼の子供か。ごめんね目の前で」
老人の冷たい手が俺の頭を撫でる。だがその目は笑っていなくて、今まで感じていた美しさを打ち消すほどに俺の中を恐怖で満たしていった。
でも老人は何か思い出したかのようにすぐに俺から手を離し、俺は忘れていた呼吸を取り戻した。
「っと、違う違う。今はこっちじゃなかった」
目の前を血なまぐさい老人が通り過ぎていく。女王を守るべき近衛も今その剣を抜く好機を見過ごし、ただ老人が歩いて行くのを許してしまっていた。
「・・・・久しぶりですね」
「お!覚えててくれた!?いやぁ嬉しいねぇ」
五歩分と少し距離を取って老人と陛下が向かい合って話している。相変わらず近衛も近習も動けず、俺の足元に流れてくる親父の血が靴に染み始めていた。
「信用ならない奴だとは思ってましたがやはりですか」
「ん~?それは心外な言葉だけどねぇ。先に約定を破ったのはそっちでしょ~」
「ならなぜ使者を斬ったのです」
「さぁ?私は知らないねぇ」
呑気に二人が話している間も天幕の外で戦闘音が常に聞こえていた。でもそんな喧噪すら忘れてしまうような緊張感が、この天幕の中には流れ続けていた。
「・・・・・エルシアは」
陛下が少しだけ声を震わせた。
「ん?あぁそういえば君はそうだったね。いるよ」
「ッ!!どこにッ!?」
そう陛下が取り乱した瞬間。俺の目の前を銀色の髪が流れた。
「久しぶり」
弦楽器のように繊細で高い声だった。でもそれも美しくても冷たいだけの寂しさがあった。
「え、エルシア?ひ、久しぶりだね?」
カランと陛下の持っていた剣が地面に落ち、さっきまでの陛下の緊張した面持ちが崩れてしまっていた。それを見て老人は少しだけ脇に逸れ、まるで二人の再会を邪魔しないかのように思えた。
でもそんな陛下とは対照的にエルシアと呼ばれた少女は、人形の様な感情の無い顔で答えた。
「ごめんね」
その言葉に陛下が意味が分からないと目を丸くすると共に、その喉元には脇に逸れたはずの老人の投げたナイフが刺さり血が噴き出し、ほどなくして力なく地面へと倒れた
そして老人は両手を合わして乾いた音を立てると、再び振り返ってエルシアと向かい合った。
「良かったの?せっかくの感動の再会って言うのに」
「・・・・・別に」
俺は剣を抜いた。確証は無いけど次は俺達だ、そんな直感が強く俺の頭の中で響いていた。
そしてそんな俺を見てかずっと固まっていた近衛たちも、息を吹き返したように剣を抜き始め老人を睨んだ。
だが老人はそんな近衛達をあざ笑うかのように見下すと言った。
「君らも腑抜けだねぇ。主を守れなくて何が近衛だよ」
煽るような老人の言葉に近衛達は目尻をあげ、その十二本分の剣が一斉に老人へと向かって行った。
「彼が来るまでの退屈しのぎぐらいにはなってくれると嬉しいかな」
天幕から我先にと走り逃げ出していく近習達、老人へと立ち向かって行きすべての攻撃を易々と躱され首だけになっていく近衛達。そしてゆっくり一歩ずつ老人から背を向けない様に天幕から出ようとする俺。
でもそんな俺をただ一人銀髪の少女が振り返ってきた。
「フェリクスっている?」
俺はその意味の分からない唐突な質問に足を止めた。多分天幕の入り口で倒れた親父の体の近くだと思う。
「な、なんでそんな事を?」
銀髪の少女の奥では、一人また一人と近衛が老人に首を斬られ上機嫌なのか鼻歌すら聞こえてきていた。
でもそんな異様な光景すら背景にしてしまうほど雰囲気を纏ったその少女は、少し考えた後自信なさげに答えた。
「・・・分かんない。でもちょっとだけ期待しちゃってるから」
どうにも要領を得ない回答だったけど、その顔は言葉通り誰か待ち人を待つ遠い目をしているようだった。
でも結局その質問の意図が理解できなかった俺はまた一歩ずつ後ずさり、とりあえず時間稼ぎになるかとその質問に答えた。
「・・・多分いる。まだ生きているか知らんが」
すると銀髪の少女は安心したように頬を緩ませたかと思ったが、すぐに冷たい人形の様な表情の無い顔に戻ると。
「・・・・・そ、ありがと」
そしてそう銀髪の少女が俺から視線を外すと、それと時を同じくして近衛の十二人目の首が天幕の机の上に並べられた。
「君は逃げる?それとも戦う?」
銀髪の少女を後ろに下げさせ、必死に俺が稼いできた距離を老人が一気に詰めてきた。それでも俺は後ろの下がろうとするけど、その時何かに引っ掛かって尻餅をついてしまった。
「・・・親父か」
手を見ればべっとりと親父の血がへばりついていた。最期まで俺は親父の手からは離れられなかったって事らしい。
「逃げたら生かしてくれますかね・・・・?」
最期まで結局何も成す事が出来なかったな。でも貴族として仕えた国と主と共に心中するって最期も悪く無いのかもしれない。ぞれもこれも今から死ぬことへの言い訳なのかもしれないが。
そう思うと自嘲なのか乾いた笑いが無性に湧いてきてしまう。
「君の目はつまらないねぇ」
老人の細い目が俺を見下し、どこかで拾ったのか剣の切先が俺の眼前に迫っていた。
「アーベル家伝統の琥珀の瞳なんだがな」
俺は強がりで笑った。今まで散々やってきた作り笑いだ。
でも老人は更に機嫌を悪くしたように声を低くすると。
「彼が特別だと私に改めて教えてくれてありがとう」
剣が空を切る軽い音がする。俺が散々してきた素振りよりもはるかに美しく優雅に洗練された太刀筋だった。多分これは俺が何年やっても手に入れられない物なのだろう。
そして走馬灯の様にゆっくりと見えるその剣の切先は、俺の首を真っ二つに切り裂いた。
そして転がった俺の首が最後に見たのは、力なく倒れる首の無い俺の体と生気など既に無くなった親父の琥珀色の眼球だった。
「だいぶ暇出来ちゃったなぁ。もう少し手応えがあると思ってたんだけど残念」
段々と静寂を取り戻しつつあった戦場で、ある老人の上機嫌な鼻歌が響き続けていた。
お盆期間中の投稿は基本十六時頃にします。ただ十六時投稿できない日もあるので、その際は前話後書きにて連絡させていただきます。




