第百三十五話 出会った頃の様に
イリーナ姐が死んでからニ週間と少し。
最近はフェリクスのお陰で朝にお墓参りには行けるようになってきていた。でもやっぱりそのお墓を目の前にすると、どうしても我慢できなくなってしまって目元が濡れてしまっていた。
「・・・・大丈夫?もう帰る?」
そんな私にこうやっていつも隣に居てくれるフェリクスが優しくしてくれる。だけど昨日アイリスに嫌味を言わたように、私もいい加減迷惑をかける訳にはいかない。
だから。
「もうちょっとだけいさせて」
もう少しだけ時間が欲しい。まだ私の心がイリーナ姐が居ない事を受け入れるには時間が足りないから。そう私は城壁から昇ってくる朝日から逃げる様に瞼を閉じた。
私がここまで生き残れたのはイリーナ姐のお陰。私が私の事を嫌いにならずにいられたのもイリーナが辛い時傍に居てくれたから。だから悲しみよりもお礼を言わないといけないんだ。
一人で泣いていた夜に傍に居て少し音痴だったけど子守唄を歌ってくれてありがとう。
いつもはぶっきらぼうだけど甘えたら優しく頭を撫でてくれてありがとう。
心が読める気持ち悪いはずの私と一緒に居てくれてありがとう。
こんな私を嫌わないで家族の様に扱ってくれ出ありがとう。
最期まで私を守り続けてくれてありがとう。
フェリクスと会わせてくれてありがとう。
そんな抱えきれないような山積みのありがとうと一緒に今まで言えなかった事。
ばいばい。またいつか会おうね。
そうしてどれぐらいの時間が経っただろうか。私は心を落ち着けて目を開けると変わらずイリーナ姐の名前が書いてある木の板があった。
でも私にとっては目を開ける前と後では全く違うものだった。これは悲しさじゃなくて私がこの先も頑張れる理由を作ってくれる物だ。
私は折った膝を伸ばして隣でずっと黙って傍に居てくれたフェリクスを見た。
「いこっか」
するとそんな私を見て色々察したのかフェリクスは少しだけ嬉しそうに笑った。
「何話してたの?」
私はそんなフェリクスの問いに口元に指をやり考える振りをしながらも、背を向けて数歩進んでから振り返った。
「ひみつ」
私もなんで今日乗り越えられたかは分からない。でもそれに理由が無かったとしても、私にとっては前を向けた事が大事な気がしている。
「早く帰ろっ」
そう私は今できる精一杯の笑みを浮かべてフェリクスに左手を差し出した。そしてその私の手よりも大きくて男の子らしい手が握り返して来た。
「そうだね」
私はその言葉にまた笑みが零れた。
出会った頃の様に私はいつもこの人と一緒に居る時間を大事にしたい。いつまでもこの時間が続けばいいと思う。また明日が楽しみになるような毎日が続けばいいと思う。
それもこれもイリーナ姐がいてくれたから得られる感情なんだ。だからもっと前を向いて行こう。
そんな人にとっては普通の朝。でも私にとってはきっと大事な大事な朝が過ぎていった。
ーーーーーー
イリーナ姐のお墓からの帰り道。私はまだ聞かなければいけない事があったのを思い出していた。
「フェリクスさ」
「ん?」
朝市の準備の為どこか忙しそうに大人達が走り回る大通り。そんな中隣を歩く男の子に私は視線を向けた。
「私じゃ頼りない?」
「・・・・?どうしたの急に」
あぁだめだ。言葉足らずだった。もっとちゃんと言葉を詰めないと、私みたいに皆は心を読めないんだから。
「私達が異動する事提案したんでしょ?」
「あぁ・・・・そう言う事か」
そうフェリクスは合点がいったと、いつも考える時の癖である腕組みを始めて空を見上げだした。
こうやって考えだすとフェリクスはいつも会話を打ち切って自分の世界に入ってしまう。でもその時間も私はその横顔を見てその時を待つ。
でも最近は少しだけその時間にも変化が訪れてきた。それは一部部分だけだけど、少しずつフェリクスの心の声が分かる様になってきた事だ。まだ単語は殆ど分からないけどなんとなく全体の流れが分かれば、それまでの会話からある程度推測できるようになった。
(どう??すれば良い????。でも?????からも????????)
この感じは私にどう返そうか迷っているのかな?後半は良く分からないけど私に適当な返事をしない為に、ちゃんと考えてくれていると分かると、この待ち時間も少しだけ嬉しくなる。
そうして心を読もうとジッとフェリクスの横顔を見ていると、ふと気付いた時にはフェリクスと目が合っていた。
フェリクスはそんな状況に少しだけ目を泳がせながらも、今まで考えていたであろう言葉をやっと口にした。
「ライサもさ。ずっと戦場に居続けた訳じゃん?でもやっぱりライサには戦場は負担が大きいだろうし、少しだけ休んで欲しいなって思ってさ」
やっぱりフェリクスはそう言って私を守ろうとすると思っていた。でもだからこそ私はその提案を断らないといけない。
「うん。でも私はやっぱり嫌」
「・・・理由を聞いても?」
私を探る様に恐る恐るフェリクスが聞いてきた。ちょっと私の言い方が強かったせいかもしれない。
「私はフェリクスと一緒に居たいの。だから異動は絶対に嫌だから」
まだ一年も一緒に居られてないのにまた離れ離れになるなんて嫌だ。それになんとなくだけどここで離れたらフェリクスともう一生会えないような予感がしていたから。
「ん~~そうかぁ。絶対?」
「うん。絶対」
するとフェリクスは頭を掻きながら困ったように苦笑いを浮かべると。
「じゃあ仕方ないかぁ」
そう言った時のフェリクスの心の声が私には分からなかった。でもどこか私の心に引っ掛かるような違和感を私に抱かせた。
だけどそれを私が口にする前にどうやらタイムリミットが来てしまった。
「あ、アイリスだ」
道の先にある兵舎の入り口前に私達を待っているのか、アイリスちゃんが一人立っているのが見えた。
多分私と同じ事を聞こうとして待っているのかな?それか昨日の感じ的に、私がフェリクスと毎朝一緒なのが気に入らないだけかもしれないけど。
「遅い」
「いや待ち合わせしてないじゃん」
「だとしても待った。謝って」
「んな傍若無人な・・・・」
いつものアイリスの我儘をフェリクスは困ったように笑いながらも受け流していた。他から見ればアイリスが意地悪しているように見えるけど、心が読める私からしたらただの茶番だった。
「もっと素直になればいいのに」
「なんか言った?」
つい考えていた事が口に出てしまっていたらしく、今度は純度百%で機嫌の悪いアイリスちゃんの目が私を向いた。さっきまで口角上がってるの隠せてなかった癖に動きの多い顔だな。
「なんでも~」
まぁでもアイリスちゃんもフェリクスに聞きたいのだろうから、ここは一旦譲ってあげることにした。
そう私は二人を置いて先に門をくぐって宿舎のベットへと戻って行ったのだった。
フェリクスの後ろからニヤニヤと私を見ていた嫌な女が宿舎に戻るのを見送って、私は再び口を開いた。
「ライサから質問されたよね」
「・・・異動の事?」
やっぱ先に聞いていたらしい。でもライサのあの感じだと上手い具合にフェリクスを説得してくれたのだろうか。
「そう。それでどう答えたの?」
「まぁ・・・一応僕からも掛け合ってみることにしたよ」
じゃあ私がわざわざここで待っている理由も無かったか。でもせっかく朝早起きしたんだしここで解散はなんか悔しい。
「じゃあ良いや。ご飯いこ」
「まだ早くない?」
「今日は何奢ってくれるの?」
「僕に決定権は無いんですか・・・」
そう肩を落とすフェリクスを無理やり連れて行き、私は軽い足取りで食堂へと向かって行った。もちろん奢ってもらうってのは冗談だけど、偶にフェリクスはそのまま意味を受け取って奢ってくれるからちょっと期待してる。
そうして丁度開いた時間であろう食堂へと足を踏み入れると、こんな朝早いと言うのに先客がいたらしかった。
「うわ」
「・・・あんま姉をそういう扱いしない方が良いよ」
「うっさ親かよ」
フェリクスに細かい注意をされながらも食事を受け取りに行くが、姉さんは気付いているのか無視をしているのか私と視線が合う事は無かった。
「じゃああっちの窓際に━━」
私がそう言いかける前にフェリクスは先に姉さんの座るテーブルへと足を運んでいっていた。
「ちょ、なんで・・・・」
「異動の話するんでしょ?」
「それは・・・そうだけどさぁ」
そう私がごねている内にもフェリクスは姉さんの隣に腰を下ろしてしまっていた。そして私は仕方ないなぁと不満に思いつつ、せめてもの抵抗で姉さんの正面は嫌だと一席ずらして座った。
「ちゃんと寝てます?」
「最近はちゃんと三時間寝ているので」
「それはちゃんとでは無くないですか?」
「・・・?そうですかね?」
ズレた発言をしてポカンとする姉さんと少し引き気味に心配するフェリクスの会話を眺めながら、私は固いパンを咥えた。姉さんに話せって言われても中々タイミング分からないし、てかフェリクスがその辺誘導しろよ。なんで日常会話してるんだよ。
「仕事もっとこっち回して良いですから。最低五時間は寝てください」
「いやぁあと一週間は戦後処理と人事で忙しいですから・・・・」
「今日僕非番なんで執務室に手伝い行きますよ」
なんだかんだフェリクスは姉さんに甘い。勝手に自分を追い詰めてして自滅しかけてるんだから、勝手にやらせればいいのに。それで私みたいに迷惑を被る人が出るんだろうけど。
「じゃあお言葉に甘えますね。・・・・あっそうだ今日もお茶淹れますよ!最近は支給される物の良くなってきてて!」
「お、じゃあ楽しみにしてますね」
この光景を見ていると固いパンを噛む力が強くなる。
なんか今の姉さんを見ていると腹が立ってくる。いつも死んだ魚みたいに低い声の癖に無理に若作りしてテンション上げてて見てられない。
「で、アイリスは言う事があるんでしょ?」
「ん?えっあぁ・・・・」
急にフェリクスに話を振られてパンをのどに詰まらせそうになりながら、それをなんとか回避すると私はゆっくりと姉さんの方を見た。
相変わらずクマもあって肌も少し荒れている。髪はなんとか人前に出れるぐらいには手入れしてるっぽいけど、やっぱり痛んでいるのが少し離れていても分かる。
「・・・・なんですか?」
それでも上司を演じているのかそれとも姉としてなのか、私の視線にジッと視線を返してきた。でも私はそれを避けるように、少しだけ視線を左下に逸らしつつ言った。
「異動の件考えてくれましたか」
敬語なんて使いたくないけど一応ここは軍隊の施設内。私は苦虫を噛み潰すとはこの事だなと思いつつ、ギュッと拳を握って言った。
「その件は・・・・」
視界端の姉さんの顔がフェリクスを向いた。多分アイコンタクトで確認を取っているのだろうけど、俯いて前髪が邪魔でよく見えない。
「まぁ検討はしています。ですが私ではどうしようも出来ない可能性もあります」
「・・・そうですか」
まぁそんなもんだよな。姉さんはいつも口だけで苦しんでいる私を何も助けてくれなかった。金だけ用意して後は放っりぱ。手紙を出しても頑張ってしか返ってこない。そんな姉だから信用できない。
だから私がここで会話を切り上げて一人黙って朝食を再開した。その間フェリクスが気を使ってか会話を私に投げかけるけど、生返事だけをして極力姉さんの顔を見ないようにしていた。
そうして食事を進め皿が空になったのを確認すると、私はさっさと去ろうとプレートを持って立ち上がろうとした。
でもその時フェリクスが私のプレートを持つ手を掴んだ。
「デザートいるくない?昨日から再開したらしいんだけどさ!」
「・・・お金無いし」
「奢るから一旦そこで座ってて!」
そうフェリクスは焦ったように立ち上がって姉さんに何か耳打ちをすると、食堂のおばちゃんの元へと歩いて行った。
そして残された私と姉さんは向き合って気まずい沈黙が間に流れた。
「・・・・最近どう?」
「別に普通」
また沈黙が流れる。私だって別に空気を悪くするつもりは無いけど、ただ姉さんと何を話せばいいか分からないし、わざわざその為に言葉を考えるのが不愉快だ。
でも姉さんは私と話す事があるのか、フォークでサラダを突っつきながら言った。
「・・・多分アイリスは私の事嫌いだと思うけどさ。私は好きだから」
「いつも私の事放ってたくせに」
「・・・・それは・・・ごめん。私も一杯一杯だったから・・・・」
あぁなんかやっぱ腹が立つ。もう理屈とかじゃなく話していて姉さんの言葉に一々イライラしてしまう。
そんな怒りが抑えきれなくなった私は自分でも気づかぬ内に声量が上がって、顔を上げて姉さんを睨みつけていた。
「私だって一杯一杯だった。八歳の頃からずっと一人で頑張ってきたッ!働いてやりたくない訓練させられて!!それなのに姉さんは全ッ然帰って来ないしさ!!!」
段々と言葉を重ねるごとに私の声量は大きくなり語気が強くなっていた。それに意味も無いのに涙が零れるしで、自分でも何が言いたいのか分からなくなっていた。
そんな私を見て姉さんは驚いたように目を丸くすると、その後一人で勝手に納得したのか唇を噛んで頷くと。
「・・・・・今更なのは分かってるけど私が言えるのはごめんなさいって事だけ。でもこんな私だけどもう一回私にチャンスをくれない?」
何をふてぶてしく要求しているんだと思った。散々私が助けてと言ってきたのに無視して外に逃げ続けていたくせに。
「あと半年軍に居れば年金が降りる様になるの。だからその後は実家に帰るから一緒にまた暮らさない?」
「辞めるってそんなの・・・・・」
中佐まで行って辞めるなんて意味が分からない。年金を貰うって言ってもその役職で働いていたほうが、よっぽど儲けれるはずなのに。
「だからアイリスも今すぐにとは言わないけど軍を辞めよ?それかせめて安全な隊に行ってくれない?」
多分姉さんは本気でこれを言っている。こういう目をする時の姉さんは嘘を付かないのは、散々嘘を付かれてきた私には分かった。
「そんな勝手に言われても知らないから」
だけど私は考えるよりも前にそう勝手に口が動いていた。長年の姉憎しの気持ちが言葉になってしまっていたのだと思う。
でもそれはしっかりと姉さんに伝わってしまっていたらしく、姉さんはさっきまでの勢いを失い目を伏せると小さな声で。
「・・・・そうだよね」
ひどく目の前の姉さんが小さく見えた。いつもは理解できない人に見えた姉も、案外人間らしく小さいんだなと感じた。
だからか一瞬の気の迷いか私は変な事を私は口走ってしまった。
「・・・・・まぁ偶に帰ってくるならついて行ってあげてもいいけど」
断ってしまった罪悪感だっただろうか。でも言った後にやっぱ違うと訂正をしようとしたけど、その前に姉さんの目が輝いて私を見ていた。
「そ、それでも良いから!ありがとうアイリスっ!」
私はそんな姉を見て引っ込みがつかなくなってしまった。今更断れる雰囲気では無くなって胃s舞った、私は唇を噛んでなんとか我慢すると、そんな姉を見下ろした。
「ま、まぁ感謝して・・・・」
別に一回や二回一緒に帰るぐらいしてやっても良いし。どうせ母さんの薬を届けに行かないといけないし、ついでについていってやればいい。うん、そう言う事なら別に良いや。別に利用してやってるだけだし。
そう自分の中で納得させていたというのに、どうやらデザートを取ってきたらしいフェリクスがニヤニヤと笑って私を見てきていた。
「アイリスちょっと顔赤いよ」
「・・・・うっさい」
私は二人から顔を逸らし窓の外へと視線を逃がした。フェリクスと言い姉さんと言い相変わらず私を一々不愉快にする奴だ。
でもちょっとだけ心の引っ掛かりが取れたような気がしていた。ほんのちょっとだけで偶々だけど何か小さな部分で私が買われそうな気がしていた。
そうして私は少しだけ上機嫌になると、フェリクスの持ってきたデザートを口にした。そのデザートのケーキは、こんな世相にしては珍しく甘い気がした。




