第百三十二話 後遺症
帝都での大規模な戦闘が起きて早一か月が経とうとしていた。
もう既に敵をかなり押し込んでいるらしく、後方になった帝都はまだ崩れた建物の瓦礫が散らかっているものの、段々と活気を取り戻そうとし始めていた。
そんな人通りの増した街中を僕はアイリス、ライサ、ラースと四人で歩いていた。
でも僕らの空気感はどこか重く、それもそうでライサはイリーナを失い塞ぎ込み、アイリスは戦闘で身体的にも精神的にも傷を負ってしまっていた。だから僕とラースはそれを見かねて無理やりそ外に連れ出したのだが、やはり二人は下を向いたままだった。
「おい、どうすんだよ」
「・・・なんかアクセサリー売ってる店とかあったっけ?」
「俺がそんな知る訳ないだろ」
そう後ろを歩く二人をチラチラ見ながら耳打ちをしあって相談するが、中々方針が決まらないでいた。ずっと部屋に籠りっぱなしでは、流石にダメだろうと思って衝動的に連れ出してしまったけど、どうしようか。そうなんとか頭を回して後ろへと振り返った。
「あ、アイリス?何か食べたいのとかある?前給料入ったしさ」
今のアイリスは外すら怖いのか隠れるように僕の背に手を置いて付いてきていて、僕が歩きずらいが仕方ないとゆっくり歩いていた。
「・・・いい。気分じゃない」
今にも消え入りそうな僕にだけ聞こえる声量でアイリスがボソッと言った。やっぱり無理やり連れだしたのはダメだったかもしれない。
「そ、そっか」
あの先頭からのアイリスは人の死に対してというより、戦闘に対するトラウマの様な物を抱えてしまっているらしかった。それに大きな音に過敏になったり、突然何かに怯えたように動かなくなってしまう事がも多く明らかに平常では無かった。
だがそういうのも本人に直接聞くわけにはいかず、とりあえず落ち着くまでは傍に居てあげているのだが、いつまでもこれではダメなのは分かっているつもりだ。
そして僕はもう一人の後ろを歩く女の子に話しかけた。
「ライサは何かある?」
「・・・・」
僕らと少し距離を置いた所を歩くライサは、無言で首を横に振るだけで何も言ってくれなかった。
ライサはというとやはり目の前でイリーナが死んでしまった事に立ち直る事が出来なくて、塞ぎ込んでしまっているようだった。もうこれに関してはどうやってもイリーナが帰ってくる事は無いのだから、時間が解決するのを待つしかない。それに僕自身まだイリーナやハインリヒの事を飲み込めた訳じゃないから、ライサを経ち直させれる言葉を用意できないでいた。
するとそんな時再びラースが僕に耳打ちをしてきた。
「とりあえず飯屋いかね?腹はどうせ減るんだし来るだろ」
「まぁそうだね。そうしよっか」
まだあちこちが復旧の途中だけど、飯屋なら営業再開した所も多いから丁度良さそうだった。それにずっと兵舎の飯じゃ飽きてきているだろうし、そう僕は二人を見るように振り返った。
「ご飯希望ある?」
「・・・・なんでも」「私も」
何か希望があったら楽だったのだけどやっぱりそう簡単にはいかないか。だが飯屋って言ってもあるのは飲み屋ばかりだから、そこまで騒がしくなさそうな所にするしか無いのだが・・・・。
「あ、あれにする?」
「ん?行った事あんのか?」
「まぁ一回だけ」
前見た時は路地裏にあった店だけど手前の建物が崩れているから、通りからも直接あの看板が見えていた。あそこならそこまで広く無かったから他よりはうるさくないだろうし、いつまでも迷っていても仕方ない。
そうして僕らが店に入るともう昼過ぎな事もあってかポツポツと空席があるようだった。
「お好きな所にどーぞー」
以前訪れた時とは違う従業員が僕らにそう言って、忙しそうに奥へと引っ込んでしまった。僕は言われた通りに空いている席を探し、四人掛けの丸テーブルへと腰を下ろした。
「じゃあそっちから選んでー」
テーブルに備え付けあったメニューをアイリスとライサに渡して選び終えるのを待った。そんな間も隣からラースの腹の音が聞こえ続けていて、相変わらずな奴だなと思っていると、僕の左隣に座ったアイリスが選び終わったらしくメニューを差し出して来た。
「ん」
「ありがと、ちなみに何頼むの?」
「サラダ」
「へぇ~」
昼にしては足りないのではと思うが一々他人の注文に文句を言うのもあれか。
「ライサは?」
「魚のムニエルにした」
「お、いいねぇ」
僕はそう沈黙が続かないように会話だけ細々と続けながら、右隣に座ったラースと一緒にメニューを睨んだ。
「なんか品数少ねぇな」
「まぁまだ一か月しか経ってないからね」
年末に来た時はこのメニューの二倍ぐらいはあった気がするけど、やっぱり戦争の影響なのかこんな所にも見て取れた。だが僕は以前食べた唐揚げみたいな揚げ物の品名を見つけ指差した。
「僕はこれにするわ」
「へぇ~それも旨そうだな。後で分けてくれよ」
「まぁ良いけどラースは何にするの」
「え~ちょっと待ってな」
ラースは相変わらずだ。もしかしたら暗い二人に変わって場を沈めない様に明るくしてくれているのかもしれないが、どちらにせよこんな明るさに僕も助けられているのだから頭が上がらない。
「じゃあ俺はこれとこれと~~あとこれにすっかな」
「むっちゃ食うじゃん・・・・」
肉に肉に肉か、栄養バランスの文字はどこにも無いらしい。調理方法が違うとはいえよくも飽きずにそんなに食べれるなと、僕はそう少し引きつつも思いつつ手を上げた。
「すみません~注文お願いしたいんですけど~」
「あーはいはい!ちょっと待ってください~!」
裏でガチャガチャと皿の当たる音が聞こえるから、皿洗いの途中だっただろうか。
また忙しい時に聞いてしまったなと思っていると、パリンと皿の割れる音と従業員の面倒くさそうな声が聞こえてきた。
「あ~やっちまったよ」
そんな時僕の視線はというと、その皿の音に過剰に肩を跳ねさせ僕の左袖を強く掴むアイリスに向かっていた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だからこのまま・・・・」
アイリスの声も手も弱々しくも縋るように震えていた。やっぱり大きい音にはまだ慣れていないらしいけど、こうだと日常生活に支障をきたすしやっぱ軍も辞めさせるべきか・・・・
そんな事を考えつつもアイリスの事をそっとしておき、落ち着くまで何も言わずにいてあげた。余分な事をして何かアイリスのトラウマを抉りたくない。
こんな状況だとラースも触れずらいのかどこか気まずそうに黙っていたが、皿を片付け終えたらしい従業員が来た事でその沈黙は終わった。
「ご注文お伺いしまーす」
「あ、じゃあこれとこれと━━」
ラースが僕に変わって従業員に注文をしてくれていた。
僕はそんなラースに感謝しつつも、段々とアイリスに袖を引かれ左に体を傾けつつあった。多分本人的には無意識に力が入ってしまっているだけなのだろうが、そろそろ椅子から転げ落ちそうになってしまう。
「注文以上っす」
「はーい承知しましたー」
そうパタパタと従業員が厨房へと引っ込んでいった。僕はその背を見送りながらラースに小さく頭を下げて感謝を伝え、再びアイリスに視線を戻した。だがまだ過呼吸気味でまだ落ち着くには時間がかかりそうに見えた。。
「まだ大丈夫じゃない?」
アイリスの首が小刻みに震えながらも縦に振られた。まだ自暴自棄になったり自傷行為に走らないだけ良いけど、なんとかアイリスのこの現状を和らげるぐらいはしてあげたい。だが今はそっとして僕は静かにアイリスに袖を引かれ続けた。
そんな状況が五分程だろうか。そろそろこの歪な姿勢に体が痛みを発し始めている時。突然アイリスが僕から手を離した。
「・・・ごめん」
「いいよこれぐらい。いつでも頼って」
「・・うん」
またアイリスの呼吸は荒く自身で胸を抑えてなんとか落ち着けようとしているが、中々呼吸が落ち着く事は無かった。だがメンタル的には一時的にでも落ち着いてくれたならよかった。
だから僕は椅子に座り直して食事が来るのを待つと、今度は正面に座ったライサが下を向いたまま言った。
「フェリクスはさ」
「ん?どうしたの?」
あくまで平静を装って受け答えをするがやはり内心穏やかでは無かった。アイリスでもかなり神経を使うのに、ライサもかなり大変な現状だからここで変な受け答えをする訳にはいかないから。
「・・・・いや、やっぱ今は良い」
「そう・・・・?いつでも言いたかったら言ってね」
言いたくなるまで待つしかない。それに最近はこうやって、また喋る様になってくれただけでも僕としては嬉しい。それに今の迷ったライサの表情を見るにまだ頭の整理が出来ていないのは見て取れるから、時間を用意するのが僕の出来る事だ。
するとそんな中、先ほど注文した料理が僕らのテーブルに届き始めた。
「熱いのでお気を付けください~」
カタ、カタ、コト、そう音を立て何枚かの皿が目の前に置かれていっていた。でも殆どがラースの注文でテーブルが埋まってしまいそうだった。
「じゃあこれは食べたかったら食べな。俺の奢り」
「良いのか?」
「食べないと元気でないだろ」
そうラースはアヒージョ?っぽい見た目のが入ったお椀をテーブル中央に運んだ。ラースなりに気を使ったという事なのだろうな。
だけどそれも少し空振り気味だったのか、アイリスはフォークすら持とうとせず手を膝の上に置いて言った。
「ちょっと今食べれないかも、ごめん」
そうアイリスは自身の頼んだサラダすら手前から離した。そして次にテーブルの少し赤い肉を見たと思うと突然口元を抑え出した。
何か嫌な雰囲気を感じた僕は、そっと立ち上がってアイリスの背中に手を置いた。
「まずそう?」
「・・・うん」
近くで見ると汗がかなりひどかった。もしかしたら肉を見る事すら戦闘を思い出してきつかったのかもしれない。そう考えると気が回っていなかった自分に嫌気がさしそうになる。
「ちょっと外出ようか」
僕はそうアイリスを支えながらもラースに目配せしつつ外へとなんとか出る事ができた。
すると外はもう五月も近い事もあって過ごしやすい気温ではあったけど、今はそれどころでは無く店前から離れ近くの狭い路地裏へとアイリスを連れ向かった。
「ゆっくりでいいから落ち着いて」
アイリスに壁へと手を突かせて背中をさすった。すると余程きついのかアイリスは、何度か気持ち悪そうに口を押えた後、胃液が殆どだったが中の物を吐き出してしまった。
「大丈夫大丈夫」
アイリスも見られたくないだろうからと壁を見つめながらも、ずっとそう大丈夫と呟きながら背中をさすり続けていた。
それからもしばらく吐き続けようとアイリスの体はしようとしていたが、もう胃の中に何も無いのか苦しそうに呻いているだけになってしまった。
「・・・・・・なんでこんなこと」
苦しそうにえずきながらも、そうボソッとアイリスが呟いた。
やっぱりアイリス本人も苦しんで今の現状も嫌だと思っているのだろうな。吐きたくて吐いている訳では無いのだろうから、どうにかしてあげたいが身体的じゃなくて内面的な問題だとどうにも対応が難しい。
「傍にいるから。ゆっくり話して」
だからアイリスが自分から言ってくれるのをゆっくり待つ。専門知識なんてある訳も無いからこれが僕の精一杯いだった。
でも一つだけ僕はアイリスに言っておきたい事があった。
「・・・でも一回休むのも良いんだよ?体壊すま━━」
僕がそう言い切る前に突然アイリスの右腕が僕の肩を強く掴んだ。
「それはダメッ!ここで逃げたら何も無くなっちゃうからっ!!」
僕を見上げるアイリスの目は血走っていた。
何をそこまでアイリスに言わせるのか僕には分からなかったが、そのアイリスの様子から要らない事を言ってしまったと、宥めるように出来るだけ優しい声色を作った。
「うん、そうだね。ごめん変な事言った」
そうだ、今はとにかく寄り添ってあげないと。そう僕はアイリスの両肩を優しく掴んで姿勢を起こさせた。
「大丈夫そう?」
僕の言葉に対しアイリスは小さく頷いた。そしてそんなアイリスを支えながらも僕は店へと戻ろうと歩き出した。
「いつか今悩んでる事話してね」
今の僕にはこれが限界だったが、そんな言葉に再びアイリスが小さく頷き髪を揺らした。
そして僕はアイリスを支えつつなんとなく見上げると、今の僕らの感情の様にどんよりとした曇天の空がそこには広がっていたのだった。




