第百十話 元旦
やっと朝日が昇り始めて隣を歩くライサの顔も良く見えるようになった頃。
水色になってきた朝空の元、僕らは一時間と少しのランニングを終えて室内訓練場へと向かっていた。
「剣術の方は上手くいってる?」
少し冷えてきたと体を丸めながらそう聞くと、隣のライサは何か気まずそうというか困ったように笑っていた。
「ん~いや、やっぱ私に剣は無理かな。向いて無いかも」
確か昔から剣が出来ないのはそうだっけか。魔法は好きなようだけどやっぱり剣術となると、ラースの方が上手いしそれぞれの適性の差なんだろうな。
「じゃあ訓練場行っても仕方なくない?」
室内訓練場って言っても別に体育館みたいなのだし剣術以外で使う事はあんまりない。それこそ魔法の訓練するなら演習場のあるグラウンドに行った方が良いと思うのだが。
でもライサ的には何か理由があるらく焦ったように訂正をしてきた。
「い、いやね!苦手だから頑張るってこと!別にやらない訳じゃないから!」
「あ、そうなんだ」
そんな必死にならないでもと思いつつ、ライサを窘めながらも僕らは室内訓練場の建物へと到着していた。そして重い扉を開けて中を覗いてもやっぱり年始に使う人はいないらしくガランとしていて、人影一つ無かった。
「お、あったあった」
早速僕は入り口に掛けられた施設使用者の記入用紙に自分とライサの名前を書きつつ、室内靴を履くのに手間取っていたライサに話しかけた。
「書いてるから木刀お願いしても良いー?」
「いいよーっ!良いの持ってくるー!」
別に木刀なんてどれも違いは無いだろとは思ったが、僕は走っていくライサを見送ってさっさと記入を終えた。そして僕も室内靴を履いたのだが、もうこの頃にはランニングでせっかく温まった体も冷え初めていて、この薄い訓練服では外気に耐えれそうになかった。
「上着取りに行くのめんどくさいしなぁ」
そう不満を漏らしつつも木製の床が張り巡らされた室内訓練場へと入り、用具入れを漁っているライサを待っていた。そしてすぐに用具入れからひょこっと顔を出したライサが、僕の所に駆け寄ってきた。
「ありがとー」
「どーいたしましてーっ!」
ライサから大事そうに手渡された木刀を受け取り感触を確かめる。年末年始は暫く使われて無かったのか、少し埃が被っていて柄の部分はひんやりと冷たかった。
「じゃ素振りからしようか」
「はーい!」
冷えた体を再び温める為と、ウォーミングアップを兼ねて僕ら二人はだだっ広い訓練場の真ん中で素振りを始めた。いつもは人が大勢いて雨の日とか使えたものじゃないけど、人が居ないとそれはそれでソワソワして落ち着かない。
そうして二人分の木刀が空を切る音が少しだけズレて聞こえる中、ライサが少し嬉しそうに笑って僕を見ていた。
その視線に答えるように僕が少し視線を返すとライサは言った。
「なんか久々だね」
「ん?久々って?」
さっきもランニングして今も息が上がってると言うのに、やけに元気そうにしていた。そんなライサが言った意味が分からず聞き返すと、懐かしむように目を細めていた。
「こうやって二人だけなのすごい昔の事だった気がして」
「あー確かにそうかもね」
僕が盗賊の所にいた時は割と二人で話してたけど、もう5年近くライサとは会って無かったから、こういう機会も久々か。あの洞窟をくり抜いただけのみすぼらしい訓練室での事も、もう五年も前の事なのか。
「周りに人が居ないと心の声も聞こえないし、フェリクスの声だけが聴けてすごい好きな時間だった」
やっぱり士官学校で集団行動を課せられてるから、無差別に人の心の声が聞こえるライサにとってはキツい環境なのかもしれない。そう今語っているライサを見ると思った。
す身長が低いライサの視線が僕を見上げた。
「またこういう時間作ってねっ!」
「うん。いいよ」
そんな僕の返事に「やった!」と声を漏らすライサをどこか微笑ましく見ながらも、この先の事を考えていた。
僕としては正直ラースとライサには軍には入って欲しくない。二人はもう人生で負わないで良いほどの苦労を背負ってきたんだから、後は楽しく過ごして欲しい。
でもヘレナさんから詳しくは聞いて無いけど、二人の立場からして士官学校に入った以上軍への進路を強制されてしまうかもしれない。そんな時僕は何をするべきでどうしたらいいのだろうか。
そんな不安を思い浮かべていると訓練場の入り口方面から僕らを呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!フェリクスー!」
その声に僕は思考を打ち切って振り返ると、そこには相変わらず長いブロンド髪を後ろで縛ったコンラートが手を振っていた。ここ最近あまり話してなかったけど久々に聞こえたその声は元気そうだった。
「なにー!?」
するとコンラートは靴を脱いでそのまま僕らの元までやってきた。そうやって近くで見たコンラートの顔は、声とは裏腹にかなり疲れているように見えた。だから少し気になった僕は日常会話として聞いてみた。
「なんかあった?」
「いやちょっと実家が忙しくてな。やっと学校帰れそうだったから来たけど誰もいねぇしよ」
まぁいくらいつも訓練しているとは言え年始の朝の六時七時に来てもって感じだとは思うけどな。
そうしながらも人が来た事で静かになったライサを気にしつつ、僕はコンラートとの会話を続けた。
「その忙しいのって聞いても大丈夫な奴?」
相手は貴族の家の子だから配慮しつつの質問を投げかけたが、コンラートは特に隠す事はないのかあっさりとした感じで。
「まぁ今日の朝刊で出ると思うんだが戦争が始まるらしくてな。親父も朝からバタバタしてて俺も叩き起こされちまってな」
「それは・・大変だったね」
また戦争が始まるらしいのか。今までは冒険者だったから係争地とかを避ければ物価上昇以外関係無かったけど、今は軍隊の機関に所属している以上軽視できない問題だ。
でもまだそれが本題では無かったのかラースが両手を合わせて、破裂音にも近い音を訓練場に響かせた。
「で!ここからなんだけどよ。一個上の世代はもう卒業させられて入隊だとよ」
「・・・まじか」
僕が今驚いたのも当たり前の反応で、もしコンラートの言葉が本当なら、大体軍学校の卒業次期が六月だから半年分早めたって事になってしまう。今でさえ二年の教育課程は短いと思うのに、これだと大分末期戦って感じがしてくる。
てかそもそもこういうのを知ってるってコンラートの父さんかなり偉い人なんじゃないか。
「コンラートのお父さん何やってる人?」
「・・・・まぁ親父はこの国の宰相だよ。あんま好きじゃねぇけど」
コンラートもあまり親子仲が良くないのか、苦虫を嚙み潰したような顔をして言葉を吐き捨てていた。
でもコンラートはそんな暗い顔をすぐに捨てていつもの笑顔に戻ると、思い出したかのように声を上げた。
「そういやハインリヒ見なかったか?あいつの親から言伝頼まれてんだった」
「昨日は見たけど今日は知らないかも。でも多分学校にはいると思から宿舎行ってみたら?」
正確な事は言えないけど多分学校にいると思う。昨日のあんな遅くに図書館に居たんだから、わざわざあの後実家に帰ったとは思えないし。
するとコンラートはその情報だけでも良いのか既に走り出していた。
「じゃ行ってくるわ!ありがとなっ!」
「はーい。頑張って~」
今日は一段と快活で嵐みたいなやつだった。そう小さくなっていく背中を見送りながらも、僕は木刀を握り直して構えた。
でもその時になっても人見知りをしていたのかライサが僕の背中に引っ付いていた。
「もういないから再開するよ」
でもそのライサはどこかいつもより雰囲気が重い気がした。
「・・・・・・あの人は気を付けて」
どうやら人見知りというより軽蔑の感情が強い様で、僕の服をライサが強く握っていた。でも唐突にそんな事言われても理解出来ない僕がどうしてかと聞くと。
「嫌な貴族って感じの人だよ。上辺だけ良い顔してる」
この感じだと恐らくコンラートの心の声が聞こえたんだろう。僕としては別に貴族の子が表面上仲良くしてくれるだけでもありがたいけど、こう事実としてそういうのを知ってしまうと気まずい物がある。
「ま、まぁ直接何かされたわけじゃないし大丈夫だよ。誰だって人の好き嫌いはあるし」
「フェリクスが良いならそれでいいけど・・・・」
ライサはやっぱり嫌なのか不満気なようだった。心を読めるって事は人の悪意を言葉で希釈されず、そのまま飲まされる事だからキツイんだろうな。それがあまり他人と関わった事の無いライサなら猶更呑み込むのはつらい物か。
「じゃやるよ」
僕はまだ戸惑っているライサの手を離させて、久々にその茶髪の癖ッ毛の頭を撫でた。正直もうライサも女性って歳だからやられたくないかもしれないけど、なんとなく今のライサが小さい頃の不安定な時と重なってて、気付いたら手が先に動いていた、
「・・・・」
でもライサから特に反応が無くて、やっぱりキモかったかと数秒前の自分の行動を恨んだ。だから僕はすぐに手を離そうとしたのだが。
「・・・・・もうちょっとだけ」
そうライサの両手が僕の右手を上から抑え込んだ。もうこれだと撫でているというより頭と手に挟まれてるだけだけど、それでもライサは良いって事らしい。
でも僕がそれに大人しく従ったのも束の間。次の瞬間ライサは何か思い出したように、顔を赤くして僕の右手を自身の頭から慌てて引き離した
「手!すぐ洗って!!風呂入ってない!!!」
「ん?あ、いや別に気にしないけど・・・」
「ダメ!私が気にする!」
別に汗がどうとか思っては無かったけど、ライサにとってはかなり恥ずかしいのかいつも以上に意地を張っていた。
そしてその明らか動揺したライサは僕に木刀を押し付けると、そのままの勢いで無理やり僕の右手を掴んだ。突然動きの増えたライサになんだなんだと思っている内にも、自分のタオルを出して僕の右手を拭いていた。
「ぜぇったい嗅いだりしないでよ!」
「いや嗅ぐわけないでしょ・・・・」
ライサは僕をどんな変態だと思っているんだ。流石にそんな性癖も無いしそれぐらいしてはダメだっていうデリカシーだってあるつもりだ。
でもライサは一度気になったら気が済まないタイプなのか、執拗に僕の右手をタオルで擦り終えるとすぐに僕から背を向けてしまった。
「じゃ!風呂入ってくる!」
感情の上下が激しかったライサは空っぽの訓練場に、その声を響かせて出て行ってしまった。ものの数分で僕はこの広い訓練室に取り残されてしまったらしい。
「まぁいいか」
別に素振りは一人で出来るし、ここ最近は左腕も利き手並みとは言えないけど使えるようになってきたし、色々他にも試したい事もあるしな。
それに男の風呂の時間は一時間以上先だし今訓練をやらないと汗が流せないから勿体ない。
「うしやるか」
そう独り言だけが響く訓練室にやっぱり気まずさを覚えながらも、それから一時間と少しの間一人で自主鍛錬をしていったのだった。
そうして一通りの鍛錬を終えた僕はタオルで汗を拭きつつ、まだまだ冷え込む外の空気を肺へと運んでいた。
「早く夏なんないかなぁ」
運動している間は良いけどやっぱり終わった後が寒いし気持ち悪い。冬季用の訓練着もあるけど、これのどこが冬季用なんだってぐらい薄いし不満しかない。
そんな僕はブツブツと文句を言いながらも、予定通りいち早く汗を洗い流す為足早に浴場へと向かっていった。そして脱衣場に入るまでライサとはすれ違わなかったから、恐らく飯か部屋に戻ったのだろう。
そう僕が浴場の扉を開けると、ムワッとした熱気と湯気が冷えた体を覆うように吹き出して来た。
「お、誰も居ない。ラッキー」
湯気の先には誰一人いないであろう凪いだ湯舟があった。そして僕はそのまま急いで体を洗うとその凪いだ湯舟へとダイブしていった。
そんな風に歳不相応にも広い風呂を独り占めできる事に興奮していたけど、こんな朝も偶には良いかと水面から顔を出して天井を見上げた、
「まだ八時だから何しようか」
とりあえず朝食を取ってハインリヒがいるなら模擬戦に付き合ってもらうか。それとも休み明けの予習を先に済ませてしまっても良いし、装備の手入れもやっておきたいしでやるべき事がありすぎて困るな。
「まぁ飯食いながら考えればいいかぁ」
そう一人の風呂で仰向けに浮かんで独り言を呟いている僕は、他から見たらかなりヤバい存在だったであろう。それでもこの広い風呂に一人という高揚感でこの時は僕は何も思っていなかった。
でもそんな時朝早くに僕と同じで風呂に入りに来たのか、ガラガラと扉を開ける音で僕の楽しい朝の時間は終わった。そして僕は姿勢を起こして大人しく湯舟の中で座って肩まで浸かって、脱衣場で物音を立てる影をなんとなく眺めていた。
「コンラートかなぁ」
そもそも宿舎に人もいなかったしその辺りな気がする。さっきもかなり疲れているようだったし風呂でさっぱりしたい的な感じかもしれない。
「でもちょい気まずいな」
そんな事を思いながら湯船に浸かって出入り口を眺めていると、脱衣場と浴場を仕切る扉が音を立てて開けられたのだが。
「・・・・・・え」
「・・・・・・は」
さっきも確認したが今は八時を回っている。確実に男湯の時間のはずだ。
でもそこにはタオルを巻いた豆鉄砲を食らったように目を丸くしたアイリスの姿があった。
そして数秒互いにフリーズして見つめ合っていると、アイリスの方が明らか狼狽した感じでタオルを強く握っていた。
「な、なんでいんの!!しねッ!!!!!」
まだ自分の勘違いに気付いて無いのかアイリスは僕を犯罪者とでも言いたげに、キッと睨んできていた。だが僕も冤罪なんて御免なので湯船から体を出さない様抗議した。
「今男湯の時間だって!!間違えてんのそっち!!!!」
僕は浴場内の時計を見ろと指差した。
その指の先をアイリスが僕を警戒しながらも視線で追うと、時計の針が目に入ったのか動きが止まった。
「え、あ、うそ、そ、そうだっけ・・・?あれ・・・・?」
「なんか言う事あるんじゃないんすか」
やっと分かったのか顔が引きつるアイリスに向かって僕は恨むように睨んだ。するとアイリスは僕の顔を見ることなく、雑に扉を開けて走り去ろうとしていた。
「うるさいッ!!!」
そう浴場内に金切り声にも近いのを響かせて、バタンと扉を閉めて僕の目の前から姿を消してしまった。でも最初は言ってきた時少し暗い顔をしていた気がして、少し心配にもなった。
でもそれよりも今の状況の可笑しさに僕の思考は奪われていた。
「・・・・漫画みたい」
ちょっと特別な事が起こった嬉しさと、実際起こると自分は悪くないはずなのに感じる罪悪感でせっかくの風呂が台無しになってしまった。咄嗟に視線は逸らしちゃったしなんか怒られ損って感じだな。
てかアイリス二時間前に学校から出て行ってたけどもう帰って来てたのか。睡眠不足で判断力が鈍って入ってきちゃったのだろうか。にしても僕にあそこまでキレないでも良いのではと思ってしまうけど。
「ま、もう風呂は良いや」
またしばらくアイリスの機嫌が悪くなるかもなと気分を落としつつ、湯船から上がった僕は朝食を食べに行ったのだった。
これは新年最初のいつもより少しだけ忙しいある朝の数時間の話だった。




