第百七話 思い出
雨の傘を叩く音が頭の上で響いていた。
エルシアとの会話を終えての帰り道、僕の頭の中でさっきの出来事がグルグルと回り続けていた。
「雨止まないなぁ」
傘を少しずらして見上げても、どこまでも薄暗い曇天の空が広がっていた。
「結果正しかったんだろうか」
あの時エルシアに言った事は本心だと・・・思う。
でもそれが正しいのかは全く自分でも分かれていない。
「なんで僕は転生なんてしたんだろうな」
そういるかも分からない神を見上げるように空を仰いだ。だが返事が返ってくるわけでもなくただ大粒の雨が顔にかかるだけだった。
「でも吐いた唾を呑み込むわけにはいかないか」
何を思おうが結局あの場で僕が言った事は撤回されない。なら僕は最善を尽くすしかない。例えそれがエルシアにとって、恨みの籠ったい相手で、無数にある世界の内の失敗した世界の住人の言葉だったとしても。
そう僕はなんとなく下を向いて地面の濡れた石ころを蹴飛ばした。
するとその石は水浸しの石畳を転がってゆきある看板にぶつかり、その回転が止まった。その看板を見るように視線を上げると、年末でこんな雨だというのに営業しているのか、中から暖かい光が漏れ出していた。
「・・・・飯屋か?」
その看板を見て自分が昼飯を食べていない事を思い出した。まだ夕飯には早い時間だけど、色々あったし偶には外で食べてみようか。
そう僕は持ってきていた財布を取り出した。
「よし、お金もある」
財布の中に給金の銀貨が入っているのを確認した。
そして僕は雲が太陽を覆い薄暗い街の中、明かりを外へと漏らす店の戸を開いた。するとそこまで広い店内では無いようで、数席のテーブルとカウンター席のみの店の様だった。
「いらっしゃーい!お好きな所へどーぞ!」
従業員であろう元気そうな青年の掛け声に従い、とりあえず空いているカウンター席に腰を下ろした。
「あ、これか」
一席開けた隣におじさんがいて勝手に気まずく感じながら、カウンター席に置いてあったメニュー表を手に取っていた。流石に内陸な事もあってか海鮮は無いけど、シカ肉とか山魚の料理とか色々ある様だった。
そう僕がメニューを見てどうしたものかと悩んでいると、突然酒臭い隣のおじさんが話しかけてきた。
「その服士官学生か?」
「え?あ、はい。そうです」
突然話しかけられてビビりながらもおじさんの方を見ると、気付かなかったけど服からして軍人さんのようだった。髭も立派だし偉そうな人だなと思っていると、肩の階級章が目に入った。
「あっご苦労様です!少佐殿!」
まずいと気が抜けかけていた体が引き締まって、椅子を立って少佐を見た。
今まで上官て言うとヘレナさんとかしか会ってこなかったから忘れてたけど、しっかり挨拶しないといけないんだった。しかも少佐となると貴族の人だろうし失礼があったら、本当の意味で僕の首がやばい。
「君はしっかり挨拶出来るんだな」
そうなんとも思って無いのか少佐は酒の入ったコップに口を付けていた。そしてそれを眺めていると、困ったように僕を見てきた。
「早く座ったらどうかね。他の人に迷惑だろう」
「あ、はい。申し訳ありません」
声を落としつつ僕は席に戻るが、今更店に入らなければよかったと後悔し始めていた。上官が隣に居ると飯食べずらいし、なんか気難しそうな感じで胃がキュっとなる。
「こんな雨の日の休日に外出なんて珍しいな。実家に帰ったりせんのか?」
「あー実は自分身寄りが無くて・・・。一応騎士の家だったんですけど」
どの世界でも年末は家族で過ごすのが普通なんだろうな。僕はもう十年弱そんな普通を体験できていないのだけど。
「そうか。悪い事聞いたな」
少佐は少しバツの悪そうにするとそのまま店員を呼び寄せていた。すると僕を指差しながら何か注文をしだした。
「もう一杯貰えるか?あとこいつにも」
「あっ!はーい!分かりましたーっ!」
忙しそうに注文を取った店員が店の奥へと引っ込んでいくのを見ながら、僕は恐る恐る少佐の方を窺うと、少佐が酒の入っていたコップを持ち上げた。
「酒飲めるよな?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
異世界に来てからは飲んでないけど大丈夫かな。前世でもそこまでお酒好きじゃなかったしあんまり度数の高いの来ないと良いのだけど。
すると少佐は更にメニュー表を僕の方へと滑らせてきた。
「飯は良いのか?ついでに奢ってやるぞ」
「いやいやいや!大丈夫ですよ!自分で頼みますので!!!」
流石に初対面の上の人に奢ってもらうのは悪いと思い、全力で断ろうとするがそれが少し機嫌を悪くさせてしまったのか、少し酒臭い息を吐きながら少佐はコップを片手に言ってきた。
「いいか?上官の厚意は黙って受け取るもんだぞ?普通に失礼だからな」
「・・・・・・すみません。じゃあ・・・・・あ、この唐揚げお願いします」
この人最初会った時堅物な印象だったけど、案外酔うと面倒くさくなるタイプなのだろうなと思いつつ、僕は抵抗むなしく注文をさせてもらった。
それに冷静になって横に座る少佐を見ると既にコップが何杯も置かれていて、かなりの量を飲んでいるのが窺えていた。
「はーい。二人分ですね~」
そうしていると、僕らの元に店員さんがやって来てさっき注文したお酒がやって来ていた。そしてそれを少佐と僕が受け取ると、少佐は一席分詰めてきて僕の真隣で酒をあおりだした。
「い、頂きます・・」
僕もせっかく頂いたものだと手を付けない訳にもいかず恐る恐る木製のコップに口を付けた。するとそれは味は一度だけ前世の父さんと飲んだビールっぽい苦みのあるお酒だった。
「旨いだろ?」
「・・・美味しいです」
こうは言ったがあまり好きな味では無かった。前世でもビールあんまり飲めなかったし、こっちの世界のはなんか独特なクセが合って余計に飲みづらい。
けど隣で奢ってくれた上楽しそうに飲んでいる少佐の機嫌を害す訳にはいかないので、僕は精一杯笑顔を作って酒をチビチビ飲んでいた。
「実はしばらく飲み行けて無くてな。閑職に飛ばされたと思ったら急に忙しくてなってなぁ」
明らかに仕事の愚痴が始まりそうな雰囲気だったが、僕は淡々と相槌を打ちながらその話を聞いていた。正直軍機とか大丈夫なんだろうかと内心冷や冷やだったが、しばらくすると少佐の過去話が始まっていた。
「俺が正しい事言ってもだぁれも分かってくれやしない。分かってくれた教え子も変な方向にいっちまったしよぉ」
「はぁ~大変でしたねぇ」
何の話をしているのかさっぱりだけど色々この人にもあったんだろうな。今の士官不足のレーゲンス帝国の軍で年老いているってだけで、かなりの歴戦だってのは確かだろうし。
「惚れた女との文通も帰ってこなくなったしよ」
「へぇ~どこの人なんすか?」
そう少佐が寂しそうに天井を見上げているのを、僕は苦いお酒を喉に通しながら聞いていた。
この世界観だから結婚とか当たり前にしてそうだと思ったけど、未だに少佐は独身を貫いてるらしい。
「ん~?東の方でなぁ。エースイって街の辺りの傭兵でな。異民族と戦ってる所に惚れたんだよ」
突然知っている地名が出てびっくりしたけど、やっぱり惚れているだけあるのか酒のせいか顔を赤くして、懐かしそうに語りだしていた。それに異民族って事は二十年ぐらい前の話だけど、この人何歳なんだろう。
そう僕が思っている内にも少佐は回想を続けていた。
「二人組の傭兵でなぁ。姉貴の方なんだが女のくせにでっかい剣片手に暴れるんだよ。そん時の司令官が俺だったんだけど、あれは度肝を抜かれたねぇ」
どこか僕にも聞き覚えのある話だったけど、まさかと思い振り払って僕は酒を更にあおった。
「それから俺が中央に戻っても文通してたんだけどなぁ。でも九年も返事が無いなら多分死んじまったんだろうなぁ」
九年か。となると僕が八歳ぐらいの頃になるのか・・・・・。
僕はそんな事有り得ないと思いつつももしかしたらと、コップを置き少佐の赤くへべれけた顔を見た。
「因みに名前はなんと言う方で?」
「ん~?あ~っとなぁ」
九年前エースイの街にいる双子の傭兵からの返事が無くなった。まさに僕にとっての恩人と特徴が一致してしまっていた。
そしてその答え合わせをするように男が懐かしむようにして言った。
「ブレンダって言ってたな。妹はあんまり覚えてねぇんだが」
「・・・・そ、そうですか」
そう言えばブレンダさんって何故か国の動向とか詳しかったけど、もしかしたらこの人と文通していたお陰だったのだろうか。なんかこのところ昔の事を思い出す機会が多いがするけど、こういう偶然ってあるものなんだなと感心してしまう。
「もしかして知り合いだったりする?」
急に黙った僕の態度が気になったのか、急に目が据わった少佐にそう尋ねられ僕は唇を噛んだ。
僕が勝手にブレンダさんの話をしても良いのかという悩みと、昔のブレンダさんの話を聞いてみたいと言う興味が混ざっていた。
でもこんな偶然もう二度とないかもしれないと感じた僕は、正直に話すことにした。
「実はブレンダさんの教え子でして。ちょうど九年前まで」
僕がそう言うと少佐は大きく目を見開いて僕の肩を掴んできた。余程の驚きだったのか肩を掴む力が強くて、服越しなのに爪が肉に深く突き刺さるような痛みが走った。
「で、で!今ブレンダは何をやってるんだ!?」
「・・・・もう亡くなってます」
血走った少佐から目をそらしてそう言うと、途端に少佐は力が抜けたように椅子にへたり込んでしまった。
そして残っていた酒に口を付け額に手をやって下を向いてしまった。
「・・・そうか・・・・・そうか。まぁそうだよなぁ・・・・」
明らかに落ち込んでいるその一人の男の人に、僕は易々と過去を聞く訳にもいかず届いた唐揚げが冷めていってしまっていた。
するとしばらくして少佐が再び垂れた前髪を掻き分けて天井を仰いだ。そんな寂しそうな姿に、変に期待させてしまって少し申し訳ない気持ちになった、
でも少佐は天井を見たまま深く息を吸うと、体を起こして再び僕を見てきた。
「貴官にとってブレンダはどうだった?」
「・・・恩人ですね。一生忘れないです」
あの人が居なかったら今の僕は無いと言っても過言じゃない。それぐらいの人であると胸を張って言える。
だから恩人だと正直に答えると、少佐は寂しい様な誇らしい様な感情の混ざった表情をしていた。
「そうか。やっぱり俺の惚れた女だな」
そう呟くと少佐はのそりと立ちあがって店員を呼びつけていた。
「会計頼むわ。こいつのも一緒に」
最初宣言した通り奢ってくれるらしく、先払いで店員にお金を渡してくれていた。それに僕がお礼を言うと、何でもないと言いたげに片手を上げて出口へと歩き出してしまった。
「あ、あの!お名前窺っても!?」
今度会った時に失礼の無いよう僕はそう聞いた。すると少佐は出口のドアノブに手を掛けたまま振り返った。
「ギュンター・アーレンスだ。階級は見ての通りだ。君は?」
僕は立ちあがって名乗った。
「フェリクス・デューリングです!」
「・・・・あぁあの家系のとこか。じゃあまたどこかで」
そう少佐は再び片手を上げて店から出て行ってしまった。嵐の様な人だったけど悪い人では無さそうには感じた。
そうして僕は一人になった席で、残った苦いお酒と唐揚げを頬張って外へ出ると既に雨は上がっているようだった。
「まぁ色々スッキリしたかも」
何も解決は出来ていないけど人と話すだけでも大分気が楽になった。それにこのタイミングでブレンダさんの話が出ると、どこかブレンダさんに応援されている気がして勇気が持てる。
「それに簡単に死んだらそれこそブレンダさんに怒られるし」
ようやく心の整理がある程度出来て、エルシアへ言った自分の言葉への責任を持てる気がしていた。これもお酒のせいで昂っているせいかもしれないけど、それでも僕は僕の責任は果たそう。
そう茜色の空が少しだけ顔を覗かせる空を見上げて、僕は雨上がりの街を歩いて行ったのだった。
でも僕はある事を忘れていたらしく、僕が部屋に帰った時の事。明らか不機嫌そうに目を細めたアイリスの視線が僕に刺さっていた。
「・・・・・薬は?」
「あ、忘れてた」
「何しに行ったの?子供でもお使い出来るよ?」
「すみません・・・」
「あと酒臭いから早く風呂入ってきて」
「・・・・はい」
そうして僕の年末のある一日が過ぎていった。
ーーーーーー
カランカランという扉のベルが店内に鳴り響き、カールと客の会話が店の奥まで響いていた。
そして私は一応追われてる身だから部屋に入って、ベットに腰掛けていた。
「あいつと話すと調子狂う・・・・」
あいつが嫌な奴だったなら存分に殺せるのに、変にナヨナヨしているというか甘いせいで相手しずらい。そもそも殺害予告した私を助けるとかも意味分からないし。
「あー殺せばよかったかな」
なんか気持ち悪い。なんで私がこんな嫌な気持ちにならないといけないんだ。少し境遇が可哀そうだと思って、あんな偽物に気を使わなきゃよかった。
「良いや。もう寝よ」
私がそう手元のシーツを掴むと部屋がノックされた。
「はーい。どーぞー」
どうせカールだと思ってその開かれる扉を見ていると、そこからは嫌に見慣れたクソジジイのニヤけ面が姿を見せていた。
「いやぁ殺さないか冷や冷やしたよぉ。で、君のやりたい事は終わったかい?」
やっぱり私の事を見ていたらしい。ならあそこでフェリクスを殺そうとしてもこのクソジジイに止められてたか。
「終わったよ。良かったじゃんフェリクスがあんたを殺してくれるってさ」
そう嫌味交じりに私が言うと、クソジジイは高笑いしながら両手を叩いて部屋に入ってきた。
「いやぁ!それだよそれ!良い仕事してくれたねぇ!」
褒められても全く嬉しくないが、こいつの場合本心で言っているのだろうな。
そう私が呆れていると、クソジジイはこれからが本題だと言わんばかりに椅子に腰を下ろした。
「南の国が戦争を仕掛けたらしい。だから戦況を見つつ反乱をするからしばらく潜伏ね。諸々はこっちでするから」
「別に私が何を言っても勝手にやるでしょ」
「まぁそうなんだけどね!」
今日は鬱陶しいぐらいに機嫌の良いクソジジイは、それで要件が終わったのか椅子から立ち上がった。
「じゃまた迎え来るからちょっと待ってて」
そうクソジジイがやっと部屋から出て行ってくれた。
そして静かになった部屋で私はベットに仰向けになった。
「・・・・だる」
そう私の一日は終わって行ったのだった。




