聖痕がある妹ばかり可愛がられて育った王女ですがこの度隣国の王太子殿下と結婚が決まりました
聖コーランド王国は小国ながら、建国以来約3000年の歴史の中で、国を司るものが変わることはあっても、領土が他国から侵攻されることはなかった。
何故なら聖なる山シンルガーラ山があるからだ。
この大陸のほとんどの国が精霊信仰で、ありとあらゆるものに精霊が宿るとされ、人々は聖堂に行き、精霊に祈ることで願いが叶うと信じている。
聖堂が遠い家に住む者は、聖堂から精霊石と呼ばれる水晶を授けてもらい家に置き、それに祈りを捧げる。
そしてありとあらゆる精霊の頂点に立つのが太陽の精霊リューディア。その次が月の精霊スティーナ。どちらも女性として描かれることが多い。
シンルガーラ山は高さがどれくらいあるのか、また登頂までにどれくらいかかるのかは誰も知らない。何故なら、人間が入ることを禁じている山だからだ。その代わりあるのがその麓のデバルディ大聖堂だ。
聖堂の扉を開けた正面に、リューディアとスティーナの像が置かれている。台座は紫水晶で本体は水晶だ。輝かんばかりの微笑みをたたえるリューディアと片膝をついて儚げに微笑むスティーナが神々しいまでに美しい像で、見る者全てがいつまでも眺めて居たいと思わせる。
当然作者不明でいつからそこにあるかもわからないが、掃除をすることなく、いつでも光り輝く姿に、精霊の存在を信じさせるものがあるのだ。
そして、その背後のシンルガーラ山は大陸唯一の独立山だ。他の山と連なることなく聳え立つ姿は雄々しくもあり、優雅でもあった。その頂にリューディアとスティーナが宿っていると信じられている。
また、おもしろいもので、何にでも精霊が宿るとされているからか、地域によって聖堂に祭られる精霊には違いがある。
もちろんリューディアとスティーナの像があるのが基本だが、川が近ければ水の精霊、海が近ければ風の精霊、農耕地帯では土の精霊や穀物の精霊などもいて、多種多彩な精霊が人々を守っているとされている。
そんな聖コーランド王国には稀に聖痕と呼ばれる痣のようなものを持つ者がいる。それは痣のようであり、また何かの図柄のようでもあった。聖痕をもつ子供が生まれるとその地域が豊かになるとされ、王族に生まれれば国が繁栄する、と言われている。
そして聖痕を持つ子供たちは幼い頃からデバルディ大聖堂か、王都にあるラコーニ大聖堂に入り、聖官として日々祈りを捧げ、王国各地を巡り、その身に受けた恩恵を分けて回ることが多い。
自然とその務めをしたいと考える者が多いようだ。もちろん聖痕がなくても聖官には審査さえ通ればなれるし、聖痕ありの聖官の護衛に付くのを希望した騎士を聖堂騎士という。
聖痕があっても特に何か特別なことができるわけではない。精霊の力を借りて風を操ったり雨を降らせたりできるわけではなく、存在するだけでありがたい存在なのだ。
精霊との結びつきが強い者に現れるとされているので、只人よりも精霊により近いと思われているということである。しかし、その聖痕も色によって力が違ってくるのだ。
聖痕の色は、青・緑・紫・赤・金、でもちろん金が一番精霊との結びつきが強いとされている。しかしながら、金色の聖痕を持つ者は歴史書の中で700年前の記録にしか残っていない。大半が、青か緑なのだ。赤でさえ記録によれば200年前だ。平民の娘で後に王妃になったと書かれている。
そんな中、聖コーランド王国に紫の聖痕を持つ王女が誕生し、国民は喜びに沸いた。17年前のことである。紫の聖痕を持つのは第二王女で王族貴族、そして庶民全ての国民の期待する存在となったのだった。
王宮の奥の小さな森を抜け湖の畔に来ると、アリーチェは持ってきた敷物を敷き大の字になって転がった。
その側には愛猫レニアが同じように転がっている。猫にしては少々はしたない恰好ではあるが。
「今日は気持ちいい日ね。午前中は仕事ばかりで疲れてしまったから、こうやってのんびりここでお昼寝できるなんてリューディア様に感謝しなくちゃね」
などと話しかけているがもちろん返事はない。この話しかけているようでいて独り言を言っているのは聖コーランド王国の第一王女アリーチェだ。王女としての視察や慰問もあるが、事務仕事もたくさん抱えている。それでも今日は午後からだけとはいえ久しぶりに休んで良いと言われたので、お気に入りの湖までのんびりしにきたのだ。
アリーチェの毎日は忙しい。朝は早くから起きて自分で身支度を整える。朝ご飯を厨房まで取りに行く。その時にレニアのご飯ももらってくる。それを食べ終われば今日の予定の始まりだ。
自分の執務室に行き、まず自分に来ている視察先や慰問先があれば行く。
その時に護衛は一応いるが、一応程度だ。国の王女が一人で視察なんて行けば庶民から不審がられてしまうと両親は思っているので、一応つけるよう近衛騎士団に申し伝えてあるようだ。
それが終われば自分が任されている事務仕事。そしてその後に自分以外が任されている仕事を行う。
一、王妃の代わりに下位貴族のお茶会を開く。王妃は上位貴族のお茶会にしか出ないから、代わりに第一王女のアリーチェが代理として主催し参加する。
そんな下位貴族のご婦人ご令嬢方も、王妃や妹である第二王女に会いたいのが本心なので、主催者が第一王女なのは少なからず不満がある。
しかし、不満がありながらもやって来るのは彼女たちには王宮に来ることに意味があるからだ。王宮には第二王女がいるのだ。
王宮にいるだけで第二王女の近くにいることになり、幸福をわけてもらおうという思いがあるのだろう。そんなだから主催者である第一王女のアリーチェも王女であるから敬わなければならないはずが、どこか扱いがぞんざいになっているのは否めない。
話す内容も、第二王女についてでそれをアリーチェは笑顔で受け答えする。第二王女としての責務を全うしてると。本当は何をしているかなんて知らないのだが。
二、そんな妹セレーネの分の仕事。
聖痕を持つということでたくさんの手紙が毎日セレーネのところにやってくる。悩みを相談したり、病気になったという話だったり。貴族も庶民も送って来るのだ。
それら全てに返事を出すことはできないので、定期的に王都のラコーニ大聖堂でたくさんの手紙の前でセレーネが祈りを捧げることになっている。
しかしお茶会や舞踏会の席で話を振られた際にセレーネが困らないようにと、アリーチェが全てに目を通し、国としてできることがあればその部署に指示を出す。
聖痕の無い第一王女の言うことなんてという顔をしながらも指示に従うのは、少なからずそれが国民の為になっていることを、ここ数年、アリーチェが実務を行なうようになって実感しているからだ。
だが、その成果はアリーチェのものにはならない。セレーネが手紙を読んで指示していることになっている。
その他色々。自分の仕事だけではなく、母親の仕事も妹の仕事も代わりにやっていることが多くある。いわゆる雑用係としてアリーチェは使われていた。
そしてなんといっても大変なのがセレーネの相手、だ。セレーネに呼ばれれば直ぐにいかねばならない。それがどんな理由であっても。
髪を梳かせ、体のマッサージをしろ。こんなものは可愛いもので、機嫌の悪い時のクッションになるのが一番大変なのだ。聖痕のある王女が、侍女やメイドに手をあげることはできない。だから姉に当たるのだ。
二人きりの室内で、聖痕がないのだからといってふるわれる暴力にただ我慢するのみ。侍女も侍従も気づいているだろうに助けてくれることはない。彼らにとって大切なのは国を繁栄させるセレーネが気分良く暮らすことだ。
そんなセレーネがする仕事といったら基本、月一で行く聖堂にある孤児院への慰問と聖堂で祈りを捧げることだけ。孤児院へ持って行くクッキーとかカップケーキなどのお菓子はアリーチェが作る。もちろん、セレーネが作ったことにされるのだが。
後は来賓が来た時に一緒に会食をしたり、おもてなし、いや、もてなされるという仕事だ。聖痕のある王女として来賓は手土産をたくさん持ってきてセレーネへと渡す。それをにこやかに受け取るのだ。
それにアリーチェが呼ばれることはない。王家主催の舞踏会ともなれば出席はするが、他の舞踏会に呼ばれることがない。もしくは、一応声がかかっても、セレーネが行くのを許さない。自分だけがこの国の王女であるかのように振る舞うのが大好きなのだ。
何でこんなことになったのだろうか?湖の畔に寝ころびながらアリーチェはこれまでのことを思い出していた。
アリーチェはまだ父親が王太子の時に生まれた。第一子だった。父親と同じ金色の髪に当時王妃であった祖母と同じ薄い水色の目をしたとても愛らしい赤ん坊だったらしい。だったらしいというのは祖母が言っていたからそうだったのだろう、というだけだ。
両親は喜びとても可愛がっていたそうだ。しかし、翌年妹セレーネが生まれた。セレーネは母と同じ赤に近い茶色の髪に父と同じ緑の目をしていた。そして生まれた時から左の二の腕に聖痕が描かれていた。
しかも色は紫。一気に両親はセレーネに愛情が傾いた。アリーチェはまだ幼くそんなことはわからなかったが。もちろん国民も、一年前に第一子が生まれたことなど忘れたかのように沸き立ったそうだ。
これで国は繁栄すると盛大な祝賀会が行われたそうだ。これは侍女から聞いた話だ。
そして年を重ねるうちに、自分の周りがおかしいことに段々気づき始めた。両親には滅多に会えなかった。時折来てくれる祖母と祖父が両親は忙しいのだと言っていたがそもそも忘れられていたかもしれない。
特に祖母が可愛がってくれたが、祖母がアリーチェといる時に限ってセレーネがやってくる。祖母に遊んでくれとせがむのだ。
祖父母は既にその時退位して、両親が国王陛下、王妃殿下になっていたが、子どもにはそんなことがわからない。大好きな祖母に絵本を読んでもらっていたら妹がやってきて祖母を連れて行こうとするのだ。
一緒に遊ぼうといっても、お姉様はいらないと言われる。祖母は悲しい顔をしながらも、アリーチェにまた今度と言って去って行く。そうしないとセレーネが暴れるからだ。
そんな幼少期、頭の良かったアリーチェは5歳になる頃には自分の置かれた立場と、はっきりと周囲から差別されていることを早々に理解した。侍女の数がセレーネの方がアリーチェの倍いること。それはアリーチェが望んだことである。
アリーチェ付きの侍女は皆、セレーネに本当は付きたいと思っていることを聞いてしまったのだ。だからアリーチェが自分の侍女を半分に分け、交代でセレーネとアリーチェに付かせた。
セレーネに異論はなく、たくさんの侍女がつくことを大いに喜んだ。だからと言って、アリーチェが侍女たちに感謝されることはない。
アリーチェの担当をしたらご褒美としてセレーネに付ける、といった感じだろうか。元々愛想がなかった侍女たちに更にぞんざいに扱われ始めた。
侍女が減った分自分で自分のことをアリーチェはさせられた。いかにセレーネが素晴らしいかとアリーチェに語るのを聞きながら自分で髪をとくのだ。そして姉であるアリーチェの世話はセレーネの側に行く前の苦行であるかのように言うのだ。
更に両親もセレーネばかりを可愛がった。五歳になった頃から一緒に食事をさせてもらえるようになったが、食事の席でも、セレーネにばかり話しかける。アリーチェが話しかけてもいい加減な返事しか返って来ない。服もいつも新しく可愛い服をセレーネは着ているが、アリーチェは数着を着回していた。
しかし両親がアリーチェが数着で着まわしていることに関して気にすることはなかった。いや気づいてすらなかったのだろう。アリーチェも買って欲しいとは言わなかった。三歳下の弟もいたし、両親は仕事と弟妹たちの世話で忙しいのだろうと思おうとした。
両親は忙しい。弟妹は守らないといけない存在。侍女たちにそう言われて育ったのだ。
そしてそのくらいの年からセレーネの嫌がらせが加速していく。アリーチェの部屋にあるわずかなおもちゃやぬいぐるみを欲しがり渡すまで泣き続ける。
おばあさまからもらった大切なものだから渡せないと言えば、侍女や侍従が妹に譲る優しさのない王女として両親に報告する。
すると両親から妹はこの国になくてはならない存在なのだから姉として妹を優先するようにと叱られる。そしてアリーチェの手からセレーネの手に渡ったものは数知れない。
両親が関心のない分、祖父母が時折気にかけてくれて贈り物をしてくれるが、まあ、それもセレーネのところに行くのだが。
そして更に年を重ねると、口達者で我儘に育ったセレーネは常にアリーチェのことをバカにするようになった。
自分と違って聖痕がないから誰からも愛されない王女と。セレーネは常に聖痕が見える服を着ていた。そして誰もがそれを見てありがたがるのだ。例えその手がアリーチェを叩いていても。
それが終われば、祖父母が両親やセレーネに黙って買ってくれたドレスや靴、アクセサリー、それらを順番に取って行くのだ。『聖痕がないお姉様には不釣り合いのものを持っている』といって。
そんな生活を幼少期からしていたのにアリーチェが真っ直ぐ優しい王女に育ったのには大切な存在があったからだ。
両親とセレーネと赤ん坊だった弟カルロは三階に部屋があり、祖父母が二階。アリーチェの部屋は一階にあった為庭に面していた。
四歳の時、王女教育を午前中受けたあと、部屋に戻ったアリーチェは窓の外に何かいることに気づいた。窓に近づいてみると真っ白なオッドアイの猫だった。一目で気に入ったアリーチェは部屋に入るよう促すと当たり前のように猫は入ってきてソファーに座った。まるで前からいる住人のように。両親に猫を飼うことの了承をもらいレニアと名付けた。
しかしながら当然、セレーネがやってきて、美しい白猫であるレニアを自分によこせと泣いて暴れた。セレーネは特に動物好きなわけではない。アリーチェのものが欲しいのだ。
しかしレニアはセレーネに威嚇しアリーチェの側を離れることはなかった。駆け付けた両親もさすがにこの状態ではと思ったのか、セレーネに新しいおもちゃを好きなだけ買う約束をしてことを治めようとした。
それでもアリーチェのものが欲しいセレーネにとって、自分のものにならなかったレニアを次はアリーチェにも持たせたくないと考えるので、猫は嫌いだから追い出せと泣き出した。
これには両親も困ってしまった。飼うことを先に了承した手前、やっぱりダメだとは言えなかったのか、なんとかセレーネをなだめて、猫を部屋から出さないこと。出すなら必ずアリーチェが側にいること、と飼う条件を加えた。
侍女には部屋が汚れると嫌な顔をされたが、こうしてレニアはアリーチェの初めての友達になった。
夜は一緒に寝て、朝は一緒に起きる。アリーチェが勉強している間は大人しく部屋でレニアは寝ているようだった。たまに庭に二人で出て散歩をした。
賢いことにリードがなくてもレニアはアリーチェから離れることはなかった。常に前か横を歩くのだ。
そして、祖父母が気にかけてくれたこと。大っぴらにアリーチェに構うとセレーネが奪いにくるのでそっと色々なものを細々と買ってくれた。それでも侍女が報告して取り上げられるのだが。
祖父母はそんなセレーネに注意するのだが、聖痕を見せられると強く出られないようだった。聖痕を持つ王女の怒りに触れると精霊からも見放されることになるのではないかと恐れて。
代わりに両親にもっとアリーチェを見るように言っても、本人たちは見ているつもりだと主張する。部屋を与え食事を与え、着る物を与え、勉強をする場も与えていると。
特にセレーネを産んでからの母親の変わり方は凄かったらしい。聖痕を持つ王女を産んだ王太子妃として王太子からは更に愛され、国民からも聖母と言われるようなったからだ。
両親から相手にされず、妹からは嫌がらせを受け、更にそれを見て育った弟からも嫌味を言われるようになった。聖痕を持つセレーネだけが姉でアリーチェは姉ではないとさえいう。
その時にはもうアリーチェは達観していたのでこんなのが次期国王で大丈夫かと心配になった。けれど言い返せば倍以上返って来るし、そこにセレーネまで加われば大変な目に遭うのはわかっていたので我慢するしかなかった。
そしてアリーチェが十歳になる頃から、家族での食事に呼ばれなくなった。理由は、毎回カルロがアリーチェは家族ではない、一緒に食事はしたくない、というからだ。
始めは諫めていた両親も次第に面倒になったのか、部屋で食事を摂るようにと言ったのだ。さすがに衝撃を受けた。そしてそんなアリーチェをセレーネは嬉しそうに見ていた。
今思えば、セレーネがカルロに洗脳のようなことをしていたのではないだろうか?それくらいの嫌われようだった。
仕方がないので食事は自分で厨房に取りに行き、レニアの分ももらってくる。そんなアリーチェに厨房の人たちだけは親切だった。
レニアのご飯をもらいに行く為に幼い頃から通っていたのもあるし、慰問用のお菓子作りも厨房で一人黙々と大量に作っている姿に同情したのかもしれない。
何故なら、そのお菓子はセレーネが作ったことにされるのを知っていただろうから。そんなだから、部屋で一人で食事をするようになってからはメニューが変わった。
料理人に食器を返しに行く際に感謝の言葉と感想を言うようになったら、アリーチェの好みのものを別に作って出してくれるようになったのだ。もちろん、セレーネたちが食べているものより豪華であってはならないのは周知の事実で質素ながら密かにアリーチェの好物を入れてくれるのだ。
だからアリーチェは真っ直ぐ優しい王女に育った。王女教育も完璧だし、その他の学問もある程度学んだ。でも両親はアリーチェが優秀なことを知らない。
付けられた家庭教師は祖父母が選んだ教師で、報告は祖父母に行った。両親は聞きたいとさえ言わなかった。セレーネは貴族が通う学園に通っているが、アリーチェは通わせてもらえなかった。そんなことより仕事をしろ、ということだ。
そんなこんなでほぼ休みなくアリーチェは働いている。今日は本当に久しぶりの休みなのだ。半日とはいえ。
「レニア。こんな日がもう少し欲しいわね」
アリーチェの言葉にもちろん返ってくる言葉はないがゴロンとレニアがアリーチェの方を向いた。
「あらこうやって見ると、レニア、あなた少しふっくらしたんじゃない?」
その言葉に怒ったかのように今度はレニアがアリーチェに背を向ける。
「ふふふ。いつもカワイイわね」
そう言って笑うアリーチェの元に足音が聞こえた。段々近づいてくる。アリーチェは起き上がるとレニアを抱えて足音の方を向いた。こちらに駆けてくるのは侍女長だ。珍しい。侍女長がアリーチェの元にやってくるなんて。
「アリーチェ様。こんなところでなにをなさっているのですか!陛下がお呼びです!」
何をしているも何も、休みなのだから好きに過ごしても良いだろうに、侍女長は常にこんな感じでアリーチェに怒っている。熱狂的なセレーネ信者だ。
そう、信者とアリーチェは勝手に呼んでいる。それに、仮にも自国の王女を呼ぶのだからアリーチェ殿下というべきである。信者だからどうしようもないのだろうが。
いつの日か気づいたら殿下をつけて呼ぶものがいなくなっていた。殿下をつけるのに相応しくないとでもセレーネが言ったのだろう。
「半年ぶりの休みよ。好きな場所で過ごすのが何故悪いことの様に言われるのかしら?あなたが言うことはいつも理解できないわ。でもお父様がお呼びなのなら、直ぐに行くわ」
アリーチェは侍女長にそう言うと、横をすり抜けて歩いて行った。敷物はそのままになるか侍女長が誰かに片付けさせるだろう。アリーチェだって王女なのだから例え侍女長であっても王女の品格だけは失わない程度に接している。最低限の王女としての沽券に関わるのだから。
陛下の執務室の前に立つとアリーチェは深呼吸をした。今まで陛下の執務室に呼ばれたことはない。呼ばれるのは王妃かセレーネかどちらかだ。カルロからは嫌われているので呼ばれることもない。緊張する手を握ってから軽くノックをした。
「アリーチェです。お呼びと伺い参上いたしました」
「入れ」
アリーチェの言葉に久しぶりに聞く父の声が響いた。こんな声だったかしら?と感じるくらい久しぶりだが。アリーチェが中に入ると、父の他に母、セレーネ、カルロ、外務大臣のアドルドがいた。
「お呼びと伺いましたが何かありましたか?」
アリーチェから声をかける。セレーネとカルロはニヤニヤと笑っていた。
「隣国のフランディー王国は知っているな?」
「はい。知っています。風光明媚な国で観光での人気も高く資源も豊富と聞いております」
「いちいち知識をひけらかして相変わらず鬱陶しいわね!」
セレーネだ。ひけらかすも何も、隣国なら知っておくべき最低限の知識である。
「昨年の建国祭で外務大臣のメルディレン侯爵と歓談しました」
「そのメルディレン侯爵から親書が届いた。我が国のどちらかの王女をフランディー王国の王太子の婚約者として迎えたいと。まあどちらかと書いてあるが、読めばわかるが向こうが欲しいのはセレーネだ」
そう言ってポイッと父がアリーチェに親書を放り投げた。無礼にも程があるだろう。ここが現聖コーランド王国の王家の悪いところだ。シンルガーラ山があるために、他の国は侵略できない。
更に無下な対応もしてこない。ここまではこれまで通り。そして現在、聖痕を持つ王女がいることから他国からもたくさんの貢ぎ物があるのもあって傲慢になっているのだ。
国を守り育てるにはシンルガーラ山があれば何とかなる、なんてものではないのだがそれを両親はわかっていない。むしろ歴代より他国から敬われる王家、などと思っていそうだ。
アリーチェは親書を拾うとサッと目を通した。確かにどちらかの王女と書かれているし、文章の端々にセレーネが良いと感じる箇所がたくさんあるが、王家に届く多くの親書を読んできたアリーチェは逆におや?と思った。
去年話したフランディー王国の外務大臣、メルディレン侯爵は紳士的で且つ温和ながらも理知的な話し方をする方だった。とても楽しく会話したことを覚えている。そのメルディレン侯爵が書いたにしては隠しながらも露骨さを感じる文面にアリーチェはハッとした。
これは違う。私に向けて書いているのだと。メルディレン侯爵はセレーネとも話していた。そこからセレーネの性格を察し、セレーネをコーランド王国が国外に出せないのをわかっていながら、どちらかの王女と書いたのだ。このような文面にすると、セレーネが良いと言っているけどそれはできないから第一王女で我慢しろ、とコーランド王国が返事を出せる。セレーネが満足する文面だ。
コーランド王国より国土も広く収入源も多い大国フランディー王国との更なる友好関係を結ぶのは、コーランド王国側としても喜ばしいことで、二人いる王女のうち受けることになるなら第一王女と考えるだろうことを見越しているのだ。
そして親書の最後に書かれた、聖コーランド王国の至宝を是非我が国に迎えたいと書かれている。これだけは本心のように感じた。うぬぼれではなく。
始めから実はセレーネを否定している文面の最後に書かれたこの一文のみは信じて良いと思わせるものを感じた。メルディレン侯爵と話した時のことを思い出す。その後の外交的やり取りも。
私を望んでくれている。そう感じた。でもここで喜んではいけない。喜べばセレーネが反対を言い出すからだ。私は行きたくないと演じ切らなければならないと咄嗟に判断した。
「本当ですね。セレーネを王太子妃にと書かれているように感じます。どうされるのですか?」
震えそうになる声を必死に抑えてアリーチェは父に聞く。
「言うまでもない。セレーネを国外に出せるわけなかろう。セレーネには国内で貴族の息子たちから好きなのを選ばせて、王家に残ってもらう。国民もそれを願っている。だから、おまえが行け」
「私には恐れ多い話です」
「フランディー王国は大国だ。一応友好条約を結んでいるが、更に結べばこの国の利益になるだろう。向こうはセレーネを望んでいるが一応どちらかと書いてあるのだからおまえでも文句は言うまい。
向こうもセレーネがいる我が国と友好関係をどこよりも強く早く結びたいとこれを送ってきたんだろう。たまには役に立て。いいなアリーチェ」
たまには、か。聖痕を持つ王女よりは目に見えて国の役に立っているとは思わないが、それでもアリーチェなりに仕事をしてきたつもりだ。
今の扱いでは降嫁先もなかなか見つからない、どころか探す気もなかっただろう。飼い殺しにするつもりだったとさえ感じる家族という名の他人から離れられるなら何でも構わない。
信頼できそうなメルディレン侯爵が言って来ているのだからある程度の待遇は期待してもいいだろう。アリーチェは気落ちする顔を演じながら考えた。ふと顔を上げるとセレーネがニィっと笑った。いつもの獲物を見つけた顔だ。
「私の代わりなんてお姉様ができるわけないけど、私はこの国に、いえこの世界に必要とされているからこの国から出られないわ。
でも、お父様が友好関係を深めたいとご判断されたのだから、私の代わりにお姉様が嫁いでね。無理に代わりを務めようなんて思わなくて良いのよ。無理なんだから。お姉様には。コーランド王国の不利にならないように、王太子の不興は買わないようにしてくれればいいわ」
「おまえなんていなくてもこの国は困らないんだ。いなくなってせいせいするよ。セレーネ姉様のような素晴らしい王女がいるコーランド王国がこれから更に繁栄するのを、黙って隣国から見てればいいさ」
辛辣な弟の言葉も気にならない。この弟とは幼い頃からまともに話せなかったのだ。出てくる言葉はアリーチェを罵る言葉ばかり。どうして会話になろうかというものだ。
「アリーチェ。フランディー王国は資源が豊富なの。嫁いだら聖母の私に相応しいようないい宝石を送ってきなさい。それくらいの費用は王太子妃にくれるでしょう。大国なんだから。もちろんセレーネの分もよ。良いわね!」
言っていることがもはや聖母と言えないのだが突っ込んではいけない。黙って下を向く。
「返事しなさいよ!ホントにのろまね!」
アリーチェは渋々といった様子で顔を上げると
「かしこまりました。フランディー王国へ行きます」
「そうかそうか。それでこそ我が娘。今度の建国祭の時に国王の代理で王太子が来るらしい。その時に顔合わせをして婚約の日程や結婚式の日程を決めることにしよう。話はこれで終わりだ。下がれ」
アリーチェは寂しそうな顔を浮かべカーテシーをすると執務室を後にした。扉を閉める時に見た外務大臣アドルドの顔だけが悲しそうだった。