子爵令嬢、愛しの婚約者を誕生日パーティーに誘ったら、返事は「行けたら行く」だった
太陽が雲の狭間から優しく照り付ける穏やかな午後、教会で一組のカップルの婚約式が行われていた。
子爵家の令嬢ジェシカ・オルトスと伯爵家の令息ライドリック・ヴァリエ。
ジェシカは肩から背中にかかるほどの落ち着いた色合いの赤髪を持つ美しい令嬢。ぱっちりとしたルビーのような瞳から放たれる眼差しは、話す相手に不思議な安らぎを与えてくれる。
一方のライドリックは金髪碧眼の美男子で、長身かつ引き締まった細身の体を誇る。剣術に長けており、鎧をまとって馬に乗れば、絵本に出てくる騎士さながらの風貌となる。
立会人を務める老紳士が両名に告げる。
「ではお二人とも、婚約の誓いを」
まずはライドリック。まっすぐにジェシカを見据える。
「私はこのジェシカ・オルトスと婚約し、彼女を愛することをここに誓います」
ジェシカもこれに応える。
「私もライドリック・ヴァリエと婚約し、彼を愛することを誓います」
二人の言葉に偽りはなく、両家の面々から祝福の拍手が送られる。
非の打ちどころのない理想的な婚約式となった。
婚約から結婚までは数ヶ月の期間がある。
ジェシカとライドリックは週に一、二度ほどの頻度でデートを重ね、確実に仲を深めていった。
王都郊外にある公園を散歩する二人。自然豊かな場所であり、デートをするには格好のロケーションである。
二人の雰囲気も自然と甘いものになっていく。
「ライドリック様、大好きです!」
「私もだよ」
ライドリックが自分の胸にジェシカを抱き寄せる。
大胆な行為だったが、ジェシカは拒むことなく受け入れた。
「ライドリック様の鼓動が伝わってきます」
「どうかな。私の心は……」
ジェシカは鼓動に耳をすませる。
「とても力強くて、逞しくて……ずっとこうしていたいぐらい……」
「ありがとう」
ジェシカはライドリックの胸に寄り添い、ライドリックはそんなジェシカを抱く。
しばしの時が流れる。
「せっかくの機会ですから、私の秘密を教えちゃいますね」
「秘密?」
「実は私には特殊な力があるんです」
ジェシカは説明を始める。
「私は、私と何らかの形で肌を触れ合い、そして許可を取った方に念によるメッセージを送ることができるのです。いわゆる“テレパシー”というやつです」
「そんな力が……」
「この念によるメッセージは相手の心に余裕がある時にしか届きません。つまり、緊急事態にある相手の邪魔になるようなことにはなりません。そして、このメッセージを受け取った相手も、念じることで私に“返事”をすることができます」
一方通行ではなく、相互のコミュニケーションが可能とのこと。
「これまでこの能力を使う相手は肉親しかいなかったのですが……ライドリック様、“許可”を頂けますでしょうか?」
「もちろん、いいとも。いつでもメッセージを送ってきて欲しい」
「ありがとうございます!」
これでジェシカはライドリックに念によるメッセージを送れるようになった。
すると――
『ライドリック様、愛してます』
ライドリックの心の中にさっそくメッセージが届いた。
「……っ!」目を丸くするライドリック。
直後、ジェシカが笑った。
「ふふっ、ライドリック様の鼓動が速くなりました」
自分の心を完全に読み取られてしまったような格好となり、ライドリックは赤面する。
すかさず、“返事”をする。
『私も愛しているよ。君の全てを』
ジェシカの顔がたちまち沸騰する。
「君の鼓動も速くなったようだね」
ライドリックはニヤリと笑う。
「……もう!」
ジェシカは頬を膨らませつつ、からかってもらえたことが嬉しかった。
テレパシーを通じて、二人の心はさらに通じ合う。
二人は見つめ合い、そのまま口づけを交わした。
***
ライドリックは結婚前に、次期当主として大きな務めを果たすことになった。
ヴァリエ家には、長年いがみ合ってきたファッハ家というライバルのような貴族がおり、これまでにも領地や利権をめぐって小競り合いを繰り返してきた。
だが、向こうから争いはやめにしようと申し出があり、ファッハ家領で行われる和解の調印式には一族を代表してライドリックが出向くことになった。
いくらかの兵を引き連れ、ライドリックが出発する。
この大仕事が済めば、ジェシカとライドリックは晴れて結婚することになる。
時を同じくして、ジェシカの誕生日が今月末の30日に迫っていた。
誕生日には毎年邸宅でパーティーを開いており、おそらく結婚前、最後の行事となるだろう。
ジェシカは友人や知り合いに招待状を送る。
だが、せっかくなのでライドリックには念で知らせようと思った。
頭の中で念じて、メッセージを送る。
『ライドリック様、今月30日、我が家で私の誕生日パーティーを行います。ぜひ来て下さいませんか?』
しばらくして返事が来た。
『行けたら……行くよ』
「……!」
ジェシカはてっきり「必ず行くよ」という返事が来ると思っていた。落胆の色は隠せない。
しかし、すぐにライドリック様は和解調印式で忙しいんだから当然のことだわ、と思い返す。
ライドリックが来てくれればもちろん嬉しいが、来てくれなくとも仕方ない。
落ち着きを取り戻したジェシカは、メイドたちとともに誕生日パーティーの準備を進めた。
***
ファッハ家との調印式に臨んだライドリックは――大勢の兵に囲まれていた。
全てはファッハ家の罠だったのだ。
兵を率いてファッハ家の領地に赴いたまではよかったが、奇襲を受け、ライドリックと少数の兵は本隊から分断されてしまう。
計画的な襲撃であり、敵の狙いは明らかにライドリックの首だった。
ライドリックと二十余騎の兵は本隊との合流を試みるが、ついに追い詰められてしまう。
茂みに潜むライドリックたちの居場所は割れており、後は敵の総攻撃を待つばかり。
副官の騎士ベルフが謝る。
「申し訳ありません、ライドリック様。私がついていながら、敵の罠にまんまとかかってしまうとは……」
「いや、こんなことを予想しろという方が無理だ。まさかファッハ家がここまで思い切った手段に出るとは思わなかった。それにしても奴ら、私を倒したとして、この後どうするつもりだ? こんな騙し討ちのような真似をすれば、王家の介入も避けられないだろうに……」
「おそらく奴らはライドリック様の死は事故として処理するつもりでしょう。決定的な証拠がなければどうにでもなりますからね。そして、次代を担うライドリック様を始末してしまえば、ヴァリエ家の力は一気に衰える。その後はファッハ家の思うがまま、ということでしょう」
「くっ……!」
悔しがるライドリック。
自分亡き後、ヴァリエ家が卑劣な連中にいいようにされてしまうと思うと、歯がゆくてたまらない。
ベルフが告げる。
「ここは我々が死に物狂いで戦います。ライドリック様は隙を見て脱出を……!」
隙を見てとはいうが、なにしろ数が違いすぎる。
ベルフらがどう奮戦したところで、脱出できる可能性は限りなく低い。
ここで私の命運も潰えたか、とライドリックは諦めの境地となる。
――その時。
『ライドリック様、今月30日、我が家で私の誕生日パーティーを行います。ぜひ来て下さいませんか?』
ジェシカの声で、ライドリックの脳裏にメッセージが届いた。
彼女からのテレパシーは、精神に余裕がある時にしか受け取れないが、ライドリックが自分の命を諦め、ある意味では心に余裕が生じたのでこの瞬間に届いたのだろう。
今は誕生日パーティーどころではないが、ライドリックはひとまず返事をする。
『行けたら……行くよ』
愛するジェシカに「行けない」とは伝えたくないが、とても「必ず行く」と言える状況でもない。これが精一杯だった。
ライドリックは自嘲気味の笑みを浮かべる。
「行けたら……か。行けるはずもないのにな」
敵が総攻撃に出たら、ライドリックは間違いなく死ぬ。
その死は事故として処理され、ジェシカにも訃報が届けられるだろう。
結婚を目前にして婚約者を失い、彼女は悲しむに違いない。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
怒りつつ、ライドリックは思い直す。
自分はジェシカに「行けたら行く」と返事をした。
しかし、行くための努力を何一つしていないではないか。早々に脱出を諦め、死ぬ覚悟を決めている。
潔い散り様ではあるが、これではダメだ。ジェシカを真に愛しているのなら、誕生日パーティーに行くために最大限の努力をしなければならない。
でなければ、私は大噓つきになる。私はなんとしてもジェシカに会いに行く。
ライドリックの中で何かが弾けた。
「……ベルフ! まだ諦めるな!」
「ライドリック様……!?」
突然の叱咤にベルフは驚く。
「なんとしてもこの包囲を突破する。“鋭槍の陣”で行くぞ」
「鋭槍の陣……!? しかし、あれはもっと大部隊でやる陣形では……」
「分かってる。だが、一点突破にはこれしかない!」
ベルフもライドリックの並々ならぬ決意を感じ取ったようで、力強くうなずく。
「承知しました!」
鋭槍の陣とは、一騎を先頭に、その後ろには二騎、さらにその後ろには三騎と、部隊全体を槍の先端と化し、敵軍に突撃する陣形である。
玉砕の危険も大きいが、成功した場合、その突破力は計り知れない。
そして突破力は、陣を指揮する者――つまりライドリックにかかっている。
「行くぞッ! 命令だ! 一騎たりとも欠けるな!」
「はっ!」
ライドリックを先頭に、二十余騎が猛然と駆ける。
包囲していたファッハ軍は、まさか打って出てくるとは思っていなかったので面食らってしまう。
「なんだ!?」
「突っ込んできやがった!」
「この囲みを突破するつもりか!?」
ライドリック、渾身の一振り。まずは敵兵の一人目を斬り飛ばした。
ベルフや他の者たちもライドリックの熱が伝染したかのように、奮戦を見せる。一人も欠けることなく、ライドリックについていく。
勢いは凄まじく、王手をかけて油断していたファッハ軍は隊列を乱してしまう。
「お、おのれ……ライドリック! 逃がさんぞ!」
包囲する部隊の指揮官が、直々にライドリックを狙ってきた。
だが、今のライドリックにとっては――
「はああっ!!!」
――相手にもならない。一刀で叩き斬られ、落馬して果てた。
これで包囲部隊は怖気づいてしまい、形勢は完全に逆転した。
「よぉし、このまま本隊と合流する!」
「お見事です!」
駆けながら、ベルフがライドリックを称賛する。
「ライドリック様、あの窮地を脱してしまうとは……敵もそうですが、私もまたライドリック様を見くびっていたようですね」
ライドリックが薄く笑う。
「私の力じゃない……ジェシカのおかげさ」
「ジェシカ様の……?」
ベルフは愛する人を想う気持ちが、ライドリックをこれほど奮起させたのかと思ったが、実際にはもっと直接的な「誕生日パーティーへの誘い」のおかげだとは知る由もなかった。
***
ジェシカの誕生日当日。
まるで彼女を祝福するかのような晴天であり、邸宅で開かれるパーティーには大勢の人間が訪れた。
白いドレス姿のジェシカの元に、最も待ち望んだ人がやってくる。
死地から生還したライドリックその人である。
「行けたから……来たよ」
「ライドリック様!」
ジェシカもすでにライドリックの身に何が起こったかは知っており、ずっと気が気ではなかった。
ライドリックが無事だという知らせを聞いた時は、緊張がほどけ泣き崩れてしまったほどだ。
「本当に……ご無事でよかった」
「君のおかげだ。君からのメッセージがなければ、私は諦め、おそらく死んでいた」
ジェシカは謙遜せずニッコリと笑う。
「お役に立てて嬉しいです」
「しかし、危機を脱した後は事件の後処理もあって、今日はプレゼントを用意できなかった。だからせめて……」
ライドリックはジェシカを抱きしめる。
「最高のプレゼントです……」
ジェシカは嬉しそうに目を閉じる。
この光景を見た他の参加者たちは若きカップルを微笑ましく思い、彼らの結婚は必ず上手くいくだろうと確信するのだった。
ライドリックを亡き者にしようとしたファッハ家であるが、生還したライドリックが国王に直訴し、調査隊が派遣され、騙し討ちをしたことが公的に証明された。
これに国王は激怒。和解を持ちかけての騙し討ちなどおよそ貴族の行いではないとして、ファッハ家は直ちに取り潰しにされた。
以後、ファッハ家の領地はヴァリエ家が統治することとなった。
災いが転じて福となった格好である。
***
誕生日パーティーから程なくして、ジェシカとライドリックは結婚。
ライドリックはヴァリエ家当主としての務めを立派にこなし、ジェシカはそんな彼を慎ましく支え続ける。
時折、ジェシカは自身の社交に夫を誘う。
「今度、私の友人の家でダンスパーティーをやるのだけど、よかったらあなたも行かない?」
ファッハ家との一件以来、ライドリックは決まってこう返すようになった。
「うん、行けたら行くよ。今の仕事が片付けば行けると思う」
この返事に、ジェシカは笑顔を返す。
なぜなら知っているから。彼の「行けたら行く」は決してとりあえず保留にしておいて当日の気分で決めよう、などといったものではない。
行けたらと言ったのだからライドリックは“行くため”に最大限の努力をし、最善の手を尽くすだろう。
それがライドリック・ヴァリエという男なのだから。
完
お読み下さいましてありがとうございました。