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ソフィアはとある貴族の邸を訪ねて来ていた。
「これはようこそいらっしゃいました」
顔を見知った門番に丁寧な挨拶をされると当然のように屋敷へと通され、迎えに出てきた侍女に応接室へと案内される。
「少々お待ちください。今奥様が参られます」
急いだ様子で部屋を出て行く侍女に軽く頷くと、ソフィアは慣れた様子でソファーへどかりと座る。
すると間を置かずして別の侍女が運んできたお茶を出され、ソフィアはそれをゆっくりと口にした。
「連絡も無しに来たんだ、慌てなくて良いと伝えておくれ」
「承知いたしました」
二人いた侍女の一人は部屋を出て行くが、もう一人は部屋の隅に静かに控えたままだった。
そうしてそう待たずしてこの邸の奥方様が賑やかな様子で登場した。
「まあまあまあ、ようこそお出で下さいました。そろそろ私の方から連絡をしようと思っていた所でしたのよ。もしかして見計らってくださいましたの?」
貴族にありがちな堅苦しい挨拶をする事無く、奥方様は賑やかに話し始める。
「そう言って貰えると私も助かる。今日は少しばかり頼み事もあって寄らせて貰ったよ」
実はソフィアにはとても懇意にしている貴族の奥方様がいた。
その旦那様はといえば王族や各派閥にも顔が利くかなり高位の貴族で、本来なら邸に近づく事さえできない人だった。
少し昔の事、ソフィアが錬金術師と知り、とある依頼を持ち込んだのがその奥方様だった。
そして奥方様の悩みを解決するべくソフィアが試行錯誤して作り上げたそのポーションは、ロザリアンヌにもレシピを教えていない、本当に一部の貴族にしか知られていない特別な物となった。
ソフィアが作るその特別なポーションは夫婦関係を円満にし、望んでいた子供も誕生させるとして貴族間ではとても有難がられる事になる。
その効果の高さを身をもって一番に実感した夫婦は、そのポーションを同じ悩みを持つ夫婦に分け与えたり、交渉に使ったりする事でさらに人気を得て行く事になった。
勿論その特別なポーションの出所は極秘にされていたので希少性が高まったが、ソフィアはそんな夫婦にお金ではなくいざと言う時の為にと恩を売り続けていた。
もっとも素材自体も手に入りづらいので、そう簡単に世に広められる物でも無かったのだが、そのお陰で一般人では手に入らない情報を入手したり、多少の願いも聞き届けられていた。
今回ソフィアはロザリアンヌの話していた、王城からの呼び出しに関しての情報が欲しくて出向いて来たのだった。
「あら、そう言うお話でしたら私より主人の方が宜しいですわね。ちょうど今おりますので呼んでまいりますわ」
奥方様はそう言って席を立つと、早々に部屋を出て行った。
賑やかな奥方様だと思いながら、ソフィアはその賑やかさが嫌いでは無かった。
その後奥方様に代わり姿を現したご主人と話し、ロザリアンヌに関する情報を得た。
「他国の者に攫われる心配があると知り、王家が保護をする方向で話を進めているのですよ。ご安心ください」
「保護という名目で囲って、ロザリアンヌに何をさせる気だい?大方収納ボックスを作らせようとでも考えているんだろうがそうはさせないよ。だいたい何のためにあのレシピを王家に安く売ったと思ってる。責任をすべて押し付けたかった事もあるが、一刻も早く普及させたかったからさ。あんな物は普及さえしてしまえば珍しくもなんともなくなる、今使っている魔道具とまったく一緒さ」
ソフィアはロザリアンヌが錬成した収納ボックスの事を≪あんな物≫と吐き捨てる事で貴重性が無いのだと分からせたかった。
事実貴重だと思えば思う程人は欲に走り悪だくみや悪用を考えるが、誰もが当然のように手にしている物は人はみな悪用する事を防ごうと考える。
便利さを受け入れ便利さに慣れると、人はその便利さを手放せなくなるからだ。
「そうは言いますが、実際作れる者が少ないのが事実。王も早く国内に普及させ他国との交渉に乗り出したいと考えているのです」
「まったくあんた達に頭は付いていないのかい。何のために私がレシピを売ったとおもってるんだい。ちょっと考えれば分かるだろう。今まで散々錬金術を蔑ろにし魔石を使って魔道具を発展させてきたんだろう。あれだって魔力の代わりに魔石を使えばいくらでも作れるし改良だってできるだろうさ。そのくらい思いついて当然だと思っていたんだがね。長年の魔道具作りの実績はいったいどうしたんだか」
ソフィアは大袈裟な溜息を吐いて呆れる様にこの邸の主を見た。
事実ソフィアは発想の違いでしかないと思っていた。
今まで幸か不幸か異空間を利用した収納という発想を誰一人思いつかなかっただけで、遅かれ早かれいずれは誰かがそういう発想を得て同じ様な物が作られたと思っている。
しかしそれには乗り越えなければならない色んな問題があっただろうに、ロザリアンヌはあの年で簡単にそれを作り上げてしまったのが問題なのだと考えていた。
だからこそソフィアはロザリアンヌが特別視をされないようにと考え、マジックポーチのレシピを王家に安く売ったのだ。
ロザリアンヌがみんなに喜んで欲しいと作った思いを、誰かに利用されたり葬り去られる事は避けたいと願い王家の力で早く普及させて欲しいと。
ロザリアンヌは錬金術の楽しさに目覚め、自分の夢の実現を発想の原動力にしているのだろうとソフィアは考えている。
だから人々が本当に望む物は何かに目が行っていない傾向にあるが、ソフィアは今はそれで十分だと思っていた。
事実ロザリアンヌが錬成した新しいポーションや改良されたポーションには、特定の病気に効いたり肌を改善するなどの特別な効果が表れ喜ばれている。
しかしロザリアンヌ本人はその事は然程気にも留めず、錬金の練習をしている位にしか考えていない。
それでも今は発想力と閃きを育てる段階で、この先自分で依頼を受けるようになれば人々が本当に望むものにも考えが行くだろうと信じていた。
だからこそ今はまだロザリアンヌに挫折を味わわせる様な結果にはさせたくなかった。
しかしそれが原因で襲われる事になるとは、ソフィアにとって誤算もいい所だった。
それらはすべて王家の対応の悪さや認識の甘さが招いたものだと思っている。
しばらく成り行きに任せ様子を見ていたが、ロザリアンヌが王城に呼び出されると聞いてソフィアはさすがに腹を立てていた。
かわいい孫であり弟子であるロザリアンヌ。それもまだ子供だというのにいったい何を背負わせようとしているのか、王家も本当に腑抜けた馬鹿ばかりだと怒り心頭だった。
「あれは魔道具としても作れると言う事ですか?」
「ああ、私は可能だと思っているよ。それができないというのなら、魔道具作りなんてやめて皆して錬金術に転向するんだね。それでもまだ私の可愛い弟子を王城に呼び出し好きにしようというのなら、私にも考えがあるよ」
ソフィアは脅しではなく本心からそう思っていた。
別にもうこの貴族と縁が切れても構わないとさえ考えていた。
老い先短い自分の事より、ロザリアンヌの未来を守りたいとソフィアは心から願っていたのだ。
「分かりました。私が責任を持ってこの話は収めさせていただきます」
「頼んだよ。手数料だと思って取っておいておくれ。もっとも結果次第ではこれが最後になるかも知れないがね」
ソフィアは主の返事を聞き、バッグからポーションを5本ほど取り出しテーブルに置くと席を立った。
今までは素材を入手するのが難しく量産はできなかったが、最近はその素材もロザリアンヌに頼めば簡単に手に入る。
ソフィアは今まで渡した事の無い量を見せつける事でこの主の欲を刺激し、何が何でも今回の件を収めさせたいと考えていた。
口先だけの約束だからこその保険のつもりでもあった。
これでこの先無理を強いられる事になったとしても、ソフィアはロザリアンヌを守りたかった。
その為の手数料だと思えば安いものだ。
これで本当にロザリアンヌの憂いが取り除ければと考えながら、ソフィアは家路へと急ぐのだった。




