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「貴妃様に使えと渡された毒ならここにあるわよ」
侍女長はすべてを諦めたのか力なく懐から小さな油紙の包みを取り出してロザリアンヌに見せた。
「じゃあ、さっきのあれは何だったの?」
ロザリアンヌはその油紙の包みを侍女長の手から取り上げ、急いでマジックポーチに仕舞う。
「あなたには関係ないわ。色褪せてしまったただの過去よ。どのみち水底へ沈む運命だったのよ」
か細く呟くように話す侍女長の様子でロザリアンヌもさすがに察するものがあった。きっと過去の大切な思い出の品か何かだったのだろうと。
侍女長は多分その大切な思い出とともにこの世を去ろうとしていたのだ。
しかしそれにしても懐に毒を忍ばせていたのなら、やはりこの井戸は毒で穢され使い物にならなくなっていた。
というか、侍女長が身を投げた時点でこの井戸は使い物にならなくなり毒も発見される事になっただろう。
だとしたら結局侍女長は何の結果も得られずただ命を落とすだけなのに、いったい何を考えていたのだ?
もしかして侍女長はそこまで考える事もできないほど追い詰められているのか?
ロザリアンヌはあれこれ推測するよりも聞いてしまった方が早いかと思い考えるのを止める。
「呪いや致死量にならない毒は使えてもあの毒は使いたくなかったって事なの? 何で? 今さら思い留まって後悔しても遅いよ」
「私はただあの器量が良いだけで誰からもちやほやされて当然だと思っているあの女に思い知らせたかったのよ!」
侍女長は大分元気が戻ったようで興奮気味に返して来る。もしかして更年期か?
まぁロザリアンヌも女なので正直誰かを羨んだり妬んだりした事がないとは言わない。
だから少しは侍女長の気持ちも分からないではないが、だからといって相手を傷つけて良い理由にはならない。
「ふ~ん、それって結局ただの嫉妬じゃない」
「違うわ!!」
いきなり侍女長の怒鳴り声が辺りに響き、ロザリアンヌは一瞬ビクッと身を竦めてしまう。しかし内心で絶対に違わないねと呟きながら冷静を装った。
「それで何で死のうとしてたのよ」
「このままじゃ私一人が罪を着せられて終わるのだと気づいたからよ。あの二人があなた達に拘束されたのを見てたわ。今さら私一人で何ができるというの」
レヴィアスが侍女二人を拘束したのを偶然にも見ていたのだろう。しかしそれだけですべてを諦めるのは早すぎないかとロザリアンヌは疑問に思う。
「さっきみたいに皇后様に助けを求めに行けば良いのに」
「あの方はけして私を助けてはくれないわ。そんな話を持って行ったらその場で殺されるのがオチよ」
「あなたが生き証人だから?」
「今さら私が何を言おうと無駄よ。そんなの簡単に握り潰されるわ。言っておくけど私とあの方が繋がっている証拠になる物は何もないわよ。だから今あの方の宮殿に入ったらその事実ごと消されて終わり。もうどう足掻いても私の身の破滅は決まってしまったの。・・・こうするしかないのよ」
さっき大分復活したと思った侍女長の元気はまたみるみる萎み、すべてを諦めたように力なく呟く。
しかしそんな侍女長の姿にロザリアンヌは正義感という名のイライラとムカムカが再燃する。
「そんなに簡単に諦めるくらいならどうしてこんな悪巧みに手を貸したのよ。今さら死んで逃げるなんて卑怯よ。今まで貴妃様が苦しむ姿を見て散々いい気味だと笑ってた分ちゃんと償いなさいよ」
「何をどう償えというの? 貴妃様の手にかかって殺されればあなた達は満足かしら? それにどうせ貴妃様の命を狙ったと知られれば私は罪人として扱われ死罪よ。身内にも迷惑がかかるわ。そんな結末は避けたいの。それともあなた達が私を今すぐ楽に殺してくれるというの?」
「あなたには死ぬという選択肢しかないの? そんな結末になると知りながらどうしてこんな事に手を貸したのよ」
ロザリアンヌはついさっきまで侍女長を許せないと息巻いていたはずなのに、何故か目の前で死ぬ事しか口にしない侍女長に今は命を諦めて欲しくないと思ってしまう。
始めは貴妃様の消えゆく命を助けたいと思い後宮に乗り込んだ。そして貴妃様の命を狙うヤツらの悪巧みを暴こうと行動した。その結果目の前で侍女長がすべてを諦め死のうとしている。
ロザリアンヌは正直そこまで考えてはいなかった。悪事を暴いた結果、誰かを追い詰め誰かを裁く事になるなどと思ってもいなかった。というか、せいぜいが懲らしめてやるくらいの感覚でしかなかった。
見ず知らずの大勢が好き勝手に争っている戦場で天罰は発動できても、貴妃様の命を脅かしたからと言って目の前で震える侍女長もそうなって当然などとは思えなかった。
誰かを裁く事の難しさを目の前にしてロザリアンヌの自己満足的な正義感が揺らぐ。そして覚悟が足りなかったのはロザリアンヌの方だと今になってつくづく思い知る。
「裁くのは私の役目ではないわ。大人しく侍女達と一緒に拘束されてくれるよね」
ロザリアンヌは自分自身どうしたいのかどうしたら良いのか悩みながら、侍女達が拘束されている部屋へと侍女長を連れて行くのだった。




