293
侍女長は布を被り顔を隠すようにすると宮殿の正面から堂々と外へ出た。
そして後宮内の大通りとも言えるきっちりと石で舗装された通りを大寝殿がある方へと向かって歩き出す。
大通りとはいえ奥まった所にある大寝殿や皇后様の宮殿に出入りできる人は少ないらしく、そこを通る人影もかなりまばらで、使用人達が住まう使用人棟の辺りとは道幅も違い賑やかさが段違いだ。
多分皇帝や皇后など偉い人が何かの行事で大行列を作る事もあるのか、他の通りと比べ明らかに道幅が広い。日本で言ったら三車線から四車線位は優にあるだろう。
先を歩く侍女長はかなり堂々と歩いているが、後を付けるロザリアンヌは向かう先が大寝殿の方向だと知り少しドキドキし始めていた。
皇后様と繋がっているのは既に確定しているので多分向かう先は皇后様の宮殿なのだろうが、こんな昼間の明るいうちから堂々と出入りできるものなのかと考えていた。
大寝殿や皇后様の宮殿だけで無くその回りもかなり警備が厳重だと奴隷商人が言っていたのに、あの女官では無く一介の侍女長ごときがそう簡単に出入りできるものなのだろうか。
もし簡単に出入りできるのだとしたら、この侍女長はやはりかなりの権力者だという事になる。それに顔を隠している時点で怪しさ満載なのに、警備の兵士に不審に思われる事無く見過ごされているのも考えてみれば不思議だ。
警備の兵士は皇帝直轄の部下で侍女長は側妃が雇う部下なのだから立場的には警備兵の方が上だ。なのに警備兵は職質をする事もなく先に頭を下げている時点で何かあると言っているようなものだろう。
(顔を隠しているのに誰だか分かってるって事だよね? もしかしてあの頭に被っている布が何かの目印なのかな?)
ロザリアンヌはふとそんな事を考えながら引き続き侍女長の後を追った。
そしてたどり着いたそこはロザリアンヌが想像したとおり皇后様の宮殿だった。
勿論正面から堂々と入ったのでは無く、裏口というか勝手口のような所から誰に取り次ぎを頼むでも無くスイスイと宮殿内へと入って行く。寧ろこの侍女長は貴妃様に雇われた侍女ではなく皇后様に雇われていると言われた方が自然なほどだ。
ロザリアンヌは一瞬呆気にとられ出遅れたが慌てて侍女長の後を追う。そして侍女長が入った部屋へ一緒に入ろうと試みたが、扉を急ぎ閉められ中へ入る事ができなかった。
いつもならロザリアンヌが体を滑り込ませる事ができるくらいにはゆるゆるとした動作なのに、何かを警戒しているのか急ぐように勢いよく閉めた事からロザリアンヌも自然と慎重になる。
中の様子を窺いたいが、ここで今扉を開けたらきっと自分の存在をバラす事になると思い我慢し、扉に耳を付け中の音を拾おうと頑張ってみた。
しかし侍女長が動く気配も声もしない事から部屋の中には侍女長しかおらず、今すぐに何かが始まるようには思えない。なのでロザリアンヌは扉の前で次に何が起こるかを大人しく待つ事にした。
すると然程待つ事もなく一人の侍女が現れ中に声を掛ける事もなく扉を開けるので、ロザリアンヌは今度は間違いなく扉を閉められる前に部屋の中へと体を滑り込ませる。
中は思った以上に装飾が見事な家具が並び、侍女長が座っている椅子もテーブルもかなり豪華な物だ。もしかしたら今部屋に入ってきた侍女が使う個室なのかも知れないと思えた。
「リーシェンより準備が整ったとの知らせが届きました」
侍女長は新たに現れた侍女に席を立つ事もなく頭だけ下げると早速話し始めるところを見ると、多分偉い人が現れた訳ではないのだろう。しかしさっきの文の報告をしているからには仲間には違いない。
「随分と時間がかかったのですね。それですぐにでも始められるのですか。チョウキ様も大層痺れを切らしていますよ」
「それなのですが、貴妃様の呪いが祓われたらしく、今朝確認しましたところ回復なさっていて・・・」
「なんですと。俄には信じられません。かなり高名な術者でも祓えないだろうと言っていたのですよ。いったいどのような手を使ったのでしょう」
「それが、新しく入った使用人が出しゃばったようで」
「そのような新参者の使用人をあの女の傍に近づけるなどいったいあなたは何をしてたのです」
「あれ程気味の悪い瘴気が漂っていたのですよ、近づく者が居るとは思いもしませんよ。それにリーシェンより紹介のあった者達故、勝手な事をするなど考えてもいませんでした」
(リーシェンより紹介のあった者って私達の事よね? って事はあの奴隷商人はリーシェンと呼ばれているのか)
ロザリアンヌはここへ来て初めて奴隷商人の名前を知る。
「だとしたらリーシェンが裏切ったと考えねばなりませんね」
「それはないと思います。見目の良い者を取り揃えたとしか言っていませんでしたし」
「どうだか分かりません。まぁ私の方は計画に支障がなければ問題はありません。それよりこれはあなたの落ち度です。どうにかなさい」
「ええ、ですので今夜にでも実行しようと考えているのですが、貴妃様の呪いが祓われてしまった事はどういたしましょう。死体が綺麗なままではいい訳が通らなくなるのではないですか」
「検分させる前に焼いてしまえば済む事です。そんな事より計画通り実行できるのでしょうね」
「ええ、お任せください。何としても実行いたします」
「では頼みましたよ。失敗など許されないとしかと覚悟なさい」
ロザリアンヌは一人でとんでもない企みを聞いてしまったような気がして思考が忙しかった。
どんな計画なのかまったく見当も付かないが、今夜貴妃様の命が狙われるのは確かだ。だとしたらまずは絶対にそれだけは阻止しなくてはならない。
しかし侍女が動いた事でロザリアンヌの思考は一時停止しする。そして侍女長とこの皇后の宮殿の侍女とどちらの後を追うか一瞬迷ったが、急ぎ侍女の後を追う事を決め動いた。
侍女長のこの後の行動よりも、この侍女が誰に何を報告に行くのかの方がとても興味深く絶対に知りたいと思ったのだ。
(スパイにでもなった気分だわ。絶対に計画の内容を暴いてやる!)
こうしてロザリアンヌは勝手も知らない皇后の宮殿の中を、まるで密偵にでもなった気分の動作で侍女の後を付けたのだった。




