286
後宮内には大寝殿と呼ばれる皇帝の寝所があり、普段政以外の生活はそこでされている。
そして大寝殿の隣に皇后様の生活する宮殿があり、そこから少し離れて側妃達が住まう宮殿が続き、他には使用人達が生活する一際大きな建物があって、そこに個室を持てるのは役職に付く女官か愛人達だ。
皇帝が皇后の宮殿や側妃達の宮殿に足を運ぶ事もあるが大抵は女の方を寝所に呼んでいるらしく、皇帝の寝所に何度呼ばれたかが女達の権力にも直結するらしい。
それから側妃達が住まう宮殿で働く侍女や使用人達の給金などを含めた宮殿維持費は、そこの主である側妃の実家または後見人が出している。なので宮殿に勤める侍女や使用人達の数でその側妃の内情が分かりやすく後宮での立場も変わるようだった。
ロザリアンヌの前世で仕入れた記憶では、後宮や大奥と言った所は完全に外の世界から隔離された男子禁制の女の園だった。
しかしロザリアンヌ達が潜入する事になった後宮はけしてそんな雰囲気ではなく、後宮の警備をする兵士は普通に男であったし、後宮へのいくつかある出入り門に立つ兵士も男だった。
それに後宮に出入りする商人なども男だったし、その商人達が各側妃の住まう宮殿まで普通に出入りしているのにはさすがに驚いた。
そう、今ロザリアンヌ達は奴隷商人が用意した馬車で厳しく調べられる事も無く後宮の西門から後宮の中へと入り、普通に貴妃様が住まう宮殿へと向かっている。
お気に入りの御用商人がそれぞれにあるらしく、側妃様の住まう宮殿や愛人や女官達が住まう建物内へは許可証を持つ者ならあまり厳しい調べもなく入れるらしい。
さすがに皇帝の住まう大寝殿や皇后様が住まう宮殿は厳しい検査もあるらしいが、本当にこれで大丈夫なのかとロザリアンヌは心配になってしまう。
そしてこれならば別に奴隷商人に無理に頼まなくても、別の手段で簡単に潜入できたのではないかとガッカリもした。
それからまたこんな状況なら貴妃様が簡単に毒を盛られる訳だと納得もしてしまうが、実際には宮殿までは行けても御用口での対応ですべてを済ませ、たとえ親であってもそこから先には簡単には入れないらしい。
側妃達は宮殿から出る事を禁じられ、それぞれの宮殿の中へはたとえ護衛であっても皇帝以外の男は入れない決まりになっているそうだ。
なので側妃が何人居ようが皇帝以外その顔を知るものは少なく、噂だけが歩き回っているようだった。
(だから貴妃様の入れ替えだとかすり替えができると考えたのかしら?)
顔があまり知られていないのならばいくらでも誤魔化せると考えたのだとしても不思議ではないが、あくまでもそれは世間的なもので皇帝に寵愛されているのならば誤魔化せる訳がないだろうとロザリアンヌは奴隷商人の迂闊さに呆れていた。
そして今貴妃様は病弱だと言う噂が大きく広まり色々と詮索されあらぬ噂まで囁かれている。しかしその噂を否定する事もできずさらに心まで病んで行ってるらしい。
要するに悪循環ってやつだろうとロザリアンヌは考えていた。
何にしてもまずは体内に溜まった毒を抜き体力を回復させ、体が元気になれば気力も復活し心も元気になると考えいるので一刻も早く貴妃様に会いたいと思っていた。
お母さんが元気じゃないと子供は笑えない。とにかく貴妃様に元気になって貰うのだとロザリアンヌは意気込んで貴妃様の住まう宮殿の御用口へと入った。
中には三人の警備のための兵士が居て、その一人に奴隷商人が用向きを告げると取り次ぎのための女官が程なくして現れた。
「今回は侍女と使用人の補給という事ですが貴妃様からそのような要望は承っておりません。検討をいたしますので許可が下りるまでお引き取りください」
女官の冷たく感じる事務的な応対にロザリアンヌは戸惑ってしまう。
後宮に入りこの宮殿へ来るまでの間ずっと何事もなく順調だったのに、ここへ来て急に厳しくなり、何もできないまま追い出されようとしている事にロザリアンヌは焦りを感じ始めていた。
検討され許可が下りるのにどれだけの時間がかかるのかロザリアンヌには推測もできない。
貴妃様の容態は悪いという話なのに悠長に構えていられない。というか、そんな容態の悪い貴妃様に何かを判断し返事ができるはずがなく、折角意気込んできたのにロザリアンヌ達はここで追い返されたら最後後宮に潜入する事はできないだろうと思っていた。
「ワンミン様これを」
奴隷商人が警備の騎士達に悟られぬようにそっと女官に何かを手渡した。
小さな縦長の木箱で中身はかんざしか何かだろうか、ちょっと高級そうに見える白っぽい木箱だった。
ワンミンと呼ばれた女官はそれを即座に服の袂にしまうとニッコリと微笑むのを見て、ロザリアンヌは何かとても気味の悪いものを感じた。
「しかし貴妃様のお加減を考えれば人出が多い方が心強い事でしょう。分かりました。今回は私の方で許可を出しておきます」
さっきまでの冷たく事務的な態度とは裏腹に気持ち悪い笑顔を浮かべ柔らかく話す女官にさらに気味悪くなっていく。
賄賂が当然のようにまかり通る気味悪さもそうだが、得体の知れないロザリアンヌ達でさえこうも簡単に宮殿に入り込んでしまえる気味悪さだ。
この後宮はもしかしたらダンジョンよりも深く闇の濃い迷宮で、魔物より邪悪な存在が跋扈しているのじゃないかとロザリアンヌは思い始めていた。
(だとしたら上手く攻略して邪悪な存在は纏めて討伐するまでよ!)
ロザリアンヌは別の意味で新たなやる気が漲り出すのを感じていた。




