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邸の扉が開いたかと思うと、すごい勢いで駆け出して来る存在に気付き目をやるとユーリだった。
会えないかも知れないと考え、長時間待たされる事も覚悟していたので、ロザリアンヌは本当に驚いた。
「ロザリアンヌ!」
ユーリに自分の名前を呼ばれ、ロザリアンヌは何か不思議な感じがした。
卒業式の後、告白イベントでこっぴどくフッた。
ユーリの事はどうしても教師としてしか思えず、できる事ならあまり顔を合わせたくも無い存在だった筈なのに、大陸を離れそれなりに時間が経過したせいか、それともユーリの態度が少し変わったからか、ロザリアンヌはあの時程嫌な気分ではなかった。
ロザリアンヌは目の前に立ったユーリに、上品さを意識しゆっくりとお辞儀をする。
「話があるそうだな。中で話すか、それともどこか別の所が良いか?」
ユーリがこうしてロザリアンヌの気持ちを考え、選択肢を提示するのも何だか不思議な感じだった。
以前なら頼みもしない事を一方的に押付け、何故かそれが愛情表現だったらしい。
そう思うとユーリもかなり変わったのだと感じていた。
「この前のコーヒーの店に連れて行ってください。今度は私が奢ります」
「あの時は本当に申し訳なかった。反省している」
ユーリが突然焦って謝りだすので、ロザリアンヌも焦ってしまう。
「いえ、私も黙って出て来てしまいすみませんでした」
「話したいと連れて行きながら黙ってしまったのだ、腹を立てるのも当然だ。あれは完全に私が悪かった」
「フフフ、このままじゃ話が進みませんね」
頭を下げるユーリと顔を見合わせ、ロザリアンヌが軽く笑い声をたてたのを合図に二人は歩き始める。
そして街中をロザリアンヌの歩調に合わせ歩くユーリがぽつりぽつりと話始めた。
「あれから街中をかなり探し回ったのだが、出会えなかったので諦めていた。だからこうして訪ねて来てくれて本当に嬉しい」
「探し回ったんですか?」
探し回ったと聞き、ロザリアンヌはやはり悪い事をしたと少しだけ反省した。
「ドロップ品を売りに来たと言っていたからな、その可能性のある場所を聞き歩いた」
「それはすみませんでした。あれからスラムの惨状を目にして浄化してました」
「スラム?」
「はい、その事でお願いがあって来ました」
スラムを知らないらしいユーリに、ロザリアンヌは立ち止まるとユーリの目をしっかりと見詰めて話し続ける。
「私一人では解決できそうもありません。どうか力を貸してください」
「この国で私ができる事などそう無いかも知れないが、とにかく詳しく話してくれ。一緒に考えよう」
ロザリアンヌはユーリにそう言ってもらえて、何だか随分と肩の荷が下りた気がした。
そしてコーヒーの店に着くまでの間、ロザリアンヌはずっとユーリにスラムの話を聞かせ、自分の考えを聞かせた。
「難しい問題だな。それに私やジュリオが交渉できる問題でもない」
話を聞き終えたユーリはバッサリと言った。
「どうしてですか?」
「国の政治には口は出せない。他国の内政に干渉するという事は、下手したら戦争にも繋がりかねない」
ロザリアンヌはユーリの説明にガックリと肩を落とす。
自分が考えていたよりずっと難しい問題で、そう簡単に解決できないのだと分かり、何もできない自分が情けなく悲しくなって行く。
そうして落ち込んだ気分のままコーヒーの店に着くと、ユーリはロザリアンヌを気遣う様に言う。
「ここはパスタが美味しいのだが、食べてみる気は無いか?」
「パスタですか?」
「ああ、正直に言うとこの大陸の料理はあまり口に合わないが、ここのパスタはあの邸の料理より美味いぞ」
美味しいパスタと聞いてロザリアンヌは少しだけ気分が華やいだ。
「食べます!」
パスタとコーヒーを頼みボックス席に座ると、ロザリアンヌとユーリは忽ち会話の話題が無くなり黙った。
暫くの沈黙が続く間、ロザリアンヌはまたこの前の二の舞かと少し警戒しユーリを見ると、何故かユーリは優し気な表情でロザリアンヌを見ていた。
「考えてみたが、この国に交渉するのではなくジュリオに頼んでみてはどうだ?」
「ジュリオ様にですか?」
「ああ。行政に頼るのではなく、この地で事業を行う予定でいるジュリオに頼む方が確実だ。雇用という形で少しは力になれると思うぞ。その交渉なら私にもできそうだ」
何もできる事が無いと諦めていたロザリアンヌは、ユーリの話に希望が見えた事で嬉しさが込み上げた。
「お願いします!」
「ジュリオと話してみるが、この前ロザリアンヌがコーヒーを現地栽培しろと私にヒントをくれた礼でもある。こちらとしても事業を進める上で丁度良い提案だ。だから畏まって頼む必要も感謝もいらない」
ユーリは畏まるロザリアンヌに、よせとでも言う様に軽く手を振り笑った。
「でもこの地で事業を起こすとなると面倒事も多いのでしょう?」
「まあ、そう言う事もあるな」
「では、賄賂に使えそうな物を提供しますよ」
ロザリアンヌはすっかり気分が良くなった勢いで、前々から処分に困っていたダンジョンから持ち帰った宝箱を提供する事にした。
売りに出したら大騒ぎになりそうだし、領主にでも献上しようと考えていたが、その切っ掛けも無く増えて行く一方で、ロザリアンヌにしたら綺麗な装飾が施された収納ボックスでしかない代物だ。
スラムの役に立つと思えばここで提供するのも悪くないと思え、ロザリアンヌは宝箱の一つをマジックポーチから取り出してユーリに見せた。
「これはまた…」
ユーリは装飾の美しさに溜息を吐いた。
「ダンジョンで手に入れた物で、容量は確認できていませんが収納ボックスになってます」
「かなり高く売れそうな品物だな。賄賂に使うには贅沢過ぎる」
「でも売るのも何だか面倒事に巻き込まれそうな気がするんですよね」
「しかしだな、欲しがる奴はかなりいると思うぞ」
「だから好きに使ってください。実はこれと同じ様な物を30個以上持ってるんです」
「何だと!!」
驚いて目を見張るユーリの表情に、冷静沈着そうなユーリでもこんな表情を見せるのかとロザリアンヌは驚いた。
そして意外にユーリも普通の人なのかもしれないと思い始めていた。
「スラムの事をお願いする私からの賄賂だと思ってください」
「分かった。では必ずやスラムの為に使うと約束しよう」
ユーリはそう言うと、素早く自分の収納バックの中に宝箱を収めた。
店内に居た他のお客が注目しているのに気が付いたからだった。
防音結界は張ったが、ロザリアンヌはまだ視界を遮断させる結界を覚えてはいなかった。
これがレヴィアスなら幻惑系の魔法で別の様子を見せる事も可能なのだろうが、ロザリアンヌにはその魔法も使えなかった。
その後提供されたパスタを食べたが、ロザリアンヌは少々複雑な思いだった。
見た目はジェノベーゼ風なのに、ニンニクと唐辛子の辛さが効いたペペロンチーノの様な味も絡み、それに麺の形ではなくニョッキの様な形だったのも意外で、ロザリアンヌが今まで食べた事のないパスタだった。
少なくとも胡椒とオリーブオイルが使われていないのは確かで、ロザリアンヌはこれも小説で読んだファンタジーな世界のテイストなのかと思っていた。
けしてマズくは無いが、これを美味しいと喜ぶユーリの普段の食生活が伺えた。
「どうだ美味いだろう」
「色んなハーブの味が絡み合ってますね」
ロザリアンヌは正直な感想を言いながら完食し、コーヒーを楽しんだ。
ユーリと一緒に食事を楽しむ日が来ようとは思ってもいなかったが、少なくとも悪くない思い出にはなったと考えていた。




