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「お呼びでしょうか?」
ロザリアンヌはユーリが執務室代わりに使っている部屋へと入り、少しだけ警戒しながら尋ねる。
「Sランクダンジョンを踏破したそうだな、良くやったおめでとう」
まさかユーリがロザリアンヌのSランクダンジョン踏破を喜ぶとは思ってもいなかった。
ロザリアンヌが考えていたのとは違う反応に、ユーリがロザリアンヌをここへ呼んだ理由がますます分からなくなる。
「ありがとうございます」
めでたいかどうか疑問もあったが、ロザリアンヌは適当に返事をした。
「相変わらず素っ気ない奴だなおまえは、一応これでもだいぶ目に掛けて庇ってきたつもりなんだがな」
ユーリはどういう訳か深い溜息を吐いて見せた。
目に掛けて貰ったというより、あれこれ強制された覚えしかないし、庇って貰った覚えが無いのでロザリアンヌはユーリの溜息の意味が分からなかった。
「えっと、それでご用件は何でしょう?」
ロザリアンヌはユーリの心情に興味など無く、さっさと話を終わらせたいと考えていた。
「コレを翻訳して欲しい」
ユーリは執務机の上に置かれた分厚い辞書を差し出した。
「?」
「おまえ異国語が通じるそうじゃないか、否定しても無駄だ情報は既に入っている。これから通訳をして回れとは言わない、代わりに翻訳本を作る手伝いをしてくれるとありがたい」
ロザリアンヌはついに来たかという思いだったが、思っていた以上に譲歩した交渉だったので少しだけ安堵した。
それに自動翻訳機の練成を続けてはいるが、なかなか上手く行かず行き詰まっていたので、気分転換や発想の転換にもなるかと引き受ける事にした。
「この辞書を翻訳するだけで良いのですよね?」
「ああ、発音もできるだけ明確にしっかりと頼んだぞ」
「分かりました」
「ああそうだ、ちょっと待て」
ロザリアンヌが辞書を受け取り退出しようとすると、ユーリはロザリアンヌを呼び止めた。
「しばらく登校も免除する。できれば急いでくれ」
登校を免除する位なら、もう卒業した事にしてくれないかなと思いながらロザリアンヌは退出し図書館へと向かった。
久しぶりの図書館の空気に、いつもと少し環境が変わり新鮮な気分だった。
家へ帰っても良かったが、時間を忘れ根を詰めてしまいそうだったので図書館で作業をする事にしたのだ。
翻訳作業が進む中、この先他の大陸他の国とも交易が始まれば、毎回この作業を押付けられるのかと考えていた。
そしてやはりこんな作業から解放されるためにも、取り急ぎ自動翻訳機の練成に成功しなくてはと気持ちが焦った。
前世での自動翻訳機って音声に反応して翻訳してたんだよね?
じゃあ思念を翻訳するのはどうしたら良いんだろう?
思念って脳で考える訳で、それなら脳波が翻訳できれば良いのか?
脳波って確か電気信号だったっけ?
読心術とかテレパシーって実際どういう原理の能力なんだろう?
あれも言葉の通じない人でも考えが通じたりするんだろうか?
もし本当にそんな事が可能なら、思念を持つ者だったら人間じゃなくても考えが通じるようになるのか?
例えば魔物や動物でも?
あの四次元ポケットを持つ青いネコの世界は、こんにゃく食べてたけどあれって結局何だったんだろう?
結局電気信号を魔力で感知し変換できれば良いのか?
「う~ん、やっぱり良く分かんない」
翻訳作業をしながらの考察はロザリアンヌの脳をオーバーヒートさせた。
「今日はもう帰ろう」
時計を見ると午後の3時近くになっていた。夢中になり過ぎてお昼ご飯を食べるのも忘れていた様だ。
いつもならキラルから返事がある筈なのにキラルの声が聞こえず、ロザリアンヌはキラルの姿を探しながらキラルに謝る。
「キラルごめんね」
ロザリアンヌに付き合って図書館に居た筈のキラルの姿が見えなかった。
ロザリアンヌが慌ててキラルの気配を探ると、食堂で女生徒に囲まれているのが分かった。
キラルはキラルで浄化作業に勤しんでいるのだと知り安心したが、何だか雛鳥に親離れをされた気分になり少し寂しかった。
それでもキラルの自我が芽生えた事を嬉しく思いながら、食堂へと向かって歩き出す。
「キラル~、家へ帰るけどキラルはどうする?」
「僕も帰るよー」
キラルは女生徒達に「またね~」と言って手を振りながら、ロザリアンヌの所へ走って来た。
「ごめんね夢中になって放って置いて」
「ううん、ロザリーが頑張ってるから僕も邪魔しないように頑張る。それに彼女達が色々と奢ってくれたから僕得しちゃった」
ロザリアンヌはキラルの口から≪得しちゃった≫なんて言葉を聞く日が来るとは思っていなかった。
女の人から奢って貰って得しちゃったなんてセリフはまるで、ジゴロかナンパ師かチャラ男みたいじゃないか!
何と言うか、ロザリアンヌの中では純真無垢・穢れを知らない光の精霊が放つ言葉ではないように思えた。
これはキラルの成長と捉え喜ぶべきか、それとも俗世に塗れたと悲しむべきかと、ロザリアンヌは複雑な心境になった。
「キラル、奢って貰った時はありがとうだよ。そしてそのお礼はするものなの。得しちゃったで済ませないようにね」
もっとも彼女達にしたら推し活の一種みたいなものだろうし、心が浄化され癒されるのだから見返りはあると言えばあるのだろうが、ロザリアンヌはキラルにそれを当然とは思って欲しくなかった。
「うん、ごめんなさい。僕ありがとうって言って来るね」
キラルがまだ解散していなかった彼女達の元へ走ると、またもや黄色い歓声を浴びていた。
その声を聞きながら、本当にこれで良かったのかと思うロザリアンヌだった。




