第9話 甘いシュークリーム
幼い頃の夢を見ていた。
小さな少女と小さな少年が息を荒くして手を繋いだまま森の中を懸命に逃げ回っている。
二人を追いかけているのは禍々しい瘴気を纏った恐ろしいオオカミの魔物だ。
まだ魔法も上手く扱えない幼い子供が逃げ切れるわけもなく、とうとう追い詰められてしまった。
じりじりと迫る魔物を前に少年が少女を庇うように抱き締める。
「君は絶対に僕が守るから」
そして、大人が駆けつけて魔物を倒した時に少年は血まみれだった。
「僕は平気へっちゃらだよ」
泣き喚く少女を安心させるように少年は息も絶え絶えな状態で強がるように笑いながら声をかけていた。
これが、わたしがエドワードのことを好きになったきっかけの出来事だ。
♦︎
「エドくん……」
頭がボーっとする中、わたしは夢に出てきた少年の名前を呟いた。
「ルミナ! やっと目を覚ましたんだね!」
ガタッと誰かが立ち上がってわたしの顔を覗き込んでいる。
炎のように赤い髪に水晶のような薄紫色の瞳をした少年が安堵の息を吐いた。
「エドワードさま!?」
「無理して起き上がらないでくれ。楽な姿勢でいいから」
そういうわけにもいかず、なんとか上半身だけを起こした姿勢になって、部屋の壁に貼られた時間割りと薬品の匂いでわたしはここが学園の医務室だと気づいた。
「どうしてわたしがここに?」
「僕が運んだんだよ。凄い爆発音がして様子を確認しようとしたらブレイヴレオンが走って来てね。ルミナが気を失ったって」
そうだった。
わたしはドラゴンを倒すために全魔力を使い果たして気絶してしまったのだ。
魔力切れのことを思い出すと体が鉛のように重たく動かしにくいことに気づく。
戦闘があったのは昼間だったのに現在は太陽が沈みかけているので数時間も寝たままだったんだ。
人生で初めての魔力切れになったけれど、聞いていたよりもずっと怠いんだなと思った。
「ブレイヴレオンは?」
「彼なら僕が君を学園に運んだ後に倉庫に帰って行ったよ。なんでもダメージを修復するためにしばらく眠るそうだ」
ドラゴンとの激しい戦いでわたしは魔力を消費したけれど、ブレイヴレオンは炎で焼かれたり吹き飛ばされたり尻尾で地面に叩きつけられたりもした。
直接攻撃を受けた体には深いダメージが残っているのかもしれない。
後で様子を見に行かなくちゃ。
「ルミナ……ありがとう」
ブレイヴレオンのことを考えていたら急にエドワードが頭を下げてお礼を言ってきた。
「えっ? いきなりどうしたんですか?」
「君のおかげでみんな生還した。怪我人こそいたが、死者が一人も出なかったのは君達の功績だ」
「そっか……良かったです」
あれだけパニックになっていた集団だったし、派手にドラゴンと巨人が暴れていたので巻き込まれた人がいないか不安に感じていたけれど亡くなった人がいなくて良かった。
「でも、心配したんだぞ」
「エドワードさまがですか?」
「当たり前だろ? 急に彼と一緒に飛び出して、巨大化したり姿が変わったりで大立ち回り。何が起きてるのかわからなくて混乱したよ」
その辺はわたしにも詳しいこまとはよくわかっていない。
急にペンダントが光ってブレイヴレオンの中に入って、後はノリと勢いでどうにかこうにか動かした。
余裕なんてものはなくてただがむしゃらに戦った。
「使い魔が一緒とはいえ、単騎でドラゴン相手に挑むなんて」
「エドワードさまには言われたくありません。自分だって囮になるとか言って一人で戦おうとしてたじゃないですか」
「そ、それは僕が王族だから……」
痛いところを突かれて口ごもるエドワードの鼻を大胆にもわたしは指で摘む。
自分のことを棚に上げてお説教をしようとする彼になんだか無性に腹が立ったからだ。
「わたしだって公爵家の娘です。それに、いずれは王族になるんですよ」
「嫁入り前の君に何かあったら顔が立たないだろ」
「嫁入り先が無くなったらそれどころじゃありませんよ」
エドワードが本気でわたしを心配してくれているのは伝わった。
少なくとも彼にとってわたしは邪魔な婚約者ではないようだ。
「わたしは平気へっちゃらですよ」
「君ってやつは……」
意趣返しも兼ねて彼が言った言葉を口にする。
やれやれと肩をすくめてエドワードは紙袋をわたしへと差し出してきた。
「これは?」
「ほら、甘い物が好きだっただろ? 糖分は手早くエネルギーになるし、魔力の回復にも役立つと思ってね」
「シュークリームだ!」
外側の生地と中味の甘いクリームとの食感の違いが楽しめてつい何個もパクパクと食べてしまいたくなる魅惑のスイーツ。
「わたしの好物を覚えてくださっていたんですね」
「あれだけ目の前で食べていたんだから忘れられないよ。毎食デザートにシュークリームって言ってたもんね」
「うぅ……。それは昔の話で、そっちは忘れてくださって良かったのに……」
あの頃のわたしは何もわかってはいなかった。
毎食ではなく、一日一回にすることで待ち遠しさと希少価値をプラスした更なるシュークリームの美味しさを引き出せるというのに。
「では、いただきます」
昼食もドラゴン騒ぎで殆ど食べられなかったせいでとにかくお腹が空いていたので、いただいたシュークリームをさっそく口にする。
ふんわりしっとりとしたシュー生地と中にぎっしり詰まったとろける生クリームの甘さが疲労した体に染み渡る。
「ふぉいひぃでふ」
「口に詰め込み過ぎてハムスターみたいになってるよ」
くすくすとエドワードが笑うが、こんな美味しいものを渡されてはお上品さなんて忘れて頬張ってしまうのも仕方ない。
「ほら、欲張って食べるからクリームが頬についてるじゃないか」
「本当ですか!?」
急いで手で拭おうとしたが、シュークリームを手掴みしていたので手にもクリームがついている。
「ほら、じっとして」
どうしようと一瞬悩んでいる間にエドワードが指を伸ばしてクリームを拭き取り、そのまま自分の口に入れた。
「美味しいね、このクリーム」
「……ぷしゅー」
超至近距離に整った顔が急接近して、オマケにわたしの顔についていたクリームを舐めるなんてドキドキしてしまって火が吹き出そうなくらい顔が赤くな
った。
一方のエドワードはクリームの味に興味を持ったようで平気な顔をして次は別のクリームが入ったものを食べに行こうと提案してきた。
あんなスキンシップもエドワードからすれば意識するほどのものではないのだろうか?
「ルミナも目を覚ましたし、お菓子も渡せたから僕はそろそろ職員室に行こうかな。後回しにしてた報告しないといけないし」
もしかしてわたしが起きるまでずっと見守ってくれていたのかな?
エドワードはベッドのすぐ側にあった椅子から立ち上がる。
軽く背伸びをして医務室から退室しようとしてドアに手をかけたところで足を止めた。
「そういえば言い忘れてたことがあった」
「はい?」
振り返ってわたしの顔を見るエドワードは含みのある笑みを浮かべていた。
「僕のことはまた昔みたいにエドくんって呼んでいいよ」
「な、な、な……」
それだけ言い残してバイバイと手を振りながらエドワードは去って行った。
寝起きでついうっかり昔の呼び方をしてしまったのをバッチリ聞かれてた!?
しかも、怒るどころかまた呼んでってどういう意味なんですか!?
わたしは枕に顔を押し付けてベッドの上でバタバタと暴れながら彼が何を考えているのかを必至になって考えるのだった。
♦︎
「竜の消滅ヲ確認。要調査」
真夜中の森。
巨大な二体による戦闘が行われて滅茶苦茶になった場所にソレはいた。
大規模な爆発音と強力なエネルギーの感知をして何事かと駆け付けてみれば、ドラゴンの姿がどこにも見えなかった。
残されていたのは爆発の跡と瘴気の残穢のみ。
考え難いことではあるが、地上に姿を現したばかりのドラゴンが何者かによって排除されたのだとソレは判断した。
「付近二生命エネルギーヲ感知。人間ノ拠点ヲ発見」
ソレは暗い森の奥をじっと見ている。
月光に照らされて淡く金色に光る瞳は森の範囲のその先にある魔法学園と近くの町を捉えていた。
「脅威ハ排除スル」
物騒な言葉を口にして、ソレは夜空へと飛び上がり暗闇に姿を消した。
後には静寂が残り、ソレがこの場にいたことを見ていたのは周囲に輪っかをつけた丸い月だけだった。