第7話 遭遇ドラゴンの脅威
「ドラゴンですって!?」
ブレイヴレオンの呟きに一番早く反応したのはセリーナだった。
ドラゴンという存在はアルケウス王国、いいや全人類にとって大きな意味を持つ。
遥かな昔、地上はドラゴンが支配する世界であり人類は彼らに怯えながら生きていた。
今の人類の繁栄はいつからか地上からその姿を見せなくなったドラゴンの後に築き上げられたものであると古い記録が残されている。
「そんなのおとぎ話や神話の時代の話じゃない!」
「本物なのか? ……いや、でもあんなサイズの魔物なんて僕は知らないぞ」
ゆっくりと立ち上がる巨大生物は鋭利な爪を持ち、体に付着した土を振り払うように体を揺らす。
目を閉じたまま周囲をキョロキョロしているのは地中から出てきたばかりで太陽の光が眩しいから。
しかし、それもすぐに適応して縦長の爬虫類のような獰猛な瞳がこちらを向いた。
「ギャオオオオオオオオオーーーーッ!!」
高さはおよそ十五メートルほどの巨体から耳が破裂したかと錯覚するような咆哮が轟く。
間違いない。あの巨大生物、ドラゴンはこちらを獲物に定めた。
姿を見ただけで、声を聞いただけで体の奥底から湧き上がる圧倒的な強者への畏怖と生命の危機から来る恐怖に体を支配される。
「先生方は時間稼ぎの準備を! 生徒は急いで走って学園の方へ逃げるんだ!!」
大人も子供も関係なく身動きがとれない中、最初に声を上げたのはエドワードだった。
赤い髪をなびかせながら彼は剣を抜き、風の魔法を唱えて声が広範囲に届くようにした。
勇敢な立ち姿と凛とした声、持って生まれたカリスマ性によってその場にいた全員が正気に戻る。
「早く逃げなきゃ」
「荷物は放ってさっさと走り出せ!」
「足が早い使い魔がいるやつは学園に知らせろ!」
とはいえ、パニックであることには変わりなく一斉に悲鳴を上げながら逃げようとしたせいで転倒したりぶつかったりする生徒もいた。
「グルルル……」
逃げ惑う人間の姿を捉えたドラゴンは口から涎を垂らしながら一歩踏み出した。
「魔法を放て!」
合図と共に護衛としてついてきていた教師達が魔法を一斉にドラゴンへとぶつける。
魔法大国であるアルケウスの学問の最高機関で働く者達であるからには全員が優秀な魔法使いだ。
戦闘力や実戦経験については本職の騎士団には劣るかもしれないが、それでも元騎士や長年の授業で腕を磨いてきた猛者達。
「……なん……だとっ!?」
時間稼ぎのために覚悟を決めた大人達による集中攻撃は確かにドラゴンの視界を塞いだ。
しかし、魔法による爆発の煙が消えた後には無傷の状態のドラゴンが立っていた。
「嘘でしょ!? 魔法に対して強力な耐性でも持ってるの!?」
「いや、それだけじゃない。物理的にもあの鱗が頑丈なんだ」
セリーナとエドワード、それから教師達が驚愕の声を漏らす。
彼らは今の自分にできる最大限の魔法を使ったはずなのに全く効果が無かった。
生徒を逃がすために時間を稼ごうと死力を尽くして挑もうとした。
しかし、本当に時間稼ぎができるのか?
アレを自分達がどうにかできるのか?
そんな不安を隠し切れずに攻撃の手が止まる。
それを許すほどドラゴンは甘くなかった。
「ギャオオオオーーッ!!」
尻尾を一振りする。
たったそれだけでメキメキと音を立てて木を粉砕してこちらへ吹き飛ばしてきた。
「ブレイヴレオン!」
『応っ!』
わたしの声とほぼ同時にブレイヴレオンが前に飛び出した。
飛来する木を鋭い爪と牙で叩き落とす。
とてもじゃないが全てを防ぐことは出来ずに一部が教師達に襲い掛かった。
「くっ。先生方、大丈夫ですか!」
「マードック先生が木の下敷きになっている! 誰か手伝ってくれ!」
咄嗟の判断が遅れて防御が間に合わなかったのか怪我人が発生してしまった。
落ちてきた木を動かすくらい魔法使いが協力すれば簡単なことだけど、状況がそれを許してくれるとは思えなかった。
「嘘だろ。先生達が足止めできないなら誰がアレを相手に時間稼ぎするんだよ!」
「嫌ーっ! パパ! ママーっ!!」
「まだ死にたくない!」
たったの一撃で戦況は悪化して生徒への動揺が広まる。
我先にと逃げようとして逆に足をもつれさせる生徒や腰を抜かして動けない生徒。
教師の中にも職務へのプライドよりも自身のピンチを優先して背を向けた人もいた。
ズン! と巨体が足を踏み出した。
ドラゴンが走り出しただけで生徒達はあっという間に追いつかれてしまう。
その先に待っているのはあの大きな顎による捕食だろうか。
このままでは間違いなく全滅する。
「ここは僕が囮になる」
絶望が迫り来る中、エドワードが呟いた案にわたしは耳を疑った。
「フェニックスが奴の顔の周囲を飛んで気を引く。その隙に僕が近づいて足を切り付ける」
「エドワードさま!?」
確かに彼が言ってることが成功すれば時間は稼げるかもしれない。
でも、それはあまりにも無謀な挑戦だ。
「君とブレイヴレオンは逃げるんだ。この騒ぎだと他の魔物が驚いて生徒達と遭遇する可能性もある。そっちを任せたい」
「だったらわたしが囮役に!」
「いいや。これは僕の役目だ。僕には王族の一員として民を、みんなを守る義務がある」
わたしを真っ直ぐに見るエドワードの瞳は揺れていた。
よく見ると握っている剣も震えているではないか。
あんな怪物を前にして怖くないわけがない。
「僕は平気へっちゃらだよ」
唇を引き攣らせながらも笑みを浮かべたエドワードはわたしの頭を撫でると、ドラゴンへ向かって一直線に走り出した。
「何をボーっと突っ立ってんのよ! さっさと逃げなきゃ死ぬわよ!!」
ユニコーンに乗って逃げる準備をしたセリーナが声をかけてくる。
彼女のような天才でもあの怪物を前にしては血の気の引いた青白い顔をして逃げるしかないと判断している。
「うぉおーーっ!」
雄叫びを上げながらドラゴンの足元へ近づくエドワードと顔めがけて飛翔するフェニックス。
遠ざかっていく背中を見ながら、わたしはとある決心をする。
「セリーナさんは先に逃げてください」
「はぁ!? アンタ、何言ってーー」
これが英雄譚なら彼の活躍でドラゴンは負傷して生徒達は逃げ切れる。
たった一人の犠牲によって多くの人が救われるのは喜ばしいことで、祖父に憧れたエドワードにとっては名誉なことだ。
だけど、それをわたしは受け入れられない。
「もう二度とエドくんを見殺しになんかするもんか!」
小さくなる後ろ姿を見ていると幼い日の記憶を思い出す。
わたしが今みたいな弱虫になってしまったきっかけの一つで、彼を大好きになってしまった事件。
後ろめたくて心苦しくてずっと後悔しているわたしの罪。
「ブレイヴレオン!!」
『救助活動は完了だルミナ!』
相棒の名前を呼ぶと、木の下敷きになっていた教師を救助し終えたブレイヴレオンが駆け寄ってくる。
わたしは素早く彼の背中に乗るとドラゴンの尻尾を指差した。
「あそこに噛みついてドラゴンを引っ張って!」
『了解した!』
土煙を上げながら全力で走り出したブレイヴレオンはあっという間に前にいたエドワードを追い抜いた。
「ルミナ!」
追い抜く瞬間にわたしの名前を呼ぶ声が聞こえたような気がするけれど、今は彼と言葉を交わしている暇はない。
ドラゴンの方も自分に近づく異様な見た目の指示に気づいたのか注意がこちらへ向く。
『ガオーッ!』
勢いよく尻尾へと噛み付くブレイヴレオン。
教師達の魔法による攻撃が全然効かなかった相手だったが、鋼のように硬く鋭く伸びたブレイヴレオンの牙ならなんとか突き刺さった。
「ギャオッ!?」
『ガルルルルルッ!』
じわりじわりと噛み付いたまま後退するブレイヴレオンに引っ張られるドラゴン。
このまま綱引き状態で持ち堪えられたらみんなが逃げる時間は確保できる。
後はアルケウス最高戦力である騎士団に通報してもらって討伐してもらうだけだ。
これなら、なんとかなりそうな希望が見えた。
「キーッ!」
飛来したフェニックスがわたしを攫ったのはその直後だった。
なんで!? と驚いた次の瞬間に視界を埋め尽くすような炎がブレイヴレオンを襲った。
『ぐわぁああああああっ!』
悲鳴を上げながら炎で焼かれるブレイヴレオン。
灼熱の炎の出どころはドラゴンの口だった。
魔物の中には厄介な魔法を使う種類もいると聞いたことがあったけれど、今日戦っていた魔物の中にそんな種類はいなかったから油断していた。
「ブレイヴレオン!」
かなりのダメージを負ったのか黒焦げになったブレイヴレオンが力尽きるように地面に横たわった。
使い魔は死んだ時に光になって消えるのでまだ生きているとは思うが、あれでは戦えそうにない。
「キーッ!?」
「えっ?」
わたしを掴んで持ち上げていたフェニックスが急に慌て出す。
邪魔する相手を倒した後に目障りな虫が目の前を飛んでいるのに苛立ったようで、ドラゴンがフェニックスごとわたしを叩き落とそうと手を振り下ろした。
「わたしを放して!」
意思が通じたのか、暴れ出したわたしに驚いたのかは不明だがフェニックスが足を放した。
おかげでフェニックスは高く飛び上がって回避できたし、ドラゴンの腕はわたしの頭上を通り過ぎた。
だが、空中に放り出された以上待っているのは落下だ。
高所から地面に叩きつけられたらどうなるかは想像がつく。
魔法を上手く扱えるセリーナやエドワードならここで何かしらの手段を使って落下による衝撃から身を守れたかもしれない。
だけど、魔法が下手くそなわたしじゃ何も出来ない。
……このまま死ぬ?
万が一助かったとしても怪我は避けれないからドラゴンに踏み潰されるか捕食されるだろう。
けれど、エドワードや他のみんなを逃がすための時間を少しは稼げた。
わたしにしては精一杯のことをした。
今まで生きてきた中で一番の勇気を振り絞った末の死なら仕方ない。
きっと先に天国へ行ったお爺さまも褒めてくれるに違いない。
「あーあ、こんなことなら告白しとけば良かった」
心残りがあるとすればそれだけだ。
幼馴染のエドワードと婚約者になれて嬉しかったけれど、わたしは一度も彼に大好きを伝えていない。
言葉にせずに心の中で思っているだけだった。
もしも言葉にして想いを伝えて拒絶されたらと思うと怖くて勇気が出せなかった。
そうだ。そうなのだ。
「わたし、まだ勇気を出しきれてない!!」
心の底から湧き出た後悔を叫んだその時、癖で握り締めていたお爺さまの形見であるペンダントが光り輝いた。
わたしはこの現象をつい最近見たことがある。
ブレイヴレオンを使い魔として召喚した時と同じ輝き……いや、あの時よりももっと力強く輝いていている。
『ルミナーーっ!』
「ブレイヴレオン!」
わたしの名前を呼びながら黒焦げになり、所々から火花を散らしている相棒がジャンプした。
わたしも彼の名前を呼びながらその大きく開かれた口の中へと飛び込んだ。
何故そうしたのかはわからないけど、気づいたら体が勝手に動いていた。
「ルミナが食べられた!?」
「キーッ!?」




